ひとりごと(2010年2月分)

2010年2月28日(日)             「表現」

春が一歩一歩近づいて来ているのでしょうか。それにしてもよく雨が降ります。雨が降る割には花粉が飛んでいる・・・。

朝から大津波警報のニュース、交通機関にも影響が出ました。年明けのハイチ大地震、そして今回のチリ大地震、本当に心が痛みます・・・。

いつしかオリンピックも終わるのですね。リアルタイムで見られる事はそんなになかったのですが、それでもやっぱり人間ってすごいと思わされる瞬間にたくさん出会えました。もちろん「競技」なのですが、私が惹かれたのは「人」としての姿。選手の心境をついつい考えながら見ている自分がいました。

開会式を見ていた時に思ったのは、人それぞれに得意な表現手段があり、また表現する中身も皆違う。世界中の人たちが見ている開会式、言葉を介さなくても誰が見ても「分かる」。当然のようで当然でない、すごい事。

改めて、自分にとって最も得意な表現手段は音楽だと気付かされました。次に表現しやすいのは日本語。日本語に触れるよりずっとずっと前から、生まれてからさしてそんなに時も経たぬうちから音を聴き、音で遊び・・・そして今に至ります。

いつしか、ピアノが専攻であろうと副科であろうと、また手段が音楽であろうと言葉であろうと何であろうと、とにかく「表現する」。生きていく中、人と関わっていく中、これは大切で必要不可欠。偉そうにレッスンでそんな事を言わせて頂くようになっていました。でも実はそう言わせて頂くのがおこがましいほど、自分自身ピアノが表現手段だと言い切れるようになったのはごく最近なのです・・・。

相手に伝わらなければ、分かってもらえなければ意味がない。伝えてなんぼ。そう思うようになったきっかけは、周りの方々から見られている「自分像」と自分で把握している「自分像」、こんなにも違っていると気付いたから。それは自分を伝える努力を怠っているせいではないかと・・・確かにそうだったかもしれないと思いつつ、やはり私にとっては難しい事だったりします。でもありのままの自分でいたら、それはそれで(複雑すぎてキツすぎて)周りに迷惑をかけそう。という訳で、まずはピアノでそのままの自分を表現する事から。でも日常生活でも前よりは少しだけ、遠慮せず思うままに行動できるようになったかもしれません。

いろいろな事、不思議な事が起こる毎日です。たくさん感じてたくさん考える、それもちっとも変わらないけど、以前よりほんのちょっぴり受け入れられる容量は増えました。あんな事もこんな事もありかもしれない、と。

1人で舞台に立つ感覚を取り戻さなければいけないなと思いつつ、まだまだそこまで至らず。ネジは巻けたけど、あまりにもやらなくてはならない事が多すぎる。もう3月に入ります・・・。



2010年2月25日(木)             「自分値」

2月がもうすぐ終わろうとしています。しかし今月は本当に寒かった〜いつもは今頃満開になる沈丁花、やっと今日、1輪開いたのを見つけました。急に暖かくなったら花粉症はひどくなるし・・・。寒いとどうしてもやる気が出ない(試験シーズンを除く)変温動物としては、これからしばらく暖かさが続くのを狙って、「やる気」に火をつけようという魂胆です。

自分で言うのもなんですが、バランス感覚はいい方だと思っています。よく言えばそういう事、悪く言えば平均的。周りからもそう言われます。やじろべえのようにあっちに傾きそうになるとこっち、こっちに倒れそうになればあっち、と、常にバランスを取りながら生きている。でもそれは、自分がいかに偏っていたりのめり込んだりするかを知った上で、それをはるかに上回る「自分でどうにかしなきゃ」根性があるから。学生時代から道を踏み外しそうになっても(!?)あらょっと戻せる、そのお陰で今があります。

主観的な自分と客観的な自分のバランス。ピアノのレッスンの際、あるいは伴奏合わせの際、この試験シーズンも何人もの学生さんに話した事でした。それぞれの人に「いつもの自分」の比率があり、また「本番前」にその比率は変わり、それを分かっていてベストな配分に自分でコントロールするのが大事。ある学生さんに尋ねたら、私の予想値とその人の自己申告値が全く同じで、大笑いした時がありました。

その話をした別の学生さんの場合。すぐ納得してくれて、その場で「自分と音楽の距離をちょっと離してみた」そうです。そしたら今までと疲れ方が全然違うとびっくりしていました。身体の力の入り具合も変わるって事?確かにそれ位の効き目はあるようです・・・。

そして全体を広く見渡せるようになるメリットもあります。曲が長くなるほど、扱う音の数が多くなるほど、共演者が多くなるほど、全体を知った上でいろいろな配分を考える余裕があるに越した事はないので。

流れ星の話。都会の妙に明るい夜空で何としてでも流れ星を見つけたいと望遠鏡を使えば、見る範囲はどうしても狭くなります。でも肉眼で広く空を見渡す方が、(暗い流れ星は見えなくても)流れ星に出会える確率は高い気がします。・・・なんて考えて、流れ星を探す時は真夜中にコンタクト・レンズを入れ直して、ひたすら空を見上げるのが私のやり方。でももしかして、せめて望遠鏡までいかずとも双眼鏡で見た方がいい?いゃいゃ・・・周りに明かりが灯らないような真っ暗なところで、空を見上げればよいだけ。

話を戻して・・・私の場合は先ほど書いた通り、スイッチが切れてしまえば(=本能で行動すれば)多分かなり主観的。主観7に客観3位かと見ていますが、本番モードに入ると主観8割5分位に増え、その状態があまりに危険だと今までの経験から学んだので、常にスイッチを入れて(=理性を働かせて)客観的に保つよう努力(とはオーバーな・・・)しています。5分5分位に。これが本来の自分値なら楽なのかなとも思ったのですが、必要な時に必要なだけその値を動かせる方が面白いし便利なはず。だけどそれがコントロールできなくなるリスクも同時発生・・・?

でも何かの力に助けられて弾かせて頂けているような時は自分は存在せず、主観的も客観的も何も感じなくなると思った事があります。あまりない事ですが。

さて、と。学校勤めの身としては今が1年間の内で一番時間的余裕がある時。寝かせ続けた事務仕事、自分の練習、その他もろもろに手をつけるチャンスなのに、集中してやり遂げられないのはなぜか?毎年恒例の疑問でした。これ↑以外のいろいろは行動起こせているのに・・・最近までのハチャメチャな生活と今のこの生活でバランスがとれているせいかもしれないし、幾つもの事を同時進行できないタチだから集中できないのかも。そして時間の制約がある方がすさまじい勢いでエンジンかけられる。っていう事は、寒いせいではないらしい・・・?そんなの言い訳でしかないのでネジ巻きます。

今年度の1年は本当にあっという間だったのに、この1週間はとても長くて濃かった。時間の進み方はとても気まぐれ・・・。



2010年2月19日(金)             「経験」

今年は本当に雪が良く降ります。雪はともかくと、この寒さ何とかしてほしい。指がついにばりばりに割れ、毎日3〜4回水絆創膏を塗り直しています(爪と皮膚にまたがって塗っているのですぐはがれてしまう)。最近はハンドクリームもちゃんと塗っているので、この指の割れはどうやら寒さが原因のようです。

冬の嫌な事、その・・・(幾つ目だっけ?)。静電気。

それは数日前の出来事。

伴奏での本番がありました。チューニングが済み、前奏を弾き始めて2小節目でパチとまばたき、その途端に目にゴミが入りました。コンタクト・レンズなので目ゴミは要注意。こんな時、いつもは数回まばたきすると目の端っこの方へゴミは移動して痛みは消えるはず(ソフトでは無理でもハードだとレンズが小さいので可能)ですが、まばたきすればする程擦れてますます痛くなる。左手が休符の隙にまぶたをひっぱったりしてみたけれどびくともせず、ぼろぼろ出てくる涙を片手で拭きつつ何度もトライ。途中に1小節分のカデンツァが2度あるので、そこで早業で片目だけレンズを外して譜面台の上に置こうと思いました。えぇ、それ位痛かったのです。

結局・・・1小節のカデンツァの辺りでどうにかゴミは目の端っこに紛れてくれました。全く人騒がせな!しかし本当に痛かった・・・。お客様も気付いていた事と思います。一体何で泣いているの?って。記録用ビデオも撮られていたのでしっかり証拠が残ってしまっているだろうな。恥・・・。

眼鏡より先にコンタクト・レンズから使い始めたコンタクト歴ん十年の私でも、本番の目ゴミには相当ナーバスになっています。しかしこんな事は初めて。リサイタル、弾き始めたら30分という曲でなったらどうしよう?実際は冬場の方がこうなる確率が高く、静電気でまつ毛に引き寄せられた埃が目に飛び込むと分かっているのですが(だからリサイタルは初夏、という訳ではありませぬ)。ちなみにその日伴奏した学生さん、私が後ろでそうやって奮闘している事、全く気付かなかったそうです。これぞプロの技(!?)。

あの後、いくらか生活は落ち着く予定だったのですが、なぜだか学校には毎日のように行っています。多少朝がゆっくりになったり、帰りがちょっとばかり早くなったりしただけ。なのでオリンピックも結局はハイライトを見る位しかできず残念。ちょっと時間ができたある日の事。試験シーズンに切り捨てていた雑用、どうしてもとりかかりたくなくてピアノを弾き始めたら、時計を見る度に1時間、また1時間・・・あっという間に数時間が過ぎてゆきました。その後、さらいたい病が悪化してしまい(?)、道を歩いていても電車に乗っていてもリサイタルで弾く曲がとにかく頭の中で鳴っています。どんな音を選ぶか、どんな風に弾きたいか、果てはどんな手順でさらうか、までがもう見えているのに、落ち着いたその時間が取れないのは結構キツイ・・・。

音楽に向かい合う事は、イコール自分にしっかり向かい合う事。ただ、大人になったら何かを犠牲にしなければ、何かを覚悟しなければその時間がとれない。音楽の道を選ぼうと決めていた子供の頃から、音楽と引き換えに何か我慢しなければならないのは分かっていたし、実際そうしてきました。「だけど大人になったらそんな程度では済まないよ」と、時間を遡って子供時代の自分に一言アドバイスしたくなります。「練習できるのは今の内」だと。

でもこんな事も言えるのです。今回初めて伴奏した学生さん達といろいろ話していく内、忘れていた出来事をたくさん思い出しました。今自分が考える事思う事全てには、必ず何がしかの経験の裏付けがあったのです。

表現しようとする意欲は、その人の性格に負うところがかなり大きいと思います。でも表現しようとする内容は、結局のところその人が経験した事、考えた事、感じた事を超える事はできない。だからこそいろいろ経験する事が大事で、心の中に蓄えられていないものはいくら練習を積んでも表現する事は不可能です。多分それは理解する事も同様で、自分の経験していない範囲では理解するのは無理だし、心がいろいろな事を受け入れられる状態になっていなければ全ては素通りしてしまう。・・・そんな事を漠然と考えました。

だから「遠回り」した事全ては、今ピアノを弾くのに生かされているとも強く思える訳で、あの時ガリガリ遮二無二練習する以外にいろいろな事に興味を持って結局よかったのかも?う〜ん、良く分かりません・・・。

さて、今週も高校の実技試験を聴きました。高校は年2回、それも毎回必ず聴いているので生徒さんの半年ごとの成長ぶりが良くわかります。自分の受け持ち以外の生徒さんでも、前は何を弾いていてこんな演奏だったなと不思議と思い起こせるもので、そんな事も含めて講評用紙にちょこちょこと書き留めながら興味深く聴いていました。高校の3年間はいろいろな意味で激動の期間なんだろうな〜。

試験聴くために久しぶりに6時起きして家を出た時は、雪が舞って一面銀世界でした。試験終わって外に出たら青空がのぞき、雪なんてどこへやら。何だかだまされた気分・・・。 



2010年2月11日(木)             「試験シーズン」

気がつけば、オリンピック開幕ももうすぐですね。

前回のトリノの時は合わせでロンドンに居り、テレビが見られない状況でした。女子フィギュアスケートもいつの間に結果が出ていたという感じで、競技の映像を見た記憶もあまりなく、何だか印象が薄いのです。という訳で今回はしっかり観たいっ。

試験シーズンも終盤に差し掛かりました。合わせをし、おさらい会や試験の伴奏をし、そして補講をし、ピアノの試験もいろいろ聴き、朝から晩まで耳と目と頭と心と身体を酷使し続けた毎日でした。先週から今週にかけてはたまたまスケジュールがかちあい、そんなバタバタな日常について少し・・・。

ある1日。午前、教えている4年生のピアノの卒業試験をお忍びで聴きに行く。終わってからその学生さんが訪ねてきて、4年間の思い出話に花を咲かせる。午後は、次の週に卒業試験を迎える学生さんの合わせをし、そのままレッスンに直行し伴奏する。レッスン終わってから遅いお昼をとり、高校生のレッスンが終わるや否や、先の学生さんのおさらい会へ行って伴奏。それが終わったら補講と合わせ・・・。

別の1日。朝はピアノの学生さんの試験前最後の補講。それから、その日試験の2人を含めて合わせを数人。試験の順番と所要時間を考えたらお昼を食べる時間が全く無いのが判明(1人10分で計算していたのに、短い人が多かったらしい)、合わせの合間に校舎前の移動販売で調達、楽器を出す5分間で食べさせてもらう(こうなったら普段は抜いてしまうけど、なぜかこの日は食べないと持たないと判断)。合わせ終わって試験場へ。終わって戻って高校生のレッスン。レッスンの最中に「もうすぐ出番です」メールが来て、さらって留守番してもらい、また試験場へ。試験場では休憩が入り、期せずして長く待たせる羽目に。試験の余韻に浸ってゆっくりお話しする間もなく戻り、レッスン続行。試験の耳で聴いているのでついついいつもより辛口コメント。その後は別の合わせ・・・。

また別の1日。朝から夕方までかけてピアノの試験を聴く。聴いた感想をメモに取りながら、試験順の番号札入替係もさせて頂き、点数を一生懸命考えてつけ・・・必死。その後翌日の試験を控えた学生さんの合わせを数名。試験を聴いて疲れたなんて事はこちらの都合で、学生さんだって翌日の試験を思って必死なのだから、こちらもそのつもりで頑張る・・・。

更にまた別の1日。午前は高校の初見の授業。来週が初見の試験、そして全員が数週間前に合格して「専攻楽器での初見クラス」になったばかりなのを思い出す。という訳で、前夜にウチのクラスの全ての楽器(ピアノ、声楽、クラリネット、トランペット、ジャズベース)の初見試験曲っぽい曲を探す。ピアノと声楽曲は何とかなったものの、クラリネットは相当迷った挙句既存の某曲(私の好きな、あるピース)を、同じB管だし音域も近いから多分大丈夫だろうとトランペットも同じ曲に。ジャズベースだけはどうにも思い浮かばず、朝学校に来て何か探すつもりだったものの見つからず、結局別に持ってきた課題をその場でヘ音記号に書き写してパート譜を作る。そして授業・・・が終わり、来週の試験に関していろいろ打ち合わせをしていると、今日の試験の伴奏をする学生さんから「今日の合わせはどこですか?」メールが来、慌てて合わせに行く。お昼休みはちょっとばかり余裕があったので、先週の試験を聴いたピアノの学生さんへのお返事メールを打ちつつお昼を食べ、午後に試験場へ。戻ってから次の学生さんの試験直前合わせ。その学生さんの出番が予想以上に早まったとメールが来たので、部屋の鍵を開けたまま試験場へ。終わって戻れば高校生がさらって待っていたのでレッスン・・・。

というような日もありました。私自身お頼まれしている伴奏はこれで終わり。とは言っても高校の方の授業やレッスン、大学でもゼミ関係のコンサートの伴奏などはまだ続きます。それにしても本当に毎日、よく通ったもんだ・・・。

さすがに疲れているんだなと思わされる事の多い今日この頃。これだけ無茶苦茶なスケジュールは連続して1カ月が限度のようです。最近よく夢を見ます。彼方の世界へ行ってしまわれた大事な先生、大好きな俳優さん、そして大切な友人・・・。悲しいかな、私の場合そんな夢を見ると、夢の中で「これは夢、だからずっとず〜っと目覚めないように」と気付いてしまっているのです。何でだか・・・。でも逢いに来てもらえたと思うととても嬉しい。元気になります。

3月後半は例年お手伝いしている講習会の伴奏、そして4月に入ったらすぐ新学期。という訳で、今から1カ月でリサイタルのプログラムはあらかた形にし、出来る事なら暗譜、事務的な事にも手をつけておかなければならないのですが、実際は試験シーズンの反動と寒さで何もできずに過ぎていく・・・。でももう気持ちを切り替えて始動しなくては。

リサイタルの曲目を「コンサート情報」にアップしました。結局「元鞘」です。入れ替えを考えていたもう一つのプログラム、いつか弾くかもしれず弾かないかもしれず。しかし今は全然実感がありません。前回から1年経った事も、自分が1人で舞台に立つ事も。

明日も丸1日試験を聴きます。雪かな・・・。


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