ひとりごと(2005年5月分)

2005年5月30日(月)     「光と影」

もう後数日ともなるとどういう訳か肝も据わります。ジタバタして「出来る筈の事も出来なくなる方が怖い」というのを、この年になるとさすがに悟るのでしょう。別に準備が間に合っている訳ではないのですが・・・。

練習しながらいろいろな事を考えます。今回弾くシューベルトのD.960のソナタ、心の奥に染み渡るような本当に素晴らしい作品ですが、これはわずか31年の人生を駆け抜けた作曲家の、「最後の」ピアノ・ソナタです。楽譜だけ見てもかなり特別。p(ピアノ・・・「弱く」の意)とpp(ピアニッシモ・・・「大変弱く」の意)が曲全体のどれ位を占めているでしょうか?f(フォルテ・・・「強く」の意)にはなかなかお目にかかれません。特に第1、2楽章は、この世の人が書いたとはとても思えない天から降ってきたようなメロディが、至るところで聴こえます(時折生身の人間の「声」も聴こえますが)。シンプルで音数も少なく、光と影の間を揺らめきながらいつしか消えてしまいそうな存在。限りなく美しいのに何故かとても悲しい・・・子供の頃からそんなところに魅かれていました。うまくしたもので、第3、4楽章でちゃんと現実の世界に帰って終われるように(私にはそう思えます)なっていますが、昔はそれがどうも理解できませんでした。どうしてあの雰囲気のまま最後まで書いてくれなかったのだろう、と。それでは聴いていらっしゃるお客様がキツイ(弾く方は天国ですが)でしょうし、シューベルトの「まだ生きたい」という気持ちがそうさせたのでは?それに、これで曲全体としてのバランスは取れているなぁと、今は納得して弾いています。

とは言え、ただ「綺麗」だけでは終わる曲ではありません。あの世からお迎えが、それもすぐそこまで来ているとシューベルトはうすうすと感じていたのではないかと思うのです。死の直前には、このソナタを含めてかなりの数の傑作を書き遺しましたが、人間の成せる能力の限界をはるかに超えています。シューベルトが長生きしたらどんな作品を書いただろう?とも考えてみましたが、ちょっと想像できない・・・。話を戻しますが、生への執着、葛藤、諦め、その他さまざまな想いが、曲中ふと聴こえる時があります。

先日学校の図書館で調べ物をしていたら、偶然シューベルトの3つの遺作のピアノ・ソナタの自筆譜ファクシミリがあるのを見つけました!何故だか開けるのにドキドキ。予想に反して全曲全てのページが揃っていた訳ではなく(1曲1曲があんなに大作だから無理か・・・)、又D.960のソナタはアイデアの段階での自筆譜のみ。しかし言葉を失うような迫力がありました。正直言って、とても一目で判読できるような感じではないのです。曲を知っているので音を追えるけれど、そうでなかったら多分分からないほどペンの勢い、速さがありました。だからこそ、「今頭の中に鳴っているこの音楽をすぐに書き留めなければ」という強い想いが、痛いほど伝わってきます。もしかしたらシューベルトは、あの世からのお迎えの声におびえながら急いで書いたのかな・・・とも思いながら。シューベルトの自筆譜を見たのは殆ど初めてですが、ちょっと印象が変わりました。

今まで書いたのはあくまでも私自身が勝手に感じている事です。それはともかくと、作曲家の想い、そしてそこから生まれた素晴らしい音楽を、出来る限り再現したいと思いつつ弾いています。そんなシューベルトを聴きに(もちろん他の作品も)、6月3日はお時間がありましたらぜひいらして下さい。

話変わって・・・いつもの「珍しい野菜のお任せセット」で、ルバーブが届きました。一昨年、昨年でその美味しさにはまり、「待ってました!」。ジャムでご存知の方もいらっしゃると思いますが、元の姿は直径1.5センチ程度の「ただの葉柄」。20センチの棒状にカットされてテープで束ねてあり(葉っぱは食べられない?)、知らなかったらうっかり棄ててしまいそうなほど、愛想がない形状。それが淡いグリーンの甘酸っぱい美味しいジャムになるのです。ざくざくと2センチ程度に切り、砂糖と水で煮詰める。普通のジャムの作り方と一緒です。面白いのはあれだけ硬く筋張ったものが、煮込んでいく内に溶けてしまう事。何か実験をしているようです。私にとってジャムは、パンに塗るより「甘いものが欲しくなった時になめるもの」。1週間もしない内になくなりそう・・・。




2005年5月23日(月)     「薔薇の季節」

リサイタルまでついに2週間を切りました(週の半分弱はまともにさらえない事を思えば残り1週間?)。そんな訳で、何か書こうと思えば全てこの話題になりがちですが、練習の過程で考えた事や練習そのものの状況を今あれこれ書くのは、何だか弾く前に言い訳をするようで・・・。

切羽詰まっているのも毎年の事ですが、「切羽詰まり方」(という日本語は変!)の種類が今年は全然違います。練習してみるまでは分からなかったのですが、あまりにも作品の内容が深く、そしてあまりにも作曲家が偉大であるが故のこと。・・・と書くと誤解されてしまいますが、もちろん毎年採り上げているさまざまな作曲家、皆さんすごい方ばかりです。でも今年のプログラムは特に、ひらめきや感性だけでは弾けない曲ばかり、音の一つ一つに込められた作曲家の想いが楽譜上に溢れ、その上自分自身の内面も問われているような気がします。もし出来る限りの時間と気持ちを注ぎこんでさらったとしても、結局は曲の重みに対して自分の薄っぺらさでは到底かなわず、時間欠乏症で本番を迎えるような、そんな気がします(・・・う〜ん、どうも言い訳っぽい)。でも、それ程の素晴らしい曲を毎日弾けるなんて、本当に幸せな事。

1年中何かしら合わせ物(室内楽や伴奏)に携わっていても、リサイタルの直前だけはさすがに「お休み」。常日頃誰かと演奏するのが当たり前になっているので、「毎日一人でガーッと集中してさらう」のも稀。妙な気分になります。一緒に舞台に立つ人がいれば音楽する事自体が楽しく、安心感もあります。それに楽譜の存在がいかに大きいかも改めて実感。

1回のリサイタルで暗譜するべき楽譜は、多い時では120ページ位になり、それを意識してしまうとさすがにゾーッとします。今回はまだ少ない方ですが、ピアノのソロは暗譜が宿命です。楽譜に書かれている音符と休符そのものだけを覚えるだけではなく、強弱やテンポ、さまざまな表現などを含め全てを頭に入れてこそ、全体の構成や流れが見えてきます。そして完全に頭に入っていても、体が動いてくれるまで弾きこまなくてはならないのです。合わせ物では基本的に楽譜は置きっ放しなので、頭で意識しなくても条件反射的に手は動きます。細かい事は楽譜を見ればいいと割り切って、それ以外の事に神経を払えるけれど、今は楽譜の全てを記憶する為に全精力を使っている感じ(本来ならもっと前に暗譜しておくべきだけど、理想通りにはなかなか進まず)。何をしていても頭の中で音楽がリフレインし、楽譜の映像がまぶたの裏にちらつきます。それこそ眠りに入るまで、夢の中でも。そしてこの段階が過ぎれば至福の時間・・・。

なんて事を言っていても、どうしても雑事に取り掛からなければならない日もあります。昨日はまさにそんな一日でした。お頼まれする演奏会のお仕事は、ひたすらさらっていい演奏をする事だけを考えていればいいのですが、自主企画はその他しなくてはならない事がいろいろあるのが辛いところ。その反面、良い点ももちろんありますが。

今、鉢植えのバラがたくさん花を咲かせています。毎年この時期にリサイタルをしているので、バラを見ると「あぁ今年もこの(=リサイタルを前に苦しむ)季節が来たなぁ」と思ってしまう。バラって品種によってさまざまな香りがするのです。「ブルームーン」という青バラはレモンやベルガモットに似た品のある香り、「アレキサンドラ」というオレンジのバラはそれを更に甘酸っぱくした香り、「ブラックティー」という紅茶色のバラは本当に紅茶っぽい香り、「かがやき」という表が赤で裏が黄色の花びらを持つバラは本当にほのかな香り・・・という感じに。しかし今は虫も出る季節、葉っぱが細かいレース状に透けてくると、薬には頼らずに慌てて虫を探します。葉だけならともかく、この前は蕾が半分位食われていました(涙)。花の為なら手間は厭いませんが、とげに引っかかれて手に傷が・・・。



2005年5月15日(日)     「発酵」

練習もぼちぼち佳境に入ってきました。とはいえ、学校に行っている日は殆ど練習にならないので、練習できる日は何かにとりつかれたように弾いています。怖さ半分、喜び半分というところ。今回は非常に焦りまくって、練習外の事務的な仕事は何とか終えました。昨年は3月終わりに自主で企画したピアノ・デュオの小さいコンサートがあり、その直後にとても難しいプログラムのヴァイオリン・リサイタルがあり、ソロのリサイタルの準備全てが後手後手に回って本当に懲りたので。だからといって今回は気持ちよく練習出来ている訳でもないのです。時間があればあるほど、そしてだんだん弾けてゆくにつれて、練習しなくてはならない点、演奏のアイデアみたいなものが不思議とどんどん見つかる。それをどこまで試し尽くし、当日納得した心持ちで舞台に立てるかどうか、という意味ではやはり焦りがあります。今弾いている曲が、それだけ深い作品だからこそだと思っていますが。矛盾するようだけど新鮮さも命。例えばまる1年ずーっとその曲をコンスタントに練習し続けたら、多分「腐って」しまう。気持ちがだれてくるというか、慣れっこになって演奏が崩れてくるというか・・・。だから理想は、発酵期間をちょくちょく挟みながら何度も練習期間を設ける事(なかなか難しいけれど)。発酵食品はどれも美味しく味が深いのと一緒・・・。

ところでお知らせ。5月20日発売の音楽誌「ムジカ・ノーヴァ」6月号に、ちょっとしたエッセイのようなものが掲載されます。「バッハ《インベンション》に見るピアノ音楽の原点」という特集なのですが、「私がバッハに魅せられた瞬間」というお題で書きました。書いたのは3月、春休みの真っ最中だけど何だか気忙しかった・・・確か講習会の直前。私の中ではかなり昔の事となっていて、あまり実感がないのです。そうそう、前回書いた「ワード」が使えるようになったきっかけは、この原稿でした。それはともかく、原稿用紙400字詰めに10枚と言われて面食らいました。いつも書いているプログラム・ノートでさえ3000字は書かない。この「ひとりごと」みたいに気ままにいろいろなテーマで綴るのなら、全く気にならない字数(字数自体を考えた事もないし)ですが、一つのテーマで話をまとめるのはかなり難しい。このタイトルだったら「どのようにバッハに出会って、なぜ今私の音楽の原点になったのか」、それについて書くしかないかなと思い・・・中身をここで書いてしまっても仕方ないので、ご興味おありでしたら書店でご覧になって下さい。どうぞよろしくお願い致します。

絶好調だった連休のお天気が嘘のように、曇りがちで寒い。体の筋肉が少し固まるような気がするし、ピアノのピッチも急激におかしくなるし、早くいいお天気が戻ってきてほしいものです・・・。




2005年5月11日(水)     「道」

長い間更新できず、何回もアクセスして下さった方には本当にごめんなさい。連休があったものの、かなりきつい毎日でした・・・。

連休中は、ある日はひたすら楽書を読みつつパソコンに向かい、ある日はひたすらピアノを弾き、ある日はひたすら雑用をこなし、そんな感じで1日ひとつ、何か的を絞って集中できた貴重な時間でした。

リサイタルの曲目解説はいつも自分で書いています。拙い文章ではありますが何故そうしているかというと、第一には勉強になるから。自分の弾く曲のバックグラウンドを知る事は絶対に必要な事だと思います。その作曲者がどんな時代に生き、どのような生涯を送り、どのように作風が変わり、どんな経緯でその曲を書き、その作品についてどう述べていたか・・・などなど。すると自分でそれをどう弾くか考えがまとまってきて、練習そのもののプロセスが俄然面白くなってきます(自分の解釈に自信が全く持てなかったとしたら、舞台でも相当怖い)。一人の画家がテーマの展覧会で、作品が年代順に並べられている事がよくありますが、その流れに沿ってみてゆくとその画家が以前よりは少し分かってくる(気になっただけかもしれないけれど)ようになる、あの感じです。

第二には、今ぜひ弾きたい、聴いて頂きたいと思うものを選曲しているからこそ、その想いを持って書くべきだと・・・。曲目解説は、小さなプログラムに載せられる程度の限られた字数しか書く事ができないのです。たくさん書ける方がずっと楽なのですが・・・だって「この曲」について、知っていたら面白い事や聴く時にヒントになるような情報は、そんなに少なくはないはずだから。それをぎりぎりまで削るのは、非常に頭を悩ませる作業です。要点だけだと箇条書き風文章になる恐れもあるし、話のつながり(辻褄)も必要だし、個人的にその曲をどう思っているか私情を交えると解説にはならないし(誰もがそう思う普遍的な事はともかくとして)。「どこに焦点を合わせて書くか」、イコール「その曲のどういうところが素敵だと思っているか」だと思うのです。

今回ほど書くのが大変、というか言葉にする事の難しさを感じた事もありません。トッカータやソナタという「絶対音楽」、つまり具体的なイメージ無しで音を構成して作られている曲には、作曲の経緯のエピソードがあまりないから。その反対は「標題音楽」で、何かイメージを膨らませられるタイトルがついていたり、イマジネーションの素となる、例えば小説や絵画がある曲なら、それについていろいろ書けます。だから今回は、一体何をもってその曲について書く事ができるのか、相当悩みました。「何か書かなきゃ」と行き詰まるほど、曲の素晴らしさからどんどん遠のいていくような気がして・・・。

そんな訳で頭はその事でいっぱいで、このひとりごとの更新は後回しになってしまったのが本音です。今書いていて、同じ「文章を考える作業」であっても断然こっちの方が楽!当然ですが。

このために最近半月位で、楽書はいろいろ読みました。普段から少しずつ読み進められたらいいのでしょうが、どうもそういう風に計画的にできる性格でもなく、一気に読んだ方が頭の中でいろいろつながってくる気がします。そう、楽書もいろいろなものがあって、その人の一生がメインのものもあれば、その人の作品と作風に光を当ててあるものあり、その人の人柄そのものが詳しく書かれているものもあり、又その著者が作曲者の事をどう思っているかが如実に現れるものですね。

今回読んでいて非常に感動したのが、バルトークについて彼のピアノの弟子が書いた本。バルトーク自身、作曲は教えないと公言していましたが、ピアノの先生としては非常に素晴らしい方だったそうです。実のところ教えるのは好きではなかったらしい・・・と、その本にはありましたが、忍耐を持って愛情深くレッスンしていた事が著者の文からよく伝わってきたし、又作曲家の見地から作品をどう解釈して弾くかという事に重点を置いたレッスンだったそうで、それにも大変共感できました。

いろいろ読みながら思ったのは、当たり前ながら一人の人を理解するのは大変だということ。そして、自分を分かって欲しいと思っても自分の死後、後世の誰かが自分の作品をどのように弾くかまではどうすることもできない。どんな気持ちで音符一つ一つを書くのだろう?なんて、「産み」の苦しみを知らぬ一演奏者は、時々思いを馳せたりするのです。生きることそのものが「道」なのだろうな・・・と。

ふと思いたった時に開く写真集があります。友人からプレゼントされたものです。「道」をテーマにしたもので、道とその周りの風景、そして空が大きく写しこまれています。何十点ものその作品は、それぞれ違う国、土地で撮られたもので、又季節もそれぞれ。でもどの作品でも、道はずっと続いている。まっすぐだったりくねったりしながら。それをもらって初めて開いた時に、周りの風景や気候が変わってもこの道はずっと続いていくんだなぁと、ふと感じた事を思い出しました。その写真家さんもその中で書いておられる事ですが・・・。

何を書いてもピアノにつながる話になってしまうので、全然関係ない話を。

やっと「ワード」がそれなりに使いこなせるようになりました。今までは書類作成はどうしていたかというと、本当に長らく使い込んでいるワープロ。もちろん未だ現役です。何と言っても私は物持ちがよいので・・・かつて2度修理に出しましたが、メーカーもワープロを生産中止にしたからか何なのか、実に丁寧に修理してくれました。ありがたいことです。ワードで書く時も無い訳ではなかったけれど、今までの文書を印刷したり再活用する時は、ワープロの方がもちろん便利。

ワープロのフロッピーの文書をどうパソコンに移動すべきか長年の悩みの種でしたが、半年ほど前に解決して一段落。市販の変換ソフトが家のワープロには適合せず、一時は全て入力し直すか諦めるしかないかと思っていた程。でもいろいろ検索してみて、ワープロに元々ついている「テキスト変換」の機能を使えばいい事が判明。ワープロでMS-DOSファイルに変換したものは、パソコンで呼び出せるようになりました。相当手間はかかったものの、あの大量の文書をもう1度入力する事を思えば何のその。ホッとしました。もちろんワープロにもまだまだお世話になります。

さっき曲目解説をメールで送り終え、これからやっと練習に集中できます。しかしその前に睡眠不足を少しでも挽回しないと・・・。



2005年5月2日(月)     「連休」

連休に入って少し「ホッ」。学校がお休みになるだけでも随分違うものです。何せ不器用なもの(小心者?)で、学校があれば「明日の授業の準備は・・・」とか「提出しなければならない書類はあったっけ?」とか、「学生さんに伝えておくべき事、何か忘れていない?」とか、考えなくてはならない事が頭の中を駆け巡って、ピアノどころではなくなってしまうのです。その甲斐あってか、学校関連の事でポカはやっていないつもりですが・・・。

年1回の自主企画のリサイタルを始めてからは、ゴールデンウィークというのは「あってないような」、そんな感じです。リサイタルはいつもこの時期なので、ちょうど1ヶ月前というのもあってそろそろぴりぴりしてくる頃。もともと人込みが苦手なので、連休にどこかに行ったような記憶は特にはないのです。学校勤めをするようになってからは4月は気忙しく、ボーナスの如き数日間のお休みで何とかリセット。大抵曲目解説の締め切りが連休明けなので、時間があれば机に向かっているのが最近の過ごし方でしょうか。これが書き上がれば(と言っても大した事は書いていませんが)晴れて練習に集中できるのですが、やはり言葉を扱うのとは全然違って、ピアノに向かう方がずっと気は楽です。

そういえば最近の「ひとりごと」には殆ど音楽関連の事しか書いていない。正直今はいっぱいいっぱいで、それ以外の事には手をつけられません。ピアノの練習、時間があればあるだけしたい。1日3〜4時間あってもとてもとても足りないです。リサイタルの伴奏のお仕事もこれはこれで大変ですが、ピアノのソロは又話は別。練習は、一人で部屋にこもってする孤独な作業が全てで、何と言っても暗譜の手間がかかります。伴奏や室内楽では楽譜を見るのが普通です。初めての曲にあたる事も多いので譜読みはそんなに嫌ではありませんが、楽譜を見て弾く事に反比例して暗譜をする機会は減ったので、イマイチ・・・。とは言え、自分の好きな曲を弾いていられるのは幸せな時間。リサイタル当日までトータルで後何回弾ける?なんて考えたら、本当に練習の一瞬一瞬が貴重です。気弱になってしまうと怖いので、いつも「何とかなるはず」と自分に言い聞かせています・・・。


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