ひとりごと(2008年5月分) |
2008年5月31日(土) 「第一印象」 駆け込み更新です。昨日書けなかった曲について。今日はショパンのノクターン4番と即興曲3番です。 ショパンは・・・そう、いろいろな方からよくリクエストされますし、専門の方からも「なぜあまり弾かれないのですか?」としばしば尋ねられます。決して避けている訳ではなく、もちろん好きですし、昔は本当にいろいろ弾いていました。ただ舞台に乗せるにあたって、世の中にはショパンのスペシャリストの方、ポーランドに留学されてショパンの真髄をご存知の方がこ〜んなに沢山いらっしゃるのだから、あえて自分が弾かなくてもいいのでは?と思い始めました。そう考えるようになったのは演奏活動を始めてから(単に自信がないだけだったりして)。 ショパンの作品は子供の頃からありがたい事に沢山弾かせて頂いています。即興曲3番は小学4年か5年、それこそ有名な曲しか知らなかったような頃でした。今でこそ、他の即興曲に比べて地味な感じのするこの曲にこそ、細やかな情感の表現やハーモニーの織り成す色あいの美しさが隠されているのが分かります。当時から、変ト長調と変ホ短調というフラットばかりの調性になぜか魅かれるところがあり、中間部の憂いにはぴんとくるところがありました。先生はそんなませている小学生の気持ちを見抜いていらしたのでしょうか。まだショパンの素晴らしさを何も分かっていない子供にすごい曲を弾かせて下さったものと、今つくづく思います。前々回のブラームスの項でも書きましたが、先入観がない内に勉強できたのは大変ありがたい事。今だったら逆に尻込みするかも。 今回これを弾く事にしてから思い出したのですが、子供の頃はレッスンで頂いた曲と練習していた期間をノートに記録していました。探せばどこかから出てくるはず。「レパートリー」という言葉の意味するところをよく分かっていなかった頃の話ですが、つくづく先生は「一流の作曲家の一流の作品」に接する事の尊さを教えて下さったと思うのです。これは決して「有名な作品」という意味ではなく、「意外に知られていない作品」や「あまり演奏されない作品」も含まれています。ある作曲家の作品、第1曲目(お初)に何を勉強するかという事イコールその作曲家への第一印象となり、その曲から感じたものや学べた事はその後にずっとつながってきます。思い出してみても、当時下さったさまざまな曲は時代やスタイルにおいて偏りがなく、私を見抜かれた上での先生の選曲眼にはただただ恐れ入るばかりです・・・。 そのノートを時折開いて眺め、「ピアニストのレパートリーってもっともっと量がすごいんだろうな・・・」と子供心に思った事を思い出しました。小学生の時分でそんな事を考えるなんて、おこがましいにも程があるのですが。でもその頃弾いていて、デビューしてから舞台に載せている曲、実は幾つもあるのです。大人になってから舞台で弾く事になろうとは、夢にも思わなかった。即興曲3番もあれからん十年ぶりに弾きました・・・。 ノクターン4番、ここまで静と動のコントラストがはっきりしている曲は、ショパンにはそんなにはないと思うのですが、どちらかというと中間部の嵐のような激しさの方がわかるような気がします。昔、友人の演奏にいたく感激した事があり、当時ちょこっとさらってみましたが全く歯が立ちませんでした。今回久しぶりに弾いてみて分かったのは、初期の作品ならではのシンプルさ(つまり初めと終わりの穏やかで綺麗な部分)は弾き手にとっては大変に難しいと言う事。余計な事を何もせずに作品そのものの魅力を引き出すにはどうしたらいいか・・・?それがモーツァルトだったら?シューベルトだったら?という具合に、作曲家によってその表現の仕方もがらっと変わってくるのですが、ショパンだったら?ショパンの後期(といっても30代)の作品は、楽譜をみても初期作品よりずっと複雑で、その情報(フレージングやハーモニー、多声、リズムなどなど)を解読する事によってアイデアが生まれてくるような気がするのです。でもキーワードは「歌」かも。ショパンのお弟子さん皆曰く、先生(ショパン)は歌、イタリアオペラをこよなく愛し、ピアノを弾く事全てはそこにつながっていたそうですから(楽書を図書館に返してしまったので、正確には何と言っていたか怪しいのですが)。 久しぶりにショパンを弾く事になって気分がそうなったのか、今ショパンを弾いてもらっている学生さんも結構います。レッスンしながらちょこちょこ弾いていると、「あぁやっぱりショパンも素敵」と思うのです・・・。 2008年5月30日(金) 「録音」 入梅もそう遠くはないと感じるお天気が続いています。それにしても寒い。連休は暑かったので、今年は早々に朝顔の種を蒔きましたが、この気温の変化は受難でしょう。南の方から順次梅雨入りしている事を天気予報で耳にしているのに、いっぱいいっぱいになっているせいか全然実感がなく、通りがかりの公園を見て「そっか、もう6月・・・」と我に返りました。うっそうと茂った樹々と地面を覆う芝が青々としていて瑞々しく、この湿ったお天気の下の緑も美しいかも、と。 やはり学校に行っている間は全然練習できず、精神衛生上あまりよろしくないのです。もちろん10分あれば無駄なく部分練習しますが、仮に1〜2時間あってもちょっと・・・。たまたま今回はピース(小品)も多いのですが、1曲が長いし、ピアノは1人で扱う音の数が多い、おまけにそれがトータル90分。ソロのリサイタルなら練習1〜2時間は全然(!)足りないのです。室内楽や伴奏の曲はそれ位でもかなり有効な練習ができるのですが、それはそもそも一緒に合わせない限りは本当の意味での練習ではないので、1人でさらう事はその予備練習的な意味合いが強いから?でもそう言ってしまったら、基本的に無伴奏曲が少ない他の楽器の方は、どういうのが本当の練習になるのだろう?と思ったりするのです。 広いところをお借りしてリハーサル、気がつけば5時間休まずに弾き続けていました。時間が経っているという意識も全くなければ、毎日の生活が疲れるのに比べて全然疲れない事にも驚きました。それだけこの数日は練習に集中できる状況になかったからとも言えるし、いい環境から生まれる響きがさまざまなアイデアを授けてくれたからとも言えます。しかし録音を聴くのが怖い・・・。 子供の頃、「録音」は特別なものでした。自分の録音を聴く機会といえば発表会。「これ弾いているのは誰?」という位、自分で弾いている「つもり」とその実態の差には愕然とさせられる事ばかり。その後カセットから始まり、録音機器も普及し、自分の演奏を聴く機会も増えました。本当の意味では自分の音を知ることは出来ないとは言え、今ではどのように弾いているか、録音を聴くまでもなく大体は予想できるようになりました。それでもその曲の初めての録音を聴くのはちょっと嫌で、録音から分かる現実と理想とのギャップをどう埋めていくか、それがこれから本番までにする事なのです。 しかし今時の学生さんはそういう意味では恵まれていて羨ましい。人の手を借りなくとも客観的に自分を知る事の出来るチャンスがあるから。暗譜のチェックだって自分で出来る。昔から考えればすごい進歩だと思います。 そう言えば来週から教育実習期間、高校もにぎやかになるでしょう・・・。 2008年5月25日(日) 「20歳」 あっという間に1週間が過ぎています。この感じだと、瞬く間に6月も終わりそう・・・。 本当に、今は学校に行きながら練習時間をひねり出すので精一杯。という訳で文章をきちんと整えるところまで気も手も回らず、リサイタルまでは今回のプログラムについて思いつくまま書き連ねていく事にします。選曲理由そのものについては、3月4日「2008年のプログラム」に詳しく書きましたので、まだご覧になっていらっしゃらない方はぜひお読みになって下さい。 では順不同ですが、ブラームスのピアノ・ソナタ第3番より。この曲に初めて出会ったのは小学生高学年の頃。出会ったといっても弾く方ではなく、聴く方が先でした。数回聴く内に覚えてしまい、「あぁいい曲だなぁ」と・・・。小学生でこれをいい曲だと思ったのだから、やはり当時から渋好みというかませていたというか、苦笑せざるを得ないのです。ただ聴いていただけで楽譜も見た事がなければ、曲のバックグラウンドも知らないという状態。このソナタが5楽章もある事も、ソナタが普通3〜4楽章で成り立っているという事も、ましてや20歳の頃の作品という事も、ピアノ・ソナタはこれ以降手をつけなかった事も何も知らず、漠然と「何だかわかりにくいリズムが多い曲」とは思っていました。 さて、時は流れてそれから数年。高校生となってソナタの第1番を頂き、ブラームスのピアノ・ソナタ集を買いました。そこで初めて「あの3番」の楽譜とご対面したのです。シューベルトの最後のD.960のソナタは大好きだったにも関わらず、直感でいたずら弾きさえ全くせずに封印していましたが、ブラームスは逆に技術がついてゆかないのもものともせず、宿題の1番同様に弾いていました。先入観がないというのは恐ろしいと言うか何と言うか・・・。今回リサイタルで採り上げるに当たって、いろいろな方から「3番をやるの!?大変でしょ?」とのコメントを頂きました。でも私にとってはシューベルトのD.960同様、子供の頃から馴染んでいるあの大好きな曲、でしかないのです。 今思えば高校時代は、本当にいろいろな曲を遊び弾きしていました。レッスンでの曲ももちろんちゃんと(と言っても高校生なりに、今思えば練習の仕方が甘いのですが)さらった上で、そういう時間もあったのです。友達が弾いている曲、演奏会で心に残った曲、国際コンクールで聴いて度肝を抜かれた曲、などなど、気になるものは一通りすべて。今思えば分不相応な曲をハチャメチャに弾いていたと恥ずかしくもなりますが、でも今につながっている曲も沢山ある訳で〜。 ブラームスのピアノ・ソナタ3番に話を戻します。「大変でしょ?」の本当の意味は、今分かりかけてきています。響きが分厚く(音が多く、扱う音域が広い)、ゆったりとした楽章の旋律を歌いきるために太い音や豊かな響きを要求され、全5楽章あって演奏時間も40分弱、体力だけではなく息の長さも集中力も必要。という事でしょうか?でもそんな事はともかくと、素晴らしい曲なのです。 3曲のピアノの為のソナタが殆ど同時期に書かれているにも関わらず、1、2番と比較してみると進化の過程がよく分かります。20歳の作品とは思えぬほどある意味成熟しているとも言えるし、その反面、意欲的にあれやこれやとアイデアを盛り込んでいるあたりはやはり20歳。そして今大人の見方で楽譜を眺めて気づく事が何と多い事か。昔は何も考えないで頭の中にそっくりそのまま音が入っているだけでしたが、楽譜から気づいたテーマやモチーフの展開、構造の美しさや確かさには脱帽でした。全5楽章を配置してみてそのバランスが絶妙で、でも5つの楽章で1つの曲としてのつながりが感じられるから、これだけ長い曲なのにそれを感じさせない。重さと軽さ、横のラインと縦のリズムの対比、そしてそのリズムの多様さ・・・それより何よりも、悠然と歌い続ける旋律の美しさには驚かされます。きっと心底よりロマンティックな人だったのでしょう・・・。 それにしても20歳だなんて。最近は室内楽も含め、ブラームスと言えば弾くのは後期作品ばかりでした。比べてしまえば確かに後期のものよりは「若い」のですが、やはりこれも傑作だと思う。全て処分してしまったという作曲過程のスケッチや気に入らない作品がもし残っていたら・・・ぜひみてみたいものです。 言いたい事の半分も書けていない気がするし、書けば書くほど言葉が上滑りしていく気もする。でも弾く事よりこっちに気をとられたら本末転倒なので、とりあえず今日はこの辺で。 ふと、私自身の未熟だった20歳の頃の出来事をいろいろ思い出しました・・・。 2008年5月18日(日) 「モビール」 あっという間に5月も半分過ぎ、ぼうぼうに生い茂って四方八方に香りをふりまいていたハゴロモジャスミンもそろそろ終わり。春に咲く花って香りの強いものが多いのですね。でも秋はキンモクセイと・・・他には? 5月に入ってからは曲目解説が全く書けず絶不調、大変な思いをしました。こんなに書けないのも初めて。フォーレはともかく、他の作曲家は今まで曲目解説を書く折に文献も読んでいるのに、どうしても文章が浮かんでこない。分かったつもりでいて、実は何を伝えたいのか自分自身、的を絞りきれていなかったんだろうなと今は思います。その作曲家の人生と作風、その曲の魅力を分かっていて、字数制限のあるからこそ一番言いたい事だけを言葉を選んで書く、それが何と難しい事か・・・。毎晩毎晩、手が動かぬまま、むむむ・・・と唸っていました。 何とか書き上げて送った翌日、これで晴れてピアノが弾ける〜と思って弾いていたら、新たにいろいろな想いが湧き上がり、また文章が浮かんできたのです。不思議なもので作曲家と曲への理解がいくらか深まれば、それに乗じて弾く時の気持ちも解釈も変わり、音にして初めて見えてくる事があるからこそ文章も浮かんでくる。夜明かしして書き直し、慌てて差し替えてもらいました。直した分量にしては大した事はないけれど、それでもやはりあの中途半端なままでは許せないと思ったのです。 そう、曲目解説なんて大変なものはもっともっと前から書いておけばいいのに、と言われる事もあれば、もちろん自分でも思います。実際早々と文献を読み始めた事もありますが、言葉が全く浮かばないものです。例え昔から弾き込んでいたものであっても、何月何日という本番、つまり演奏を「暫定的」に完成させる日、書き上げるのがその日に近ければ近いほど、曲に対する想いも深くなるから。 ま、それはともかく・・・。 晴れてやっと練習に没頭できるようになりました。何せ不器用なもので、気になる事がある限り自分のピアノは後回しになるタチ。逆に言えば、いったん没頭してしまえば他の事がすっぽり抜け落ちるという事。それが怖くて、自分の中で安全回路が働いているのかもしれません。なので、学校に行く日は学校の事に集中してピアノは半ば諦め(どっちにしろ空き時間もないし、帰ってもバタンキューする位の時間しか残っていないし)、それ以外の日は学校の事を忘れる事に・・・できるかどうか。 スイッチが入ったら、どの曲をどのように練習しよう?というアイデアが次から次へと出てくる。眠っていても夢の中にさえ出てきます。本番までのスケジュール、いつ位までに何がどれ位出来ているべき、という見込みも立っているし、それに対して練習時間の割り振りも大体決まってきます。ただ不安なのは、自分に用意されているその時間内で納まりきるか?ということ。昔だったらここまで練習のアイデアは出なかったはず。与えられている時間は減らせこそすれ、増やす事はできない、そう思うと少し悲しくなります。 今年入ったばかりの学生さんもやっとレッスンに馴染んできたようなので、最近はよく「練習」の話をします。練習と言っても私の場合、リズムを変えるとかアクセントの場所を変えるとか、そういう事は殆どしていません。弾けない場所やムラの出るところはひたすらゆっくり弾く。無駄な力を省き、手のポジションを如何にベストなところに置くか、それらをつなげて滑らかな腕に動きにし、音のでこぼこは耳で聴いて直してゆく(へこむところは強くとか、アクセントのついてしまう音は気をつけるとか)。必要に応じてリズム練習等指示を出す事もありますが、考えず、そして聴かず、時間だけが流れていくような練習が一番もったいないと思うのです。 でも練習の本当の醍醐味は、音を探す事、表現を探す事。それは正に、今は亡き師匠が教えて下さった事でした。 学校の限られたレッスン時間、お互いに慣れてきたら要点だけをアドバイスし、後は自分でやっておいて〜と言えるのならまだしも、やはりいつかその話をしなくては・・・。結局先週1年生は、数小節を「味わいつくす(?)」のみのレッスンになりました。たった1つの音をあぁでもない、こぅでもないと何回も何回も変えて弾いてみる、多声部を1つずつに分解してそれぞれのラインをどういうフレーズとして歌うか、そのハーモニーはどういう色あいの音色がふさわしいか、そしてその音の切り方やリズムを生かすためにペダルをどうするか・・・私から答えは言わずに全部考えてもらい、可能性のあるものは全て試してみる。そうやってみて初めて、音を探し、表現を探す事がどんなに深く大変でどんなに面白いものか、分かってくれたと思うのです(思いたい)。毎回それをやっていたらレッスンは何も進まないので、1つそうやって覚えた事は他の場所で応用する、出来る限り自分でも探してみて、と付け加えるのを忘れませんでしたが。 やはり自分の事はよく分からないもの。多分私のレッスンはある意味すごく大まかで、いろいろな曲を弾いていく内に、見えて来ることも身につくこともあるというスタンス(ひどく「初見」的かも)。でも本当は重箱の隅つつきまくりの細かさがあるとも思う。今こうやって自分の練習をしていると尚更そう思います。自分で自分の先生役も兼ねているならそれでうまくいくけど、レッスンで毎回そこまで要求したら大事なものをきっと見落としてしまう。その前に何かに気づいてもらう方が、自発的に演奏という表現について考えて取り組んでくれるような気もする・・・理想論でしょうか(でもそうしたい)。 連休中に少しだけ書きかけてそのままになっていた事、いつもなら削除してしまうのですが、今回少しだけまともな事を書いているので(既に忘れているので他人事)、以下残しておきます。今仕事しながら弾き続けている卒業生にした話です。 練習時間が思うように取れない時、あるいは練習の間隔が空いてしまった場合、私だったら感覚を取り戻し、いい音を取り戻す事から始めます。機械的に指を動かしたり、曲を忘れないためにざっと全部通すなどはせず、ひたすらゆっくり確認する。どの楽器でも、もちろんスポーツなどでも考える事は同じかも知れませんが。指1本1本が速く独立して動くかどうかはともかく、それよりもいいバランスで鍵盤の上に重さを伝えられ、自分の出す音1音1音をキチンと耳が追えたら、いい音が出せ、結果的に求める表現が出来るようになると思うのです。 飾り物でモビールってありますが、あれを思い浮かべました。ピアノの上にある手は、正にあの絶妙なバランス状態で成り立っていると思うのです。ハーフタッチ(鍵盤の下まで指を下ろさずに弾く)の単音であろうと、ボリュームが必要な和音であろうと、とるべきバランスはその人にとってはたった1つ。前腕のどこに支点を持ってきたら腕全体(ひいては体全体)のバランスが取れるか、そのために手首の高さ、椅子の高さや位置(前後)、姿勢、靴のヒールの高さまで考えてベストなポジションを探し出す。それさえ出来たら後はずっと楽に弾けるはず。 ・・・夢中になって書いていたらこんな長さになっていました。せっかく今日は練習に集中できていたのに、未更新期間最長記録を塗り替えるのはまずいと思って書き始めたら、練習はそっちのけ。そういう性格です。 5月に入ってから大災害が2回もアジアを襲いました。ミャンマーのサイクロン、中国の四川大地震・・・被害にあわれた沢山の方々の事を思うと胸が痛くなります。心よりお見舞いを申し上げます・・・。 |
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