ひとりごと(2006年9月分) |
2006年9月30日(土) 「コンプレックス」 早いもので9月も最終日。半月ぶりのオフもあったけど、結局何もできず終わりました。こういう仕事をしていると「オフ=さらう時間」となってしまうのが常だけど、「オフを有効に使う」というのはしっかり休んだ時?それともしっかりさらえた時?なんて考えている事自体が不器用だなぁと苦笑・・・。 今日も丸1日合わせで、その途中に本番が1つ挟まるという具合。という訳でそれを今から少しさらわなければならないので、まとまった話は今日も書けないのです。書きたい話題はいろいろあるけれどどうも中途半端になりそうなので・・・という訳で、思いついた小さな話をちょこっとだけ。 先日手帳の来年のレフィルを買いに、ある大手の文具店へ。なかなか行けないのですが、文具類は結構好きで、結局お店を上から下まで順繰りに見て廻ってしまいました。色とりどりの画材売り場でふと思い出した事。昔、美術の時間はとにかく苦手でした。あの時持ち合わせていた気持ちは今になってやっと説明もつくのですが、「手も足も出ない」感じ。「表現」する事には音楽と何ら違いはないはずだけど・・・。音楽高校に入って美術の時間はなくなり、いつしかそんな思いを抱えていたことさえすっかり忘れていました。その代わりと言うのも変だけど、見る方が専門。今でこそなかなか時間が取れなくなってしまいましたが、昔はどこかで展覧会を開催していないかいつもアンテナを張っていて、ふらっと1人で見に行く事を楽しみにしていました。 そういうコンプレックスもあったせいか、大学時代の美術学部の友人は「すごい」存在でした。学祭の企画委員会や大学交流祭の委員会、部活のバレーボールなど、今の自分からは我ながら想像できない位あれこれ首を突っ込んでいたので、いろいろな科の友達もできました。強引な言い方になるかもしれないけれど、手段が違っても目指しているのは恐らく同じ地点で、しかしお互いに未知の部分に興味があって、何かにつけて専門分野の話になったものです。 皆どういう訳か、「見に来る?」とアトリエに気軽に誘ってくれたのですが、その度にいつも気後れがしました。そんな「聖域」に部外者が訪ねてもいいの?という思い。だって「練習しているところ聴きに来て」とは、決して思わないから。それはともかく、描きかけ、彫りかけ、創りかけの作品を初めて見せてもらう瞬間、それはいつも本当に驚きに満ちていました。いろいろ言葉を交わしていても、それよりも何よりも(例え制作の過程であっても)作品を見せてもらった方が、その人の本当の姿やメッセージがストレートに届く気がしたのです。疑問に思う事を不躾ながら尋ねる事ができたのも、学生だったからこそ。 「表現の仕方が小さい」と子供時代いつもレッスンで言われていましたが、それが一体何を意味するのか分かり始めたのは、遅まきながらその時からでした。「なんで自分で曲を書こうと思わないの?」と友人に聞かれた時は、本当に面食らいました。表現したいものがあるのならゼロから曲を創り、そしてそれを演奏する。そういう考え方があるという事にさえ気付かなかった。いかに狭い世界に自分が住んでいたか、はっとしました。そして、納得しないからには行動に移せない性格だから、なぜピアノを弾くのか、音楽がどういう存在なのか、その答えが見つからなければ当然演奏で自分を表現する事はかなわないと気付けた。それだけでも大学に行った意味はありました。もちろん他にもたくさんたくさん、いろいろな出来事あったけれど。 なんて事を思い出したのは、最近所用があって母校に行ったのもあるからでしょう。今も変わらず校舎の入り口に大きなイチョウの樹があって、銀杏がぼろんぼろんと落ち始めていました・・・。 2006年9月25日(月) 「考え過ぎ」 気がついたら、キンモクセイの香る季節となっていました。ある日学校へ行ったら、「あれあれあれ・・・もうそんな時期なの?」。例年はまだかまだかと待っているのですが、今年はまるで季節に取り残された感じ。それ位夏への未練があるのでしょうか。 前回書いてから1週間、とは思えないほど長く感じました。先週は学校にもかなり行ったし、他にも移動が多かったから?電車に乗り、バスに乗り、そして歩きながら、そんな時は空を眺めていました。お天気もよくなった週末はもうすっかり秋の空、澄んだブルーの上に刷毛ではいたような模様の白い雲・・・決して見飽きる事がない「自然の美しさ」でした。 でも本当のその原因は多分「考え過ぎ」。考える間もなくがむしゃらに忙しくしているのがいつもの私のやり方なのに、ひとたび考え始めたらもう止まらない。夏に高山に行った辺りからこの癖(?)、ずっと続いています。自分の演奏についての自信の無さには昔から慣れっこですが、レッスンや授業の進め方、いったいこれでいいんだろうか?新学期になってから自問自答の繰り返しです。ま、以前から思うところあったけれど。 いつでも不安はつきまとうし、満足するなんて絶対にあり得ない。演奏にしても仕事にしても生活全般にしても。だからこそ前へ進もうとするエネルギーが生まれて来る、そう思う事で自信の無さをカバーしているつもり。・・・というところで「自信」についてあれこれ書けたらよかったのですが、今日合わせをするトリオをこれからちょっとさらいたいので、それはまたいつか。しかし眠い・・・。 季節の変わり目のせいか実はあまり体調がよくなく、この数日は仕事以外ひたすら寝るようにしていました。その甲斐あって風邪もひかずに済み、少し食欲も出てきました。やはり食事は大切。体が欲しているものを食べると栄養がく〜っと体中に回る感覚、何だか分かるような気がするのです。落ち着いて料理できる時間があるといいのに。 この秋、コンサート情報に載せているもの以外にも、たくさん練習すべきものがあるのです。殆どが合わせ物。という訳で残念ながら今は、ソロの気持ちはもうすっかり忘れています・・・。 2006年9月18日(月) 「降りそぼる雨」 まだお彼岸にも入っていないのに、世の中すっかり秋色。「暑さ寒さも彼岸まで」と言うけれど、今年は全くどうしたのでしょうね・・・。 ちょうどこれ位の季節、「雨の降りそぼる初秋」というと思い出す出来事があります。もう10年近く経っているので記憶もあいまいで、さまざまな時期のさまざまな出来事がごちゃ混ぜになっているかもしれませんが。 場所はオーストリア。リヒテンシュタインとの国境に程近い小さな街。確か9月後半、暑い日本を発ってヨーロッパへ渡ったら、コートを着ている人もいた位寒かったのを覚えています。ピアノの講習を受けに行ったのですが、なんとその街に着いたのが日曜日午後。ただでさえ静か(そう)な街ががらーんとしていて、お店も当然開いていなければ人も歩いていない。とにかく何としてでも何かを食べなければ(食べなきゃ寒い)と思ったものの、近所を歩き回った感じではどこも見つける事ができず、止む無く宿の1階でコース料理をしっかり食べました。1階がレストランになっているペンションだったのが救いでしたが、単品がなくて、コースで食べるとお値段高め、でも毎食コースという訳にも行かないというところ。講習会の受付もどこでどうするかよく分からず、とりあえず会場となっている音楽院に行ってみました。が、情報なし。月曜に行けば分かるはずと自分に言い聞かせて帰りましたが、昼間どんよりと曇っていたのに夜になって雨がざぁざぁ降り出し、寒さも相まって思いっきり憂鬱になったのを思い出します。 行ってみれば何とかなるはずという思いで1人で出てきましたが、後で分かった事に在住日本人の全くいない街でした。日本でも参加申し込みをしていた位なので誰か受けに来ているだろうと思ったら、日本からは私だけ。現地参加の日本人も1人いましたが、レッスンで顔を合わせる位で全く別行動。今思えば、あれほどのつたないドイツ語でよく1週間やっていけたなと思います。 到着した時から体調はよくなかったのですが、寒さとストレスで猛烈な胃痛が始まり、食べ物ものどを通らず、夜も痛くて寒くて眠れず、布団にくるまってじっとしていた事が多かったのです。今まで考えた事もない「孤独」を感じました。元気な時には「何とかなるさ!」と思える事でも、誰も知っている人のいない街で言葉の壁にぶつかったりすれば、さすがに弱気になるものです。 どんどん話が湿っぽい方に進みそうなのでこの辺で止めておきますが、本当の意味での「孤独」を感じたのはあの時が初めて。いやいや、まだまだそんな甘いものではない・・・という声がどこからか聞こえてきそうですが、あれは私の中の価値観が何か変わった瞬間でした。月曜から始まった講習会自体はとても有意義で、求めていたレッスンが受けられたという感がありましたが、思い出してみてもどうも降りそぼる雨の印象が強くて・・・。 さて、本題。所沢でのリサイタルについて。 何から書けばよいのか迷いますが、今回のリサイタルを一言で表現すると、「自分が自分でないみたいに集中できた演奏」でした。演奏の出来は全く別の話として。それだけ本番での余計な心配がなかったというのが1つ、そして弾きたいものを弾かせて頂いたというのが1つ。まだ録音も聴いていないし、演奏の良し悪しは自分では分からないものだけれど、聴いてみたらこの前6月のリサイタルのように(ひとりごと8月14日付をご覧下さい)全く予測できない演奏をしている可能性もありそうで、ちょっと恐怖なのです。 余計な心配がなかったというのは、スタッフの方々のお心遣いが細やかだったという事に尽きます。180回も松井クラシックのつどいが続いている事、そのものが証しでしょう。本番前はぴりぴりして普段何ともない事が気になったりもするのですが、さまざまな段取りが驚く程スムーズに運びました。またピアノもよく調整して下さり、本番ではピアノのアクションに助けられた場所もありました。音響に関してもリハーサルでベストな位置をいろいろ探して下さっただけあって、それぞれの作曲家に対して求めている音色のイメージを私なりに何とか引き出す事ができた気がします。スタッフの皆さん、調律師さん、本当にありがとうございました。 そしてプログラムは殆どドイツもの。リクエストされたシューベルトの最後のソナタはともかく、「弾きたいものをぜひ弾いて下さい」というお言葉に甘えた訳ですが、やはり慣れているフィールドは心が楽でした。もちろん作品の核に迫るにはまだまだですが、弾くに当たって妙に気合を入れたりお芝居をしたりせず、普段のありのままの自分で臨めばいいのが嬉しかったです。「どうやっても怖いものは怖い」という結論に至った話、6月11日に書かせて頂きましたが、それはもしかしたら違うかも?と思いました。不安はもちろんあるけど、精神状態がいい時は舞台に出てゆく直前に、「何とかなる」と腹をくくれるもの。別の言葉にすると「自分を信じる」。ここ数年その状態をすっかり忘れていました。 モーツァルトは何度か舞台にかけていますし、シューベルトも一昨年に続いて2度目。舞台に乗せる回数が増えてくれば当然曲について発見が増え、テクニックも安定し、暗譜の危険も減ります。室内楽、二重奏や伴奏では、相手が代わって何回何十回と演奏している曲がたくさんあるのですが、ソロはなかなかそうもいかないのです。もともとピアノ曲のレパートリーが膨大なのだから同じ曲ばかり演奏する訳にいかず、またソロの演奏のチャンスもそうある訳ではないので・・・。何はともあれ、そうやって曲を深めていく事によって、思いがけずも本番では自分の中に心地よい時間が生まれていました。今思い起こしても、あの感覚は何にも例えようのない不思議なものでした。集中できたのは良い事だとしても、裏腹に恐ろしい思いをしたのも事実です。演奏後も数日その感覚を引きずっていたので、自分がどのような演奏をしたのか今も全く客観的に判断できないし、普段の生活でもいつの間にか自分だけの世界に入り込んでいたり・・・。 「聴衆がいいと思ってくれる演奏と自分でまぁまぁと思えた演奏とは必ずしも一致しない」。師匠の井上先生が演奏活動をご活発になさっていた当時、確かそのようなニュアンスでおっしゃっていました。私は小学生でしたが、双方は重なるものだとばかり思い込んでおり、あまりにも驚いたのでよく覚えています。演奏直後の質問コーナー?で、師匠の井上先生と時折見ていただいたピヒト先生についての思い出について尋ねられ、いろいろ想いを巡らせている最中にふと思い出しました。 今読み返してみて、なぜここまでこだわっているのだろう?と自分でも思います。「たかが演奏」という物の見方もあるかもしれない。だけど私にとっては「されど演奏」なのです。これについては長くなるので、いつか機会がありましたら書く事にします。 でもやはり本番前にゆとりは大事と実感しました。夏はバテて練習する気が起こらず、高山から帰って来てからお尻に火が点いた訳ですが、10日ほどは極力さらう時間に当てようと努めました。ベートーヴェンとリストは舞台に乗せるのは今回初めて、間に合わないと思ったからこそ、そして6月のような怖い思いを絶対にしたくないと思ったからこそ出来た事。もちろん夏休みのお陰でもありますが。年々忙しくなって練習時間が取れなくなりつつあり、あれだけ本番で怖い思いをしたのが結構響いていました。このまま行けばいつか限界が来るのだろうか、って。それだけの時間があれば実際は1日中ピアノにかじりつく必要もなく、夜はしっかり眠り、どうしても疲れて体が動かない時はピアノを弾かずにCDを聴いたり気分転換をし、そしていろいろな事に思いを巡らせ、合理性を求めず気の向くままに練習できるもの。まだそんなに仕事もなく、しっかり練習してリサイタルに臨めた昔のような状態、「あの時」に1度自分を戻したかったのです。 直前3日間は新学期始まって学校で朝から晩までばたばたしていましたが、意外にもさして動じていない自分がいました。ちゃんとさらえているってそれ位の安心があるものなのですね。日々の仕事の傍ら、好きで弾き続けている事だから、無理になったら止めればいいだけの話。続ける限りは今後は今同様の、あるいは今以上の忙しさの中で練習時間をひねり出さなければならないのは目にみえています。今回のような恵まれた状況で練習できる事はそうないとは思うけれど、音楽に向かうにあたっての大切な何かを思い出す事ができたのは収穫でした。 そして今回はトーク付きコンサート。名曲やアンコールピースを弾きながらトークを入れるのはいくらか経験がありますが、このような本格的(という言い方が適切かどうか・・・?)プログラムにトークを入れるのは初めての経験。本当に難しかったです。アンコールピースだとどんな曲でも大抵気の利いたエピソードが1つや2つはあるもので、それらについて話してもよいし、又曲に対する印象でもいろいろな事が思い浮かびます。でも実は、前日晩までは何を話すか決められず迷っていました。弾く事に意識が行っていたので、どうしても気持ちが話に向かなかったのです。話す内容を全部決めたのは本番10分前。タイトルを「ファンタジーとソナタの世界」とつけたからにはこれを避ける訳には行かないだろうな、でも形式の話だけでは面白くないから曲について思う事を少し混ぜよう。という感じで、別に原稿を書く訳でもなし、話の筋道がつながれば「なるようになる」と腹をくくれたまではよかったのですが・・・。 お客様は多分皆さんお気づきだったと思いますが、冒頭モーツァルトの開始前のトークで困った事。手の震えが凄かった!想定外の出来事で本当に参りました。決して緊張で震えていたのではないのです。マイクがとにかく重く感じました。格好悪いなぁ、最初からこれではどうしよう、と内心焦り、仕方なく両手でマイクを持ちました。 あくまでも私の場合なのですが、演奏中は元より、演奏前は腕はだらんとぶら下げて力をできるだけ抜いています。「演奏中も力を抜いている」というのは、もし突然鍵盤が消えたならば腕はだらんと落ちる、つまり鍵盤であえて腕を支えているという事です。指も音を出す瞬間に何かしらの力を加えますが、次の瞬間にはもう抜いている事が多い。さまざまな音色を作るためには、とにかく力を抜いてニュートラルな状態にしておく必要がどうしてもあるのです。なぜあんなに震えたのかというと、まずマイクをぎゅっと握って落とさないよう力を入れておかねばならず、そして肘から先も持ち上げたまま。道理で重いはずです・・・(言い訳ですが)。 長くなりましたが、こんな事を考えて臨んだリサイタルでした。いつもの自主企画とは何もかもが違ってたくさん発見があり、じっくり時間をかけて練習でき、充実した経験となりました。最後になりましたが、演奏者の勝手気ままなプログラムとトークに長々と付き合って下さったお客様には心より感謝申し上げます。客席から届いた温かい無言のエールには本当に救われました。ご感想ご批評のメールを頂けましたら、とても嬉しく思います。どうぞよろしくお願い致します。そして当日アンケートを書いて下さり、そしてメールをお送り下さった皆様にも御礼申し上げます。 そろそろ明るくなるはず。そう思って外に出てみたら今日は雨がサラサラ降る中、藤色の朝焼けでした・・・。 2006年9月12日(火) 「梨」 昨日はいろいろする事があって結局朝まで起きていたのですが、明け方の遠雷が気になってカーテンを開けてみたら・・・何と辺り一帯みかん色の世界!一瞬目を疑いました。夢見ているのかなって。燃えるような美しさの茜色の朝焼けとは違って、昨日のあの色は何か恐ろしさを感じさせる色。映画のワンシーンでの、例えばこの世の終わりみたいな・・・そしてバラバラと雨が降ってきました。 ちょこっと寝て起きたら、空は晴れて日差しが斜めに降り注いでいました。あまりにものどかで、どっちが本当?でもこの気まぐれなお天気、秋の訪れを感じさせました。 家の鉢植えビッグサイズの梨は、今収穫を迎えています。昨年はたくさん実をつけたのにことごとくカラスに食べられ、泣く泣くの思いでした。という訳で、今年はまだ実が小さい内から袋がけ。カラスは黄色を識別しないという情報を仕入れたので、黄色の不織布をハンカチサイズに四角く切って実の付け根で縛ったら、その甲斐あって今年は無傷です。先週に一つ、昨日も一つもいで食べてみました。歯ざわりは少し硬めだったけれど、かなりの甘味とほのかな酸味があって、味は抜群に(?)よかったです。最後の一つはもう少し大きくなるまで待ってみよう。 さて、所沢でのリサイタルにはたくさんのお客様がいらして下さり、無事に終了しました。ありがとうございました。そして今回は、スタッフの方々の隅々まで行き届いたお仕事、そして音楽に対する熱意に非常に助けられました。お陰様で気持ちよく集中できた気がします。本当にお世話になりました。 ・・・というところでリサイタルのご報告をすべきなのですが、ちょっと今まとめられなさそうなので又改めます。今回は精神的な面で大分違いました。終わってからもいつもなら、パッと気持ちを切り替えて合わせもの一辺倒の日々となり、ソロはご無沙汰となってしまうのですが、未だ本番の時の精神状態をどこか引きずっています。微熱に浮かされてぼぉっとしている感じ。 でも学校へ行けば、慌しさできっとすぐ忘れてしまうのでしょう。「後期からの新しい学生さんに先週出した宿題、どんな風に弾いてくるかな?」「室内楽のグループ、夏休みにちゃんと合わせできたかな?」とか、「リサイタル済むまで保留にしてあるたくさんの合わせの曲、全部練習し直さなきゃ。」「合わせの予定、抜け落ちているところなかったっけ?」とか、考えなければならない事が山のように押し寄せてくる新学期です・・・。 |
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