ひとりごと(2013年2月分)

2013年2月28日(木)             「小組曲」

ありがたくも与えて頂いた「缶詰生活」、現在も継続中。どんなペース配分でその日の合わせを進めるか、大分慣れてきました。9〜17時、と書くとわぁ長いと思うのですが、実際過ぎてしまうと本当に短い。まさに「缶詰」、いろいろな事から切り離された空間で集中できますが、意外にも「今日やりたいと思った事の半分も出来なかった・・・」というような毎日です。

今日はちょっと専門的な話になりますが、曲の事について思っている事や気付いた事を少し。

連弾の曲ばかりでプログラムを組む事に関してですが、ピアノのソロみたいに際限ないほどたくさんのレパートリーがあるのとは違って、幾分制約があるように感じます。どの作曲家も連弾作品を書いてくれている訳ではないという事が一つ、そしてそもそも連弾は家庭内など身近な人との間で楽しまれていただけあって、大きな作品が少なく、1曲が5分以内位の短い曲、もしくはそのような曲をいくつかまとめた曲集みたいなものが多い気がします。話を戻して、プログラミングに制約があるという事は、いろいろな時代、いろいろな国の作品が並び、関連のある曲を順につなげていくという風にはなりにくいのです。つまり、練習していてもそれぞれの曲の共通項を見出すというよりは、それぞれの特徴の違いを見つけ出すという感じです。

ドビュッシーの小組曲、これは連弾作品の中では最も知られている部類に属し、演奏された事のある方も多いかと思います。私自身も子供の頃にちょっと弾いてみた事がありますが、今回改めて取り組んでみたら、いやいやとにかく難しくてびっくりしました。連弾曲としては上級編にいれてもいいのではないかと。

何が難しいかと言いますと、メロディーは覚えやすく美しいのですが、ただ弾いただけでは全然格好がつかず、その点非常に弾きにくい。どう弾くかを細部まできちっと考えておかないと、非常に雑に聴こえる恐れがあります。テンポによって弾きやすさが大きく変わるのですが、部分部分によって弾きやすいテンポが違うので、1曲の中で共通するいいテンポを見つけ出すのも難しい。

4本の腕それぞれが細かい動きを持っていて、それを繊細に美しく表現するのには、アーティキュレーション(音をどう切るか、つなげるか?)をどうするかを明確にしなければなりません。前々回↓にも書きましたが例えばスタッカートの長さをどうするかとか、スラーもスタッカートもないところの音の処理はどうするか、とか。ところが子供の頃から私が使っていた某版(フランスものといえばここ?)では、よくよくみるとミスプリントが多い。そこで最近出版された原典版で定評のある某版と見比べたら、昔から疑問に思っていたアーティキューレーションの怪しいところが、かなり違って書かれています。という訳で相違点を探し、それでも両版共に何も書いていないところもまだ多く(あれだけ細かいドビュッシーが書いていないとは?初期の作品だから?)、他のところから類推してどうするか決めました。

アーティキュレーションとも関連しますが、メロディーラインの中できつくもごつくもなく、さりとてひたすら平坦にもならないような抑揚がないと、これまたつまらなく聴こえます。各曲それぞれのリズムが曲の特徴にもなっているので、生きのいいリズムを表現するセンスも問われるような気がするのです。

検証が終わって、あぁやっと音を出せる・・・となるのですが、そこで弾いてみたら更にまた問題が噴出。4本の腕それぞれの描くアーティキュレーションをどれも生かすとなると、ペダルが大変な事になると気付きました。連弾のペダルの難しい点は、みんな(4本の腕)に都合のいい時は基本的にない、という事。楽譜の上にいちいち書いてはいられないような細かいペダルを結構使っています。踏み込む深さ、そして踏み込む(または上げてゆく)速さ、この二つの要素を組み合わせるとさまざまな事が可能になるのですが、それを楽譜に記入するのはほぼ無理。おまけに楽器やその場所の響きが変わると、昨日決めた事がすべておじゃんになる事もあり。せっかく決めたのに、やっぱり全て無しにしようか、という事も度々です。

ドビュッシーの小組曲と言えば、基本は繊細で透明感のある響きというイメージがあります。なのに実際は縦に同時に鳴る音がかなり多いので、気をつけないと厚かったり重かったりする響きになってしまうし、かといってペダルを避ければ乾いた響きやピアノの生音がむき出しになってしまう。その加減も本当に難しいものです。

思いつくままにつらつら書いたので書き忘れもありそうですが、そういう諸条件をクリアした上であの優雅さ美しさをいかに表現するかが問われる、そんな作品だと思っています。もちろん演奏する時に「難しい曲なんだな」なんて思われてしまうようでは当然アウト。でも子供の頃にうまくいかなかったり、また疑問に思っていたりした事が今少しでも解決するなら、それも嬉しい事です。

やっと春らしい暖かさが帰ってきました・・・。



2013年2月27日(水)             「再会」

月末が近づき、毎日書こう書こうと思いつつも帰ったらすぐバタンキュー。日付が変わってからやおら起き出し、朝出るまでにしなければならない事を必死でやっている内に寝損なう・・・という、決別したはずの悪癖が戻ってきています。原因は・・・楽譜で重〜くなった荷物のせい。

さて、前回書き損ねた事からいきます。昨年も弾かせて頂いた羽後町のコンサート、今年も呼んで頂けて懐かしい皆様に再会する事ができました。今回は特別ゲストにテノールの方をお招きしていましたが、本番前日にインフルエンザと判明してあたふた・・・。急遽ピンチヒッターとして同じくテノール、秋田ご出身の安保さんが来て下さいました。

スケジュールの都合で私たちは当日早朝に東京を出て、その晩に本番。おまけに安保さんと共演も初めてなら、お会いするのも初めて。つまり到着してからわずか数時間の内に段取りを考え、合わせをして、本番を迎えるという強行スケジュールだった訳です。普通だったら尻込みしそうなこの状況でも、本番まで時間が刻一刻と過ぎてゆきます。この大雪の中、いらして下さる皆様の事を思ったら、「出来る限りのいい音楽を目指す」その気持ちに迷いはありませんでした。無我夢中だったので、前回はいろいろ撮っていた写真も今回は撮り忘れた程。

と言いつつ、実は到着してすぐリハーサルに入った訳ではなく、まずは腹ごしらえ。なんせ家を出たのが朝6時。さすがにおなかがすいていて、この土地ならではのお蕎麦や納豆汁をご馳走になりました。美味しいのはもちろんですが、素朴で素材の味がまっすぐに伝わり、作って下さったお気持ちが本当に嬉しかったのです。

リハーサルが始まったら、曲順を考え、曲によってどちらが伴奏をするか、どう動くか、どこでトークを入れるか、など一つ一つ決めてゆきます。途中リクエストにより曲が増えたりもしましたが、安保さんも全く動じず、誠実に音楽とお客様に向き合って下さるような方でした。それが良くわかるエピソードを。

当日のアンコールは3人で一緒に演奏出来るものを1曲用意してありましたが、それが終わった後も(ありがたい事に)拍手が鳴りやみませんでした。どうしようか・・・と考えあぐねていたその時、突如安保さんが「ア・カペラで秋田県民歌を歌ってきます!」と言って舞台に出て行かれたのです。とっさの事でその時は何を意味するか良くわからなかったのですが、歌い始めたらお客様も一緒に歌い出され、会場は歌声で満たされたのです。残念ながら私たちは曲を知らないので手拍子を取る事しかできませんでしたが、お客様あっての選曲、その機転に本当に驚かされました。

終わってみれば心地よいコンサートだったと思えます。初合わせ=本番で必死だった事も忘れました。なぜだか、「全ては音楽のために」という言葉がふっと思い出されました・・・。

終わってからの打ち上げ、羽後町の皆様といろいろお話しさせて頂きましたが、何よりも西馬音内(にしもない、と読む)盆踊りをその場で見せて頂いた事が強く強く印象に残っています。日本三大盆踊りの1つ、西馬音内盆踊りについてはお話で伺うものの、もちろんじかに拝見した事はありません。いつか夏にこちらを訪れて見てみたいと思っていたら、なんと!打ち上げのお座敷で即席のお囃子の流れる中、踊って下さったのです。もちろん衣裳もつけないままですが、その踊りは息をのむほど美しく、ぼぉっと魅入ってしまいました。長き時間を経て受け継がれてゆくもの、その尊さ、素晴らしさは何にも代えられるものではありません。これから先も末長く受け継がれてゆく事を心から願います。

さて、コンサートの直前に思いがけない人にお会いする事が出来ました。私が学校を卒業してからすぐの頃、副科ピアノをお教えしていた元生徒さん。結婚されて今は秋田で酪農家としてご活躍です。昨年のコンサートの時はこちらに到着して「あ、お知らせすれば良かった」と思い出したので、今年こそはと気合をいれてお知らせのお手紙を書きました。お仕事柄難しいのは承知で、ダメもとで書いたのですが、何とお忙しい中駆けつけて下さったのです。10年以上ぶりの再会、清々しい話しぶりと、神経細やかで、且つ潔く豪快な生き方は健在でした。

大学を卒業してその後バリバリと仕事されていたのですが、何年か後、スパッと音楽の世界から酪農家へと転身されました。輝かしいキャリアが約束されていたのも同然だったのに、その変わり身の早さに唖然としつつ、それでもきっとこちらの世界でも立派にやっていかれるであろうことは予測していました。久々にお話しして思ったのは、今居るところが正に「居場所」であり、今本当に幸せなのだな、という事。音楽から離れてしまい、今はなかなか聴くことすらままならないらしいですが、それでも「今」のためにそれまでの経験が必然として有り、今の幸せにつながっているのだと思います。昔から人として不思議な魅力があり、話していてこちらが元気を頂く事も度々でした。これから先も自然と人とをつなぎ、幸せや元気を人に分け、そして伝えていく役割を担っていかれることと信じています。

駆け足で振り返ってみましたが、たくさんの皆様からエネルギーを分けて頂いた羽後町でのコンサートでした。お世話になった皆様、本当にありがとうございました。また皆様にお会いしに羽後町に伺える日を心待ちにしています。実技試験期間が終わったばかりでからっぽになりかけていた時でしたが、心が大分満たされた気がします。人と自然ってありがたく、そしていいものですね・・・。



2013年2月22日(金)             「2人で1つ」

ピアノ・デュオ・リサイタルまで1カ月を切って、やっとほぼこれだけに集中できるようになりました。ありがたい事に、ベストな状況で缶詰になって何日も合わせができる機会を頂き、数日前からどっぷり浸かっています。1日まるまる集中できる環境だと本当に時間が経つのが早い。秋田に行くまではあっぷあっぷしていて、本当に間に合うのかな?と思っていた不安が、これだけ解消するものかと実感させられています。

やはり、連弾は「2人で1つ」という感覚が持てなかったら、怖くてとても舞台にのせられない。しかしそこまで徹底的に詰めないと・・・と強迫観念のように思ってしまうのはなぜか、考えてみました。1台のピアノから奏でられる音楽は、自分1人で弾いている時のように耳の中で鳴り響いています。だからこそ2人で弾いていて、和音が同時に鳴らないとか、和音の響きのバランスがイメージと違うとか、予想外のところでペダルを踏まれたりするとか、そういう事は大きな違和感を覚え、ひいては思い通りに弾けていない事が怖くなってしまう。だからか〜と気付きました。

という訳で、求めているイメージ通りの音や音楽が創れるまでそれを探し続ける事が、正に練習であり合わせであり、1人でソロ曲を弾いている時よりはるかに時間はかかります。もちろん可能性もそれだけ大きく広がるという事ですが。でも大事なのは、目指している音楽や音楽に向かう姿勢が同じである事。昔は2台ピアノであれ、連弾であれ、弾き方(タッチや音色)や解釈が似ている事がとにかく大切と思っていたものでした。確かにそれは大切だと思うけれど、目指している音楽や音楽に向かう姿勢が同じであればこそ、最終的に行き着くところは同じになる、と今は言えるようになりました。

原田さんとは身長やピアノ椅子の高さが一緒なので、プリモとセコンドを入れ代わる時に椅子を変えずに済んでいます。・・・ってどうでもいい事のようで、私たちのように曲によってパートを変える場合、非常に楽です。あ、話を戻しますが、腕の長さや弾く時のタッチの傾向、基本的に持っている音色は、思っているよりも大分違うらしい事が分かってきました。だからこそ曲によってパートを変えていたのですが、楽譜からイメージする音や実際に出てくる音が違う事に戸惑い、こんな音にしたいんだけど・・・と話し合う事もよくあります。

例えば、ある音についたスタッカート。わずかな音の長さの違い、音の切れ際をスパッと切るか余韻を残すか、果てはペダルを使うかどうか、などなど。オーケストラだったらきっとあの楽器、というイメージ自体が全然違う事もあれば、この時代の音楽なら・・・と議論になる事もあります。でもさすが作曲家だけあって、「作曲家はこういう気持ちでこういう覚悟で音符を書いている」と言われたら、あぁ確かにそうかもしれないと納得させられてしまう事も往々にしてあり。意見が割れても、「いい音楽にする事が最終目的」と冷静に思い出せたなら、本番までにいい方法が見つかるだろうと素直に思えたりします。

昔だったら「元々のタッチや音色がこんなに違っていたら無理かな」と諦めていたかもしれない事が、最近やっと「今は全然違う音だけどその内同じ音になるかな」と楽観的に思えるようになりました。別の言い方をすれば・・・無条件で信頼できるようになったという事なのかと。

・・・実は別の事を書こうかと思って書き始めたのですが、前置きがこれだけ長くなってしまいました。せっかく合わせの環境が整ったところを疲れや眠気で無駄にしたくないので、諦めてすとんと寝ます。

今日の合わせは何にするかな・・・。



2013年2月16日(土)             「2013ピアノ・デュオのプログラム」

気がつけば2月も半分過ぎました。又もやご無沙汰しております。

学校の実技試験期間がやっと終わったと思ったところで、それ以外の伴奏のお仕事もちょこっとありましたし、数日前には秋田でピアノ・デュオの本番もあり、追われるだけ追われる2月です。例年2〜4月は一体何をやっているんだかわからないまま無我夢中、気付けばいつしかゴールデン・ウィークも終わっている始末。今年はそうなりたくないなと思いつつ、既に全てが後手後手に回っています。

秋田で一緒だった原田さんは、その後もずっと旅(もちろんお仕事)を続け、今もその真っ最中。戻ってきたら基本的に毎日ずっと合わせとなるので、留守の今がチャンスとばかり、いろいろな用事をてきぱきと片付けています。暮れから今に至るまで、学校の事以外何も手をつけられない状態で、そのツケをどうにか片付けないと先に進めないのですが、一段落と思ったら気が少し緩み、それなりに疲れも出てくる。という訳で最近はよく寝ています。ま、あれだけ頑張ったんだから寝過ぎてもバチはあたらないはず・・・。

そして昨日はソロのリサイタルの打ち合わせ。それに先だって、昨年末に撮って頂いた写真の中からどれを使わせて頂くか、莫大な量の写真をパソコンで1枚ずつ見てあれこれメモしながらの選定作業。これに朝までかかりました。始めた時刻が丑三つ時だったので自分のせいですが、それにしてもこんなにたくさん撮って頂いていたとは知らず、ありがたくも本当にびっくりでした。

という訳で今年のソロのリサイタルのプログラムもいつの間にか決まっているのです。コンサート情報に載せましたのでご覧下さい。我ながらびっくりのプログラム。これについても詳しくはいずれ書かせて頂きます。

というところで終わりにしてしまうと今日も中身がないままなので、もうちょっと頑張って今年のデュオのプログラムについて書こうと思います。

さて、今年は3月にできるかな?どうかな?と思いつつ、結果的にはいつもと同じ3月にピアノ・デュオ・リサイタルをやらせて頂く事になりました。

一昨年の東京デビューの日には震災が起こり、そのためコンサートは2週間後に延期してチャリティー公演として行いました。あの時は計画停電の真っ最中、さまざまな状況の中で延期公演にいらっしゃれなくなった方も多かったので、もう一度聴いて頂きたいという気持ちもあり、昨年は全く異なる2つのプログラムを連続2日で演奏、という思い切った事に挑戦。つまり震災の日と全く同じプログラムを初日に、翌日は全く新しいプログラムを演奏する事にしたのでした。震災にもう一度向き合いたいと私たちが考えたのもあり、それはそれで意味がありましたが、全く違うプログラムを連続2日というのは本当に大変で・・・今年はプログラムの一部差し替えと致しました。

昨年もありがたい事にいろいろな機会を頂き、各地で弾かせて頂けました。たくさんの方々にお世話になり、またたくさんの方々に聴いて頂けました事、心より感謝申し上げます。3月の東京のサロン・テッセラさんでの定期公演は、1年の集大成というような位置づけで、その日まで1年間弾いてきた曲からプログラムを考えているのですが、今回はまとまったプログラムを創り上げるのが至難の業でした。

と言いますのは、昨年の定期公演以降新たに作ったレパートリーと言えば、J.C.バッハのソナタと古曽志先生の組曲「こねこのポール」だけ。というのは、昨年の定期公演で弾いているモーツァルトの変ロ長調ソナタ、バーンスタインの「キャンディード」序曲、ラフマニノフの6つの小品、これら素晴らしき作品をそれまで殆ど弾かせて頂いていなかったので、これらの出番が多かったのです。それともう一つ、昨年のプログラムではフランスものを入れていなかったので、今回はフランスものとしてフォーレのドリーかドビュッシーの小組曲どちらかを入れようと、かねてから考えていたのです。

という訳で、J.C.バッハと古曽志先生、そしてフォーレかドビュッシーのどちらかを入れ、それを核にプログラミングを考えるつもりでしたが、所要時間的にも構成的にもどうしてもうまくはまりません。という訳で古曽志先生の作品は泣く泣く諦めて次回以降に弾かせて頂こうと決め、その他の作曲家の誰を組み合わせるか、また大量の弾破に走ったのでした。リスト・アップしては弾き、所要時間をメモっていましたが、確かA4サイズの紙が結構埋まる位の曲が候補に挙がりました。

時代的にJ.C.バッハは最初に、そして前半終わりか後半始めにドビュッシーの小組曲かフォーレのドリー、という事を決め、最後に弾くメインとなる曲をまず探しました。これまた可能性がたくさんあって選ぶのは難しかったのですが、昨年スラブ舞曲を弾いて少し何かが見えてきたドヴォルザークの作品より、ボヘミアの森からを選びました。実はこれ、元学生さんが弾いていて、そのお陰で知る事が出来たのです。前半にはいつもモーツァルトを入れていたので、今回はベートーヴェンかシューベルトと思っていたのですが、恐れ多くもそろそろシューベルトに取り組んで良いかと思い、これまた多数弾破して変ロ長調の大ソナタを選びました。これでもまだトータルでは微妙に時間が足りないのでいろいろ考えていたところ、原田さんがソルフェージュの授業で良く取り上げるシューマンのカノン形式による6つの練習曲が思い浮かびました。本来、ペダルピアノという(今はない)足鍵盤付きピアノのために書かれた作品で、今はドビュッシーの編曲による2台ピアノ版で良く演奏されます。ところが何とビゼーによる連弾版があるのが判明。という訳で、これを弾けばドビュッシーの小組曲につなげられると思って(実際はビゼー編曲版を弾くのですが)、これにてプログラム決定!

まとめますと、J.C,バッハのソナタ、シューベルトの変ロ長調の大ソナタ、シューマン=ビゼーのカノン風練習曲、ドビュッシーの小組曲、ドヴォルザークのボヘミアの森より、というプログラムに相成りました。差し替えする曲は、2年続けて私たちも弾いて行きたいし皆様にもぜひお聴き頂きたいものという事でシューマンを選び、逆に去年のプログラムからまた聴いて頂きたいものとして、キャンディード序曲とメンデルスゾーンのアレグロ・プリランテを選びました。

個々の曲について思うところはたくさんあるのですが、それは追々書いて行きます。

久しぶりに長〜く書いてみました。今書かなきゃならないものも実はたくさんあるので、これで勢いづけて書き仕事をバンバンはかどらせよう。それにしても今日は風は強いし、杉花粉もひどい1日となりそうです・・・。


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