ひとりごと(2005年6月分)

2005年6月24日(金)     「夏至」

・・・今日が夏至、という意味のタイトルではありません。念のため。

しかし今年の夏至は晴れましたね。私の知っている限り「晴れた夏至」ってあったかな?暮れなずむ夕焼けが本当に綺麗で、こんな梅雨の最中に見られるなんて幸運!と思いながら、しばし見とれていました。自然の作り出す美にかなうものはないと、そう思います。

今年の梅雨は晴れる日もあるので助かってはいるけれど、梅雨の時期のこの湿気は苦手。暑さ自体はかなり平気ですが、湿度には体が負けます。ピアノの機嫌も悪いので、エアコンの「ドライ」が大活躍!また天然パーマがとんでもない事になっちゃって・・・。昔パーマをかけていた頃は「なんてパーマの持ちがいい髪なんだろう」と思っていましたが、ある時それは本来の癖毛である事が判明。最近は天然パーマで頑張って(?)います。さらっとしている季節にはいい具合にウェーブがかかるので。

やっと音楽を離れた事も書けるようになりました。とは言え、生活の99%位は音楽になっている。ここまで来るとさすがに、1日位は音楽を離れ何もしないでぼぉっとしたいと思うものです。好きな事を仕事にしているのだから、ないものねだりですが。

数日前の夜の帰り道、疲れ果てて最寄り駅で電車を降り改札へ向かっていたら、肩をポンと叩く人がいる。こんな時間に呼び止める人なんていたっけ?怪しいなと思いつつも振り返ると、小学校以来長い付き合いの幼なじみでした。最後に会ったのは3〜4年前。それでも不思議と、彼女だけは時間の流れにおかまいなしに昔に戻ってつきあえる、そんな貴重な存在です。お互いこの辺りの下町をぞっこん気に入っている者同士、確か彼女もチャキチャキの、もしくはチャキの江戸っ子のはず。ちなみに「チャキの江戸っ子」というのは、3代目ならぬ2代目半の江戸っ子の私が勝手に作り出した造語。下町で生まれ育った人は、初めてでも雰囲気で何となく分かるものです。

そんな訳で価値観や感性の似ているところがあるのですが、二人で「最近ここも味気ない普通の街になりつつあるね」と話したところ。近隣にマンションがこの1年程の間たくさん建ち、広かった空が狭くなってゆく・・・。なんて言い方は安直にしてはいけないけれど、でも子供の頃から馴染んできた「空が広がっている光景」が変わってゆくのは寂しい。広い空の下、狭い路地が複雑に入り組んで、路地裏には植木鉢が並び、そこを器用にすりぬけながら猫が闊歩し、ところどころに在るレトロな建物が街に妙に調和している。街の人も気さく。懐かしいものにこだわれるのもこの街生まれだからかなと、ふとした時に思ったりします。

一応小さな工場の多い「街」なのですが、空き地があったり川も近かったりするからか、いろいろな生物がみつかります(自然に恵まれているって事?)。一番びっくりしたのは10年程前に見たオケラ。図鑑でしか見た事のないオケラがこんな街中にいるなんて・・・。例年の事ですが、今の季節はショウリョウバッタが大発生。うかうかしていると葉っぱが穴だらけになります。ぴょこぴょこ跳ねるバッタを捕まえるのも得意(空き地に逃がしています)。ミントやバジリコなどハーブが特に好物らしい。今年は百日草にも手をつけられました。コガネムシも今頃羽化してきます。冬の植え替え時に幼虫がよく見つかるけれど、一体どこから来たんだか・・・。最近困るのが蜂。一昨年位からスズメバチが、今年は熊蜂(だと思う、スズメガではないので)も良く来るので、水やりも命がけ(だって怖い)。いろいろなトンボがよりどりみどり飛び交う秋は壮観です。

なんだかんだと言っている内にもう7月も目の前。慌しい前期も7月下旬に終わるとあって、これまた数々の試験など含めて目まぐるしい忙しさです。ここの学校は後期が9月(それも入ってすぐ!)からで、前期に比べ割とゆとりを持っていろいろなことに取り組めるのですが、「・・・ということは」?夏休みもあっという間に終わる・・・?



2005年6月19日(日)     「リサイタルの回想」

結局今週も書けなかった・・・何だか訳分からず、とんでもない忙しさでした。リサイタル後の事務的な仕事が片付かないまま「いつもの生活」に突入し、たくさんの伴奏を抱えているという自覚もあまりないまま、譜読みと合わせに追われています。今まで使っていた楽譜とこれから使う楽譜を整理して入れ替え、いつに何を弾くかという一覧表を作らないと、不器用なもので頭の中をリセットできないのです。高校では教育実習期間で何となくこちらも緊張し(指導するのはともかく、授業を見学されるのはやはり慣れていないので)、また同僚の先生の代講もいろいろお引き受けし(これはお互い様という事で)、学生さんの試演会を企画して準備し・・・殆ど家にいないし、全然寝ていないし、多分脳味噌と気持ちが休まらないのでしょう。

一昨日久し振りに丸一日家に居られました。本当に毎日寝不足(歩きながらでも寝られる位)だったので、昼過ぎまで寝ようと思ったのに予想外で早々と目覚めてしまい・・・。どうしても食欲が沸かないので「冷製トマトのパスタ」を作りました。お手軽なのと酸っぱさで少しは食欲が復活するかと思ったまで。紫玉ねぎがあったのでそれをみじん切り、ニンニクは生だと匂いがきつそうだったのでチューブ入りを使用。それをトマトの水煮缶(カットされたものを使うと簡単)と混ぜたものがベースです。具はアレンジ可能ですが、今回はツナ缶とマッシュルーム缶で。バジリコは生があれば美味しいけど、家のはまだ芽が出て間もないので青ジソで代用。味付けはオリーブ油(赤唐辛子とローズマリー入り)とバルサミコと塩コショウですが、いつもイマイチ間が抜ける。そこで昨日はたまたまあったハーブ塩(お試し用)と瓶入りドライトマトペーストを入れてみたら、ドンピシャでいい塩梅でした。つるっと食べられて食欲が少し復活!

まずは延び延びになっていたリサイタルの話から。

改めて、いらして下さった皆様、どうもありがとうございました。お陰様で今回も何とか終える事ができました。

やっと当日の録音を聴く事ができました。まさか細切れに聴く訳にもいかないし、まとまった時間が全然取れなかったというのもありますが、正直なところ怖くて聴けなかったのです。いつもの事ですが、自分の録音を初めて聴くのは嫌なもの。自分で思っているのと客観的にも変わらない演奏が出来ているという確証があれば、(演奏の良し悪しに関わらず)安心して聴けるのですが、同じなのか違うのかも分からない。でもこれを聴かない限りは先に進めないと思って勇気を出して聴いたら、当日と同じ位どぉっと疲れが押し寄せてきました・・・。

今日までに思った事や考えた事はたくさんあったけれど、ふっと頭の中に浮かんで消えてゆくそれらを一つ一つ書き留めている訳ではないので、忘れてしまった事もあります。「ひとりごと」に一体何を書けばいいのか随分迷いました。終わってしまった事(演奏そのもの)に対してここで何か書くのは、言い訳するようで好きではないので、少しだけ。

今回のプログラム、字面では味も素っ気も無く、「トッカータ」に「ソナタ」連続3曲。これでひいてしまい、「今回はパス!」と思われた方もいらっしゃるだろうなとは思いました(だとしたらごめんなさい)。確かに見た目は良くないですが、それでも時代の違う偉大な作曲家の作品、いろいろな味わいで「プログラミング」としては悪くはないと自分では思っているのですが・・・聴いて下さった方へ、(恐る恐る)いかがでしたでしょうか?

もし私がクラシック以外のコンサート、あるいは・・・例えばお芝居、歌舞伎、寄席などに行く時は、きっと知っている曲や演目があったら嬉しい筈。だからいつもは馴染み深い曲も少し入れるようにしています。でも素晴らしい作品なのにポピュラーでないが故に、誰かが演奏しなかったらいつか消え行くかもしれない運命を背負っている作品もあるのです。100%自分の望むプログラムで弾かせて頂けるのは自主企画位ですが、なかなか他の曲とベストな組み合わせができない作品もあり、そんな訳で何年かに1度はちょっとマニアックなプログラムにさせて頂いています。もちろん私自身その作品が気に入っていて、ぜひ弾きたいと思うからこそですが。

弾きながら何を考え何を思い、そしてその時々に何が起こったかは大概はっきり覚えています。「いろいろな事」が起きるものです。頭の中で冷静に対処法を考えていた自分もいれば、曲の中にしっかり入り込めていた自分もいる。亡くなられた師匠(井上直幸先生)の言葉がふと思い出されたり・・・。一口では説明できません。ただ言える事は舞台はナマモノであり、そして何が起こるか分からないという事。いい意味でも悪い意味でも。

頭と心と体のバランスが取れていればうまくいくのは分かっていますが、それは人為的に作り出せるものでもない。もちろん最大限の努力はしていますが・・・。自分でも時々不思議になります。これだけたくさんの音を頭の中に詰め込んで、よく10本の指と2本の足が間違いなく動いてくれるなぁと。全く無意識に何か導かれるように弾かせてもらえる時もあれば、一晩の流れや作品の構成を大まかに考えている時もあるし、頭の中のスクリーンに映し出された楽譜を1枚ずつめくりながら暗譜に躍起になっている時もあるし、それぞれの場面で以前に考えた事やイメージを思い起こす時もあるし、ホールの響きを聴きながら指先のコントロールを微調整している時もあるし・・・演奏するって、つまりはどんな事なんだろうと自分でも分からなくなります。子供の時から今まで続いているからこそ、深く考えずできる部分もありますが・・・。

例年と違って今回強く感じた事、それは作品の凄さ、素晴らしさ。現在の状況で許されるだけの時間を取ってピアノに向かいましたが、弾けば弾くほど自分の器の小ささがあらわになっていくような、不思議な感覚を味わいました(以前にも書きましたが)。「畏怖の念」と言えばいいのでしょうか。大好きな作品だから本来だったらピアノに向かうのが嬉しくて仕方ない筈なのに、弾けば弾くほど恐れ多くて怖くなる、そんな感じでした。でも私も年を取ったのかな・・・10年前にベートーヴェンの作品110のソナタ(最晩年の作品)を弾いた事がありましたが、その時は頭で分かっていてもあまり感じなかった。若気の至りとはこういうものかと、今改めて思った次第です。

もちろん全曲大切な作品ですが、シューベルトには特別な出会いを感じました。ピアニストには幸いな事に、一生かかっても弾ききれないほどのレパートリーがありますが、それでもかけがえのない存在となり、一生弾き続けてゆく事になる作品はそう多くはありません。それは「作曲者のメッセージを心から理解でき、そして尚且つ自分の想いをのせる事が出来る曲」という意味です。私にとっては例えばバッハのゴールトベルク変奏曲、シューマンのクライスレリアーナなど。まだまだお付き合いは浅いのですが、シューベルトの最後のソナタもそんな作品になりそうです。

最近授業やレッスンで学生さんに尋ねるのですが、「管楽器や弦楽器ではできるのにピアノに出来ない表現は?」。私は良くも悪くもピアノは打楽器だと思っているのですが、フレーズの最初の音を呼吸をするかのように何気なく始め、そして一つの音の中でふくらませて行く事、これがピアノでも出来たらなぁと常々思っています。それが無理だからこそ、本当の意味でのレガート(音を滑らかにつなげる事)も難しいのですが。ただ耳の錯覚と少しのテクニックを駆使して、それらしき表現を真似する事はできる!シューベルトの本質はやはり「歌」だと思っているので、そんな表現が更に上手にできたら・・・いつも目指している事であり、そして今後の課題です。

そしてこれも特に今回感じた事ですが、ソロは孤独・・・。舞台に出て行くのも一人なら、頼りになる楽譜がなく、更に自分の楽器で弾けないのです。室内楽や伴奏では絶対にあがらないのに、ソロで緊張感や不安にさいなまれるのはなぜ?と考えて、思い立った原因はこれ。自分の中のバランスを取るために、ソロを弾く事も私には必要不可欠で大きな意味のある事ですが、やっぱり人と一緒にアンサンブルする方が楽しい。本番直前はそう思いました。自分の性格上「明るく楽しい曲」は苦手ですが、アンサンブルではそういう曲を弾きたい。音楽って本来はそういうもの?何だかまた訳分からなくなってきました・・・。

それでも、きめの細かな対応ですっかり私を安心させて下さるマネジメントの方々、初めてのピアノという不安を最大限に打ち消して下さるばかりか、イメージしている響きを作り出せるよう万全にピアノの調子を整えて下さる調律師さんには、いつもの事ながら十二分に助けて頂いています。心より感謝しています。

人前で演奏する度にたくさんの課題がみつかるものですが、今回新しく気付けた事もいろいろあり、次回につなげていきたいと思っています。それにしても客席からの温かいエールには本当に救われています。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

・・・今読み返してみても話の中身が漠然としています。肝心要のところを外しているみたいですが、自分の事なのでどうも主観的にしか捉えられなくて・・・。リサイタルのご感想をお寄せ頂けましたら、とてもありがたく思います。ご質問等ありましたら可能な限り(答えたくない恐ろしい質問があったら・・・?)お答えしようと思います。よろしくお願い致します。

何度もすみませんが、やっとこの「ひとりごと」が書けたので順次頂いたメールにお返事書かせて頂きますね。お待たせしてすみません。

話変わって、リンクに3件追加しました。ホームページを作っている最中、もしくはこれから作ろうと思っているという友人などに質問される事が増えてきたのもありまして、私が参考にさせて頂いたサイトをリンクさせて頂きました。

このサイトは、パソコンに関しては全く素人の私がホームページ作成ソフトを使って作っているものです。数年前に友人が、学校の課題で私を題材にしてホームページを作ってくれた事があって、それもとても参考にさせてもらっています。難しい事は全く出来ないので、「せめて見やすいページを」と思っているのですが、大体こんなに長々と「ひとりごと」を小さい字で綴っている事自体が、見難い点かと反省。でもパソコン歴3年半の素人の私がこれ位は何とかなるんだから頑張って!と、そう言いたいです。

アクセスカウンターが増えていく度に、早くリサイタルの事を書かなきゃと気が重かったのですが、何とか書けてホッ。外はすっかり明るいです。しかし天気は悪そう。今日はちょっと朝は遅くていいものの、移動も長いし大変な1日です。少し寝てから今日の本番の曲をさらわなきゃ・・・。



2005年6月12日(日)     「名前」

やっと1週間が終わった・・・とにかく今は何も考えずに寝たいです。ピアノを弾く事を中心にした生活を送っていたなんて信じられないほど、生活が様変わり。毎年の事ですが、日常に押しつぶされるような日々が一気に戻ってきました。メールを下さった方へ。ごめんなさい。有り難く読ませて頂きましたが、お返事はこれから書かせて頂きますのでしばしお待ちを。

今はとにかくぼぉっとしたいのが本音ですが、リサイタルの準備に時間がかかるのと同様で、終わった後にしなくてはならない事が実は結構あるのです。でも家に居ない日の方が断然多い。学校に行く日は丸一日滞在(といっても空き時間は殆どない)しているし、伴奏の仕事で出かける事も多く・・・さすがに疲れて夜中に練習する事は出来ないし、毎日の生活の中で大事にしなくてはいけない普通の事がなかなかできず、「ちゃんと生活できていない」というフラストレーションが溜まりつつあります。我ながらそんな中、練習時間をひねり出せたのが不思議。

そんな訳で結局録音も未だ聴けず、自分の中できちんと整理ができていないので、リサイタルの事は又改めて(なんて言っている内にほとぼりが冷める?)。その場での思いつきで書く事ならできますが、私の中ではやはり1回1回の演奏はとても大切で、それと同様にこうやって文章にまとめてお伝えする事も大きな意味を持っているので。

さて、勤めている高校が明日から教育実習期間に入るのですが、教科担当で学生さん一人の指導をさせて頂く事となりました。そうやってお手伝いするのは昨年が初めて。今年は少し私も慣れました。今は授業計画表を見せてもらって「どんな授業をするか」にアドヴァイスしていますが、それは私も今手探りで試しているような事・・・面白い授業、生きた授業をするのは本当に本当に難しい事だと実感しています。私自身母校に教育実習に行ったのもいつの間にか遠い昔の出来事に・・・。音楽高校で実技レッスンを受け持つ事はあっても、教壇に立つ事(中身は音楽科目の実技ですがクラス授業なので)は全く想像できなかったので、こうやって実習生の指導に携わる立場になっているのが何か信じがたい感じ。私も授業にやっと馴染んできたようなところなのです。3週間の長丁場、体に気をつけて頑張って!

授業といえばまず「顔と名前を覚える」事から。学生時代はどういう訳か人の顔と名前を覚えるのは得意でした。中学の時分の同期240名も今もちゃんと覚えているし、高校の1学年40名プラス先輩後輩、大学の同じ学部の同期250名も覚えている。名前は漢字で目にする方が覚え易いです。今は毎年100名弱、新しい学生さんに出会います。残念ながら記憶力がいくらか落ちたけれど、名前を覚えてもらえるのは私でも嬉しいので、頑張って覚えています。語学も同様に覚えられたら嬉しいけれど・・・。



2005年6月5日(日)      「リサイタル終わって」

一昨日のリサイタルにはたくさんの方々にお出で頂き、本当にありがとうございました。お陰様で今年も何とか終える事ができました・・・。そして早々にたくさんのメールも頂きました。とても励みになっていますし、わざわざお時間を取って書いて下さる事、嬉しく思います。心より感謝しています。

いつもの事ながらリサイタルが終わったら、結局明るくなるまで起きていました。いろいろ片付けたりしているとどうしても朝になってしまいます。神経が高ぶっているのでどちらにしろ寝られませんが、頂いた花束のラッピングを外してまずバケツに活け、そしてプレゼントの包みを開けてメッセージカードを読む(ありがとうございます!でも手ぶらでただいらして頂けるだけでも、充分に嬉しく有り難いです)。外を見て明るくなってきたら、訳分からない頭のままで「とりあえずは寝よう」。目を閉じても演奏の最中の一瞬一瞬がふっと思い出されてきて、それでも眠れない。

プログラムを全部弾き終えた時に目に入る客席の様子、拍手の響き、その空気・・・一番印象に残るのはその時です。毎回その瞬間にほんの少し安堵し、そして反省が頭の中をよぎり・・・いらして下さるお客様あっての事だし、客席から届くエネルギーに助けて頂いて最後まで何とか弾けたなぁと、それを肌で感じています。

当日演奏前、演奏中、そしてその後今に至るまでいろいろな事を考えました。いつもなら相当時間をおいて考えがまとまったところでご挨拶状をお出しするのですが、ホームページというこの場ではさすがにそれは時間が空き過ぎ。でももう少し時間を下さい。気持ちがニュートラルになったら改めて書かせて頂きたいです。

さすがに今回翌日は休みにしましたが、うっかりしているとまたまた怖い目に・・・?リサイタル終わったら譜読みするから、と言いつつ引き受けた伴奏譜がどれ位あるか、まずその辺の整理から始める必要がありそう。今月終わりから7月いっぱいにかけてかなりあり、秋はリサイタルの伴奏や室内楽がいろいろ、そしてオケと合唱とピアノという興味深い編成でベートーヴェンをボッセ先生の下、弾かせて頂ける機会を頂きました。とても楽しみ。

話はガラリと変わり・・・リンクしていた友人K子のサイトが、諸事情で閉鎖する事にしたそうです。面白い日記を私自身も楽しみにしていたので残念ですが、そんな訳でリンクより削除しました。そして新たに2件追加しました。「FM CLUB」は私も購読しています。FMでコンサートのライヴが聴けるのは大変ありがたいものですが、その情報のチェックに欠かせません。良かったら購読してみて下さい。「美ら島物語」はゆっくり時間をかけて読みたいサイトです。沖縄といえばまず海ですが、沖縄料理は体が求めている味で「それもどき」を作る事もあり(忠実に再現は私にはまだ無理・・・)、又沖縄の文化にもとても興味があります。そして壁紙ラインナップの充実度にはびっくり!

お気づきの方もいらしたかもしれませんが、今回のリサイタルのドレスの色は南の海の深く美しい碧色をイメージしました。ここ数年は神経がやはり相当疲れるのか、目にしたい色は海の青だったり山の緑だったりするのです。好きな色と似合う色が必ずしも重なる訳ではありませんが・・・。本当に好きな色は白(自分にとっての原点はバッハ・・・というのと同じような感じ)。そしてヴィヴィッドな色やパステル系の色よりは、シックな色調なら何色でも好きです。

家に小さい鉢の山椒が4本あります。その山椒が今年初めて花をつけて、今小さい実がなったところ。山椒は雄株と雌株に分かれていますが、もう何年も育てているのに雄花も雌花も今年まで1度も見た事がなかった。春先に初めて花を見た時は感激でした。そこに今、アゲハの幼虫が6匹います。しょっちゅう親蝶が飛んできて偵察しているなぁと思ったら、いつしか卵が産み付けられていて・・・昔は鳥に食べられないように、家の中で蝶々になるまで世話していましたが、最近はなかなかそれも出来ず自然に任せきり。ちゃんと親になって欲しいのは山々ですが、この感じだと葉が持つか・・・終齢幼虫(青虫)になると食欲旺盛で、あっと言う間に丸坊主になってしまいます。木より虫の方が心配です・・・。


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