ひとりごと(2010年6月分) |
2010年6月30日(水) 「限界」 もう今年も半分終わるのですね。「もうそろそろ夏休みですか?」なんて尋ねられる事も時にあるのですが、まだまだ。学校は7月いっぱいきっちりとあり、これからが佳境です・・・。 タイムリミットまであとわずか、何を書こう?という時に限って出てこなかったりするもの。いや、書きたい話題はあるけれど、頭をつかって考えないと書けないようなものばかり。学校で全てを使い果たして帰宅しているので、今日は振っても叩いても出てこなさそうな予感がします。 久しぶりにマッサージに行ってきました。なかなか時間が作れなかったのと予約がとれなかったのとで、リサイタル前以来。全身に一枚板を入れているようにすごかったと言われて納得。髪のカットも何カ月かぶりに行ってきました。ロングヘアなのでそれなりに日々の手入れには気を遣っていましたが、そう言えばリサイタルちょっと前から何もできなくなくなっていたのを自覚。傷みがかなりひどく、毛玉ごろごろ状態でした。かろうじて体そのものはどうにか持たせていましたが、多分ぎりぎりだったのかな。・・・と振り返ってみて反省しています。 実は帰宅してすぐにまとめなきゃと思いつつ、限界でパタンと倒れ込んでいました。ハッと目覚めたら日付が正に変わろうとする瞬間・・・という訳で冴えていませんがごめんなさい。来週の合わせについてのお尋ねメールを送り、また夏休みの宿題の曲をどうするか尋ね、そんなこんなで情報がこんがらかってまとめきれない、宙ぶらりんな夜中です。 とりあえず更新させてもらおう・・・。 2010年6月29日(火) 「夏バテ」 毎週月曜更新というパターンを崩してやる!と思っていたら、逆の方向へ崩してしまいました。そう、もちろんもっと早めに更新するつもりだったのに、反対に延びてしまった・・・。 最近何かが変です。サボっている訳でもぼぉっとしている訳でもないのに、とにかく全然時間が足りない。例年だったら夏休み始まる8月まで、「その内にやるぞ」箱(もちろん架空)の中に放り込んでおくのですが、それを放っておけなくて手をつけているのがいけないのか・・・?学校の事で行き交っているたくさんのメールもなかなか返せなくて、こんな事は前代未聞だと自己嫌悪。 ・・・と考えていて思い当たりました。夏バテ。先々週から先週にかけてがとにかくひどかった〜。帰宅したら疲れ果てて動けなくなり、バタンと倒れこんでそのままうたた寝。背中の筋肉が痛くて体を起こしていられない状態で、日付が変わる頃まで爆睡。そこでハタと起きてお風呂に入り、次の日までに間に合わせるべき事を片付け、夜明けが近いし早く寝なきゃとおたおたする頃は、脳みそがぐるんぐるんに活動していて眠れない。そのツケは朝の冷え冷え通勤電車に持ち越され、爆睡・・・zzz。かくして1日の中で何回に分けて睡眠を取っているのか?という状態に相成ります。この状態、例年だと5月頃中旬あたりに悩まされていたっけ。リサイタル前にひたすら弾きたいのに疲れて弾けない時期がちょこっとあったのを思い出しました。 「人百倍」不器用なので、他の人と同じ程度にやっていたら何もできない。昔から何気なくそれは感じていて、寝る時間をいくらか減らして間に合わせていたようなところがありました。生まれつきショートスリーパーで(子供の頃からお昼寝の時間が苦手でいつも寝たふりをしていた)全く苦にならないのですが、さすがに夏バテには勝てない・・・。 梅雨の最中からの30度超え、今年はかなり強力ですが、やっと体も慣れました。確かに暑いし、むぅっとする湿気は苦手ですがもう平気。なぜ平気になったのか?この暑さの中、このところ結構しつこく歩いたから(もちろん用事があって)。そして先日友人から頂いたフルーツ酢。はまりました。もともと酸っぱいのは好きなのですが、毎晩寝る前に頂いているのが効いている気がする。そして自然塩(精製塩ではダメ)を米粒大なめる事。何だかすっかり元気です。となれば暑いのは大歓迎。夏よ夏よ、もっと暑くなれ〜。 さて、今日の授業の準備はこれから。ワールドカップを「つまみ見」(ながら見はできないタチ)しながらてきぱきとこなそう。ってまた不眠へまっしぐら・・・? 2010年6月21日(月) 「きっかけ」 梅雨に入ったと思ったら、今日はもう夏至。道理で日が長くなったはず。夜が明けるのも早いし。 それにしてもかーっと晴れた暑い日もいくらかあり、梅雨空の下でもムシムシとした暑さに恵まれ(?)、嬉しい限り。長期予報ではこの夏も冷夏と聞いたような気がしていましたが・・・?去年の夏は冷夏で、朝顔のご機嫌がエライ悪いまま秋を迎えたので、今年はとにかく暑く暑〜く夏らしくなってほしいのです。とは言え、(いつもいつも書いていますが)湿気がとにかく苦手な私は、既にエアコンの除湿にお世話になりっぱなし・・・夏が来たっ! さて、このひとりごと、月曜更新がお決まりとなってきてしまったみたいですが、そんなつもりではないのです。でも学校へ行っている時は全く余裕はなく、週末になると遅寝早起きしなくてよいだけでホッとしてしまい、慌てて月曜に更新、というのがいつものパターン(・・・絶対にこのパターン、崩してやる、と思うアマノジャクです)。 リサイタルから半月が経ちました。まだ半月?と思うほどこの間は本当に盛りだくさんで、とにかく長かった。いろいろ放っておいたツケ、なかなか片づける事ができないまま、次なるものがどかんどかんと降ってきている今日この頃です。皆様から頂いたままのメール、やっと少しずつお返事出来るようになりましたが、この時期の最大の難関は再度自分に向き合う事。と気付かされています。 数日前に初めて当日の録音を聴きました・・・。自分の演奏は、聴かずに済むなら聴かずに済ませたいのが本音ですが、そうも言ってられず。どんな時でも大なり小なり反省が出てくるものです。あの時の「主観的な自分」、そして今振り返っている「客観的な自分」、このギャップを埋めて気持ちを整理しないと前に進めないし、次回どうしたいかもわからない。毎年1回続けると決めているからこそ終わった後にどうするかが大事だし、それをわかっていてこだわる自分もいるんだなと気付かされています。 ・・・とこの続きをどう書こう?と考えていたら手が止まってしまったので、ごめんなさい。これに関してはまた書ける時に書かせて下さい。 ところで、当日弾いたアンコールについて少し。 今回余裕がなくて、「そうだ、アンコール、どうしよう?」と考えた始めたのは10日前。大抵はその日に弾いた作曲家の作品から。稀にそれ以外の作曲家の曲を弾く事もありますが、それでも何かしら関連のある曲にしています。プログラムは今まで弾いたものを重ねずにここまで来ていますが、アンコールは知られている曲とか聴きやすい曲と思っているので、以前に弾いたものをもう一度という事もあり。という訳で思いついたのはブラームスの間奏曲。2年前には作品117の1を弾いたので、今回は作品118の2。こちらはなぜかしょっちゅう弾いているような気がするのですが、調べてみればこの自主リサイタルシリーズではまだ1回だけなので、即決。でもアンコール1曲目でこれを弾けるほど精神状態は落ち着かないはずと思ったので、その前に何かないかと考えたのですが・・・。・・・。ないっ。苦肉の策で以前弾いた別の作曲家の曲、これを弾くつもりでさらい始めたら、既に2回もアンコールで弾いている事が判明して却下。暗礁に乗り上げました。 とりあえずは放っておいて、本プログラムの練習に追われていましたが、ふと、シューマンにここまで惹かれるようになったきっかけって何だっけ?と思ったのです。ちなみにバッハは、子供の頃から勝手にずんずん弾き進めていったインベンション〜平均律、そして対位法の面白さ。ブラームスは確か中学生位の時に聴いた、あるレクチャーコンサート。確か後期の小品集ばかりで、「あぁ渋くて落ち着く」って思い、帰宅してすぐ楽譜を開いてあれこれ弾いてみたのを覚えています。そしてシューマンは?もちろんちゃんと覚えていますが、それこそがシューマンに惹かれるきっかけだったという事を忘れていたのです。 それは小学3年生の時。「ピアノのおけいこ」という番組に半年間出させて頂いていて、そこで今は亡き師匠の井上直幸先生に出会いました。週2回、30分の番組で公開レッスン形式、番組独自のテキストがあって、その中に載っているシューマンの幻想的舞曲(作品124−5)が私に当たりました。シューマンは、それまでに子供の為のアルバムから数曲弾いた事があったかもしれないけれど、ほぼお初。幻想的舞曲の第一印象、ほの暗くて、でも情熱的。そんな言葉は当時は知らずとも、そう思ったのは覚えています。レッスンでは当初、何はともあれ大事なその雰囲気が出せずに本当に苦労しました。説明して下さったであろうその内容はちょっと思い出せないのですが(ごめんなさい)、先生が弾いて下さったあの感じ、音、オーラはよく覚えています。半年で4曲弾かせて頂いた中で一番苦労し、その分強く印象に刻みこまれているのですが、最後の番組の「卒業」演奏でも選んだし、シューマンは特別という想いがその時に刷り込まれたのでしょうか・・・。 シューマンの人物像はおろか、作品も殆ど知らなかった頃の話。現在にこうつながっているのが実に不思議。でもあんな大人向けの曲をよくぞ弾かせて下さったと、その事にただ感謝するのみです。ピアノを初めてわずか数年目、そしてあれからどれ位の時が流れたか・・・あれ以来初めて弾きました。今、先生がどんな想いでこの曲を教えて下さったか、少しだけわかるような気がします。先生もシューマンが本当にお好きだったんだと思います。 「ピアノのおけいこ」で弾いた他の曲も、実は今までアンコールでとりあげていたりするのです。子供が弾ける位で難しくなく、長くても2ページ程。なのにそれだけの音楽的内容を有した曲ばかり。短時間のレッスンだったのに中身は本当に濃く、どの曲にも先生のメッセージがたくさん詰まっていたような気がします。先生の選曲眼にはただただ恐れ入ります・・・。 今日はお天気、そこそこ良さそう。夏至だからか、青空ときれいな夕焼けが見たい気分・・・。 2010年6月7日(月) 「オール・ドイツ・プログラム」 今日は暑かった〜。麻のシャツが気持ちよく着られ、正に夏でした。外へ出れば世界が白く見えるほどの強い強い日射し。学校ではレッスン室の細長い窓から入る日射しすら眩しくて、ロールカーテンは常に下げっぱなし。最近は家でずっとさらっていたので、大窓から紫外線をたくさん受け過ぎたようです。目が痛いのは久しぶりの感覚。梅雨入りが遅れているようですね。いろいろな事が平年並みに訪れるのが一番いいと分かっていても、良いお天気が続くのはちょっとばかり嬉しい・・・。 お陰様で昨日リサイタルも何とか無事に終わりました。「どぴーかん」に晴れた見事なお天気でしたが、そんな気持ちよい昼下がりのひととき、聴きにいらして下さった皆様には心から感謝しております。ありがとうございました。 本番のあった日は、あの形容しがたい精神状態をひきずったまま眠くならないのに任せて、いろいろしなければならない事を機械的にこなし、ふと外を見れば明るくなっている・・・というのがいつものパターン。でも今回は少し違いました。この半月は本当に切羽詰まって睡眠をぎりぎりまで削っていたので、さすがに疲れて生あくびを連発。マチネだったので夜はゆっくり休むつもりでいました。でも結局いろいろやっている内にまたもや朝に。てきぱきとこなしていたはずなのに、ぼぉっと考え事をしている時間もあったかもしれず、でもよくは思い出せない・・・。 神経の研ぎ澄まされている今の内にひとりごとを書きあげてしまいたかったのですが、連休明けまで曲目解説で苦しめられていて、「文章考えたくない病」にかかっていたのを忘れていました。本番数日前とか、本番直後とか、不思議な精神状態の中でよくまぁこんなに考える脳味噌が残っているものだと思わされるほど、まじめな事とか分析できた事、面白い事とか閃いてしまった事、果てはどうでもいい事に至るまでいろいろ考えるものです。夢みたいなもの?夢を見て目覚めた直後に思い出して必死でメモっても、しばらく経って見返すと「これって誰が書いた?」と思うほど覚えていない。あれに近いのかもしれません。 今日は既に普通の感覚に戻ってしまっているので、今思いつくものだけ簡単に書いてみます。 本番を迎えるって何なんだろう?と終わってから考えました。なんとまぁ不思議な時間、というか期間だったのだろう、と。いつも以上に変でした。学校での仕事、日々当たり前にやっている行動の一つ一つはなんら変わりはないはずなのに、でもピアノを弾き、音楽について考えている時は全然別の意識の中で生きている、それ位次元が違うような感じでした。 会場でお配りしたプログラムのご挨拶に「17回目にして初めてのオール・ドイツ・プログラム・・・云々」と書き、改めて17年という時の流れを思い起こしました(我ながらよく続くもんだ)。この間に、演奏に求めるもの、そして求めるレベルが変わってきたんだなと気付きました。昔から意識していた事ではありますが、「演奏=自分の表現」と、より一層思うようになってきています。作曲家の分身でもある作品だからこそ、楽譜から出来る限りその想いを読みとる、つまりある程度の制約は当然あるのですが、その中でもちゃんと自分の表現はできる。おのずと「自分」は滲み出てしまうものだけど、滲み出る以上に何を伝えたいか、どのように伝えたいかが無ければ何にもならない、と。 プログラムを組んだ時は、オール・ドイツ・プログラムの意味をそこまで深く考えた訳ではありませんでした。星の数程あるピアノ曲の中で自分に近い気がするものを選ばせて頂いたら、たまたま全てドイツ物。一応どの曲もこんな風に弾こうというイメージが見えていたはずなのに、弾いていく内に印象が変わる変わる。正確には、奥底深さが見えないまま見切り発車をしてみたら、深いのなんのって驚いた・・・というところでしょうか。バッハの影響が如何に大きいか、弾きながら身を持って感じる事ができました。ドイツの作曲の系譜?みたいなものがおぼろげに見えてきた気もしますが、それぞれの作曲家の音楽に根差しているものは全く違い、それこそが個性だとも感じました。 シューマンの幻想曲、この3楽章が好きで今回のプログラムを組んだようなものです。中1でこの曲に出会ってひと耳惚れしたのですが、その時は1、2楽章にそこまでぴんと来ていた訳ではなかったのです(それが今まで取り上げなかった理由)。なぜこの曲が幻想曲というタイトルなのか、なぜ冒頭にシュレーゲルの詩が掲げられているのか、全楽章通してどんなメッセージがこめられているのか、いろいろな事が今回弾いてわかってきて共感出来てきました。シューマンがこの曲を書いた時に抱いていた想い、それは今残されているいろいろな資料からそれとなく推し量る事はできますが(本当の本当のところまで分かるとは言えない)、それとは全く別に今私が持っている想いをこの曲を通じて届ける事が出来る。ある曲を演奏するという事は、ただピアノを弾くだけではなくそういう意味も内包していて、それが「共感」だと思えたのです。本番最中に気付いた事もいろいろあり、更にこの曲が好きになってきています。現在進行形です。 実は数日後、とある学内の授業で弾かせて頂く事になっています。また弾かせて頂くチャンスに恵まれたのは嬉しい限り。でもその前に練習しないと。直前1週間は必要最低限の事以外は全て放っておいたので、そのツケがすごい事になっています。随分頑張ったのに「今日のやる事ノルマ」が半分残っているし、明日の授業の準備もできていない。今すぐ寝たいのに〜。 という訳で書きたい事の1割も書けていないのですが、ほとぼり冷めた頃に書くよりはこの方がいいかと思ってアップします。中途半端でごめんなさい。また、たくさんの方々から温かいメールを頂戴し、嬉しく読ませて頂きました。ありがとうございます。お返事、すみませんが少しお待ち下さい。 いつもの怒涛の生活が戻ってきました・・・。 |
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