ひとりごと(2009年8月分) |
2009年8月31日(月) 「2009年所沢のプログラム」 やっと空気が乾いてきてご機嫌でしたが・・・まさか台風とは。昨夜は台風の状況を知りたくてもニュースは衆院選ばかり。それにしても、なんと「ドラマティック」な夏の終わりでしょうか。 今日は、再来週のリサイタルのリハーサル用に会場を取って下さっていたのですが、台風のため止めにして家で練習。高校に続き、大学の方も今日から新学期、明日からの連日6時起きを思えば、何となく気重です。 という訳で今日は何を書こう?と迷い・・・12日の選曲について。 毎年の自主リサイタルは初回から16年、曲を重ねる事なく続けていますが、お頼まれの演奏会の場合はかつて演奏したものを取り上げる事が多いです。今回は今まで弾いたものの中から「ぜひ今、弾いてみたいもの」と思って考えました。真っ先に思いついたのはシューマンのダヴィッド同盟舞曲集、そしてドビュッシーのプレリュード。これを両方入れてどうにかまとまるプログラムに、と思って頭をひねりました。 時代順に行けば「前半の最後にシューマン、そして後半はドビュッシー」、あるいは「メインとしてシューマンを後半にどぉんと据えて、前半にドビュッシーを数曲」、どちらにしようか迷いました。どちらにしても冒頭に何かを持ってくるつもりでしたが、前半にどっちが来るかで組み合わせるものが違ってきます。シューマンと組み合わせるならバッハやハイドン、あるいはロマン派の短い小品、ドビュッシーと組み合わせるならモーツァルト?と思ったのですが、ハイドンにぴんときたので、当初はあるソナタを組み合わせ、ドビュッシーを後半に回しました。ドビュッシーのプレリュードは1、2巻とも全曲勉強しましたが、どっちか片方には絞れず、所要時間を考えて両方から弾きたいものを5曲ずつピックアップしました。 というところで決定し、プログラムを提出したのですが、何としてでもリサイタルのサブ・タイトルをつけてほしいというお達しがありました。プログラムを考える時は「順番がすんなり感じられるように」とか、「組み合わせに違和感を感じないように」とか考えますが、あるテーマに基づいて組む事は殆どないのです。という訳で、こじつけでもいいから(?)サブ・タイトルを何とかつけようとしましたが、共通項なんてもともと無いから無理。そこで逆に前半と後半で対比できるものは?と考えて思い浮かんだのが、シューマンは感情から、ドビュッシーは感覚から弾くという事。そこでサブ・タイトル、「感情の表出」と「印象の描写」。でもこれだと当初弾く予定にしていたハイドンのソナタは合わないので、より感情面から迫れるハイドンの曲を、という事でアンダンテと変奏曲に変更させて頂いたのでした。 簡単な説明を少し。ロマン主義時代には、文学や美術などさまざまな芸術がお互いに影響し合い、また個人的体験が作品に色濃く織り込まれるようになりました。シューマンと言えば後に妻となるクララと結婚できるまでのエピソードが有名ですが、クララが演奏していたシューマンの曲は二人の心をつなげる絆であり、演奏するにあたっては彼ら二人の気持ちを想像するところからアプローチしています(↓7月25日「出会ってしまった曲」もご覧下さい)。近代にはいろいろな潮流が起こり、ひとくくりに説明する事はできないのですが・・・ドビュッシーは音そのもの、そしてそこから受ける印象を大切にしていました。いろいろな曲のタイトルにも、風景やイメージが浮かぶようなものが多いような気がします。という訳でドビュッシーを演奏する時は、感情を抜きにして感覚から音を選び、音楽を創るようにしています。 こういう事ってちゃんと調べ直して、一言一言考えて書かなければいけない事なのですが・・・。本番までどう仕上げていくかがやっと見えてきて、今は練習時間が削られるのが惜しくて、でもこれを消してしまうと説明不足になってしまう。と悩んで、結局残します(後で直すかもしれません)。分かりにくい文章でごめんなさい。 当日はトーク付きなので、このあたりの事もよくわかるようにおしゃべりしたいと思いますが、何せしゃべって弾いて、またしゃべって弾いて〜なので、コンパクトにまとめてしゃべれる自信がありません。でも好きで好きで仕方のない曲なので、その熱意だけは分かって頂けるはず・・・。ぜひ所沢に聴きにいらして下さい。 あ、あとコンサート情報に幾つか追加しました。よくよく考えてみればこっちももうすぐなのに・・・と非常に焦っていますが、いろいろ機会を頂けるのはありがたい事です。 明日からいつもの生活に戻ります。慣れてしまえばどんなに睡眠時間が少なくとも朝ぱっと起きられるし(又の名を不眠症と言う)、朝早いのは結構気持ちのいいものですが、夏の間の習慣から抜け出すには、そして分刻みのスケジュールに慣れるまでには時間がかかりそうです。でも明日は台風一過で、多分すかっと晴れて暑いはずだから、まぁいいとしよう・・・。 2009年8月29日(土) 「現代史」 ご無沙汰しております。いつしか新学期も始まりました。 おしろい花の香り、コオロギの鳴き声、高く澄みきった青空、朝の涼しさ、そして夏の疲れ・・・明らかに秋が訪れつつある証拠。秋はどうも好きになれません。理由は・・・いろいろ。 お盆の後は例年のごとく高山に、講習会の伴奏で行っていました。帰ってきてからあるコンクールの審査をし、そしてもう学校へ行く日々が始まっています。こちらへ戻ってきてから急に涼しくなったせいか、疲れがどっと出て動けなくなっていました。暑いのは平気ですが、急に涼しくなるとお手上げ。でも学校が始まったらいきなり我に返りました。ぼぉっとしている余裕はないって。 毎日毎日いろいろ「きっかけ」となる出来事があり、それについて考えたり思い出したりする時間がたっぷりあり、それによって芋づる式に次々と出てきて・・・ここに何度も書こうとしたのですが、ちゃんとまとめる自信がなくて手をつけられず、でもメモらなかったら新学期に入ってすこっと忘れてしまいました。 普段殆どテレビを見ないのですが、夏休み中は少し余裕があったので何かないかとチェック。そしたら、とある番組のスペシャル版になんと母校が出ていたので、高山に行くための荷作りをしながら見ていました。最近、いろいろな意味で大学は大きく変わったと聞いています。それでも今も変わってないと思わされたのは、学生さんの「熱さ」。自分の専攻に関してはもちろん、表現する事、将来・・・。学生時代を丸ごと思い出しました。苦しくなる位に。ピアノを弾く事、音楽する事の本質、そしてそれが自分にとって何なのかあまり考えていなかった(くせに納得もしていなかった)あの頃、美校の友人には驚かされる事ばかり、そして大きな影響を受けました。何もかも思い出してしまったら胸中複雑。「あの時代があったから今がある」のですが〜そう一言では語り尽くせぬ程、重い重い学生時代だったかもしれません・・・。 どこか遠くに行く時はいつも文庫本を持って行くのですが、今回は小説が読めるような気分ではなく、積ん読状態の本の中から考えた末に選んだのは現代史。と言ってもとても分かりやすく書かれている、入門書みたいなものです。学校の勉強としての歴史は「・・・」でしたが、時代小説を読むようになったら面白くなってきて、また音楽史を勉強していると同じ時期に何が起きていたのかを知りたくなり・・・いかに何も知らなかったかを改めて実感させられています。主に取り上げられているのは、第二次世界大戦後から20世紀末までの世界史。新聞を読んでいてもあまり意味がわからなかった事がみえてくるにつれて、それが今にどうつながっているかが分かり、その意味を噛みしめながら読んでいると怖くなってきます。 国際的な活動を展開している非営利の援助団体の記事を最近読み、かなり考えさせられたのが、現代史に手が伸びた始まりでした。過去にもそういう記事はちょくちょく読んでいましたが、自分の周りで起きる事、思い出した事、そしてそれについて考えた事、今いろいろな事といっぺんにリンクしたのが大きかった。そういう事を考え出したら、ピアノを弾いている事、生きる事、全てが良く分からなくなってきたりします。折しも衆院選前・・・・。 記憶の底にしまわれているものが時々ぬっと顔を出す。その確率が高かった、そんな夏休みでした。もう気分は9月です・・・。 2009年8月17日(月) 「正直」 静かなお盆でした。 今日はまとまった事が書けなさそうで、箇条書き風に行ってみます。 あの翌日深夜、ペルセウス座流星群を眺めていました。びっくりするほど暑かった熱帯夜、微風さえ吹かなかったあの晩です。都会の夜空ってこんなに明るい?でもさすがお盆だけあって車もあまり通らず、思いのほか都会も静か〜なんて思いました。残念ながら流れ星を見つける事はできなかったけど、大空の下、無心になれた貴重な時間でした。 冬の夜空は1等星目白押し、空気も澄んでいるので良く見上げるけれど、夏の夜空は何となくぼんやりしていて見にくく、ちょっと遠い存在でした。でも目が慣れてくると、こんなに明るい夜空でも1つまた1つと星が見えてきます。結構見えるんだ、と感激しました。都会を離れて夜空をじっくり見たい願望、むくむくと湧きあがってきました。 電車に揺られ、お墓参りに行ってきました。年に何回かご先祖様にお会いする機会、何となく心が落ち着きます・・・。 家でレッスンも少ししました。曲は違えど、何人もの学生さんが同じ作曲家のものを弾いています。それぞれの人に今何が必要か考えて課題を出しているつもりですが、私の深層心理の中に「今が旬」の作曲家がいるのでしょう。そういう事は実はよくあるのですが。バッハ、ハイドン、リストの多い事・・・。 ハイドンのソナタ、楽器が今のように発達していなかった頃の音楽なので、必要以上のデュナーミク(音の強弱)をつけてしまうと時代のスタイルを損ねてしまいます。「こんな感じ」でいつも弾いていますが、レッスンで説明するにあたって、ふと「私はどう表現している?」と弾いてみました。音量はさして変えずに、音色がその代わり。つまり、「強く」の代わりに「はっきり」、「弱く」の代わりに「ぼやかして」。例えばクレッシェンド(だんだん強く)でも、ぼやけた音からだんだんくっきりさせていくと、古い時代のニュアンスになります。いつの間にか無意識でやっていた事。 そう、子供の頃から納得いかないものを弾くのが嫌でした。バッハなど、フォルテ(強く)で弾くのにものすごい違和感があったのを覚えています。他には、これ見よがしに堂々と終わる曲も苦手でした・・・どうも成りきれなくて。それは自分に嘘をつけない性格だから。昔はそれでもまだ「そういうものだから」と、自分で自分を納得させたり我慢したりする事ができたけれど、今はもう無理。あの時よりもっともっと自分に素直に正直になっています。 ピアノを弾く事で自分の心がそのまま映し出されるなら、やはり弾けなくなる時も出てきます。小説読んでもその内容が影響を及ぼすほどのこの性格、当然実生活で起きる事はもろに影響が出る訳で・・・。それでも自分に嘘をつき続けてピアノを弾ける方が「プロ」なのか、本当の感情を表現できる方が「プロ」なのか、究極の選択を迫られる事もあります。土壇場になれば、それでも火事場の馬鹿力で腹をくくれると思っている自分もいない訳ではないですが(一体どれが本当の自分なんだか・・・)。 やっと曲目解説書き終わりました。文章に対する感覚がとんがってきたなと思ったら、その分他の方が抜けてきています。この不器用さが非常に問題です。 観葉植物のドラセナ・コンシンナ、育て始めてかれこれ軽〜く10年以上経ちました。いつしか私の背丈をはるかに超え、冬越しの為に家に入れるのにもひと苦労。どうしたものかと迷う事ここ2年、思い切ってばっさり、仕立て直しました。なんと1週間もしない内に根が出てきたので鉢に植え、もうすっかり根付いたようです。切られた方の茎にも新芽が吹き、その生命力の強さに元気づけられています。案ずるより生むが易し。 母校の伴奏助手をしていた当時の(かつての)学生さん、ある人からは連絡が来、ある人には偶然会い・・・という事が最近よくあります。考えてみれば、皆あの時の私の年齢と同じ位になっているのです。留学を経て、今はどんな演奏をしているのだろう?ぜひまた一緒に演奏してみたいと思いました。 やっとやっと青空が見られるようになりましたが、昨日鰯雲が出現。もう秋がひたひたと忍び寄って来ていています。ちっとも夏を満喫していないのに、悲しい・・・。 2009年8月13日(木) 「ゆとり」 お盆ですね・・・。 久々の地震、3回続けてくるとは思いませんでした(全部震源地が違うし)。そして、相変わらず冴えないお天気です。曇りがち、すさまじい湿気。おまけに台風までやってきました。各地の豪雨のニュースに胸が痛みます。ひどい被害にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げます。 昨晩(今朝?)はペルセウス座流星群がピークだというのでお願いごとをするつもりでしたが、明け方まで待ってもどんよりと曇ったまま。この前の日食といい、何だかことごとく外されている気がします。でもあきらめずに今晩も見てみようっと。 全てがお天気のせいとは思いたくないですが、イマイチ調子が出ません。朝顔もバジリコも「これから夏休み?」程度にしか育っていなくて、どうも不調です。やるべき事をやり終えぬまま、気分をリフレッシュ出来ぬまま、新学期に突入しそうで怖いです。 なかなか更新できなくてごめんなさい。こういう時しかできない事、いろいろしていました。主にしていたのは休養、片づけ、そして読み書きとパソコンでの仕事。普段は夜中が勝負なのですが、きちきちに動いているツケが回ったのか、何もできずぼぉっとしていつしか寝てしまう夜が数日。もうお休みも残りわずか、と我に返ってやっとエンジンがかかりました。懐かしいもの、思いがけないもの、いろいろ見つけました。ため込んでしまっていたお手紙のお返事、書きました。リサイタルの残務整理、たくさんの数字とにらめっこしながら大事な事をノートに記録しました。パソコンを変えてからちょうど1年経つのにこっちに移行していなかった事、やっと手をつけました。心にひっかかっていた事はこれでかなりすっきり。あまり使わないところを酷使するので、目が痛いし脳味噌も疲れています。肝心要の9月の曲目解説と練習はこれから。まず練習からとりかかるはずだったのに、気になるものを終わらせない限りピアノに集中できないタチは変わらず〜。 ちょっと遠出もして、大切な方々にお会いしてきました。とても心地よい時間が流れ、大分気持ちが楽になった気がします・・・。 私にとっての夏休みって何だろう?いろいろ思い出し、いろいろ考える心のゆとりが生まれる貴重な時間、でしょうか。普段は過去を振り返る事も無く、現在を生きるのに精一杯、考えるのは未来だけ。昨晩、頂いたお手紙を読み返してそんな事を考えながら、お返事を書きました。昔は手紙派だったのでそんな風に振り返るゆとりもあったのですが、最近はあまりないかも。一つ一つ言葉を選びながらつづられたそのお手紙、会った時の印象と同じく、その人の温かな気持ちと優しい雰囲気で満たされているのですが、まっすぐに届く眼差しのような強さも感じられて、不思議な読後感が今も残っています。やはり手紙っていいものです・・・。 |
過去のひとりごと1へ ホームへ |
ピアニスト石田多紀乃 オフィシャル・サイト http://takinoishida.com メールアドレス mail@takinoishida.com |
本サイトの内容の無断転載・複製は固くお断り致します。 Copyright (c) 2004-2020 Takino Ishida All Rights reserved. |