ひとりごと(2009年11月分)

2009年11月30日(月)           「フォルテピアノ」

・・・約束通り、昨日の続きを書きます。

今回「クリストフォリの贈り物」では、休憩時にロビーでフォルテピアノの演奏が聴けたそうですが、そこで使われた楽器をちょこっとだけ弾かせて頂く機会に恵まれました。チェンバロはともかくと、フォルテピアノは全くのお初。聴いた事はありますが、弾いた事はありません。第一印象、色や形はよく似ている。でも弾いてみたら出てくる音は全然違いました。チェンバロより響きが長く残り、音に存在感が増しました。強弱や音色の変化もちゃんとつくけれど、現在のピアノよりは明るく軽やかな音で、当たり前ながらチェンバロのタッチとは全然違います。・・・あの感じ、言葉でうまく伝えるのって難しい。ふゎっと心が浮き上がるような不思議な音色でした。そう、春に平均律全曲をチェンバロで弾かせて頂いた時、「チェンバロは似合わない?」と思ったものが数曲あったのですが、「でもフォルテピアノならぴったりかも」と思えました。ハイドンやモーツァルトのイメージも膨らみました。

話戻してフォルテピアノ、「さて、何を弾こう?」と思ってすぐ出てきたのは、秋に弾いたばかりのハイドンの変奏曲。ところが弾いてみたら、なんと鍵盤が全然足りない。膝ペダルがあるかと思ったらそれもない。どうやら弾かせて頂いた楽器は発明されたばかりの頃のコピーで、それがだんだん進化を遂げて音域が広がり、膝ペダルも備わったとか(ごめんなさい、「裏」を取っていません、違うかも)。でもフォルテピアノが生まれたのは1709年。J.S.バッハが24歳の頃と言えば・・・?「な〜んだ、バッハの頃からあったのね」と納得しました。しかし、狭いレッスン室でフォルテピアノを弾き、その直後に1200席のホールでピアノを弾き・・・あまりにも違って面喰いました。

ピアノという楽器の歴史についても、もっともっと勉強しなければ・・・。

今日はチラシ用の撮影があり、その後学校へ行って冬の音楽祭を聴いてきました。珍しく「ばっちりメイク」をしたまま行ったら、70パーセントの割合で私だと認識してもらえませんでした。学生さんは割と気付いてくれたのですが、先生方や職員の方々には結構気付いてもらえず、これってどういう意味?

撮影はいつも、ホールとピアノをお借りするというシチュエーション。長時間に渡るので、演奏と同じ位(?)気合いを入れて臨みます。今日は背もたれ付椅子2つ並べた位の長目のベンチ椅子。フォーレのノクターン、あれから半月ぶりに弾きましたが・・・んー、実に楽でした。平均律も数曲、半年ぶりに弾いてみました。やはりバッハはいいですね、心の子守唄だったり元気の素だったり・・・。写真はとにかく昔から苦手ですが、何とか無事終わりました。友人のカメラマンにはいつも本当にお世話になっています。

帰り道、きれいなお月様を見ながら「最近地に足の着いた生活をしていないな」と考えていました。今日の撮影も然り、コンサートを聴いてもお芝居を見ても小説を読んでも、何をしても入りこんでしまうタチなので、何だか現実の世界に生きていないような不思議な感じがします。今日は「見られる」立場でした。そう思ったら、最近ちっとも自分で自分の事を見ていない、と。自分が今一番したい事、自分が今最も自分らしくいられる事って何だろう?と思ったら、急にピアノが弾きたくなりました。いちいちこんな風に考えないと自分で気付けないような、そんな大人になりたくなかったのに。でも大人の世界ってそれなりに大変なんだなと、今更のように気付き始めた今日この頃です(大人の自覚なさ過ぎ?)。

秋も今日で終わり。だからこんな事を考えたのでしょうか。今月はたくさん「インプット」できたので、これから「アウトプット」の方に回します。もう明日から師走・・・。



2009年11月29日(日)           「クリストフォリの贈り物」

昨日の朝は雲ひとつない晴天、夜は雨がぱらついて少し寒くなったけど、夕方まではびっくりするほど暖かでした。せっかくコート持って行ったのに、ずっっと手に持ったまま。今朝もいいお天気でしたが寒くなり、昼から曇り始め・・・例年この季節ってカラカラの晴天が続いていたような気がするけれど、天候不順?

先週も予想に反してめちゃくちゃ忙しい日々でした。いろいろな学生さんから相談を受けたり、話を聞いたり、それに関して他の先生と連絡を取ったり・・・進路の事とか試験の事とか、時期的に集中したのでしょう。そのまた前の週末2日かけてピアノを弾き倒していたのが夢のよう。あの時プログラムを即決して正解でした・・・。ま、いつも日常はこんな感じです。とにかくどうなるかわからないから予定は全て前倒しで行く。学生さんがお休みした時間を利用して、ちゃくちゃくと譜読みを進めました。この時期から始める事は今までなかったのですが、これは今年学んだ教訓。

さて、予告通り「クリストフォリの贈り物」、マスターズコンサートのご報告を。・・・と言ってもいろいろあって殆ど忘れてしまい、メモ頼みで書いていきます。改めまして、お聴き下さいました皆様、ありがとうございました。

以前にちょこっと書きましたが、コンサートの概要を書きます。クリストフォリがピアノを開発して今年でちょうど300年、それを記念して30人の作曲家の作品を1人1曲ずつ、一晩で演奏するというコンサートでした。弾く曲はどうやって決めたのかとあちこちからご質問を受けましたが、それは前もってアンケートが配られました。かなり前なのでうろ覚えですが、「ぜひ弾きたいもの」、「弾いてもよいもの」に丸をつけ、候補曲があればそれも挙げるというようなアンケート。私はJ.S.バッハ、シューマン、フォーレには丸を付け、後はモーツァルトやシューベルト、ブラームス、ドビュッシーなどに付けたかどうか。そしたら幸運にもフォーレが割り当てられました。

洗足学園ではピアノ科の先生だけでもそりゃもうたくさんいらっしゃるのですが、皆さんどんな演奏をなさるのかなかなか聴ける機会はないのです。という訳で自分の出番の心配より「聴きたい」病がうずうず(学生時代から試験やコンクールを全部聴くのが好きでした)。私は運よく(?)後半のトップバッター、休憩を利用して準備ができたので私の前後数名の先生以外は全員聴かせて頂く事が出来ました。

学生さんに「聴きに来て」コールをする時、「1台のピアノで皆それぞれどんな音を奏でるか、これをプロの演奏で聴ける機会なんてまずないでしょ」と、半ば自虐的にお誘いしました。実際聴いてみて正にその通り。普段廊下ですれ違ったり教員室でご挨拶する先生方が、「あぁこんな演奏なさるんだ」と感激し、納得し・・・皆さん個性豊かで、本当に楽しく興味深く聴かせて頂けました。舞台マナー(歩き方、お辞儀の仕方)でもいろいろみえてきます。自分が弾く事、本気で忘れていて、休憩時に外で学生さんに会って「あれ〜??」と言われ、「あ、そうだ、これから弾くんだっけ」というような有様でした・・・。

実は当日、リハーサル無しのぶつけ本番でした。学園全体で使用するホールなので、他の行事が午前にあり、調律が入り、そして16時開演。2日前に15分だけ弾く事が出来ましたが、ぶつけ本番なんてコンクールや学生時代の試験以来の事。という条件に関しては相当どきどきしました。自分のリサイタル、はたまた室内楽のコンサートでも本番直前にリハーサルで2時間位弾けるのに慣れてしまっています。おまけに、本番で80〜90分弾く事にも慣れてしまっているので、たった1曲(わずか8分)で持てる力を出しきれるか、こちらの方が逆に大変そうで、久しぶりに戸惑いを感じました。

でもリハーサルが2日前というのが結果的には良かったのです。前々回に「本番がある事を忘れていました」と書きましたが、もちろんちょっとでも時間が空いたらさらおうと常に楽譜は持参していました。それでもやはりまとまった集中時間が取れるのとは勝手が違って、漠然と弾けるかどうかを確認するような練習になってしまっていました(今思えば)。舞台にまだ1度も乗せていない曲の場合は、「こんな風になったら〜?」「あんなふうになったら〜?」と仮定して対策を立てるので(=練習)、する事は山ほどあります。今回、訳分からない不安に対して練習したのですが、その不安の正体が何だかつかみ切れず、終わってから気付きました。いつもと違うシチュエーションに対する不安↑が相当大きかったんだなぁと。

たった15分のリハーサルですが、その時間でする事考える事はもう本当にいっぱいあって〜それに気付けるようになっただけでも、デビュー後この10ん年間の意味はありました。前の方の演奏を少し聴かせて頂き、同僚(学生時代からの長い長〜い友人)に「聴いて」と言われ、客席で聴いた響きと実際自分が弾いている時の聴こえ方が全然違う事に少々違和感を覚えました。学生さんの伴奏では時折弾きますが、1200余席のシューボックス型ホールでソロを弾く事なんて普段はなく、その最後列まで音を飛ばすのがどれほど大変か・・・ましてやリストやラフマニノフではなくフォーレです。いつも学生さんに偉そうに「いい音の出し方をすればピアニッシモでも後ろまで通る」と言わせてもらっているだけに、聴こえない弾き方はしたくない。有言実行あるのみです。

録音を聴いて、「あぁやっぱり音が通っていなかったんだ」と気付き、やっと本番モードに切り替わりました。さすがに前日午後から休みにしていたので、まずどのドレスを着るか考えました。リハーサルの折、「ドレスの色を教えて下さい」とスタッフの方に尋ねられたのですが・・・決まっていなかったのは私位、「当日でも大丈夫です」と苦笑されました。そして半日の執念で、何としてでも納得いく音が出せるようにしようと思ったのです。

音が通らない原因、まずテンポが速すぎました。中間部の流れるところ、どうしても気持ちが高ぶってフレーズを一気に持って行きたくなるのですが、それ以上にこれだけ残響があると、テンポを通常より落とさないと何を言っているのか全く分からない。という訳でテンポかく乱作戦を試みました。何度も舞台に乗せている曲は歌い回しが癖になっていて、それを一旦ニュートラルに戻す意味、そして新鮮な気持ちで再度音楽に向かい合う意味で、テンポをとにかくゆっくり、インテンポ(崩さずに一定のテンポ)で弾くというのを良くやります。無意識レベルまで速いテンポが染みついていたので、それを何度も何度もかなりゆっくりと繰り返し、同時に身体の使い方や腕の重さの掛け方、タッチの確認をしながら音が鳴ってくるのを待ちました。こういう練習は連続した時間で続けないと、また集中していないと全く意味がないのですが、このスケジュールでは前日にしかできなかった事。それでもこんな大事な事に気付けて、そして練習が間に合ってよかったと胸をなでおろしました(と言っても本番がどうなるかは全く別の話・・・)。

実はもう一つ不安材料がありました。当日は進行上、ピアノの椅子はベンチ椅子ではなく背もたれ付椅子でした。リハーサルで知ったのですが、こればかりはどうしようもない・・・。ピアノの高音部を左手で弾かざるを得ない曲は実に嫌なもの。低音部を右手で弾かざるを得ない曲は結構あり(室内楽や伴奏ではピアノが低音部を受け持つ都合上)、それは普段ペダルを使わない左足が支えになっているので全く問題ないのです。しかし高音部を左手で弾く場合、右足は常にペダルを踏んでいるので右側に支えとして出す事ができません。右に身体を倒せないので右腰に負担がかかり、めったに出ない腰痛がひどくなりました。腕が長ければ楽に左手が届くのかもしれないけれど、私は少し腕が短めなので身体ごと移動しないと届かない悩みがあり、そうすると身体も腕もこわばって実に弾きにくいのです。フォーレのこの曲、なんと上から2つ目3つ目のEを左手オクターブで弾くところがあります。ベンチ椅子なら安心して身体を倒せるのに。

という訳で、家でも背もたれ付椅子に取り換えて半日さらいました。ここでびっくりした事。椅子を変えた途端ピアノが鳴るようになりました。弦楽器の方から、舞台では響くポイント(床の構造上)を探して立つ事、靴のヒールの材質などにもこだわる事を伺って、「なるほど」と思っていましたが、ピアノ椅子の材質も正に関係するのですね〜。舞台で椅子選び(!)をする事もないので考えもしませんでしたが、これには驚きでした。

話がそれました。どんなに練習してみても腕の寸法が足りないものは無理があると思ったので、当日微妙に椅子の位置を右にずらそうと決めました。次に演奏される先生にもその旨お伝えし、実際少し右にずらして弾いたつもりでしたが・・・殆ど変わっていなかったみたい。「鍵盤真ん中のCから何センチ右」位まできっちり決めておくべきでした・・・。こうやって一つずつ一つずつ、新しく何かを学んでいくのです。

本番はわずか8分、本当にあっという間に終わってしまったような気もしますし、とても長かったような気がします。弾きながら考えた事、演奏中に起きた事、いろいろ覚えているようで、でも全てが夢の中のようで果たして現実だったのか確信が持てません。リハーサルの時とは全然違う感覚で楽器が鳴ってくれたのは覚えています。何がしかの力に助けられていたのを感じたのも覚えています。あとは・・・思い入れの本当に深い曲です。また演奏できる機会を頂けた事が幸せで、この曲の素晴らしさをたくさんの方々に知って頂けたら・・・と思って弾きました。演奏終わって舞台袖に戻って来た時、「フォーレさん」はどう思われただろう?「やっぱり若造には(なんてったって最晩年の傑作ですから)まだまだ」って言われているような気がして、もっと年をとったらまた弾きたいという思いを新たにしたのでした。

弾き終わって再度客席に戻り、また後半ずっと聴いていました。弾き終わって素面になって思ったのは、今ここで弾いていらっしゃる方々だけでもこんなに、そしてもちろん世の中全体でみればピアノを素晴らしく弾ける人は山ほどいる。そんな中で自分が弾いている意味って?自分が出来る事って一体何?そう思ってちょっとばかり落ち込みました。これはピアノを弾き始めた頃から、そしてこれから先もずーっと変わらない永遠のテーマ・・・。

珍しく長くなりました。久しぶりに書く事に集中した感じ。この続きはもう少しあるのですが、また明日に・・・。



2009年11月23日(月)           「弾破?」

いつしか2週間もご無沙汰してしまい、その間にひたひたと冬が迫ってきています。

「クリストフォリの贈り物」のマスターズコンサートもお陰様で無事終わりました。めったにない企画だけに、貴重な経験をさせて頂けました。いらして下さった方々、本当にありがとうございました。

これについて書ける話題がたくさんあるのですが・・・ごめんなさい、また改めて。11月は余裕が比較的あるはずでしたが、「クリストフォリ・・・」が終わってからもいろいろあり、時間的余裕ができたのが週末から。しかしこれを書く前にどうしてもしなければならない事があって、そっちを優先させて頂きました。

とにもかくにも、まず!手帳のレフィルを入れ替えました。10月頭に買ってあったのに未だ替えられず、仕事上支障が出かかっていたので。ただ入れ替えるだけならすぐ出来るのですが、12月最後のページに来年の予定をちまちまと書きこんでおいたものをミスなく書き写し、学校の授業や試験のスケジュールを改めて引っ張り出して書き込み、その他いつまでに何をやっておかなければならないかを思いつく限り書き出し、今までのレフィルに書かれている事を再度見直し・・・相当時間もかかるし脳みそも使います。スケジュールは全て手帳頼みなので、やっと心の重荷が少しだけ解放されました。

次にしたのは来年のリサイタルの曲決め。今年のプログラムは漠然と「平均律を弾く」と思っていたものを、年明けて慌ただしくなり、チラシ印刷の締め切りまで結局弾いてみる事もできず〜弾かないでプログラム決定だなんて、あんな事は全くもって初めて。それだけ気持ちががっしり固まっていたから迷いもありませんでしたが、今回はちゃんと意思を持って曲を選ばなくてはと思ったのです。

という訳で「弾破」、読破とか踏破とかではなく弾破です。候補にのぼったリサイタル3回分位の曲、楽譜を引っ張り出して片っ端から全部弾いてみました。学生時代に弾いていた曲もあり、全く聴いた事もないお初のものもあり。とある作曲家の某曲集と別の作曲家の某曲集は弾破し、もう1冊は半分位(と言っても約100ページ)弾いてみて明らかに違うと思って止めました。それ以外にも数曲。その曲集の殆どを知らない場合(例えば数年前にフォーレをどれ弾こうかと迷った時)、いつもはまずCDを聴いてみるのですが、今回は弾いてみた感覚の方を大事にしようと思ったまで。もちろん先に音源を聴いたとしても、弾いてから最終決定しますが。

今回なぜそこまでたくさんの曲を一気に見たかというと、2年3年先の事まで考えたからです。曲の組み合わせ(作曲家同士の相性、時間、自分との相性などなど)は実に難しいもので、でも今のところ自主企画リサイタルは1度も曲を重ねないのをポリシーにプログラミングしているが故、先々の事を考えないとならないのです。16回もやっているとさすがにぴたっとはまるものは結構弾いてしまっているもので。もちろんいずれ再演するつもりですが、まだ先の話・・・。

という訳でとりあえず来年のプログラムは決めました。あれだけいろいろ弾いてみたのに、多分これで行きそうと予想していたところにおさまりました。可能性を試さなくてはいけないと思ったからこそ、知恵を振り絞ってたくさんリストアップしたのに・・・。でも印刷の締め切り直前に気が変わって1曲位入れ替える事がよくあるので、発表は来年に入ってからします。

今回、1つ変わったものを入れました。そういうものを弾いていく使命もあると常々思っているので。作品は演奏されない限りはただの楽譜でしかなく、その作品が生き長らえて行くためには誰かが演奏し続ける事が必要だと。そう考えたら、あまり弾かれていない名曲がきっとたくさんあるはずで、探す努力をしなくてはいけないし、見つけた後は弾けるようにしなくてはならない。これには私の場合勇気が要ります。新しい曲は恐らく演奏至難でしょうし、曲目解説が書ける位ちゃんと分かっていないといけないので。

という訳で2日間、弾き続けて頭が疲れました。ピアノだけ弾いていた訳ではないけれど、寝る時に1日思い返せばピアノの事しか出てこない。そんな状態です。それにしても我ながらつくづく初見が利くようになりました。いつも学生さんには「初見は慣れ」と言っていますが、それは正に自分が実感している事で、やればやるほど勘が働くようになってくるのです。もちろんちゃんと細かいところまで見ているつもりですが、その前に「きっとハーモニーがこう動くはず」とか「そろそろテーマが戻ってくる頃」みたいな勘が働く方が先で、その勘が外れた部分を修正しながら弾いていくのが初見かと(時間をかけずにその場で弾くのが初見の極意!)。それにしても1冊丸ごと弾いていると、この作曲家はこういうパターンが好きらしいとか、いろいろ見えてくるものがあって面白いものです。しかし1音1音を考えて書いたであろう作曲家さんにしてみれば、「一気に弾破するな!」みたいな気持ちだろうなと、ちょっと申し訳なく思います・・・。

今読み返して、これだけ書けるなら「クリストフォリ・・・」についてもちょっと書けたかも。頭を整理して又書きます。

あっという間にもうすぐ師走。学校は冬の音楽祭なるものが今週末から次の週末にかけてあり、さまざまな演奏会が催されます。台風補講もしますが、それら演奏会も聴きに、毎日学校へ行く感じです。すごい方々を指揮、ゲストにお呼びしての演奏会、ウチの学生さんは本当に恵まれているとうらやましく思います。日頃の先生方のご指導、そして学生さんのそこにかける情熱ももちろんの事ですが、素晴らしい方々と一緒に演奏できる(して頂ける)事で大きなエネルギーが生まれるのを、本番を聴きながらいつも感じています。学生時代、もしあれ位演奏の機会があったら・・・?それはさておき、数々の、そしてさまざまなジャンルの演奏会が期間中学内のどこかで開かれています。内容的にも充実した面白いものが目白押しなので、ぜひぜひお出掛け下さい。リンクのページで「洗足学園音楽大学」に入り、トップページ「FUYUON!2009」をクリックしてみて下さい。

街中の紅葉も散って寒々しくなりました。今日は青空見られるかな・・・?



2009年11月9日(月)            「謎」

立冬も過ぎました。先週の今頃はびっくりするほど寒かったのに、この暖かさはいったい何?

14日にもう1度本番がある事、今月に入ってからすっかり忘れていました(・・・と今書きながら、「後5日!?」)。コンクールを受ける学生さん(ピアノでも、伴奏の方でも)がいたので、自分の事はいつしか後回し。レッスンし、合わせをし、ホール借りて試演会をし、コンクール本番も聴きに行き・・・。そんな中、ふと自分自身子供の頃コンクールを受けた時の事、もろもろを思い出しました。練習風景、レッスン、コンクール当日の楽屋裏、本番、結果発表・・・いやはや、良く覚えているものです。もう全く思い出さなかったのに、記憶の永久凍土が一時的に融解した模様。

当時は子供が受けられるコンクールなんて数えるほどの時代で、現在お馴染みの音響の素晴らしいホールが次々建設されるちょっと前の話。今思えば、コンクールを受ける事自体が一発勝負のようなものでした。今、試験やコンクールなど本番があればその前に試演会をセッティングし、広いところでどう響かせるかに慣れてもらっていますが、そういう経験も当然なく・・・偉そうに言わせてもらっている事は、実は学校を出てからいろいろ経験し、学んだ事ばかり。そうやって「先生」も頑張って進化しています。

この話題で少なくとも今2つ、詳しく書けそうな事がありますが・・・ここで書き始めたら今やるべき事を全て却下しそうなので、これについては「いつか」又(確信の持てない事は約束しないのが私の流儀)。

と言いつつ、ちょこまかした事はまだ書きます。最近よくある「いろいろ」。

謎。何か1つが見えた事で、いっぺんに全ての謎が解けてしまう事がよくあります。音楽でも日常生活でも。それでホッとする事もあれば、頭がすっきりする事もあり、逆に知らない方がよかった事もあり・・・。

数か月、あるいは数年会っていない人の事をふと思い出す事も、最近よくあります。するとその数日後、あるいは数週間後に手紙や演奏会のご案内が来たり、ばったり出くわしたり、こちらから連絡すると「ちょうど連絡しようと思っていました」と言われる事もままあり・・・。

それに近い事かもしれないけれど〜ある朝起きたら、頭の中にとある小説のタイトルが突然浮かび、「読みたいっ」と思ったのでした。数年前に大きく話題になった作品で、少し前にも何かで採り上げられていたのを目にしていて、恐らくそのせいかと。その作家さんの小説は一度も読んだ事がないにもかかわらず、電車に乗ったら何故か読みたい願望が猛烈に膨らんできて、駅で降りたら書店にまっしぐら。尋ねたら正に今品切れとの事。ちょっとがっかりしたけれどあきらめきれず、次の目的地でも駅前商店街の地図で書店を探し(初めて歩き回る土地でした)、後5分しかないと思いつつダッシュ。

・・・ありましたありました。中をぱらっと開いてみる(文体でも結構好きか嫌いかが分かります)時間もなかったのに、「これ」という確信があったのが不思議でした。用事済ませて帰りの電車、最近車内では疲れて寝ているかぼぉっとしているかなので、読書なんて久々・・・なんて考える間もなく一気に引き込まれ、いやいやもったいないからじっくり読もうという気持ちともせめぎあい・・・それでも結局次の日には読み切ってしまいました。その作家さんの感性や考えている事、多分かなり似ているんだろうな。昔からよく知っている友人に思いがけない場所で出会ったような、なんとも不思議な読後感でした。全く初めて読む作家さんなのに、どうしてここまで直感でそう思えたのか・・・ま、それはともかく、これからこの方の作品は1つ1つ、じっくり読んでいこうと思います。楽しみ〜。

その商店街、アーケードのあるような大きな商店街ではないけれど、細い道が縦横に走っていて、1つ角を曲がると違った街の表情が見える。1つ1つのお店のたたずまい、働いている人々の顔、行きかう人々の顔がこの街の雰囲気をつくっている。きょろきょろ、すたすたと歩きながら、ふと思いました。生きる事って時間とお金と心の使い方次第だなって。時間とお金の使い方は年相応にいろいろ経験し、失敗を経て随分と変わったかも知れないけれど(多分「普通」とは違うはず)、私の中で昔も今も変わらず、そしてこの先も変わらないものは心の使い方(気持ちの遣い方)。これさえぶれなければ世知辛い世の中、何があっても自分なりに何とか生きていけるような気がしてきました・・・。

もろに自分の感情と思考に影響するので、怖くて最近は小説が読めなかったのですが、また復活できそうです。それにしても小説の力、恐るべし。なんて言っている間に練習しなきゃ・・・。


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