ひとりごと(2006年12月分)

2006年12月30日(土)       「曲との距離」

冬本来の西高東低の気圧配置が戻ってきたところで、今年ももう終わり。やっと仕事が終われば、「しなければならない事」が山ほど待ち構えているのですが、何もできずぼぉっとしています。体調を崩して寝込む事もず〜っとご無沙汰だから、そうなる事を思えばこういうのも「たまにはいいでしょ」(と開き直ってみる・・・)。

というところで、延び延びになってしまった演奏後記を。時間が経ってしまったので、感じた事より考えてみた事が中心です。

10月の富田さんのリサイタル、11〜12月の伊賀さん青木くんのコンサートにいらして下さった方々へ、改めて、ありがとうございました。どちらともすごい企画で、選曲からして大変気合いが入っていました。プログラム決定後に聞かされてびっくりしたのですが、富田さんは20世紀のチェロの作品とシューベルトのピアノ三重奏曲、伊賀さん青木くんは演奏される機会の少ないサン=サーンスの室内楽作品。あまり知られていない作品を紹介するのは大切な役目で、その上で一晩通じて一つの意味を持たせ、まとまった印象を与えるプログラムを組む事自体が演奏者の最初のメッセージ。そんな演奏会のお手伝いという事で、面白そう!とまず思ったのです。

とは言え初めての曲が多く、そんな訳で実は結構大変でした。単に「初めての曲を譜読みから始める」のが大変というだけではなく、作品と自分の距離についていろいろ考えさせられたのです。自分のリサイタルだったら今弾きたいもの、もしくは弾いた事はないけれど曲を通して何を表現したいか確信が持てるもの、選ぶのはこのどちらか。だから練習していても曲に近づけなくて悩む事はまずありません。実際に弾いてみた結果、どうやら近づき方が間違っていたかも?と思わされる事はもちろんあるのですが。

室内楽や伴奏のお仕事をしていてよかったなぁと思えるのは、新たな世界が開ける事(詳しくは2006年10月28日「内部奏法」をご覧下さい)。いろいろな作曲家に「出会えて」思うのに、やはり相性はある。でもまずは「会って」みなければ分からない。別に音楽に限らず何にでもそれは当てはまるけれど、そんな事を感じました。9月のソロのリサイタルでは徹底的に(?)分かり合えそうな曲だけを弾いたので、その心地よさとついつい比べてしまったというのもあります。でも現代曲はそんなに取り組んでこなかったので、お近づきになれるよう精一杯の事をしてみたつもりですが、それでも壁を破れなかった感が残りました。サン=サーンスもよく弾かれるピアノ作品はあまりないので、そういう意味では少し遠い存在でしたが、今回取り上げたのは充実した大きな作品で、練習し始めたらアプローチの道筋がたくさんあるのも分かりました。本番までの限られた時間の中でいろいろ試したつもりでしたが、1回目静岡公演より2回目東京公演の方が近づけた気がし、終わってみたら更に近づけそうな予感がしました。

こうやって書くと、結構考えていますね。前回に「普段は直感で弾いている」と書きましたが、感性だけでダメなら必死で考えるのです。また直感で理解できている気になっても、裏づけで考えてみたら間違いに気付く事もよくあるもの。考えて弾く事、解釈の重要性を教えて下さった先生方の教えの賜物です。

話戻して、まだまだ知らない世界があり過ぎると痛感したのです。かと言って、居心地のいいところに安住するのはやはり良くないし、勉強しなくてはならない事がこんなにあるのに・・・と。ひたすら毎日毎日120%頑張っていたら擦り切れてしまうけれど、一生の内に「頑張りどころ」が何回かある(数年に1回?)と思うのです。最近では、学校を出たての時に出したい音や伝えたい音楽のイメージがはっきりしてきたのに、思うような音を全く出せない事に気付いてテクニックをそっくり丸ごと変えた頃、伴奏助手していた時に新しいレパートリーを開拓し、ソロと違うアンサンブルの術を「盗もう」としていた頃。あの時が頑張りどころだったと思い出します。今は仕事にエネルギーを120%使っているけれど、勉強が果たしてどれ位できているか。誰にも平等に24時間しかないのなら今どうするべきか、そんな事を反省させられました(でも息抜きもどこかでしないと・・・)。

それだけ奥の深い世界だと年と共に気付くようになり、またどれ程それが深いのかを実感するようになる。この先ずっと飽きる事がないどころか、その深みにはまっていくんだろうなと思えば、それも又幸せな事です。

・・・という自分の問題はともかく、演奏できて良かったです。やはり新しい「出会い」は貴重。もしかしたら一生知らないままだったかもしれないのに、弾いてみたらいい曲と思えたのだから。いつか「再会」できた折にはもっとお近づきになれるよう努力します。もしかしたらそれは時が解決してくれる事かもしれないし。

さて、今年を振り返って・・・何とか無事に1年を過ごせてホッとしています。年々忙しさに拍車がかかり、不器用者代表としてはちゃんと仕事をこなせるか、それを思うだけでも実はストレスを感じていました。お仕事のあまりなかった昔から思えば大変ありがたい事なのですが、この神経の細さは何とかしないと・・・。演奏の機会にいくつも恵まれたのも嬉しい事でした。聴きにいらして下さる方があってこそ成り立つ事で、ありがたく思っています。学校のレッスンと授業では、最近「本当にこれでいいのかな?」と迷う事が多くなりました。この年齢になっていろいろな事が見えてきたからこそそう思うようになったのですが、「教える」事って難しいと思う今日この頃。そんな中、体がちゃんと健康でいてくれた事には助かりました。そして、全ての面で私を支えて助けて下さった周りの方には、本当に感謝しています。

今年もたくさんの方々にこのサイトにいらして頂き、本当にありがとうございました。ご感想メールを下さった方々にも心より御礼申し上げます。更新が滞りつつも何とか2年以上続いたのは、そのような温かいお励まし、そして友人たちの「どうしたの?」「まだ?」という催促のお陰です。来年も必死で更新してゆくつもりですので、どうぞよろしくお願い致します。

良いお年をお迎え下さい(あと1日だなんて・・・)。



2006年12月26日(火)       「理性と感性」

クリスマスも終わってしまいました・・・。

ここ2年ほどは追われていてクリスマスカードが書けなかったのですが、今年は久しぶりに送れました。お返事が書けずじまいだった手紙も。書きながら、「そうだ、いつもクリスマスカードや年賀状を書きながら、去る年の反省をし、来たる年の目標を考えていたっけ」と思い出しました。そう、今年は時の流れに身を任せて日々やるべきを事をこなすだけで精一杯、あまりにも考えてなさ過ぎ・・・。

普段は、どちらかというと理性が働く方、つまり「物事何でもまず考えてから」というタイプに見られる事が多いです。でも実際は違う。元々は感性で動く方、つまり「直感に従ってしまおう」というタイプ。例えばレッスン、何とか相手に分かるように伝えようとする為、普段直感で弾いている部分もいっぺん言葉に置き換えたりしています。そもそも音楽のように、感性で捉えるべきものを言葉に置き換えるのは無理がある。自分で「ちょっと理屈っぽい」と思う事もあるけれど。日常生活でも、いざとなれば直感で「ガッ」と動ける。ただそれで周りに迷惑を及ぼす時もあるので、行動を起こす前に考えるようにしています。例えば言葉を口にする前に、いっぺん頭の中でしゃべってみるとか・・・。

今読み返してみて、「なんて疲れる事を毎日しているんだか」なぁんて可笑しくなってしまいました。殆ど習慣になっているので、普段気に留める事もなくなりましたが。しかし、やはり「考えていない自分」は自分でない。こんな状態でいいの?

と思ったら、無性にピアノが弾きたくなりました。今はレッスンしている曲と合わせの曲だけで手一杯。ソロはすっかりご無沙汰です。最近いつも頭の中で鳴るあの曲を10ん年ぶりに弾いてみました。実は来年のリサイタルに入れるかどうか思案中。弾いてみれば、「やっぱりいい曲」!気持ちの赴くまま、他にも何曲か弾いてみました。わずか1時間だけでも、ちょっと自分に戻れた気がする・・・。

日付が変わったので、クリスマスの飾り付けを片付けなくちゃ。と思いつつ、インターネットでドイツの放送局を聞こうと思ったら、ちょうどクリスマス・コンサートが始まるところ。ヨーロッパはまだクリスマスなんだなぁと、あちらに住んでいる友人の顔を思い浮かべました。そしてリースを下ろし、小さなツリーのオーナメントを外しながら、これらをプレゼントしてくれた友人を思い出しました(クリスマスの飾りはありがたくも殆どが頂き物なのです)。ちょうどその時流れていたのはバッハ。不思議と静かな気持ちになれました。

世界のあちこちで辛い思いをしている人々が、皆幸せな気持ちでクリスマスを過ごせますように。1日も早くそんな世の中になりますように。心から祈っています。

さて、これでもうお休みなら良いのですが、今日は冬季講習会で学校にレッスンに行くのです。でも一番きついのは、クリスマスも返上して頑張っている受験生の皆さんでしょう。あと少し、頑張って〜。

今日のは、正にひとりごと・・・。



2006年12月23日(土)       「伴奏助手時代」

海外の友人や留学中の元生徒さんからクリスマス・カードが届き始めました。もうそんな季節です。

学校はやっと冬休みとなりました。試験が近づいてレッスンでも少しずつぴりぴりし始め(私だけだったりして)、室内楽の試験を聴き、公開レッスンで伴奏し、最近はそんな状況でした。というところで今年は終わり、ではなく今度は冬期講習会。まだまだなのです。

とある大学に、友人の生徒さんの編入試験の伴奏しに行ったりもしました。首都圏の音大は何かしらの用事で大体1度は行った事があるのですが、その大学は初めて。学校にはそれぞれのカラーがあるなぁと実感。それ位想像していたイメージとは全く違ったのですが、それもまた興味津々でした。そして改めて、洗足の雰囲気はやはりいいなぁと思いました。四季折々いろいろな花が咲き、緑を見ていると心が和みます。今、学内の紅葉も終わって木々はすっかり葉を落とし、真冬の寒々しい風景になっていますが、次に待たれるのは梅の花。試験シーズンの忙しい時期、ふと気づいた甘酸っぱい香りに「冬もじきに終わる」と思える時が結構嬉しいのです。

慌しい話を書いてもちっとも面白くないと思うので、最近あった「ちょっと嬉しい話」を2つ。

高校でのアンサンブルの授業、今は歌曲伴奏に取り組んでいます(詳しくは今書けないので、よろしかったら2006年3月23日「授業もライヴ」をご覧下さい)。今年の1年生も個性にあふれていて、毎週それぞれの演奏を聴くのもなかなか興味深いものです。今回は最初にイタリア古典歌曲から2曲、そして日本歌曲より「早春賦」、もう1つはトスティの「秘密(Segreto)」を選びました。声楽の先生のアドヴァイスも参考にさせて頂き、いろいろな曲想や伴奏型を持つ曲を選んだつもり。トスティには素敵な曲が多いのですが、実はこの曲、私自身のお気に入りです。「ある人を好きになったけれど、それは胸の奥に秘めておかなければならない」というような内容の歌詞、しかし曲は短調一筋ではなく途中で長調に変わり、そのメロディは本当に美しいものです。その中に存在する苦しみや悲しみなど音で表現するのは、高1にはまだ難しい・・・?とも思ったのですが、音楽にはメッセージがあり、基になる気持ちがあり、それを伝えるためにどうしたらよいか考えてほしいという思いがありました。今年最後の授業、皆一生懸命考えてくれてはいたのですが、音楽に結びつけるのにどうもピンと来ていないようだったので、先生にお手本として歌って頂こうとふと思い立ったのです。もちろん何の打ち合わせもなしでしたが快くOKして下さり、教室には素晴らしい歌声が響きました。生徒さん達は何か感じるところがあったようで、授業後は口々に声をかけてくれましたが、実は一番嬉しかったのは私。胸に迫るような先生の歌と共演させて頂けて、何だかじ〜んとしました。

母校での弦楽科の伴奏助手時代にお世話になった先生が、洗足にいらして室内楽の公開レッスンをなさるという事で、運良く時間が作れたので聴かせて頂きました。考えてみればあの時以来かもしれないのですが、しばらくぶりにお会いした先生の笑顔は健在でした。当時私は助手でしたし、それ以前にはデュオでレッスンして頂いた時期もあったので、一気に学生に戻った気分。先生業のストレスも一瞬忘れました。今回のレッスンは弦楽四重奏。ピアノの入る編成のレッスンならともかく、普段弦楽四重奏のレッスンを聴く事はまずないのですが、かなり面白かったです。弦楽器の響きは伴奏助手時代をいろいろと思い起こさせ、久しぶりに拝見した先生のレッスンも本当に懐かしく感じました。

洗足に来てからそろそろ丸5年。伴奏助手の3年間も大分前の話となりました。学生時代から人と合わせるのが好きでいろいろやっていたとは言え、いざそれが仕事となると全くのレパートリー不足。当時はお頼まれする曲がことごとく「初物」でした。曲を知っていても弾いた事がないものばかり。だからこそどんなに大変でも、できる限り新しいレパートリーを増やしていこうと思ったものでした。ピアノ・パートだけ弾いてあっても、合わせた事がなければ意味がない。何か1曲勉強する毎にどなたかにお願いして合わせて頂く事を思えば、期せずして一緒に演奏できるチャンスに恵まれるのはありがたく、その上学生さんのレッスンについて行けば、自分もレッスンを受けさせて頂いているようなもの。という訳で、ひたすらお引き受けしてレパートリーを増やして行きました。一番大変な時期でソナタ8曲程(大体が全楽章)同時進行、譜読みから勉強していった事がありました。学校で合わせをし、家に帰ってからさらい、楽譜を開いてCDを聴きながら眠ってしまう事もよくありましたが、いつか弾いてみたいと思っていた素晴らしい作品に取り組める嬉しさの方が勝っていたので(まるで名曲アルバムの如し)、全然苦にはならなかったのです。

試験シーズンは、毎日学校に朝から晩までいました(その点では今もあまり変わりがないけど)。当時はケータイを使う人が増えてきて、ポケベルを使っていた人もちらほらまだ居たというような頃。私がケータイを使い始めたのは助手を辞めてからなのですが、それは学校内では居場所がすぐにばれる(?)から持つ必要もなかったのです。弦楽科は1フロアにまとまっていて、廊下の片側にレッスン室、向かい側に練習室が並んでいました。いつもは伴奏助手の部屋で合わせをしていて、疲れると隣の教官室に行っては、沸かしたてのお湯で紅茶を入れて(!)お茶菓子をかじっていました。そんな時に伺える先生方のよもやま話も楽しく、皆さん素晴らしいユーモアをお持ちでした。そのどちらにも居ないとなればレッスンで伴奏している可能性が高く、廊下の端から端まで部屋を覗いていけばどこかで見つけられてしまうという状況。今でこそ合わせやレッスンの予定はケータイメールで連絡を取っていますが、昔は廊下に出て探せば学生さんは大体つかまえられたので、ケータイがなくても何とかなったのです。私自身、学生時代は授業が済むとすぐ帰ってしまっていたのですが、それは単に空き時間を過ごす場所がなかったというのもあるし、何となく自分の居場所がないような気がしていたせいもあります。学校に居る時間が増えて、学校が好きになってきたというのもあり?今思えば「いい時代」でした(今洗足でも同僚の先生に「学校好きでしょ」と言われるのは何故?)。

・・・といろいろ思い出してみればなるほど、今どうしてこんなに疲れるのか謎が解けました。昔は「伴奏」のみでレッスンも授業もする必要がなかったから。昔の通勤時間は今の半分。昔は小さい学校だったから学内で走り回る必要がなかった。昔はホッとできる逃げ場があり、あつあつの紅茶(お茶やコーヒーだった事も)が飲めた。何と言っても昔は若かったから。・・・なんて言っても仕方ないけれど。

話戻して、今の事。そんな時代があったからこそ、伴奏だけに集中できた昔とほとんど同じ位、今も学生さんの伴奏をお引き受けしているのでしょう。それ以外の仕事もあるのに何故今も?と聞かれても、うまく答えられません。こちらでは大体がサックスの伴奏で、そのレパートリーも増えつつあるところ。どのように合わせるか、どのように音楽を一緒に創っていくか、そういうコツは以前より飲み込めてきたので、何とかやっていけているのでしょうか。

遠い昔、「ピアノのおけいこ」という番組に出させて頂いていた頃の出来事。確かお正月の特別番組で、出演者全員がラヴェルの「マ・メール・ロワ」のどれか1つを弾く事になりました。そこで「パゴダの女王レドロネット」を、ありがたい事に先生と弾かせて頂ける事になったのです。亡くなられた師匠の井上先生と一緒に弾かせて頂いたのは、後にも先にもこの時だけ。大切な思い出です。本当のところはついて行くだけで必死なはずなのに、とにかく楽しかった・・・。先生の音楽の世界へ連れて行って頂けるような気がしたのを覚えています。

他の楽器のレッスンに伴奏でついて行った際も、「ちょっとお願い」と言われて、先生の模範演奏にご一緒させて頂ける事があります。そんな時も思うのです。合わせの魔力・・・いつもできない事ができるようになり、未知の世界に手が届く感じ。ほんのひととき、幸せを感じます。私がそうやって新しい何かをつかむ事ができたように、何かを見つけるためのお手伝いができたら。そして私自身沢山の先生や先輩から教えて頂いた事を、また伝えてゆく事ができたら。・・・こんな言い方はおこがましいけれど、それが学生さんの伴奏のお手伝いをしている理由かもしれません。私の方が何かに気付かされ、教えられる事も多々あるのですが。

この連休はやっとカラッと晴れるらしいですね。冬はやっぱりこうでなくっちゃ・・・。



2006年12月11日(月)       「言う事をきく手」

またもやご無沙汰しております。パソコンはその後すっかり元気になりましたが、私が最近ちょっとお疲れ気味。ここはどこ?今はいつ?みたいな妙な感覚を味わっています。

この半月ほど何をしていたか、思い起こしてみてもあまり実感がありません。先々週は毎日殆ど寝る暇がなかったけど気持ちが張っていたのでバリバリに動けたし、先週は疲れきっていたので毎日帰宅後ぼぉっとして動けなくなり、いつ寝てどうやって起きて学校へ行ったかあまり覚えていないし・・・。

先々週は普段の学校の仕事に加えてサン=サーンスの合わせと本番、公開レッスンの伴奏、オーディションの審査、コンサートの前日にはピアノ科同窓会(11月7日分をご覧下さい)があり、当日に間に合うように近況報告集と住所録を作り、来られない人には郵送し、またその間にパソコンの調子が悪くなり・・・ま、過ぎてしまえば全て「何とかなってよかった!」で終わるのですが。先週は高校はいつも通り、大学は追加補講のレッスンと室内楽試験を控えてのレッスン、学校の「音楽祭」のコンサートを含めて夜は演奏会巡りが続き、又ずっとお休みを頂いていたプライベートの方のレッスンもびっしり・・・という具合でした。

授業やレッスン、合わせ、コンサートなどひっくるめて、とにかく毎日10時間とか音楽に接していると、さすがにオフの日はピアノをさらうのも(オフにしかさらえませんが)、音楽を聴くのも、音楽について考えるのもしんどくなるものです。本当に好きだったら大丈夫なのかな?自分が変?とも考えてみましたが、ま、この反応は人間として普通だろうと、あまり深く考えない事にします。幸い今年の「本番」は全て終わったので(・・・と思って手帳を開いたら、そうだそうだ、まだ2つ伴奏がありましたが)、さしあたって弾けなくて間に合わなくてびくびくする心配はない。ホッとします。

ところで、サン=サーンスの本番もお陰様で無事終わりました。いらして下さった皆様、どうもありがとうございました。富田さんのリサイタル含め、早く演奏後記を書かなくてはと思っているのですが、今どうしてもそっちの方に気が向かないので・・・ごめんなさい、しばしお待ちを。

そんな中行われた同窓会は、バタバタしている日常を一瞬忘れさせてくれる威力がありました。たまたま今回参加してくれたメンバーは殆ど全員が高校から一緒。テーブルに座っている様子を見て、ふと思い出した事があります。高校での合宿(テニスやスキー、そして臨海学校)の食事時の光景、あの時と殆ど変わらないと思ったら、何だかとても可笑しくなりました。民宿で一緒に寝泊まりし、格好悪いところはお互い知り尽くしている仲、横長のちゃぶ台(?)を前に日焼けして真っ赤になった顔が並び、食欲旺盛でおかわりしまくっていたような記憶があります。長い時間が流れたけれど今も皆全く変わらず、こういう仲間がいる事そのものが貴重。突っ込んだ話は特にしていないけど、みんな頑張っているんだなぁと思っただけで自分も頑張れる気がしたのでした。

しかしうちの学年のピアノ科、やっぱりちょっと普通でない・・・。

さて、話変わって、先日、本番の真っ最中に変な事を考えました。学生時代から考えると、1曲目から随分と手が言う事をきくようになったなぁ、と。えぇと誤解のないように注釈つけますと、これには2つの意味があります。1つは、求めている音色を出す為に指をどう使うか、最初から意識できるようになったという意味。もう1つは、曲頭で手の筋肉が固くなっていて動きが鈍い事が減ったという意味。こんな事を書くと「昔はいったい?」と思われてしまいそうですが、いい演奏ができるように「精一杯やってみる」のが全てで、何が苦手なのか、だからどのような事を普段から心がけ、また本番にはどのように臨めばいいか、そんな事まで考える気持ちの余裕もなかったのです。

サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ1番、のっけからテンポの速い細かい動き、おまけにヴァイオリンより音数がずっと多いのに弱音で弾かなくてはならないのです。ソロのリサイタルだったら最初はテンポが速くない曲とか、指の慣れているタッチで弾ける曲を持ってくるようにしてしまう事が多いのですが、お頼まれのリサイタルの伴奏だとそんなわがままを言う訳にもいかず(当たり前!)、何とか自分をなだめすかし、そして奮い立たせて(?)弾く羽目になります。責任感からか恐怖心を感じる事もあまりなくなりましたが、いやぁソロだったら1曲目は怖いだろうな〜と舞台上で考えている自分がいました。

もちろん、弾きやすい状態に調整してくださる素晴らしい調律師さんがついていて下さるのが、そんな状態でも切り抜けられている一番の理由です。以前に、舞台の上で一番恐れている事は何だろう?と考えていました。何故アガるのか、何故いつもと同じようなレベルの演奏ができなくなるのか、その答えを探しながらいつも考えていた事です。人によって答えは千差万別でしょうけれど、私の場合は予期せぬ音が出てしまう事や予期せぬ現象が起きてしまう事を一番恐れている、と気づきました。例えば粒を揃えたいのに音の大小や音色の差異が目立ってゴツゴツしてしまうとか、スタッカートの歯切れが悪くなったり逆に音が抜けてしまうとか、イメージと全然違う音色が出てしまうとか、普段絶対しないミスをするとか、体や腕のバランスがうまく取れないとか。ピアノがいい状態だと、普段なかなかできなくて苦労しているのに何故かできてしまう時があり、そうやって助けられる内に気分が乗ってくるのです。

昔に比べれば、いろいろな音色のイメージが持てるようになり、そしてどうやったらそういう音色が出せるか少しずつ分かってもきました。でもいいピアノやいいホールにはどうやってもかなわない。もしかしたら、昔より手が言う事をきくようになったのは、実はいい状況で弾かせて頂けるようになったから?そんな風にも思います。

もう1つの問題、手の筋肉が固まらなくなってきたのはどうして?冬場に手がかじかまなくなったのも関係あるような気がします(実は最近暑がり)。冬も試験シーズンの伴奏でいつも弾いているからかもしれませんが、かつてあれだけの末端冷え性だったのに自分でも不思議。寒くて動かないという事は殆どありません。手先をホッカイロで温めるのはあまり意味がなく、指先に回る血液が温まるように体や腕を温めるべき、という説を聞いた事があり、試してみたら正にそんな気がしました。そしてビタミンEが冷え性に効くと聞いてから気をつけて摂るようにしていますが、意外にそれが効いているのかも。冬は入試や学年末試験のシーズン、寒さが演奏に響かない事もかなり重要な条件のような気がします。以上2点、冷え性に悩んでいる方はぜひお試しあれ。

後は・・・少しは本番が自分に近い存在になってきたのかも。でも決して慣れたという訳ではないのです。舞台には魔物が棲むというし、どんなにたくさんシュミレーションしてみてもありえない事が起こるもの。でも何かが起こるのが普通と思えたら、ほんの少しだけ気楽になり、そして客観的に自分を見つめてどうすればいいか考えられるようになりました。対策を考えたからってうまくいくものでもないし、何だか今日は変?という時もあるけれど。でも、それが手が言う事をきいてくれるようになった理由かもしれません。

あぁぁ長い1週間がまた始まります。冬寒いのは仕方ないとしても、せめてしっかり毎日晴れてほしい・・・。


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