ひとりごと(2011年5月分)

2011年5月30日(月)             「祈り」

残すところあと数日となりました。

例年の事ながらこの時期、つまり本番まであと2週間〜1日というあたりが一番キツイのです。学校と両立させながらどうにか練習時間をひねり出し、意味のある創造的な練習をするために頭もひねり、気持ちを集中させて日常から切り離した本番モードに持って行く、どれかが欠けただけでもうまくいかないもの。おまけに元来人前に出たくないし目立ちたくもない性格なので、普通に考えたら舞台に独りで立つなんてあり得ない。出たがり屋の性格だったら、こういう時楽なんだろうなといつも思います(2006年5月21日「毎年続ける訳」よろしかったらご覧下さい)。室内楽や伴奏なら絶対こういう思いはしないのですが〜何と言うか本番前の「どことなく嫌な気分」、これを感じずにいられないのが嫌です。アガルというのでもないし、何が怖いの?と言われればはっきりとは分からない、得体のしれない何か・・・。

とは言うものの、心当たりはもちろんあります。そして最近気付いたのは、練習や準備がうまくいくいかないに関わらず、それとは全く関係のない日常生活の何かが、演奏に心境にもろに影響を及ぼすという事。

毎年続けている事なのに、今回開催するにあたって思う事考える事はたくさんありました。震災という緊急事態において、ピアノが弾ける事は何の役にも立たず、またピアノが弾けないなら自分の想いを伝えるすべがない、どちらにしても何もできない事を思い知らされた気がします。あれから私自身はもちろん、世の中の人々皆の価値観も変わりました。そんな中どういう姿勢で音楽に向かえばよいのか、まだまだこれからも答えを探し続けていきます。音楽は祈りだとずっと前から思っていましたが、3月11日に弾くはずだったコンサートの延期公演でアンコールにフォーレのレクイエムから1曲演奏した際、会場の皆さんと私たちとの想いがぴったり一つになったと感じられる瞬間がありました。あの時、音楽は祈りそのもの、人々の想いをのせていってくれると実感しました・・・。

今書きながらまたいろいろと思い出していました。やっぱり小さな事にとらわれて無用な心配をするのは止めよう。そんな風に自分で自分をなだめすかし納得させて本番に持ってゆくのです。私にできる事は、精一杯の想いをこめて一つ一つの音を奏でるだけ。良くも悪くもありのままの自分でしかないのですが、100年200年と時を超えて今も魅力を放っている名曲がお待ちしています。当日券も出ますので、お時間出来ましたらぜひいらして下さい。

台風も温帯低気圧になったし、雨も弱まってきたようだし、学校には無事に行けそうです。その前にちょっと寝よ寝よ・・・。



2011年5月29日(日)             「俯瞰」

季節外れの台風が良く来るな・・・と思えば、もう梅雨入り。調子狂います。

いつしか1週間経ちました。出校日は朝早く出て夜に帰り、授業の準備やらまとめやら雑用を多々こなした上に、どうにか弾こうとすれば寝る時間がなくなります。今までの疲れがたまり、先週は弾くのを諦めて寝た日もあったので、この週末は他の事を放り投げてもピアノを弾こうと固い決意で臨みました(!)。

毎年の事であっても当然状況は毎回違うので、どのように仕上げてゆくかその過程も練習のペースも異なるもの。その中でまず先にする事は癖取り。どうやら「癖」は一生ついて回るものらしく、何も考えずに本能だけで弾いていると必ず出てくるのです。いい癖はイコール個性でしょうけど、悪い癖は直さねば。

落ち着いて練習できる時間がやっと取れるようになって、冷静に俯瞰できるようになりました。各曲それぞれがどれくらい仕上がってきていて、何の練習が必要か、そして残り数日のどのタイミングで何をするか、等々。難しいと思っている事はいろいろあります。例えばさすらい人幻想曲。1楽章や4楽章の冒頭に出てくるリズム。音符の絵文字がたくさんあったらここに書けるのですが〜。タンタタ タンタタのリズム。四分音符ひとつに八分音符ふたつのシューベルトに良く出てくるあのリズム(ダクティルと言うそうです)。あれはメトロノームに合わせる如く(悪い意味で)正確に弾くと、いいリズムに聴こえず、むしろ詰まって聴こえます。あれを躍動感あふれるリズムにするのに微妙な間取りや絶妙なテンポ設定が必要で、本当に難しいのです。例えばマズルカ。ショパンの作品の中ではマズルカが一番難しいとよく言われます。それでもマズルカが好きなのですが、それはショパンの愛国心、誰に聞かせるでもない独りの想いや心の叫びが溢れているから。ポーランドの民族音楽(マズール、オベレック、クヤヴィアク)に由来する、楽譜に書き表せない自在なリズム、心に響く歌、その表現が難しいのです。名だたる演奏家のマズルカ、皆の弾き方が全く違って個性的で、一体どんな演奏を目指せばよいのか未だ迷っています。例えばフォーレ。驚くほどシンプルで飾り気のない、しかし高貴な音楽。テーマを元に厳格に変奏されてゆく個々の変奏。当たり前の事を当たり前に表現するのをフォーレは求めているのもわかるし、表面的な効果とは一切無縁です。それ自体がもちろん難しいのだけど、それを美しい音で、そしてそこに演奏者としての表現をどう写し出せばよいのか、その折り合いをどうつけるべきかがやっと分かってきたばかりです。

それにしても素晴らしい作品に出会えて、それを演奏出来る機会があって、そのために迷い苦しみながら探し物ができる(作曲者のメッセージ、自分の表現などなど)のは本当に幸せな事。きっと今回もまだまだ浅いなーと終わった後に思うんだろうなと思いつつ、でも今幸せな時間が過ごせています。音楽にどっぷりで言葉を使う感性が鈍っていて、またそれを突き詰める時間があるなら音楽に向かうべきだと思っているので、詰めが甘い文章でごめんなさい・・・。




2011年5月22日(日)             「焦り」

気持ちのいいお天気が続いています。それにしても時間が経つのが早い。日が暮れるのが遅くなり、また日が昇るのも早くなりました。

リサイタルまで残り半月を切り、気持ちは焦ってきています。何にもまして大切なのはいい精神状態でいる事なので、焦りは厳禁。仮にも練習が滞りなく進んでちゃんと準備が出来ていたとしても、当日の気持ちの持って行き方がまずければ当然上手くいきません。その前に質のよい練習をしたいと思ったら、やはり良い精神状態でいられる事が必要。元々が心配症、そして自信を決して持てない症候群なだけに、自分をのせるのも一苦労。本来の自分だけでいるとそういう訳でろくな事がないので、客観的なもう1人の自分が自分をなだめすかしたり、冷静にさせたり、焚きつけてみたり・・・。ピアノは全く独りなので仕方ないのです。だからこそ伴奏をする立場の時に、ただ伴奏するだけではない何かができないか考えていたりするのかも。

先日、とあるホールをお借りして練習してきました。まだまだホールで通せるなんてレベルではないのは重々承知していましたが、強引にもそうやって場を作る事でどうにかペースをつかもうという魂胆。せっかくのホール練習を意味あるものに出来るように、前日は本当に必死にさらいました。客観的に録音を聴いてみたら、思っている程ひどくはなかったのでほんの少し安心できたし、またホールで弾くと普段は気付けなかった事がいろいろ見えてきて、練習のアイデアや段取りがパーっと見えてきました。

決め手はベストなテンポの選択、そして楽譜に書かれている事を裏まで読みとり、理解する事。漠然と持っていた不安の原因が何かもわかりました。まだまだ楽譜のすみずみまでしっかり読めていないから、作品についての理解が浅いし、どう弾くかという自分の解釈が定まっていない。定まるものが定まらないと、自分の思っている事を音楽で表現するのに躊躇してしまうのです。今回のプログラム、小学生時分から弾いていたものから今回初めてのものまで、出会った時期が曲によって全く違います。その当時の自分の視点はとりあえず置いておいて、今の自分としてもう一度向かい会わなくてはいけないのに。だからとりあえずの弾く時間はあっても何となく弾く気になれなかったのかと、自分で合点がいきました。それにしても練習の仕方が随分と変わったものです・・・。

1年の間に何が起ころうとも、この時期「ここ」に戻る事でかろうじて自分を保てているような気がしてきました。音楽をするにしても、教える事、人と一緒に演奏出来る事、それらと独りで弾く事は全く違います。自分と音楽とに向かう時間、ごまかしが効かないので本当の自分がバレバレになるのです。

ピアノを弾く以外の事は昨日まとめてやってしまったので、今日はピアノに専念する日にしよう。

チケットまだありますので、ご都合がつきましたらぜひぜひいらして頂きたく思います。よろしくお願い致します。

デビュー当時の初心も思い出しました。今から17年前の話・・・。



2011年5月17日(火)             「麻」

あっという間に連休も終わって、リサイタルまで半月ほどになっています。ご無沙汰していてごめんなさい。

連休中はまずご案内を必死で書き、その後曲目解説に苦しめられ・・・本当にそれだけで終わりました。器用な人なら練習とそういう事務的な仕事を並行させられるのでしょうけれど、文章と音楽を扱う脳味噌が全く別なのか、同じだからこそスイッチ切り替えをしなければならないのか、ともかく両立ができません。と言う訳で連休が終わって晴れてやっと心おきなくピアノが弾ける・・・はずでしたが、それだけではないさまざまな事務的仕事もある訳で、それらをこなしつつピアノも弾き始めました。ピアノを弾いている最中に「あ、あれやるの忘れたっ」とか、その前に「まずこれを片付けてからピアノ弾こう」という繰り返し。もちろんピアノだけではない普通の生活上逃れられない(?)ものもある訳で、こうなってくるとどこかで隠れて缶詰めになってさらうしかないか・・・?

今の季節、学校にはシャツを着ていく事が多いです。ぱっと見は同じようで、でも良く見るとデザインや生地が違うというような似たようなシャツがどれくらいあるんだか・・・。中でも白が一番多いので、遠目にはいつも同じよう格好をしているようにみえると思うのですが、それでも白いシャツは昔から好きです。洗うのもちょっとばかりこだわり有り(内緒)。アイロンは時間のある時にまとめてかけるのですが、これまたしわをパリッとのばせるほどうまくかけられず、正直面倒。

夏には麻。夏と言わず今から麻。麻のごわごわしているようで、でもさらっと着られて、しわしわでも味があるところ(アイロンがけが下手でもばれない?)が好きです。昨年の猛暑に麻の長袖とノースリーブが重宝したので、今年は早めに探しました。この夏は麻が大活躍するでしょう。

今日からまた学校。学校が続くと自分のピアノの事はスパッと忘れてしまうけど、せめて半月は自分のピアノに危機感を持たなくては。その前に!練習を先にしてしまったので、授業の準備を忘れていました。寝る時間がどこかへ行きそう・・・。


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