ひとりごと(2009年12月分)

2009年12月28日(月)            「ピアノ」

やっと西高東低の気圧配置に落ち着き、「いつもの冬」がやってきました。それを感じさせられた出来事を1つ。

少し前にやっと秋植え球根を植えました。こんなに遅れたのは初めて。ある日見てみたら、寒さ対策の為にベランダに置いたラナンキュラスの鉢、球根がことごとくほじくり返されていました。出がけに見つけ、あわてて3分で植え直し、全く近頃のカラスときたら・・・と思いつつ出掛けたのですが、翌日何気なく見たら再度ほじくり返されていました。頭に血が上りつつ、でもよくよく考えて、こんな足場の悪いところにカラスが来るかな?もしかしてスズメ?と思い当たったのです。先日のふこふこスズメ、エサがなくて弱っていたのかな?とか、巣立ったばかりで寒さ受難だったのかな?とか、あの後心配していたのです。という訳でこの事件(?)、おなかをすかせたスズメが日替わりでほじくり返した可能性もありそう。ちなみにラナンキュラスの球根、カラカラに乾いた木の根っこ(ミニチュアバージョン)という感じなので、食べられる事もなく土の上に転がっていて無事でした。植えてしばらく経って水を吸って膨らんでくる、そんな球根なのです。しかし鳥よけネット張らないとダメかな・・・。

さて、前回「ピアノは特殊」という事を書きました。読み返してみて、どうも悪い事ばかり(というつもりはなかったのですが)書き過ぎた気がして・・・ピアノの名誉のためにも(?)今日は逆にいい事について書いてみます。

何と言っても1人で全てをまかなえる、音楽を創れる事でしょうか。もちろん人と一緒に演奏できる方が楽しいと私は思っていますが。例えば丑三つ時に「あの曲弾きたい」と思った時に、相手を呼び出すのは無理でしょう。仮にそれが丑三つ時でなかったとしても、今これを弾きたいと思った時に相手が見つかるかどうか、その時間に暇している事、そのパートがすぐ弾ける事、という2つの条件を最低限満たしてなければならないのです。

次に、1人でハーモニーが創れる事。こんな響き、あんな響き、明るい和音、暗い和音、澄んだ和音、濁った和音・・・それを自らの手で奏で、味わえるのはやはり鍵盤楽器の特権。ハーモニーが語ってくれる事、たくさんあるような気がします。

古今東西の作曲家がピアノの為にたくさんの素晴らしい作品を遺してくれている事、これも大きな魅力。たまにピアノに見向きもしてくれなかったり、力を入れてくれなかったと思われる作曲家もいらっしゃいますが、ピアノを弾いていればたくさんの作曲家に曲を通して出会え、1人で音楽史上を辿る事ができるのです。

そして1人で音楽を創るという事は、曲全体を俯瞰する力も育てると思っています。もちろんどのような形態(編成)で音楽をする時にも、全体を分かった上で自分のパートを奏でるべきだと思っていますが、1人で全てを把握し決断しながら音楽を弾き進める経験も、なかなか面白いものではないでしょうか。

・・・という事、副科ピアノの学生さんによく話します。いろいろなハーモニー、そして作曲家に出会ってほしい、と。音が多い分、楽譜の裏を読む面白さも倍増しているし。ピアノを好きになってほしいからこそ、どうやったら譜読みが楽になるか、どんな風に弾いたら弾きやすいか、いい音が出るか、という話ももちろんします。でも作曲家や時代背景について話したり、楽譜上の作曲家のこだわりなどを一緒に見つけたりしていると、時間が流れるのが本当に早い。楽器は違えど音楽に真剣に取り組んでいてくれるからこそ話がよく通じるし、専攻の楽器に生かしてくれそうな気がしています。

ピアノのいいところ、考えていろいろ書いてみましたが、核心にまだ迫れていない感じがします。うまく説明できないのですが・・・もしかしたら、音符と記号で真っ黒に埋め尽くされている楽譜をまず数字(指使い)に置き換え、頭の中に生まれたイメージを音量や音色などを駆使し、10本の指でじかに楽器に触れて音楽に変貌させてゆく、その摩訶不思議な過程が好きなのかもしれません。生まれて数年でピアノに出会い、それからずっとピアノと共に歩んできました。ピアノのいいところをこんなに真剣に考えてみたのも実は初めてですが、いつの間にかここまで自分の一部になっていたのです・・・。

多分私は生まれ変わってもピアノを選ぶような気がします。という言い方はピアノに失礼で、生まれ変わってもピアノに選んでもらえたらいいな(・・・と言うようになるなんて〜)。

さて、年内更新も最後なので、今年を振り返ってみます。

2009年は、私にとって意味深い年となりました。それは、一生の内に誰もが出会う訳ではないような、何というか・・・不思議な出来事とも言えるし、すごく重い出来事とも言えるし、決して忘れられない出来事とも言えるような、そんな事がありました。その結果、価値観が180度変わりました。自分のめちゃくちゃ強いところもはちゃめちゃ弱いところも見ました。今まで気付かずに通り過ぎてきた事、それはもしかしたら敢えて気付かないふりをしていただけかもしれないけれど、それにも気付いてしまいました。なぜ自分がピアノを弾いているか、これからどんな風に生きていきたいか、今まで漠然としていたのがはっきり見えてきています。早い話、全てが変わったのかも。

そんな訳でいろいろありましたが、今つくづく幸せだと感じています。その出来事によってもたらされた事、新しく出会えた人々・・・感謝の気持ちと共に1年を締めくくりたいと思います。

今年もこのつたないひとりごとをお読み下さり、本当にありがとうございました。2010年はどんな年になるのでしょうか。皆様も良いお年をお迎え下さい・・・。



2009年12月23日(水)            「ふこふこ」

昨夜の話。「今日も1日頑張った!」と。そして「えぇと明日は・・・?」。明日は祝日、そして今年のレッスンと授業はもう仕事納めか・・・と初めて気付いた訳です。まだ冬期講習会とか合わせとか家でのレッスンとかいろいろありますが、朝6時起きの生活はしばらくお休み。と思うだけで嬉しいかも。

室内楽試験に絡んで臨時でレッスンしたり(ピアノを含む編成で、レッスン担当は他の楽器の先生なので)、試験のために今回初めての人と合わせをしたり、そんな事が増えてきました。必然と考える事は「音楽で」人とどう合わせるか。ソロの事は頭から消えています・・・。

と書くと誤解されるかもしれないのでちゃんと説明します。音楽って基本は人と一緒にするもの。どうやったら皆(と言っても2人だったり、数人だったり、大人数だったり)と一体化して音楽出来るか、結局はこれに尽きる、なぁんて思う事が最近多々ありました。聴く演奏会も合わせものばかりだし、私だったらどうするかな?なんてついつい考えてしまうのは職業病でしょうか。ソロも、聴いて下さるお客様の存在を意識してどう弾くか考えるので、全く独り(=ソロ)という考え方はしないのです。相手が共演者でなくお客様になっただけ・・・。

前回書いた後、また別の人といろいろな事を話せました。迷っていた事も少しすっきりし、その人の意外な一面も見つかり、自分がそんな風に見られていたのかという事に驚きました。やっぱり「話してなんぼ」。話に付き合ってくれてありがとう、です。これからどんな風に合わせていき、曲を仕上げていくか、また本番でどんなやりとりを舞台でできるか、すごく楽しみになってきました。何だかそういう事が続く週なのかもしれない。そういう人々にめぐり合えるのは幸せな事です。

話戻します。やはりピアノは特殊。人と一緒に音楽出来たら楽しいし、世界も広がる。こんなにいろいろな事ができるのに、その可能性を知らないままにしておくのはもったいない、と。いろいろ聴きにいっても、ピアノを弾く者の耳で聴いてしまう自分がいます・・・。

昨夜の本番を終えた学生さんから、ちょうど今講評伺いの電話が来て、今正に書こうと思っていた事をいろいろ話しておりました。ピアノは1人で弾く音の数が多い事でも特殊、人と合わせる機会が少ない事でも特殊、だから伴奏でも室内楽でもコンチェルトでもどれだけ人と合わせる経験を積んできたかがばれてしまうのが怖いところです。自分を生かしつつ、でもどう合わせるかが「技」であって、「崩し方」のレパートリーが多ければ多いに越した事はない。自分の中のその「引き出し」をどうにか増やしたいというのが、伴奏助手を勤め始めた頃からの目標でした。

私が考える室内楽や伴奏でのピアノの役割は、正に「水」(いろいろな編成、全ての曲であてはまる訳ではないけれど)。流れをつくれる事、形がなくどんな風にも変えられる事(水飛沫にも水滴にも流れにも波にも滝にも・・・)。1人で扱う音の数がダントツで多いので、ピアノが流れを止めてしまえば、他の人がどんなに頑張っても音楽が流れ出す事は難しい。またピアノが目立つ音量音色で弾いてしまえば、他の人がどんなに頑張ってもピアノより聴こえるように演奏する事は難しい。しなやかに変幻自在に形を変えながら流れをつくり、目的地へ誘う。そんな風にピアノを弾きたいといつも思っています。

という演奏をめざしているからこそ、変幻自在に形を変えながらも自分の音楽も貫きたいがために、崩し方の引き出しを増やしたいと思った訳です。「こんな風に」イメージしているんだけど、と例えば言われた場合、それを音量で?音色で?フレーズの長さ?形?テンポ?ペダリング?いろいろなやり方で対処できるはず。相手によってもその音楽によってもどの引き出しを開けるかが変わるけれど、そのやりとりのプロセスを面白く感じられるようになったら、その相手とはいい音楽が作れている証拠でしょう。

音の出るタイミング、切るタイミング、消えるタイミングも自在に操れたらいいなといつも思います。フェードインする音をピアノで出すのは絶対無理なようで、でも必要な技で、そんな風に聴こえる音の出し方はもちろん存在します。そしてテンポも。音楽ってある意味、時間芸術でもあるのです。きっと。どんなテンポで始まるか、どんな風に拍とリズムを刻んでゆくか、共演者とどういうタイミングで合わせてゆくか、考えてみればそんな風に何もかもが実は時間につかさどられています。実際本番では、「ちょっとテンポ速く出過ぎちゃった」とか「あそこうまく合わせられなくてごめん」とか、時間に左右された事が大きな意味を持つもの。そして心の中では常にデュアルタイム。正確なテンポを刻む時計、音楽に沿ってしなやかに伸び縮みする時計、2つの時間が並行して進み、その2つの時計はあるところで同じ時を刻み、あるところでは微妙にずれる。ソロを弾いていても最低この2つの時間軸が必要で、合わせものならもしかしたら時間軸を3つ4つと駆使しているのかも。クラシック音楽は、その時間の伸び縮みがとても魅力的だと思うのです。

余談。だからソルフェージュは何にもまして必要な訳です。正確に、しかも機械的でなく非常に人間的な(?)テンポと拍を刻める事こそ、もしかしたら究極のソルフェージュ力なのではないかと・・・。

最近いろいろ考えていた事、根っこでは全部リンクしている事なのですが、それをまともに文章にまとめようとしたら散々な感じになってしまいました。多分、まとめようとしてまとまる事ではない、広い広〜い範囲だったみたいで・・・今日はこの辺で止めておきます。また何かのついでに書くかもしれませんが・・・。

さて、この前、明け方の冷え込みがもっともひどかった日の事。朝、家を出て数歩、目の前の道に何か落ちているのを発見しました。茶色っぽい、毛糸でできたボンボン?ピンポン玉よりちょっと大きい位の玉です。誰がこんなところに落とすかな〜と思い、拾おうと反射的に近寄って手を伸ばしました。え?まさか・・・??

そっと掴んでみたらふこふこ・・・。なんとなんとそれはスズメでした。私に掴まれて初めて首をちょこんと出し、眠そうに眼を開けました。まん丸く膨らんで、羽毛の中に首を突っ込んでいたのです。掴んでみたらびっくりするほど羽はやわらかく、そしてなめらかで気持ちよかった。寒くて動けなくなっていたのか、眠かったのか、それとも?確かに冷えていました。時間があればずっと温めてあげたかったけれど、この電車を逃すわけにはいかないところだったので、踏まれないように、そして日の当たるところにそっと置いてきました。

それにしても小さくって、あれは子スズメだったのかな。・・・なんて、ふこふこの手触りを思い出してはその日1日、ちょっと幸せな気分で過ごせました。でもなぜあそこにいたのか、足音で逃げなかったのか、不思議で・・・。



2009年12月21日(月)            「スタンス」

前回更新からまた10日経ちました。やっとそれなりに寒くなりましたが、あと10日で新年を迎えるなんてちっともピンとこない・・・。

先週はまたいつもと違う慌ただしさで、まずは譜読みに追われました。この年度末試験で伴奏をお引き受けした曲、お初のものが多いのです。普段そんなにご縁のない楽器だから、というのもありますが、よりによってどれも近現代。とある曲は5拍子と7拍子以外殆どなく、またソロとピアノの拍子の割り方が一致しなくて(片や3+2+2、片や2+2+3みたいな)、おまけにタイが多く、なんてへそ曲がりな・・・。なぜこんな風に書いたのだろう??と考えてもちっともわからない(ここまで書けば、その楽器の方には「あ〜あれか〜」とばれると思います)。楽譜無しで聴けばいい曲なのですが、譜面みてびっくりとは正にこの事。

これから冬期受験講習期間、そして年末年始をはさむ事を考えて、急遽合わせをしなくてはという事になったのです。という訳で新しい曲ばかり数曲、一気に譜読みして即日合わせ。件のこの曲は合わせ当日、隙間時間を見つけてはさらい、何とか初回合わせが滞りなく終わってホッとしました。こんな緊張感は本当に久しぶり。昔レパートリーがちっともなかった時代は、よく行きの電車内で楽譜を広げていました。

伴奏や室内楽の曲の譜読みの仕方も相当変わりました。初合わせまでに自分のパートを弾けるようにするだけでなく、相手のパートを読みながら音やリズムを想像して弾いていかないと、合わせにならない。学生時代と違って少ない回数で形にしなくてはならないので、初回の合わせでは想像していたものと違うところをイメージ上で修正し、その場で覚える位のつもりでないと。

学校でいつも通りの時間が過ぎていった日もありました。まず学校へ行って一つ用事を済ませ、終わって急遽某ホールへコンクールの公式伴奏者としての合わせをしに行き、再度学校へ戻ってピアノの試験を夜まで聴いた日がありました。そのコンクールで伴奏と審査をかわるがわるしていた日がありました(要するに同日にいろいろ部門があったのです)。という訳で、人の演奏を聴き、また伴奏し、レッスンもし、どういうスタンスから音楽を考えたらいいんだろう?なんて気分を味わった1週間でした・・・。

今回の公式伴奏者としてのお仕事もそうですが、仕事柄「初めての人と」とか「いきなり初見で」とか結構当たり前に遭遇する事で(だから何とかなるだろうと、早々と予定が決まっている伴奏を急遽頼まれるのは嫌です、出来る限り神経休ませたい・・・)、いつしか動じなくなりました。とは言ってもそれは単に自分がびくびくしていたら相手に負担をかけてしまうから、「動じなくなった」だけの事。それはコンクールや講習会、はたまた伴奏をドタキャンされたお気の毒な方のピンチヒッターというような場合、相手は精神的にキツイと思うので、ただ音楽上の事だけでなく気持ちの上でもいいサポートができたら・・・と思います。でもそれは本当に難しい。終わってからあぁすれば良かったと思う事も当然いろいろ出てくる訳で、反省ばかり・・・。

ある人と、最近思っていた事をいろいろ話し合えました。私の場合、音楽上の事だけでなくその他もろもろ、相手が何を考えて思っているかをある程度(以上)は知っていたい。いろいろな考え方があるとは思います。だけど音楽する上でいろいろな感情や思惑、イメージが必要で、音楽を介して会話をする事を思えば、ただ音楽だけが合えばいいというのはあり得ない。舞台(という魔物の棲むところ)に一緒に立つからこそ、相手をどれだけ信頼できるかにかかっています。むろん音だけで全て分かりあえて共有できるなら話は別ですが。という訳で、いろいろ言ってくれたその人には本当に感謝しているし、これから音楽がどう変わってゆくのかが楽しみなのです。

時間をかけてじっくり書けそうな話題は秋から大分たまりましたが、まとまって考える時間がなくていつ書けるやら・・・。先日1時間空いた折、カフェでクリスマスカードを書いていました。同僚ピアニストは「時間は有効利用しなきゃ」と言いつつ、ホールのロビーで葉書を何枚もひたすら書いていました。皆考える事は一緒みたいです。

今日も盛りだくさんな1日となりそうです。はよ寝な・・・。



2009年12月11日(金)            「冬」

学校の冬の音楽祭なるものも終わり、今週は室内楽の試験週間。平日は、通常授業の「放課後」に。そして明日は混成とピアノのカテゴリーの試験を丸一日かけて聴きます。

なかなか書けなかったのには訳があり、先週はちょっと体調を崩していました。私の場合、大抵胃腸がやられるのが始まりで、案の定食べ物を身体が受け付けなくなりました。その原因、冬を迎えるこの時期、いつでも温かいものを飲めたり食べたりできる訳ではないから。真夏でも氷の入ったものは、よほど調子の良い時でない限り口にしないので、冬は推して知るべし。もちろんマイボトルで温かい飲み物を持って行きはしますが、持って行ける量はたかが知れているし、外出している日はそれこそ何度も温かい飲み物を買うはめになります。と言っても冷めるし、ちょくちょく買いに出る時間もないし・・・10年前までの伴奏助手時代は、合わせ部屋の隣が教官室だったので、10分あればお湯を沸かして紅茶を入れて半分すする位の事は出来ました(あの時代が懐かしい〜)。

これが、私が冬を嫌う最大の理由。こうなって初めて思い出しましたが、例年12月に入る頃、一度胃腸がやられます。

お世話になっている漢方の先生から教わった事によると、人間の体は、目に見える皮膚など「表」の部分、口から入った食べ物の通り道の「裏」の部分、その中間にあたる内臓などの部分、3つに分けて考えるそうです。多分私の場合は「裏」の部分が冷えやすい体質なのでしょう。基本的には暑がり(だけど夏は大好き)、冬でも割と薄着、最近は手や足先も冷えなくなりましたが、食べ物飲み物だけはどうにもならなくて冬はきついのです。

という訳でもう治っています。元から入っていた予定は穴を開けずに頑張りましたが、それ以外は何もせず、「今日1日で何日分?」という位寝倒しました。あっさり治った代わりに、やらなくてはならない事のツケが更に膨らんで・・・。

何かが変だ、いつもと違う、と思いつつ日々を過ごしています。いろいろ考えて、こんな時は自分のためにピアノを弾くべき、弾いたら気分も変わるだろうと思って弾いたら、あっという間に数時間が経ちました。こんな風に時間さえあれば、何時間でも何日でも集中できるのに。5分10分の隙間時間で出来る事は今、ほぼやり尽くしてしまったと気付かされています。心にひっかかっている「今やるべき事」と「本当にやりたい事」は、家に居られる時でなければできない。そんな思いにとらわれているんだろうな、というところまで分かっているのに、それをどうにもできないジレンマ。

・・・と悶々と悩んでいる暇があったら行動を起こせば?って感じです。全く。

話変わって〜例年秋から冬にかけて何かしら演奏の機会があり、その合わせと練習でいっぱいいっぱいになっていますが、今年は珍しくこの時期少し落ち着いていたので、いろいろな演奏会を聴かせて頂く事ができました。と言っても特に10〜12月は演奏会シーズン、お世話になった先生、友人知人、そして留学成果ご披露の元生徒さんからも演奏会のご案内を頂き、またそれ以外に聴いてみたい演奏会もあり・・・それは大変な数で、自分の仕事の都合もあり、全てを聴かせて頂く事ができないのが残念。伺えなかった方々には本当にごめんなさい、なのです。

自分が演奏するだけに、その1回の演奏会にかける想いがどんなものか、また本番を前にどんな気持ちになるか分かっています。また人づてに感想を聞いても録音を聴いても、本当のところは自分の耳で生を聴いてみなければ分からない。だからこそ聴かせて頂きたいし、生を聴くのが好きなのですが。

学校の冬の音楽祭、レッスンに来ている学生さんが出ているものをいろいろ聴いていましたが、幾つものいい演奏に出会えました。音楽の神様は皆に平等に力を下さるものですね。そんな幸せな想い、演奏している学生さんも感じているでしょうし、聴き手の私たちにも届きました。そして何度も書きますが、本当にウチの学生さん達は恵まれていて心底うらやましく思いました。この経験は今も強烈に印象に残っているでしょうけれど、卒業した後何かのきっかけでまざまざとよみがえり、大きな力になってくれるはず。

それにしても、大人数で音楽できるっていいなと思いました。ピアノ以外に出来る楽器がもしあったら、オケやブラスに載ってみたい。きっと人生感変わるような気がします。

冬だというのに良く雨が降ります。冬で唯一(?いつも唯一って言っている気がするけど)救いがあるのは、太平洋側はかららとよく晴れる事。ちょっと譲って雪なら許せるけど、冬の雨は嫌い。こんなところも温暖化の影響でしょうか・・・。


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