ひとりごと(2007年3月分) |
2007年3月27日(火) 「大学ノート」 もう春休みも終わってしまう・・・。実は今まで体が何となく不調でした(漢方でいう「未病」ってところ)。年明けからあれだけ無理したつけが回ってきて当然、じたばたせずにペースを落としてよくなるのを待っていました。やっと体調がよくなってきて我に返れば、やっていない事だらけ。今は凄まじい状況になっています。旧年度の授業の資料の整理。6月のリサイタルの事務の仕事。そして今日から、例年お手伝いしている講習会が始まります。昨年はデュオのリサイタルでお休みを頂きました。弦楽器の伴奏のお仕事です。 ところで、現在高校で受け持っているのはピアノ・アンサンブルとリーディング(初見)の授業。ピアノ・アンサンブルは、こちらへ勤めるようになってからずっと受け持たせて頂き、リーディングは新規にできたばかり・・・と言えどももう3年目に入ります。その昔からこれら授業に関しては几帳面にノートに毎回記録していて、その大学ノートも結構たまりました。几帳面なのは書いている頻度と内容だけで、その代わり書いている字は年々「素晴らしく」なってきて、今は読めない位(嘘、かろうじて読めています)。某老舗文具店オリジナルの大学ノートを使っているのですが、表紙のカラーに好きな色が揃っています。たまたま私の使っているのは深みのある色や鮮やかな色、赤のグラデーション5冊セットで、そろそろなくなって来たので先日、新たに青の1セットを買い足しました。色のエネルギーって影響があるみたいで、今は赤系の色で「さぁ、朝から頑張ろう!」の気分。来年あたりは「気持ちを落ち着け」たくて青を選ぶようになるのでしょうか。でもどうやらまだ何十色もあるらしい・・・。 それはともかくと、なぜいろいろ記録しているかと言うと、例えばアンサンブルの授業。連弾にしても声楽の伴奏にしても、1ペアもしくは1人にレッスンしてあげられる時間は長くても10分程度。ピアノ科が1学年に20名ちょっと、それを2クラスに分けて約10人、1週間に2コマ(1コマ50分)とすると、毎週全員に回せるかどうかというところでしょうか。曲の内容について皆で考えたり、歌詞の解説をしたり、興味持てそうな話に脱線(もちろん音楽にどこかでつながる)したりすれば、絶対無理なのです。そんな中、その10分を最大限生かそうと思うなら、前回からどう変化したかを聴き、それを踏まえて更に新しい何かを考えてもらえるようなヒントを出したいし、誰もに共通する事ばかりではなく、その生徒さんならではの個性も見つけてあげたい。という訳で、授業が終わってから必死で思い出し、忘れない内にノートに書き付けていく作業が必要なのです。 例年同じ科目(?)を受け持たせて頂くからこそ、授業の内容は少しずつ少しずつ敢えて変化させようと思うのです。不思議なもので、普段の生活ではころころ変わるのが嫌いなくせに、音楽に関しては同じままになってしまう事に大きな恐れを感じます。 昨日いろいろ引っ張り出し、昔のノートを開いてみました。この高校から巣立っていったたくさんの顔、そして演奏ぶりも思い出されました。 もう一つ、昨日の睡眠時間を奪ったのはリーディングの資料の山。1年間の授業で取り組んだ課題の数は相当なもので、厚み10センチはあろうかというファイルにびっしり詰めこんでいる同僚の先生もいる位です(課題選びは各先生に一任されています)。1学年40数名を6〜7クラスにレベル分けしているので少人数なのですが、昨年は1年と3年を受け持ち、前期と後期でもクラスを変わるので、1年間にたくさんの生徒さんに出会いました。以前受け持ちだった生徒さんが再度私のクラスの入る可能性もないとは言えず、一度使った課題に頼らず毎週楽譜をひっくり返して探しています。学期末試験は両手で弾く初見試奏なので、既存の曲はいろいろな時代のいろいろなスタイルの曲を偏りないよう選び、また基礎編としてソルフェージュ的に音読みやリズム弾き、スケールとカデンツァ(調性の把握)、ハーモニー弾きなども取り入れていました。という訳でさまざまなプリントがたくさん残っていて、それらをジャンル別に分けて日付と学年を書いて整理、これに手間取っていたのでした。授業のある朝は6時起きでしたが、前の日(というかその日丑三つ時)に切羽詰まって楽譜を探すので、どうもまともに眠れた試しがない・・・それ位毎週無我夢中でしたが、整理しながら「あんな曲もこんな曲もやったっけ?」とやっと思い出す程、たくさんの曲に出会えた楽しい授業でした(でも今年も6時起き〜)。 能登半島の地震、余震が続いているそうですが、辛い思いをされている被災された方々が早く元通りの生活に戻れますよう、春が訪れますよう、心より祈っています。 ちょっと尻切れトンボなのですが、今日からびしっとお仕事なのでこの辺でやめて寝ます。録音の事がまた書けなくてごめんなさい。 桜の季節、外を歩くのも嬉しい今日この頃・・・。 2007年3月25日(日) 「窓」 高校の方では早々に新年度の説明会と授業の打ち合わせがあり、気分はすっかり学校モード。先週まであんなにピアノを弾いていたのに・・・と寂しい気がします(とも言っていられないはずなのに)。それにしても熱意溢れる先生ばかり、そんな方々とご一緒に仕事をさせて頂いて楽しいし興味深いし、刺激もたくさん受けられる。ここの生徒さんは本当に恵まれているのですが、私自身周りの先生方に恵まれているとつくづく思います。 レッスン室の割り当てもほぼ決定したようです。毎年使う部屋が変わるのはレッスンのシステム上止むを得ないのですが、大学からの通知を見ながら「あぁ今年はあの風景は見られないのか・・・」と、これまたちょっと寂しくなりました。ひとりごとにちょこちょこ書いていましたが、そこは壁の一面が大きな窓で、そこから広い空と中庭が一望できます。冬場はガラス温室並みの暑さで時にはカーテンを閉めなければならない位でしたが、何と言っても雲の流れるさまや夕焼け、山の端に沈む三日月など、ふと窓の外に目をやった時の空の表情が美しかったのでした。中庭は特に秋の風景が絶品。この学園は紅葉する樹が多いので、1ヶ月くらい長きに渡って黄色や赤に順番に染まっていく様子が楽しめました。何の為に学校に行っている?と怒られそうですが、でもそうやって自然の美しさに目を留める感性は絶対に必要だと思う。あまりにも美しいと思うと、レッスンや授業を一瞬さえぎってでも「見てみて」とつい言ってしまうのですが、空を見上げる事もあまりないという学生さんが最近多いのが気になります。 窓から見える景色は、私にとっては窓枠という額縁ごと「眺める」もので、だからこそカメラに収めなくてもしっかり心の中に焼きついていたりするのでしょう。記憶にしか頼れないのでもう時期も場所もごちゃ混ぜになっているかもしれませんが、ふとした時に思い出すそれらの景色は大体が独り、もしくは独りの感覚で見ていたものです。独り=何となく孤独感や不安を抱えているという・・・。 ぱっと思い出せるものだけでも挙げてみます。 長いお休みにてくてくと旅した学生時代、ローカル線の車窓から見た日本ののどかな美しい自然。木々の緑と川に流れる水の透明さとしぶきの白さ。結局これが見たかったんだなと自覚・・・そんな時はクラシック音楽の事は忘れています。 何人もの友人を尋ねて回った初めてのヨーロッパ、初夏の一番気持ちいい季節。キッチンの大きな窓から見えた青い空と白い雲、お隣のお庭には色とりどりのバラがちょうど見頃で、青々とした芝生に小さい白い花がぴょこぴょこと頭を出している。そしてそこに吹き込むさわやかなドイツのそよ風。ミューズリ(その時が初めて)とヨーグルトとコーヒーという朝食を友人と一緒に食べながら、あぁついにヨーロッパに来たんだなぁと実感しました。 コンクールの為ホームステイさせて頂いていたスイスのお宅、使わせて頂いていた居心地のよいゲストルームには窓が2つ、1つの窓から見えたのは小学校のにぎやかな授業風景、もう1つからはいつも美しい夕焼け。フランス語圏だったので言葉が通じず心細かったけれど(お母さんだけドイツ語をしゃべって下さった)、それなのにとても親切にして下さった事には本当に感謝の一言です。 いろいろと重なっていて、短期間で2曲も譜読みから仕上げざるを得なかった神戸でのコンチェルト、滞在していたホテルから遠くに見えていた神戸の港。毎日窓際の小さなテーブルで、オケ合わせの録音をチェックしていました。ショスタコーヴィチの暗譜が怖かったけど、きっとうまくいくと信じながら。 毎年お手伝いしている高山の講習会、思いがけない空き時間ができた時に寄る町家の喫茶。薄暗い店内のカウンターから格子窓越しに表通りの町並みと歩く人々を眺めつつ、ぼぉっとしながら久々の美味しいコーヒーを味わいます。 先日の録音で使わせて頂いたホールの楽屋、壁の上部に天窓のような細長い窓があって、そこから差し込む柔らかな春の日差しと青い空。録音初日、結構追い詰められた心境だったけど休憩時は外を眺め、「風も止んで気持ちよさそうだなぁ」と気を紛らわせていました。 普段でも旅行でも全くといっていいほどカメラは使わないので、逆にその時のいろいろな感覚ごと覚えているのかも。しかしこうやって思い出してみると昔はいろいろなところへ行ったのに、今は全然行っていない。行きたいのに行けない・・・。 それにしても録音からまだ10日しか経っていないのが嘘みたいです。もうあの日の感覚を忘れそうなので、近い内に何とか録音当日の事を書きたいと思っています。 今、窓にウスバカゲロウが張り付いているのを見つけました。夏には良く見るけど冬には決して見かけないから、やはり春なのですね。しかし、・・・という事は、ここら辺にアリジゴクの巣がいっぱいある・・・? 2007年3月22日(木) 「ゼロから」 続きを書かなくては・・・と思いつつ、数日が経ちました。この間、学校の卒業演奏会のピアノの部を審査し、その翌日は木管の部で伴奏をし、それらの合間をぬって久々に家でレッスンも数名。電話は普段殆どしないのですが、この時期仕事上で何本もかかって来・・・というそんな日々を過ごしています。 録音の後、今までの疲れがそれとなくじわじわと出てきた感じ。気力が充実していれば(という事は体調もいいという事)ある程度の無理はきくもので、年明けから最近までよく24時間フルに使い切っていたなぁとひとごとのように思います。この頃はどうもエンジンのかかりが悪いとは思っていたのですが、めったに出ない腰痛が一昨日出た事で、「あ、これは無理するなというサイン」と自覚しました。確かに録音1週間前からかなり弾くようになっていたので、意識的にストレッチや腹筋背筋もし、終わってからマッサージにも行ったので、今更何だろう?とも思いましたが・・・幸いぎっくり腰ではなく、気をつけるようにしたら1日でおさまりました。でも過信は禁物(と自分を戒める)。 さて、ほとぼりが冷めない内に録音の話の続き。選曲のきっかけなどは後から思い出しても書けるので、忘れそうな事から書きます。今日は録音に至るまでの事を。 今回は学校の試験シーズン、次いで田島さんのリサイタルが終わった後に録音というスケジュールで、日程的にかなり厳しいものがありました。直前に集中的に練習する羽目になったけれど、そもそもそれが出来るのは昨年に3曲とも本番を踏んでいたから。録音と本番どちらを先にする?と尋ねられれば、迷わず本番と答えます。二つを同じ基準で比べる事はできないけれど、簡単に言ってしまえば「私にとっては録音の方が断然難しい」(詳しくはまた書くつもりですが)。 「さぁこれでやっと缶詰になれる!」と思ったのは録音1週間前。それまでに、3曲ともとりあえず「譜面なしで一応通る」のは確認済みでした。ちなみに「譜面なしで一応通る」というのは「暗譜している」という事ではないのです。楽譜に書かれている隅々まで覚えていなくても、ほぼ指定されたテンポでつっかえずに弾く事は可能、でもそれは「ただそれだけ」の事。完全に暗譜できていないのは自覚していたし、これから何を目指して練習すべきかが見えていない、その事に危機感を持っていました。 そんな危機感を漠然と抱えながらも日々本番はいろいろ続き、その合間に学生さんの試演会のためのホールを予約しに行こうとしていた時、「そうだ、録音の準備として私もホールにさらいに行こう」とふと思い立ったのでした。録音当日に使うホールです。いつもだったらもっと前から気付いていそうなのに、その時まで思いつかなかったのは不覚。あの時電話していなかったら多分ホールは取れなかったはずで、そうなっていたら果たして今回の録音はどうなっていたか、考えるのも怖い・・・。 前回「ラ・ヴァルス」の時は、録音初日に初めてそのホールに行ったのです。今思えば録音が初めてという事が気分にかなり影響し、またピアノのタッチとホールの響きに慣れるのに時間を要しました。1日目終わって帰る電車の中、「明日は何とかしなくちゃ」と必死で対策を講じていた事を思い出します・・・。という訳で、結局集中した練習が殆どできぬまま、とりあえずホールで弾いてきました。そのホールでの感覚を思い起こし、録音を聴けば、きっと「これから6日どんな練習をすればよいか見えるはず」と信じて。 その日は午後夜間と9時間借り、その時間をどう使うかも前もって考えてありました。多分録音する際も1日それ位ホールに居るはず。初めに気分をのせるには何から始めたらいいか?それだけの時間を集中力と体力共に途切れさせないようにするには?ピアノの鳴りやタッチの違いを踏まえた録音の曲順は?等々。今思うにそれは試しておいて正解でした。選曲について書く時に詳しく触れますが、3曲とも表現しようとする内容は究極においては殆ど同じだと思っています。ただ求められる音色が全然違うので、タッチも体の使い方も曲毎に変える必要があり、気持ちの赴くままに曲を次々変えるのは不可能。もう一つ、音楽は自然な流れが大切だと信じているので、できる限り通しての録音をしたいと思っていました。好き好んで集中力を要する曲ばかり選んだ私の自業自得ですが、シューベルトの1楽章もリストもフランクも20分弱。それを1日の内に何度も通す事は想定していたので、逆療法で敢えて殆ど休みを取らず、集中力と体力の限界に挑戦してみました。 夕方近くに30分ほど軽食を取りに外に出た以外は、ずっと弾き続けました。慣れるまではしばらく時間がかかるので・・・ピアノが鳴り始めるまで、耳がホールの響きに慣れるまで、体の無駄な力が抜けるまで、ピアノのいろいろな音色が見つけられるようになるまで・・・慣れてもその後もピアノはどんどん変わり続けます。それは自分のいろいろな感覚(指や体や耳とか)の変化をキャッチし続ける事でもあり、その中からまたいろいろなアイデアが出てくるので、演奏も変わってゆきます。だから決して飽きる事はなく、休むのが惜しい位。このホール、今まで弾いた事のあるホールの中で残響がかなりあり、特に低音部がよく響きました(ピアノの鳴りというよりホール特有の響きのような気がする)。それを聴くようにしたらその結果、どの曲のテンポがかなり落ちました。 その翌日、すぐ録音をチェック。いつもは自分の演奏を聴くのは非常に億劫だけど、そんな事も言っていられません。聴いてみて・・・「こんなので録音できる?」。かなり耳がシビアになっていたのでしょう。それにしても中途半端というか、隅々まで神経が行き届いていないのはもちろんの事、自信がないのが見え見え、変な癖がついているし、いつもレッスンで私自身よく使うせりふ「何を伝えたいのか良く分からない」そのものでした。残響の長さに対応できずに焦って弾いているところも多く、音楽がちまちまと聴こえました。全然練習できていないからそれも当然なのですが、でも逆にそう思えた事でやっと火がつきました。 あまりにもショックが大きかった事で真剣に考えました。何とかしなければ。今までの弾き方を思い出して温め直すのは、絶対してはいけないと思ったのです。やはり演奏は前と同じものをなぞるべきではないし、毎回毎回新しいものを創造するべき。そう考えて、1度全てを壊してゼロから創り直そうと決めました。6日しかないのは分かっていたけど、温め直しヴァージョンが録音として今後ずっと残る事を考えたら、それはもっと許せない気がしました。 という訳でゼロから始める事にしたけれど、何から手をつけよう?きちんと楽譜を読み込み、それを確実に暗譜する事をまず目指しました。「録音だから譜面を見て弾いてもいいんでしょ?」とはよく聞かれるのですが、それは全く考えていませんでした。通しで録音するとなったら、譜めくりストに20も30もページをめくってもらうのは大体気を遣うし、座ったり立ったりで音が入ってしまうし、心配なところだけ開いておいて見るといっても何箇所もあるだろうし、曲に没頭している最中突然そこだけ楽譜を見ようとしたら逆に集中が途切れるし・・・でもその前に、暗譜出来ていない=曲が体に入っていないという事で、きっと表現は浅くなってしまうだろうなと思うのです。ピアノ・ソロを暗譜で弾くのは私の場合、室内楽や伴奏で楽譜を見るのとは全く違う思考回路や体の感覚が存在します。 話戻します。一応譜を見ずに弾ける曲を適当にさらうと、うっかり無意識で今までのやり方で指を動かすだけになってしまうので、頭も神経も相当使います。テンポを極力落とし、敢えて譜面を凝視しつつ考えながら弾いてみたのですが、普通のテンポで20分かかる曲を倍の遅さで弾くと単純計算でも40分・・・。1回やってみただけでは覚えないし、いろいろ試してみる事もあるもので、何回も弾いてみる必要はあるのです。それと同時に、弾いてしまうと楽譜に書いてあるのに見落としてしまうものがかなりあるので、音を出さずに楽譜を眺める時間もとりました。楽譜には音符以外のさまざまな情報が書いてあります。指使いやペダル(作曲者の書き込みを元に自分で考え直す事もあり)、強弱記号、アーティキュレーション(音を切るかつなげるかについての記号、スラーやスタッカートなど)、楽語などなど。そして書いてある事を元に自分で考えられる事は、例えば曲の形式、主題がどこにあるか、フレーズ(音楽的なまとまり)の構成、装飾音をの弾き方などなど。それらを楽譜を見ながら頭の中に入れていくには、やはり曲を普段弾くテンポで頭の中に鳴らしておく必要があるので、ただ楽譜を眺めるだけのようで20分の曲では20分要するのです。忘れている事もたくさんあってそれを思い出し、もう1回書かれている事実を元に考え直す事で新鮮な気持ちになる。そんな訳で練習中ちょくちょく時計を見ていたつもりでも、1時間2時間経っていた事はざらでした。 もう一つした事。敢えてメトロノームに合わせて弾いてみる。実は、普段の練習には殆どメトロノームは使いません(人によってどう使うかは違って当然ですが)。使う時は決まっています。まずは作曲家が書いたテンポ表示(メトロノームの数値)を確認する時。そして、速いテンポのエチュードなど無茶苦茶難しい曲をさらうにあたって、その時々で弾けるテンポを確認する時(全曲は使わず冒頭だけで)。弾きやすく、音楽的にもふさわしいベストなテンポは、えてして最高に早く弾けた時よりちょっと遅めだったりするけれど。忘れてはならないのは、本番が迫った直前に確認の意味でわざとメトロノームに合わせて弾いてみる時。変な癖の歌いまわしの部分を見つける意味もあれば、改めて本来のテンポで普通に弾いてみて曲の元の形を認識し、さまざまな歌いまわしの可能性を求める意味もあり。今回ホールでの録音を聴いてみて変な癖がついていると思ったところももちろんあったのですが、昔の歌いまわしがマンネリ化しているように突如思ったので、これもゼロから「感じ直そう」と思ったのです。効果てき面。テンポも落とした事だし、歌い方が全く変わりました。 結局は楽譜を見て弾く事と、ピアノを弾かずに楽譜を見る事に相当時間を取り、それ以上何をするかも思いつかず、またそれ以上の時間も取れなかったというのが本当の所。ピアノの前にやはり毎日8時間位居ました。途中で「録音に於いてのいい演奏ってどんな演奏?」って分からなくなってしばし迷っていた時もあったけれど(これ以上長くすると徹夜になるので省略)、基本となる楽譜をしっかり読み込み覚えさえすれば、後はそこから創造できるイメージを持って演奏を再構成するだけ。2日間弾き続ける間に答えは何かしら出るはずとも思えました。時間がないと焦る暇もなければ、もしかして無理な事?と思う間も無い位、毎日集中出来ていました。そこまで練習できたのは10年来くらいの事。いろいろ考える事もできました。自分のためにまた弾けなくなっている今、本当に幸せな時間だったなぁと思い起こす事が出来ます。 というところで続きは又。今日はこれから高校の新年度の説明会と授業の打ち合わせ。来たるべき新年度の生活とピアノの練習を天秤にかけてみると・・・? 2007年3月17日(土) 「反比例」 長らくお待たせしています。やっと録音が終わりました・・・。 今回の録音は、2枚目(最初に出したライヴ録音を含めれば3枚目)のCDの為のもの。曲は、シューベルトの「ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D.960」、リストの「ダンテを読んで〜巡礼の年第2年より」、フランクの「プレリュード、コラールとフーガ」の3曲。選曲の理由は後日に譲りますが、ホールを借りて、これを2日間で録りきりました。 録音とそこに至るまでの日々、かなり大変でした。ひとりごとに書ける材料、つまりどういう事を考え、どういう練習をし、そして何をしているのか、そういう事は溢れる程あったのに、書く時間も気力もない、もったいない・・・とは毎日思っていた事。 前回「もう学校は春休み」と書きましたが、実はその後すぐには「缶詰」にはなれなかったのです。室内楽の小さな本番があり、友人の結婚ご披露宴で2曲弾き・・・そしてその翌日ホールを借りてあったのですが、結局殆ど練習できぬままリハーサルをしてきたようなもので、その時の反省を元に1週間缶詰になって練習するという逆パターン。こういうやり方も初めてでした。あの時はかなり、なんてものではない120%の焦りと不安があったけれど、そんな事も言っていられず必死。今となってみれば半分ひとごとのようにその過程を興味深くも思えたりするので、それも書こうかなと思いつつ・・・時間がないのでこれも後程。 分かってはいたけれど、それ以上に本番(ライヴ)と録音との違いを感じました。また前回の録音とも曲の傾向を変えたので、それが録音に及ぼした影響も大きい気がします。前回の「ラ・ヴァルス」はアンコール・ピースばかり、つまりどれも短い中、粋で勝負できる曲、そしてその中にドイツものは殆ど無し。今回の3曲はどれもが大曲(ピースに比べればそう言っても差し支えないでしょう)、そして心の奥に向かっていくような表現を求められ、作品の形式や内容から考えるに「ドイツ的」・・・。単純に録音に慣れていないせいもあるかもしれないけれど、録音の過程も前回とは全く異なりました。 もう朝・・・。実はさっきまでフランクとシューベルトを弾いていました。リストは6月のリサイタルで再度弾けるので、録音中に感じた事考えた事、発見した事を楽譜にメモしたのみ。こういうのは私にしては珍しい、というか今まで経験ない事。なぜか「今もう1度弾きたい、弾かなくては」と思ったのです。丸2日、ホールの重厚な残響と美しいピアノの響きに慣れてしまっていたので、家での響きは妙に薄っぺらに聴こえました。いつもはと言えば、本番が終わったらせっかくだから舞台の上での経験を生かそうと、近日中にちょっと復習するつもりにはなるのですが、えてしてその直後から忙しくなるもので大抵弾かないままになってしまいます。でも本当は、本番が終わったらしばらくは弾きたくなかったのかも。逆に言えば、今回は自分にとってそれ位大切な曲に出会えたからと言うべきか、録音を通して演奏も自分も変わってゆく(育つとはとても言えない)事の意味を考えさせられたという言うべきか・・・。 今回しみじみ思ったのは、人生って反比例なのかな・・・という事。練習時間がいくらでも取れる学生時代にはちゃんとした練習はできていなくて、いくらか練習の意味も方法も必要性も分かってきた今は全然時間がない。音符の一つ一つの意味なんて深く考えていない子供の頃は面白いように暗譜ができたのに、楽譜に書いてある事の全てを理解して表現したいと思う今は新しく何かを覚える代わりに何かを忘れていく。テクニックを身に着ける事に躍起になっていた昔は若さが武器になっていた(事も多分あったと思う)けれど、表現の為にこそテクニックが必要だと気付いた今は体力も筋力も少しずつ衰えてきている。何よりも、年々音楽の素晴らしさと奥深さが分かってくるのに、求めている世界は前よりずっとずっと遠のいていくような気がするのが、ちょっと悲しい。 さすがに消耗していたので、昨日1日はオフにしました。夢の中で音も鳴らず怖い思いもせず、眠りに緊張を持ち込まずに済んだのは久しぶり。録音後に頭の中でリフレインし続けていたフランクもリストも、昨日起きた時には消えていたけれど、電話の呼び出し音で起こされました。録音始まってすぐに、ヴァイオリン・リサイタルのプログラムと歌曲のCD録音について電話がかかってきていたのでした。どうしても気が回らなかったので2日待ってもらっていたのですが、よりによってそんな時にそういうお話というのもすごい偶然。しゃべっている内に現実に帰り、いっぺんで目が覚めました。 1週間全てをシャットアウトしていたので、我に返ってみたら「しなければならない事」がこなせない位たまっていました。この間、リサイタルのチラシやチケット等々あがって来ていたし(コンサート情報をご覧下さい)、新学期に備えての準備もいろいろしなければならず、切らしている必需品がいっぱいあるし・・・。さしあたって昨日したのは髪のカット。1月頃から切らなきゃと思いつつあれから2ヶ月、ストレートでは前代未聞の長さになっていました。傷んだところを切ってすっきり。3〜4日ぶりに外を見たら、この前はまだちんちくりんの蕾だったヒヤシンスがもう咲いていました。こんなに寒くても春の足取りは早い。 振り返ってみれば、今回の録音は私の中の何かを変えた大きなきっかけとなったようです。あまりにも書きたい事が多すぎて今は無理なので、少しずつ書いていく事にしようと思います(が、もしかしたら無理かも。期待しないで下さい)。今日から仕事復帰ですが、果たして順応できるかどうか。いきなり寝不足です・・・。 |
過去のひとりごと1へ ホームへ |
ピアニスト石田多紀乃 オフィシャル・サイト http://takinoishida.com メールアドレス mail@takinoishida.com |
本サイトの内容の無断転載・複製は固くお断り致します。 Copyright (c) 2004-2020 Takino Ishida All Rights reserved. |