ひとりごと(2015年4月分)

2015年4月30日(木)             「大原美術館」

いきなりこのタイトルで?と思われた方もいらっしゃるのではないかと。プログラムを決めた後の後日談ですから・・・。

先日、思い立って倉敷の大原美術館に行ってきました。新学期始まったばかりのこの時期、行けたらいいんだけど・・・と思って予定はひそかに空けておきましたが、決断したのは出発3日前の事。最後まで迷いましたが、行けて本当によかったです。向こうに夜着き、次の日はフルに動き、3日目早朝に発つという正味2泊1日、しかし有意義な旅となりました。

大原美術館に行った理由。それは矢代さんのソナタが大原美術館から委嘱されたものだったから。学生時代にこの曲をさらっていた時に知ったのですが、美術館が新作(それも音楽の)を委嘱するというのはただ事ではないと思っていました。美術館創立30周年を記念しての事であっても、それにしてもすごい事だと。倉敷という街も魅力ですが、それ以上に矢代作品を委嘱した大原美術館があり、いつか行ってみたいとずっと思い続けていました。それがやっとかなったのは、数年前の事。

心に残る絵や彫刻があるだけではなく、美術館のたたずまい、そこに醸し出されている空気、そういうものをひっくるめて好きな美術館としてインプットされると思うのですが、初訪問にしてお気に入りの美術館の1つになってしまいました。だからこそ何度でも訪れたいのですが、そして、このソナタが書かれた経緯をもう少し詳しく知りたい、そしたらもっと理解して共感して弾けるのではなかろうか。「お近づき」になれるかも?それが再訪の理由です。

さて。ピアノの置かれている広い展示室、そこに入ってすぐに飾られているのが、レオン・フレデリックの「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」という大作。初めて目にした時に大きな衝撃を受けたのですが、今回も強いインパクトがありました。

その展示室には他にも印象派の素晴らしい作品の数々が展示されているのですが、フレデリックに目が吸いついて離れないのです。しばらく展示室の真ん中にあるベンチに座り、じっとその絵を眺めていました。そして頭の中で曲を鳴らしていたら、ふと何かと何かが頭の中でカチッとつながったような気が・・・。

演奏者の立場として、どんな経緯で作曲されたのか、作曲者が伝えたいと思った事は何か、など知りたい事はたくさんあります。もしも仮に何の情報も得られなかったとしたら、それでも自分なりに想像し、仮説を立て、それをもとに演奏をすると思うのです。矢代さんがこの曲を作曲するにあたり、その前に大原美術館を訪れていらっしゃるかどうか、それが気になりました。もしもあのフレデリックの大作をご覧になっていたならば、いやいや、ご自身の心の中にあるものが最優先でそれを表現されたのでは?答えは出ません・・・。

美術館を創設した大原孫三郎氏のご子息で、美術館長も務められた大原總一郎氏の生涯について書かれた書物、ミュージアムショップで見つけました。現在まだ読んでいる途中ですが、読み進める内に謎も少しずつ解けてきました。美術や音楽にも造詣の深い素晴らしい方だった事、また倉敷という街の秘密と魅力も分かってきました。学生時代には全く分からなかった事が今、少しずつ少しずつ分かってきています。

演奏とは、作曲者と作品に想いを馳せ、理解しようと努め、共感できたものを演奏として皆様にお伝えする事だと思うのですが、この作品を委嘱した大原總一郎氏、そして大原美術館と倉敷という街、全てがこのソナタに集結しているような深い感慨を覚えます。あとはただただ自分の努力あるのみ・・・。




2015年4月29日(水)             「2015年のプログラム」

長らくご無沙汰しています。

新学期が始まったと思っていたら、もう連休ですね。このひとりごと、何としてでも書き上げる体力がなくなり、気付いたら寝ている、朝になっている事が多々ありまして・・・朝のドタバタにも大分慣れました。

さて、書こう書こうと思っていた今年のリサイタルのプログラムから行きます。

普段伴奏している時は、実にたくさんの近現代曲に出会います。あまりにも当たり前の事で特別な感じもしませんし、この世に出現してから時の経っていない楽器では、むしろ新しい曲しかないという事もあります。しかしピアノの場合、古今東西の大作曲家が遺して下さった数々の名曲が目の前にででんとそびえたっていて、そのレパートリーを勉強することだけでも曲数がありすぎて・・・という嬉しい悩みに遭遇します。その結果、「新しい曲」に出会っていない事にハタと気付く羽目に。その状況はよくない、何とかしようと、ここ数年ずっと考えていました。諸事情でなかなかできないまま今まで来てしまい、今年こそはと思ってプログラムを考えていた訳です。

それとは別に、今年は悲愴ソナタを弾こう!と思っていました。突如降りかかってきた指令のごとく、何故かそれが頭から離れず。プログラムを考えるにあたっての条件は、以上の2つ。

悲愴ソナタを弾くとなればもちろん前半でしょう。でもリサイタル開幕の1曲目ではちょっと重く、聴き手の皆さんも暗くなってしまうかなと考え、冒頭には別の曲を弾いて悲愴は2曲目にしようと考えました。ま、それは後に回して、と。「新しい曲」は何にしよう?

いつか弾かせて頂こうと考えていた、とある邦人作曲家の方の作品があります。ひそかにリサーチ(?)もして、どういう作曲家の作品と組み合わせたらよかろうか、いろいろ思いを巡らしておりました。が、組み合わせのアイデアが浮かばない。それに、悲愴とは果たして合うのだろうか?

じゃぁ他の作品では?と考えていて、「あ・・・」と思い出したのが矢代さんのソナタでした。矢代秋雄さん、1929年にお生まれの日本を代表する作曲家のお一人ですが、まだこれからという1976年に急逝されました・・・。

このソナタ、学生時代に一度勉強した事があります。当時はテクニック的にも音楽的にも難しくて「降参」状態。久しぶりに楽譜を開いたら、拙いながらもそれらしき分析をした跡がありました。当時、弾いていて不思議と心に納得させられる何かがあり、音の一つ一つが全て必然として存在するのを感じました。音一つずつをかみしめて弾くかのような感覚・・・説明が難しいのですが、正にそういう風に思えたのです。「いつかもう一度挑戦してちゃんと弾ける事があるのだろうか、いや、ぜひ弾いてみたい」と思っていた、あの時の宿題をふと思い出したかのようです。

矢代さんがおっしゃるには、「ベートーヴェンの作品109のソナタから精神的影響を多く受けた」との事。今はその意味がよくわかるような気がします。今回演奏するのはベートーヴェンのソナタでも作品109ではなく悲愴ですが、矢代さんのソナタの「厳しさ」(を作品から感じます)が、どことなく悲愴にも通じるような気がする、と思ったら怒られてしまうでしょうか。という訳で、前半の最後に矢代作品を演奏する事にしました。

そして後半。この段階では空白状態ですが、全く関連のない作曲家を置く事もできないと思ったので、パリに留学された矢代さんつながりでドビュッシーを選びました。ぜひ演奏したいと思っていたのは映像第2集。第1集と比べたら、まるで侘び寂の世界ですが、渋い第2集もとても好きです。それだけでは短いのでドビュッシーをもう一つ。初期の作品、雅なベルガマスク組曲を持ってきました。

さて肝心要の第1曲目がまだでした。悲愴の前に弾けるものとなれば、自由な感じのするもの、長調の明るいもの。そして前半はソナタが2曲決まっているので、あまり長くないもの。そこで、最近ピアノ・デュオで演奏機会のある大バッハの息子たちに照準を合わせました。バロック時代から古典主義時代への過渡期に活躍したカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ、彼にはた~くさんの鍵盤作品があります。昨年生誕300年を迎えて研究も進んでいるようですが、恥ずかしながらソロ曲については全然知識がなく、調べる事に大分時間がかかりました。で、選んだのは幻想曲ヘ長調。

何だか長くなりましたが、今回のプログラム、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの幻想曲ヘ長調Wq.59/5、ベートーヴェンの悲愴ソナタ、矢代秋雄さんのソナタ、そしてドビュッシーのベルガマスク組曲と映像第2集、というラインナップです。今回もここまで決めるのに本当に時間がかかりましたが・・・我ながらいいプログラムかなと思っています。

プログラム決めた後にも後日談があります。それはまた続きに・・・。


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