ひとりごと

2009年1月1日(木)            「2009新年のご挨拶」

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。時間に追われるようになって、以前のように長〜く(中身は?)書けなくなってきたにも関わらず、ちょくちょく見にきて下さる方がいらっしゃる事、本当に嬉しく感謝しております。今年も細々と、しかし健気に着々と?更新していく予定ですので、どうぞよろしくお願い致します。

最近はすっきりと晴れる日が多くて嬉しいです。日本海側ではその分吹雪いているんだろうかと思いつつ、でも太平洋側ではこのお天気をありがたく謳歌しています。といってもこのわずかなお休みはひたすらお年賀状を書き(今まで全く手をつけられず・・・)、来たるべき練習時間ゼロ?の日々(授業とレッスンと合わせでびっしり)に備えて練習するのみ。

1人1人思い浮かべながらお年賀状を書いていました。どんな事にも動じずゆったりどぉんと構えている、そんな友人がいます。親身になっていつも温かい言葉をかけてくれる、そんな友人がいます。同じく音楽に携わる身、時には教え、時には演奏し、同じ立場でとことん話し合える、そんな友人がいます。普段はなかなか会えないけれど、どうしているかなぁと思い出します・・・。

書きものする時の悩み、それは腕の痛み。正確にはまず肩甲骨の裏あたり、そして前腕。なぜ?明らかに姿勢が悪いか無駄な力が入っている、さもなければ椅子と机の高さが悪いせいだと思うのです。そう、一昨日位までは右足太ももがもうどうにもならない位になっていました。これは1日中ピアノを弾いていて、その際踏んでいるペダルのせい。多分家で弾く分には大丈夫かと思うのですが、殆ど学校なのでヒールのある靴でペダルを踏んでいる、おまけに学校のピアノは深めのインシュレーター(ピアノの脚が動かないようにするもの)を使っているのでペダルの位置がかなり高目。ペダルを踏む時も踏まない時も力が要るので(力を抜いて重みがかかってしまうとわずかにペダルが効いてしまう)止むを得ないのですが、足を痛くしないような上手なペダルの踏み方はないだろうかとさすがに考え始めました。これをひどくしてしまうと、恐らく腰痛になるはずなので。

ピアノを弾く時に手や腕を痛くする事はこの年になってさすがになくなりましたが、それは動かし方や脱力の仕方、筋肉の使い方の効率を考えた結果の事。だとしたら字を書く事についても考えないとまずいと、真剣に思う今日この頃です。字が美しい人ってきっとそのあたりのコントロールが上手なのでしょう。

さて、今年の抱負。前回書いてしまったような感じなので特に書く事はないのですが・・・ちょっとつけたし。やはり考え出したらキリがなく、行動を先に起こす方が自分らしいのかも。今まで、どんな時でも常に「走っていた」気がします。走れる内は走らせて頂こうと思います。ただ、つまらない大人にだけはならないようにしたい。

恒例のリサイタル、初心に帰りたくて弾こうと思っているものがあります。早々に準備しようと思って、昨年リサイタル後に(ひそかに)決めていたのですが、結局秋からいろいろ忙しくなって全く何もできず仕舞い。決心がついたら発表しますので、もう少しお待ちを(その前に1度通して弾いてみなきゃ)。

先日大風が吹いた時、冬バラの蕾が折れてしまいました。この小さい蕾、何とか咲かせたくてコップに挿しておいたら、もうすぐ花開きそう。何と強い生命力。見習いたい・・・。




2008年12月30日(火)          「1つ1つ」

今日は年の瀬とは思えぬ暖かさ・・・水が冷たくないので、大掃除(というほどの事はしていないけど)が楽でした。そう言えば、指先のかち割れが未だ生じていない。この季節にしては初めての事です。

昨日で仕事納めでしたが、この数日は半端でなく大変でした。朝早いし、弾かなくてはならない曲の数が多い、おまけに(私にとっては)前代未聞の信じられないほど手こずる現代曲があり・・・そして年明け早々のスケジュールを組んでみたところ、まともに考えたら「・・・」という状況でした(こんな時は何も考えずに行動するに限る)。

新年、大学はなんと5日から授業開始(高校は1週遅れ)。今年度から半期15回になった事によるもので、これは想定外。という訳で、仕事始めは3日から・・・。ま、そのあたりの事は来年になったら追々書いていくかと思います。

さて、この1年を振り返ってみて思う事。と言っても「1日1日を精一杯生きていったら1年が経っていた」という感じで・・・。最近、学校を卒業したての頃をふと思い出す時があります。フリーランスとして、頂いたお仕事1つ1つを大切にやらせて頂いていたら、それがいつしか今につながっていました。前回も書きましたが、こういう時代に自分の好きな事を職業にできるだけでも本当に幸せな事。でもこれは自分の思い通りになるものではなく、たくさんの方々やいろいろな事にタイミングよく巡り合え、そして恵まれた事によるもので、心より感謝しています。卒業する時、将来がどうなるかなんてある程度は思い描いたものの、そこまで深く考えた事はなかった(考えてどうにかなるものでもないけれど)。つくづく運がよかったと思うのです・・・。

というところで、前回書いた「人にはそれぞれ自分を活かせる場所があり、そこでよい働きをすればよい」につながってくるのです。今、やるべき事とやりたい事全てができなくなってきたのは仕方ないとしても、ほどほどに適当にこなすなんて事は絶対にしたくない。ピアノを弾いていくにあたって、そして音楽を仕事として続けてゆくにあたって、与えられた「この場所」で自分の信じるところ、譲れないところを何とか貫き、できるだけの「働き」をしていきたいと思いつつ、この年末年始も過ぎてゆく気がします。

皆さまもよいお年をお迎え下さい。世界中のどこであっても、人々が希望を持って新年を迎えられる事を心より祈りつつ・・・。




2008年12月27日(土)          「居場所」

つい最近満月を見たと思ったら、もう新月。そしてもうあと数日で今年も終わります。授業期間が終わってホッとしたのも束の間、続いて冬期講習があり、今月バタバタしていてほとんどできなかったプライベートのレッスンをし、「あぁこれから1年中で一番追われる季節がやってくる」、今はそんな気分です。

ニュースや新聞で「この1年を振り返って」特集が組まれるようになり、この1年の反省や来たる年への抱負など頭に浮かばない訳でもないですが、ちょっと今は余裕がなくて(できたら)次回に。その代わりに、この1年、いろいろな方々がおっしゃっていた事、私に言われた事、強く印象に残っている言葉を。

1つは「人にはそれぞれ自分を活かせる場所があり、そこでよい働きをすればよい」という事(何人かの方がおっしゃった事で、それぞれの方々の言い回しは微妙に違いましたが)。いろいろな事が分かってくればくるほど自分も少しずつみえてくる、勉強すべき事が増えてくる、迷いも大きくなる、なのに時間はどんどん足りなくなり、無理もきかなくなってくる。そんな事を思ってはしょっちゅうがんじがらめになるのですが、そんな時に救われた一言でした。「よくも悪くもそれは個性でしょ」と言って頂けた事もありがたかったです。もう1つ。「信頼こそが大切」と言いきった方が周りにたくさんいました。それは私も最も大事にしている事ですが、日常生活でそれを改めて自分に問いかけてみるような事が今年何回もありました。友人知人に久しぶりに会った折、偶然そういう話題になる事がよくあり、実は皆同じような事を考えているんだ・・・と。当たり前の事のはずなのに、それを聞いてなぜかホッとしたのを覚えています。

クリスマスの飾り付けをしまい、必死で年賀状を書いていたのが数か月前のようで、本当にこの1年はあっという間でした。世間では暗いニュース、悲しいニュースが多かった気がしますが、何はともあれ居場所があり、先生や友人知人など助けて下さる方々に恵まれ、自分のやりたい事ができ、健康でいられ・・・この状況でピアノが弾ける事に感謝あるのみです。ただその中で何ができたか、これから何をすべきか、考える事はいろいろあり、そして年頭に立てた目標「自分のためにピアノを弾こう」が全然達せられなかった事に反省・・・。

仕事納めまでまだもうちょっと。これから大変な曲をさらいます・・・。




2008年12月22日(月)          「イメージ」

昨日は冬至のはずでしたが・・・あまりの暖かさに柚子湯にするのを忘れました。夜中なのに15度越えた暖かさって・・・変。

いつしかドビュッシー公演も三島と東京、終わっています。三島では雨の中、東京では春一番のごとき(?)生暖かい風がびぅびぅ吹く中、大勢のお客様が年の瀬のお忙しい中、いらして下さいました。本当にありがとうございました。

ドビュッシーは天才だと前回書きました。西洋音楽史の中で大きな影響力をもつ作曲家を3人だけ挙げるとしたら、J.S.バッハ、そしてドビュッシーは絶対に外せない気がします。これは独断と偏見ではなく、誰もが多分同意して下さるのではないかと思います(3人目はちょっと難しいけれど)。もちろんどの作曲家にも誰もが真似できない強い個性が備わっていて、一人一人に素晴らしい作品が遺されており、それはかけがえのない文化遺産だと思っているからこそ、3人だけ挙げさせて頂くなんてとても失礼な事なのですが・・・。

ドビュッシーのどこがすごいか、書き出したらキリがないのですが、昨日演奏していて思った事を1つだけ。音の1つ1つにちゃんとイメージが浮かぶのですが、それは私個人のイメージというよりは恐らく作曲者自身がイメージしていたもので、その源はいずれも自然界にあるような気がします。ちょっと思い出してみても例えば風のざわめき、静かな水面に何かが落ちて波紋が広がっていく様子、稲妻の光とか、そして響きそのものの温もりや冷たさまでもが楽譜から伝わってきます。

以上のような事は昔、ドビュッシーのプレリュードを勉強した時、強く感じた事でした。プレリュードの場合、曲の末尾に控え目に書かれたタイトルがいろいろイメージを掻き立ててくれるのですが、今回のソナタはタイトルも何もないのに関わらずちゃんとイメージできるのです。譜面からそこまで伝えられる作品が書けるって・・・?

両公演とも、いつもお世話になっている調律師さんがピアノをすばらしい状態に仕上げて下さって、何の不安も障害もなくいろいろな響きを探しながら本番楽しんで弾く事ができました。当然2公演とも全く違った演奏となりましたが、「結果的に違ったものになった」というよりは「1回目を踏まえて2回目は更なる表現を探してみた」という方が近いかも。

今回のプログラムの中ではピアノ・トリオのみがごくごく若い時の作品で、これだけ全然傾向が違い、アプローチの仕方も全く変えて弾きました。音のイメージを探して響きを組み立ててゆくというよりは、曲の構成を考えてその流れからどう持ってゆくかを重要視。かえって響きを小細工したりするとこの作品の持ち味が失われるような気がして、例えば弱音でもソフトペダルを使って音色そのものを変えたりはせず、指だけで音量をコントロールしたり・・・なんて事も思いつきで試してみました。

だんだん何を書いているか分からなくなってきたのでこの辺で止めておきますが、この1人の作曲家シリーズ(プログラムを決めているのは伊賀さん青木くんですが)、とても勉強になります。久しぶりにまたドビュッシーのピアノ曲、弾きたくなってきました。

近々詳細をアップできるかと思いますが、次の演奏会もフランスもののお手伝いをさせて頂きます。なぜか続く時は続く・・・。




2008年12月12日(金)          「晩白柚」

またもやお久しぶりです。今週頭は八代へ行っていました。

北へ行った1週間後に南へ。普段こんなに移動する事はまずないので、今は時間感覚や位置感覚(?)がどうかしている感じです。となると、明後日の三島はもう通勤圏みたいに思えてきてしまう〜。

八代は、以前CDでご一緒させて頂いた荒牧さんの伴奏でした。日本歌曲、クリスマス関連の曲(メサイアからオー・ホーリー・ナイトに至るまで)、そしてオペラのアリアや歌曲もあり、結構盛りだくさんのプログラム。このコンサートは八代の皆さんの熱意によって企画され、合唱や短いミュージカルなども演奏されました。先日の札幌のコンサートもそうでしたが、出演者とスタッフの方々、そしてお客様の想いが私達にも伝わってくるようなすばらしいものとなり、「音楽の原点はここにあり」と改めて感じたひとときでした。

今回もスケジュールは札幌同様にきちきちで、前日夜に着き、当日はリハと本番、翌日は朝一の便に乗り、昼から大学に戻りました。室内楽の試験が今週なので別の日の補講にできず、普段3時4時まで起きている事が多い私が何と4時半起き、6時前のバスで熊本空港へ向かう羽目になりました。起きる事自体は何ともなかったのですが、バスに揺られる内に熟睡・・・のはずが目が覚めました。東の空のグラデーションが美しくて。熊本に来た時は夜で、バスの道中「やっぱり夜は闇に限る」なんて納得。そんな状況だったので気付かなかったけれど、空港から阿蘇の山並みが間近に見えるのです(帰ってきてから調べました・・・多分そうだと思う)。空港に到着した時はそろそろ山の端から日が昇りそう?ご来光を眺めようとしばらく待っていたものの現れず・・・諦めてお土産を物色し、保安検査場に向かったら、東の空がオレンジ色とも藤色とも何とも言えない淡い色に染まっていました。そしてその下には阿蘇の雄大な山々。幻想的な風景でした。早起きとこれから始まる長い長い1日を帳消しにするのに十分すぎるほど・・・。

観光できないとなるとせめてお土産でも、と思うもの。北海道は本当に久しぶりなので、前もってチェックをしていたものを重い思いをしてたくさん買って来ましたが、今回は学校に直行するので、生ものも大きいものも重いものも無理で諦めました。 しかし今日のお月さま、まるで晩白柚みたいな色と大きさに見え(そろそろ満月?)、ふと、生の晩白柚欲しかったかも・・・なんて頭をよぎりました。晩白柚(ばんぺいゆ)、八代の特産品で世界最大級の柑橘類とか聞きました。空港のお土産屋さんにあったのはスイカ大、持ってみたら重かった。皮の砂糖煮(以前書きました)も作りたいし、柑橘の香りも好きだし、酸っぱい果物も好きだし・・・今度行く機会があったら絶対に買おうと思っているのです。お土産に晩白柚を使ったお菓子をいくつか頂きましたが、やはり私の好きな味でした。

学校の仕事はいつも通りの中、ホールをお借りしてリハーサルをしたり、丸1日かけて室内楽の試験を聴いたり・・・という感じでこのところ家に居られる時間がなく、夜中に必死でさらっています。室内楽ドビュッシー公演についても未だ書けなくて・・・晩年の傑作「チェロ・ソナタ」と「ヴァイオリン・ソナタ」を弾いていると、やはりドビュッシーは天才だとつくづく思います。ソナタという形式をここで敢えて使っておきながら、変幻自在という言葉がぴったり。「古代のエピグラフ」はもともと連弾用の作品ですが、ほとんど音を変える事無く、ピアノ・トリオの編成で演奏してみます。先のソナタ2曲が「動」だとすると、こちらは正に「静」。なぜか幽玄の美というイメージが浮かびます。「ピアノ・トリオ」は割と最近発見されたばかりのごくごく初期の作品・・・私も実は存在そのものを知りませんでした。同一人物の作とは到底思えない位だけど、いろいろなところに初々しさが溢れています。・・・というよりどりみどりのドビュッシーづくめの一夜、14日に三島、21日に東京公演です。お時間おありでしたらぜひお出かけ下さい。

年の瀬だというのに、実感が全く全くない今日この頃。海外宛のクリスマスカード、早く書かなきゃ・・・。




2008年11月30日(日)          「雪の魔力」

なぜか「お久しぶり」という気がします。札幌に行っていました。

洗足学園の同窓会の演奏会が札幌であり、日頃から大変お世話になっている先生の伴奏、そして先生と同窓生の皆さんのアンサンブルのピアノを務めさせて頂きました。いろいろな都合上、本番前夜に現地入り、当日は終日合わせと本番、翌朝早起きして帰京するというスケジュール。我に帰れば結構「密」な時間の過ごし方をしていたなぁと思うのですが、先生、同窓会の方々、同窓生の皆さんのお陰で大変心地よく過ごさせて頂く事ができました。本当にありがとうございました。

昼過ぎに帰宅してレッスンをしていたので、明日のドビュッシーの合わせと学内公開レッスンの伴奏の準備はこれから。一難去ってまた一難・・・。あ、誤解のないように書きますが、いろいろ演奏のお仕事が続いているもので、とりあえず明日のために自転車操業でさらって備える事を「一難去ってまた一難」と言うまで。今回のコンサートは本当に楽しかったし、こんな機会を頂けて幸せと思えたひとときだったのでした。という訳でこれからさらわなくてはならないので、ゆっくり書くのは機会を改めて。

札幌に着いてから本番当日夕方まではどぴーかんに晴れ、実に気持ち良いお天気でした。着いた時はさすがに「寒い」と思ったのですが、屋内の温かさにはびっくり(家の方がよほど寒い)。結局マフラーも手袋もホッカイロも使わずじまい。先週小樽に行った友人から「もぉ道路が凍っちゃって、普通の靴ではとても歩けなかった」と聞かされていたので、全くどうなる事やら必要以上に心配をふくらませていたのでした。こんな事ならもっと荷物をへらして来るんだった・・・と思ったら今朝はうってかわって吹雪。今年お初に見る雪、1粒1粒が本当に大きくて、結晶があの美しい6角形をしていたのには感激。空港まで送って頂いた車中から、風景と降り続く雪を飽きもせずじっと眺めていました。次から次へと降り続く雪って、過去や別世界に連れて行ってくれる魔力があります。スキー場のリフトに乗ってぼぉっとする時間も、そんな訳で大好きでした。それにしてもこの風景、このシチュエーション、懐かしく感じるのはなぜだろう・・・?

思い出しました。ヒースロー空港からロンドン市内へ向かう時、抱えていた一抹の不安。ロンドン市内からヒースロー空港に向かう時、ためこんだ疲れとさまざまな思い。かつて数回行きましたが、あの時に見て、聞いて、感じていた事と妙に重なりました。考え事をしているようなしていないような空白の時間。天にそびえたつような姿の、葉っぱのない木々。どんよりとした空の色。ひんやりとした空気。車の走る音・・・。

過去を振り返るのは久しぶりのような気もします。それ位いっぱいいっぱいになっている。今はむちゃくちゃ寝たいのですが、明日の為にこれからひとあがき。それにしても最近は本当にたくさんのいろいろな出来事があり、いろいろな方にお目にかかれました。

楽しい時は一瞬で終わってしまう。でもその一瞬の為に時間をかけ、時に苦労して準備する事に意味がありました・・・。




2008年11月24日(月)          「冬への備え」

急に寒くなり、冬が一歩ずつ近づいてきました。楓とツタの紅葉がなかなかきれい。全く自覚症状がなかったけれど、今年も余すところ1か月ちょいという事?ただただ焦ります。

寒くなると明らかに行動そのものの能率が落ちます。冷えると筋肉が固まって?動けなくなるのもあり、そもそも身軽な薄着が好きなので、それだけで冬はだめなのです。昔は暑いのより寒い方が得意だったのに、一体いつから逆になったか・・・。

この時期になると気になるもの、ハンドクリームとリップクリームとのど飴。敏感かつ乾燥肌の私には必需品です。店頭で「これは」というものを見つけたら買って試す、という訳でいろいろなタイプの在庫が家にあります。「こんな時にはこれ」と使い分けられる位なのに、ハンドクリームは楽譜に油染みがついたり鍵盤がべたべたするのがいやで、昼間は殆ど使えない。実は寝る前も塗るのをよく忘れます。

年内にあるいくつかの本番、たまたま同時期に重なりましたが、どれも楽器が違い、さらに相手が違い、当然曲も違います。今、その全ての合わせが同時進行していて、ふと我に帰れば「大丈夫?」と自問自答したくなります。勝手知ったるソロの曲とは取り組み方が全く違い、「合わせの時間が全て」という感覚。1人での練習は「合わせのための予備練習」みたいなもので、皆で一緒に演奏できるわずかな時間に全神経を集中します。「全ての音が鳴ったらどんな響きになるのか」、「皆で演奏したらテンポが変わるところはどんなタイミングで合わせるか」というような、云わば表面的な事に始まり、「ここはどんなイメージを持って演奏しているか」、「どこまでを1フレーズに捉え、どんな風にしゃべろう(=歌おう)としているか」、そして最終的に「曲全体をどんな構成で考えているか」などなど。合わせているその時間内で見えてきた事聴こえてきた事を覚え、次の合わせまでにその情報をもとに予測を立てて、1人である程度作っていかなくてはならないのです。

毎回ではないけれど通し演奏を録音し、それを聴きながらどこをどうしようか?と考える事もあります。でも真っ先に頼るべきは弾いている時の自分の直感。というのは、録音で残せるのは音(それも実際とは微妙に違う)だけだから。特に人と一緒に演奏する時、さまざまな感覚を頼りに音楽を合わせていると思うのです。音そのもの以外にブレス、そして楽器から(機能上)発せられる音も聴こえ、相手の視線や体の動きが見え、相手からのオーラを感じ、弾いている時の自分の体の状態(筋肉や呼吸)をつかみ、そこから得た感覚をもとに合わせている気がします。

ソロでもこれは同じですが、「もっと何か変えたい」、「更にいいものにするには?」、神経をそう尖らせながらいつも本番まであがいています。前回↓にも少し書きましたが、きちんと練習できていても「弾ける」段階をクリアしても、「これでいい」訳は絶対にない。「どうすべきかみえてこない」時もたまにあり、それは一番きつい。じっと耐えているしかない「冬」みたいな感じです。「聴いて頂くに堪え得る演奏」に必要なのはアイデア、そしてイメージ・・・。それさえ見つかればいろいろ試し、そして練習で出来るようにしてゆけばよいので(それだけでもないけれど)、気持ちの中では「春」が来ます。

いつも通り学校に行く以外に練習と合わせをし、本番まで全然時間がたりないのですが、何はともあれ心にゆとりを持って自分と音楽に向かい合うようにしたいものです。このところ、コンクールを受ける学生さんや入試を目の前に控えた学生さんにそんな事をよく話していましたが、実は自分が強く感じていたのかも・・・。




2008年11月16日(日)          「映像」

秋晴れも束の間、また雨です・・・。

前回「さすがに間に合わなくなりそう」と書いた事でやっとお尻に火が付き、諸々の用事を気合いで1つずつ済ませました。演奏のお仕事が珍しく暮れまでにいくつも重なり、今後1カ月程はお休みがない予定。もちろん合わせの予定はちゃんと入れてありますが、1人で落ち着いて練習できる日はしばらくお預け。気になる事がなくなって初めて心おきなくピアノに向かえるというこの性格、何とかしたい・・・。

家にいられる日くらいは「お茶したい」と思うその時にお湯を沸かし、あつあつの薫り高いお茶(紅茶だったりコーヒーだったり)を飲みたいもの。学校ではかなわぬ夢です。夏の盛りでない限り冷たいものはまず飲まない(飲めない)ので、冬は受難の季節。終日学校にいるとなると、まず朝に温かい何かを買っていくけど、全部飲み終わる前に冷めてしまう〜。マイボトルで温かいものを持参していてもそれだけでは足りないっ。いったん始まったら外の自販機まで出ていく時間もなかなかとれないもので、レッスンの切れ目と冷めない時間を計算するのも一苦労(?)。という訳で、これも冬の嫌いな理由の1つなのです(まだ秋だけど)。

前回に続いて「思いつき」シリーズ、第2弾いってみます。

ホールを借りての予行練習、学生さんの演奏を聴いて考えたのは「プロの演奏に近づくには?」。ちょっといい表現がみつからなくてこんな言い方になってしまうのですが、それはもしかしたら「音楽的センス溢れる演奏」とか「立体的で奥行きの感じられる演奏」、「神経が隅々まで行き届いている演奏」、もっと強引な表現をすれば「さまになっている演奏」とも言えるかもしれません。「きちんと練習したかどうか」と「プロに近付けている(もしくは↑を参照)演奏かどうか」は全く別物。もう1つ、「きちんと練習した」としても「本番でうまく出せる」とは限らない。

子供の頃、そして学生時代のレッスン、今は亡き師匠が「ちょっと弾かせて」と私を脇に立たせ、弾いてみせて下さるのはいつもの事でした。同じピアノなのにどうしてこうも響きが違い、またその演奏がプロと赤子くらいに全く異なるのか・・・。一体何が原因なのかを耳をダンボのように、目を皿のようにして探していた事を思い出します。先生の弾いて下さる演奏は響きが立体的、でも私が弾いてみると何の表情もつかなくてまっ平ら。同じ楽器であんな響きが出せるという事は、私にそういう音を出せる実力が備わっていないためで、音が並んでも何も表現できていないのと同じ・・・。

今でこそは出したい音をイメージする時、耳の中で音が鳴るようになりました。旋律をどう描きたいか想像すると、そのラインがまるでリボンが風になびいているようにイメージできたりします。初めてそんな風に響きをイメージできた時の感覚は忘れません。ドビュッシーのプレリュードでのレッスン、弾いて下さったその響きがあまりにも立体的に聴こえて驚いたのです。その時、瞼の裏に存在する3次元の立体的なスクリーン(って矛盾するけど)に、1つ1つの音がいろいろな大きさの球体となって、あるものは手前に、奥に、あるものは右に、左に、それぞれの球体が思い思いの高さにぴょこぴょこ浮かびあがる映像が見えるような気がしたのです。しばし茫然としていました・・・。

ピアノならではの醍醐味、さまざまな音を組み合わせて自分色の響きが作り出せる事。

強引に簡単に説明しますと、1つの「音」は音量(強いか弱いか)、そして音色(硬いか柔らかいか)の2つの要素を持っていて、「強くて硬い音」や「弱くて柔らかい音」、そして「強いけど柔らかい音」や「弱いけど硬い音」も存在します。もちろん音量にも音色にも無数のグラデーションがあり、限りないほどの組み合わせが存在するはず。それらのさまざまな音をいくつも同時に鳴らした時、そこに生まれるバランスもまた数限りなくあり、瞬時に聴こえたものを私たちは「〜な響き」と称しているのでしょうか。

「プロの演奏に近づくには?」について、でしたね。そう、ホールのようないい響きを作り出せる環境、いい楽器で弾くと、普段のレッスンでは気がつかないいろいろな事が分かります。もちろん私もそれを身をもって体験しているからこそ、こういう機会を設けるのですが・・・。広い空間の中で耳が開けるようになれば、さまざまな響き、はては沈黙(休符)も含めて自在に操れるようになり、心に余裕が生まれれば(自分の事でいっぱいいっぱいにならずに)聴き手を意識できるようになるかと思うのです。それには経験を積む事が一番(でも悪い意味では慣れてほしくない〜)。

今読み返してみて、何だかとてもわかりにくい・・・理解して頂けたかどうか全く自信がありません。もう文章を練り直す余裕はないし、でも今日の内容は消すには忍びなく、そんな訳で勝手ながらアップします。こういう話、いつもは楽譜の余白や黒板にイラスト(というものでもなく)書きながら説明したりするのですが、手振り身振りも使えないというのは不便なもの。やはり文章を書くのは難しい・・・。



2008年11月14日(金)          「プラスマイナスゼロ」

昨日は久しぶりに雲ひとつない快晴で、夜は満月がとてもきれい。足を止めてしばし眺めておりました・・・。

すっかり日が落ちるのも早くなり、気がつけば今年もあと1月半。試験期間がひたひたと背後に迫ってきているような感を覚えます。しばらく更新もできませんでしたが、その間も相変わらずいろいろな事があり、それに付随して考えさせられる事もたくさんあり・・・頭の中はいつもフル回転。人には考えるべき時があり、また行動を起こすべき時は別にあり・・・そんな事を思います。今までがむしゃらに動いてきた分ペースを落とし、疲れたら寝てしまっていましたが、もうさすがに間に合わなくなりそう。年末まではぶっちぎりで頑張らなくては。

秋に入ってからのいろいろな出来事、そこから考えさせられた事はたくさんた〜くさんあって、順序立ててきちんと書こうとするなら1週間位休みがないと無理です。という訳で、思いつきできわめて適当に書いていきます。あしからず。

現代音楽を聴かせて頂いた一夜があり、それは私にとって非常に衝撃的な体験となりました。時間的には通常の演奏会よりかなり長め、でも最後まで聴衆全員が惹き込まれたまま、しーんと聴き入っているさまは壮観でした(ホールの後ろに座っていたのでよくわかりました)。今思い出して言葉で説明するのは難しいのですが、最初から最後まで音楽を心地よく感じ、逆に集中しても聴け、また音のひとつひとつに必然性が強く感じられ、また即興のようにいましがたこの世に生まれ落ちた音楽のようにも聴こえたのです。作品それぞれが素晴らしいから?いや、それだけでは決してないはず。そんな風に聴いて頂けるような演奏、一体どうしたら近づけるのだろう・・・?

それと同時に、聴きながら音、音楽、言葉についても考えていました。そう、これは現代音楽に限らないけれど、演奏会の真っ最中に演奏そのものを堪能しながら、かつての体験や何かしらイメージを思い起こし、そこから派生していろいろな事を同時進行で考えたりする事があります。そんな事を可能にしてくれる演奏こそ、素晴らしい演奏ではないかと思うのです。あ、話戻しますが、音、音楽、言葉について考えたというのは、「人に伝えるって何?」という事。例えば音楽が頭に浮かぶ、即興で演奏する、あるいは楽譜に書きとめる、それを読む、演奏する、聴く、そこから何かを感じ取る・・・まるで言葉を扱うかのごとく。なんと奥深い作業なのだろうと思います。

あの日、現代音楽の存在がとても近くなり、その意味は私の中で更に大きくなりました。「作曲家がこの世を去って、今は楽譜しか存在しない作品」、こちらの方が断然多いのですが、「作曲者の方が生きていらして、直接作品についてお尋ねできる(かも?の)作品」に出会える事が楽しみになってきました。未熟者の私には、演奏する事自体に困難が待ち受けているとは思いますが。しかし今思い起こしても、価値観ががらりと変わった驚くべき瞬間でした・・・。

いろいろ練習しなければならないものが積み重なり始めています。はた目には几帳面な性格にみえるらしいのですが、実は決められた予定をこなしていくのはめちゃくちゃ苦手。考えただけでもうくらくらしてきます。最近ある学生さんと話した時、「練習はきちんとその日にやる事を決めておいて、それをこなせたら安心、こなせなかったら不安になる」と言っていた事にびっくりしたのです。そんな事していたら疲れない?と。私の場合は音楽と同じく「プラスマイナスゼロ」の発想で、ひそかに逃げ道を作っています。毎日の事を決めるのは無理だけど最終的に帳尻は合わせられるので、そこそこ几帳面に見えるのでしょうか。

ちなみに「プラスマイナスゼロ」の発想とは、本来かかるべき時間の中で多少の伸び縮みを繰り返し、最終的にはプラスマイナスゼロにするという発想。メトロノーム的にかっちりかっちり1拍ずつ正確なテンポを刻んでいくのではなく、時にはせいて先に進み、時には歩みを遅くし、でもゴール地点は一緒。音楽上では、特に誰かと一緒に演奏する時に必要な感覚なのですが、もともときっちりとしたテンポ感が体内に宿っていてこそ可能な、上級編テクニック(?)なのです。

音楽では1フレーズの中、先に進んだ分あとでゆっくりしてプラスマイナスゼロにする事が多いのですが、どうも最近の生活では始めにゆっくりし過ぎて後々ハイペースでつじつまを合わせるばかり。「今日できる事は先に延ばさない」がモットーだったのに、睡眠不足が堪えるようになり、反面やらなくてはならない事が増え、それでも1日は24時間のまま。何とか間に合っているからよいものの、ちっとも懲りていない・・・。


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