ひとりごと(2008年6月分)

2008年6月30日(月)          「秘伝」

先週まではリサイタルのしわ寄せで、学校でする事も多ければいろいろ出かける用事もあり、また家に居る日はごっそりお休みにしていたプライベートの生徒さんのレッスンをし、とにかく息がつけなかった感じ。やっと少し「ふぅっ」とできています・・・。

今週高校は学科試験で授業もレッスンもお休み。学校へ行く日は、目覚まし時計やケータイアラームを5つセットして「起きるぞモード」で眠るため、どんなに早くともむくっと起きられるようになったものの、全く寝た気がしません。という訳で、空いている電車に乗り、学校に行く前から用事を済ませ(いつもは朝早くてコンビニしか開いていない)、のんびり歩いて学校に行ける(筈)のは変な気分です。

来週荻野さんが帰国。それから学校の仕事の合間をぬって毎日のように合わせが入り、クラスの試演会を2晩に分けてし、高校では音楽教科の試験があり、高校も大学もピアノの試験があり、もちろんリサイタル本番が2回あり、それらの為の補講をし・・・。という訳で今週は、梅雨の中休みのごとき時間を過ごす事となるでしょう。

先週学校でトライアル・コンペティション・システムという、まぁ分かりやすく言えば「コンクールを受ける人のための模擬コンクール」がありました。コンクールの課題曲を審査員とギャラリーの方々の前で弾いて頂くところまでは、一応コンクールと同じ。演奏については点や順位をつける訳ではなく、楽譜とコメント用紙に気付いた事を演奏中に必死で(時間が足りないっ)書きつけています。その先が面白く、演奏後に参加者と審査員が向かい合って(輪になって?)座り、直接演奏について講評をし、また参加者に質問があれば尋ね、いつしか和気あいあいとした話し合いに・・・滅多に見られない光景だなぁと思いつつ、何について話そう?と思いをめぐらせていました。

この審査に参加させて頂くのはとても興味深い時間。なぜって、普段なかなか訊けない他の先生方の音楽についての考え、音楽に向かう姿勢、はたまた秘伝の練習方法などを伺う事ができるので。そういう事はレッスンで学生さんに話す事はあっても、それ以外の場で話す事なんてあまりないと思うのです。ましてや練習方法や、舞台の上での対処法など、ご自分の経験から探し当てた「鉱脈」は内緒にしておきたい筈?そんなすごい「秘伝」の情報を伺えるなんて、ラッキーな学生さん達、と思うのです(もちろん私を含め)。

学生さんもコンクール前に人前で演奏できるチャンスが与えられ、それを温かく聴いて下さる審査員がいて、学生さん自身も音楽以外に言葉でもその思いを伝える事ができ・・・それはコンクール本番でもなければ、何がしかの結果を求められる訳ではないからこそ。だけどこんなシステムがあったら私もきっと受けていたと思うし、自分の長所も弱点をもっと早くに知る事が出来ただろうな〜。練習も大事だけど、「本番で自分がどうありたいか」をイメージして表現する、そのために本番までの日々をシュミレーションするのも大事、と今は強く思います。

ご興味のおありの方は、リンクの「洗足学園高等学校音楽科」から入って、ぜひご覧下さい。

そういえば当日、音楽誌の取材が入っていて、ばしばし写真を撮っていらっしゃいました(もちろん演奏中は無し)。審査に無我夢中で気にしている余裕がありませんでしたが、そういえばコメントを書いている時や講評している時、どんな表情?どんな姿勢?ひどいかも・・・ちょっと心配です。

見られる事についてはその昔、友人の厳しい一言が私の目を覚まさせてくれました。「舞台に出て来る時はともかく、袖に引っ込む時はもう観客の事を意識していないでしょ?背中も見られているんだよぉ、気をつけて」。でした。これを言ってくれた友人は歌い手さん。ありがたい一言、舞台に出る時はいつも思い出します・・・。



2008年6月29日(日)          「短調」

もう7月になると言うのに、何だか気候がおかしいです。半袖の出番がまだないなんて。

リサイタルが終わって半月、今更ですが何故か書いておきたい気がして・・・モーツァルトについて。

モーツァルト、正直に言いますと実は昔は苦手でした。子供の頃から「音が重いから」とか「音の粒が揃わないから」とか言われていて、苦手意識をまず持ってしまったのがありますが、それに付け加えてあの明るさにどうもついていけないと思ってしまっていたのです。今思えばどれも「そんな事、気にしなくたっていいのに」位の事で、長調の曲だってその中に一抹の悲しみを秘めている事だってあり・・・。

でもモーツァルトのピアノ曲を耳にする機会は人一倍ありました。今は亡き師匠がモーツァルトを十八番にしていらして、リサイタルと言えば必ずモーツァルトが入っていたような気がしますし、オール・モーツァルト・プログラムもなさっていらしたし、コンチェルトも何曲も聴かせて頂きました。自分で殆ど弾いていなかったにも関わらず、モーツァルトのピアノでの歌いまわしはいつしか体にしみこみ、今となってはそれは本当に有難い経験だったとつくづく思うのです。

今回弾いたKv.330のソナタ、実はモーツァルトのソナタで最初に弾いたものですが、それは師匠にまだお会いしていない確か小2の時。誰しも必ず弾くKv.545のソナタは、もう少し後に遊びで弾いてみたような記憶があります。330のこのソナタ、「今まで見たこともない変なリズム、32分音符も装飾音符も多いし・・・」と思いました。それまでに弾いていたのはもっと易しい曲ばかりだったのでしょう。それでも2楽章の美しさは格別なのにも気づいていました。

それから時を隔てて大学院時代。今まで避けていたモーツァルトに敢えて取り組もうと決めました。が、まず最初に勉強したのは数少ない短調の作品(やっぱりへそ曲がり?)。ソナタKv.310イ短調とKv.457ハ短調(ファンタジーKv.475ももちろんセットで)、協奏曲Kv.466ニ短調。暗く激しい部分に触れた事で、その対極にある明るく軽やかな面が少し理解できるような気がしてきたのです。当時ちょうど子供さんたちを教えていた事もあって、モーツァルトのソナタを勉強する必然性を感じ、いろいろ弾き始めたらとても面白くなってきました。

そんな紆余曲折があった後、ん十年を経て久しぶりに弾いたKv.330のソナタは、何というか舞台で肩の力が珍しくすこんと抜けたような気がします。練習していた時は、この少ない音数でここまで完成されている事に恐れを覚え、1つ1つの音色や音の長さ・切り方に神経を尖らせていましたが、もともとが素晴らしい作品であるが故、作品そのものの力をお借りして出来る事もあると感じました。リサイタルの冒頭の曲は特別な恐ろしさがあるもので、そこにバッハやハイドンやモーツァルトが来ると尚更、粗がみえるような気がして怖いのです。でも子供の頃から音が体に刷り込まれていると、感覚というか安心感は全く違います。子供の時の適当な指使いやアーティキューレーションを直したり、新しい版を見て(モーツァルトは未だ研究が進みつつあるので、昔使っていた楽譜といろいろ記述が変わっていたのにも驚きました)覚え直したり、という手間はありますが、長年曲を持っている意味は大きいと改めて気づかされました。

昔の癖がそのまま出そうで、今まであまり子供時代の曲を引っ張りだしたりしていなかったのですが、これからちょくちょく「懐かしのあの曲」を今の感性で弾いてみるのもなかなか面白いかも?と思っています。

よく雨が降ります。雨は全く好きではないのですが、家の中で聞く雨音は悪くないかも・・・。



2008年6月22日(日)          「フォルム」

夏至を過ぎたという事は、折り返し地点を過ぎたという事?日はこれから短くなりますが、それでも日暮れはまだまだ少しずつ遅くなってゆきます・・・。

最近、あるリサイタルを聴きに行った時の事。開演直前に舞台がぱぁっと明るくなったその瞬間、ふと「1週間前、あそこに1人で立っていたのかぁ・・・」と思ったらクラクラッとめまいがしました。素面になってしまったらとても無理、それ位「普段の自分」とかけ離れている事をしていた?と気づかされました。

学校ではこれから1ヶ月とちょっと、前期末試験に向けてぶっちぎりの日々。この週末は、しばらくお休みにしていたプライベートでの生徒さんのレッスンがびっしり。頭がすっかりレッスンモードなのに、ハタと気づけば荻野さんのリサイタルまでもう1ヶ月を切っている。と思ったらまたクラクラとめまいが・・・。荻野さんの帰国は7月入ってからなのですが、その前にヒンデミットのヘッケルフォーン・トリオを山口さんとまず二人で合わせるために、その練習をしないと。という訳でソロを弾く時間は今は全然ないのですが、そうなると逆に「弾きたい・・・」。よくぞ練習時間が確保できたものだと、今つくづく思います。

演奏に際して気にする事、こだわっている事の1つに「曲の形式」があります。まず全体を見てからだんだん焦点を絞っていくような感じ。クラシック音楽は特に作品1つ1つが複雑で、長大なものも多いがゆえ、さらうに当たって全体をまず見回してからにしないと訳が分からなくなるので。でもそれよりも何よりも、例えば30分の作品があったら30分間常に新しいメロディーをつなげる訳には行かないからこそ、どう材料を組み合わせて30分音楽を続けてゆくか、そこに作曲家の創造の余地がある訳で、そのフォルムの美しさにただただ感嘆する事もしばしば。

このヘッケルフォーン・トリオ、全くそれまで作品の存在を自体を知らなかったのですが、最初に楽譜を開いた時「?」と思いました。最初のページは普通のピアノ・ソロ曲みたいに、ピアノのパートしか書かれていないのです。そして次にめくるとやっとヘッケルフォーンとピアノのデュオになり、次いでやっとヴィオラが登場、トリオとなります。なので最初のページはピアノのソロのようにさらい、また山口さんと二人で合わせる事にも大きな意味があるのです。

ちなみに最初に荻野さんから話を持ちかけられた時には、ヘッケルフォーンがどんな楽器だか全く知りませんでした。オリジナルのヘッケルフォーンとの演奏を荻野さんは考えていたそうですが、それこそこの楽器が日本に数台(?もっと少ない?)という大変珍しいものである事がわかって断念。作曲者自身ヘッケルフォーンをテナー・サックスでも代用可と書いている事から、今回はテナー・サックス版で演奏する事となりました。しかしこれ、かなりピアノ・パートも大変そう・・・。

今回のプログラム、それ以外にはヴィオラのソロでヒンデミットの無伴奏ソナタ作品11−5よりパッサカリア。ヴィオラとピアノのデュオでは、バッハのヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタBWV1027とシューベルトのアルペジオーネ・ソナタ。ガンバ・ソナタ、他の2曲は演奏した事があるのですが、今回のBWV1027は初めて・・・と思って楽譜を見たら、なぜかよく知っているような気がする。不思議だなと思って調べてみたら、これはもともとトリオ・ソナタBWV1039として書かれたものを、バッハが後に編曲したそうです。学部時代にチェンバロで室内楽を取っていた当時、このトリオ・ソナタは勉強したのでした。という訳で、今回はピアノで演奏するに当たってどんな工夫をしようか思案中。アルペジオーネ・ソナタはもう何十人もの方々と演奏させて頂いたお馴染みの作品で、2楽章の旋律も移ろいゆくハーモニーもとても美しく、実にシューベルトらしいのです。この曲のタイトルにもなっているアルペジオーネという楽器(当時はやっていた)で演奏される事はほとんどなく、ヴィオラやチェロの方と演奏したのが殆どでしたが、数年前とある管楽器のコンクールでこの曲が課題曲として出され、その時も10数名と同時進行で合わせていた覚えがあります(余談ですが)。ヘッケルフォーン・トリオは現段階では未知の領域なので、合わせが始まってからまた書く事にしようと思います(したい)。

ちゃんと考えてからきちんと文章にまとめようとすると結局書けなくなってしまうので、ここしばらくは「思いついたら即書こう」をモットーにしようと思い・・・大した事は書けないにしても筋道立てて書くのが私のやり方なので、やっぱりこういう書き方は居心地がどうも悪いのです。ま、でもそんな事も言っていられないので、どうかお許しを。

リサイタルの録音を聴いてじっくり振り返る事ができるのは、いつの事でしょうか・・・?




2008年6月18日(水)          「幻」

関東が早々梅雨に入ったかと思ったら、もう沖縄は梅雨が明けました。そしていつの間にかリサイタルも終わっています・・・。

あれからもう5日も経ったとは信じられないとも言えるし、幻の出来事だったような気がするとも言える。それ位思い返してみても現実味がない、不思議な1日でした。それはともかくと、いらして下さったたくさんのお客様には心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。金曜という事もあってか、お仕事帰りに遅れてでも駆けつけて下さった方もあれば、最後までいられないのが分かっていてもいらして下さった方もあり、そしていらして下さる予定が当日お仕事が延びて断念されたという方も・・・。とにかくお忙しい中お時間を作っていらして頂けるというのは、本当に嬉しくありがたい事です。

一言だけ今回の感想を言わせて頂くとしたら、例年以上に「何かしらの大きな力によって弾かせて頂けたような感じ」でした。何かにつけ今まで書いていますが、どなたかと一緒に演奏する事(伴奏、室内楽・・・)と独りで弾く事は、私の場合何もかもが違うように思えます。その違いの最たるものは「怖いか怖くないか」、これに尽きる。それはやはり共演者のお力をお借りして音楽を作り上げていく事も、楽譜上の情報を読みながら舞台上で曲を新たに表現し直す事も、どちらもソロではできないから。客席からの「頑張って〜」というありがたいオーラ(?)を感じる事はできても、実際には自分自身の強い意思がなければ舞台に立てないとも思う事もあるのですが、でも本当は自分ひとりが舞台にいただけでは演奏は成り立たない。お客様あってこそで、またお客様含め、何かしら作用する強いエネルギーを頂かなければ弾ききる事はできない。それをいつも以上に強く強く感じた本番となりました。全プログラムを弾き終えた後に真っ先に頭に浮かんだのは、お客様、そして作曲家の方々への責任は果たせたと言えるだろうか?という事。何を私は怖がっているのだろう?と毎日自問自答しながら練習していたその答えが、その瞬間に初めて分かり、「なぁ〜んだ」・・・と。

一言だけのつもりが結局長くなってしまいました。

リサイタルまでに残りの曲、モーツァルトとフォーレについて書く予定でしたし、他にも書きたい事はたくさんあったのですが、今回とてもそういう余裕がなくて残念でした(パソコンが稼動する状態になるまでにものすごい時間を要するのもありましたが)。終わってすぐに感じた事、考えた事などももちろんたくさんあるのですが・・・それは後日改めて。

学校も、先週のみ半数の学生さんのレッスンをリサイタル翌日に移動してもらった以外はいつも通り、前日も教育実習生の授業があったので来ていました。リサイタル前は自分の神経が研ぎ澄まされてくるせいか、レッスン等のコメントが辛口になってくるなぁと感じます。ミスとかそんな事ではなく、演奏や練習に対する姿勢に関してが多いのですが。今はリサイタルが終わり、少しとんがっていた神経がまぁるくなってきたのも自覚していますが、逆に学生さんが後1ヶ月で試験を迎えるのもあり、この時期は仕上げ以前にまず暗譜!という感じのレッスンになっています。暗譜で怖い思いをしてほしくないからこそ、きちんと暗譜する為に何をしたらよいか、ちょっと厳しい耳で聴いてしまうのですが・・・でもその思いを分かってくれている事を望みつつ。

リサイタル直前1週間は目をつぶっていた事もろもろが今降りかかってきていて、ゆっくり今書く時間が取れないので、面白い事が書けなくてごめんなさい。早々にメールを下さった方々へ、お返事が遅れていますが近い内に書かせて頂きますのでしばしお待ちを。すみません。そしてリサイタルのご感想、お寄せ頂けたらありがたく思います。よろしくお願い致します。

数日前、本当に久しぶりに美しい夕焼けを見ました。西の空がピンク色。そしてもうすぐ夏至なのですね・・・。


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