ひとりごと(2014年6月分)

2014年6月30日(月)             「年を重ねて」

毎度おなじみの月末連投。今日はとあるピアニストの事を書こうと思います。

先日、とある巨匠というべきピアニストのリサイタルに行ってまいりました。現在、御歳88歳・・・と聞いた時点でとにかくびっくりなのですが、結論から言いますとそういう事を全く全く感じさせない素晴らしい演奏だったのでした。子供の頃からLPレコードで演奏はよく聴かせて頂いていたものの、そういえばライヴで聴かせて頂いた事はなかったと気付き、思い立ってふらりと出掛けました。ちなみに先頃演奏したリストの「詩的で宗教的な調べ」もCDで拝聴したばかり、その演奏が素晴らしかったのもありまして。

さて、そのリサイタル。最初の一音からその世界にすっと引き込まれてしまいました。それ位美しく優しい音。3階の一番後ろに座っていたのですが、そこまで強音も弱音も含めて全てがまっすぐ届きます。そして全く無駄な力の入っていない身のこなし。あぁだからこの年齢になられても、こんなに楽に弾かれるのだろうなと感じ入りました。その音が幾つも幾つも重ねられ、今までの人生が集約されたかのような深い世界がにじみ出てきます。アンコールにはなんと「火祭りの踊り」。お疲れになっているのでは?という不安は杞憂に終わりました・・・。

そんな素晴らしいリサイタルだったので、余韻に浸ったまままっすぐに帰りました。ちょうど自分のリサイタルが終わったばかりでもあり、その反省も含め今後の事を考えていた時期だったのですが・・・こんな風に演奏できるならば年を重ねるのも悪くない、と(巨匠の足元にも到底及ばないのですが)。これから先はテクニックがおぼつかなくなってきたり記憶が怪しくなってきたり、思い通りに行かない事がきっと増えてくると思うのですが、それを超えてまで伝えたい事が出てくるなら、年齢を重ねてやっとみえてくる世界があるのなら、頑張ってみようかなと少し思えたのでした。

でも恐るべし・・・神様に選ばれた方にしかできない事で、凡人にはただ努力あるのみ。だとしたら・・・?



2014年6月29日(日)             「自ら」

いつしか夏至も過ぎてしまいました。これから日が短くなっていきます。1年の折り返し地点を過ぎたようで寂しく感じるのはなぜだか・・・。すぐ近くに、アルゼンチンに留学した元生徒さんから頂いたお土産のカレンダーがあるのですが、7月は雪がしんしんと降る中、コートの襟を立てて歩いて行く、というイラストです。地球の裏側では季節は逆だという事は、ワールドカップの開催されているブラジルは冬・・・?

なんて事を今日はのんきに考えていられます。先週は滞在半日の神戸でのお仕事も含め、毎日朝早く夜遅いというスケジュール。帰ってから再度家を出るまでが勝負でした。次の日までにやらなければならない事を考えないで済むのはありがたく、昨日は半ばぼぉっとして体を休めました。

学校は実技試験間近で、佳境を迎えています。さて、レッスンで毎度の如く学生さんに伝えている事に、「自ら考えてやる」というのがあります。前回のレッスンで伝えた事を次までに直してくるのは当然の事ですが、だからと言ってそれだけで1週間を過ごすとしたら、それは明らかに違います。4年間の大学生活を終えて社会人になったら、基本的にはひとりで音楽創りをしてほしい。大学はそれまでの準備期間と位置付けています。いずれ毎週のレッスンは無くなる訳で、ひとりで出来る限り突き詰めてからアドバイスを頂く位でなくては・・・。

日々の練習もそうなのですが、先生が毎日付きっきりで練習を見て下さる(=レッスン)ではないのです。自分の状態を客観的に把握し、練習メニューを考え、音楽の内容に想像(創造?)の翼をはためかせ、ああでもないこうでもないと悩みながら本質に近づける道を探す。与えられるまでただ待つような姿勢からは何も生まれないのです。

ピアノを弾くという行為、同時進行で様々な事に気を配り、沢山の音を聴かなければなりません。そして演奏はたった1回きり。だからこそ、練習でもレッスンでもいつでも高い集中力を維持し、本気で演奏してほしいのです。

音楽する意味、そして音楽に携わっている意味・・・それをわかって奏でる人の音は、確信に満ちている気がします。上手い下手の問題とは全く別。その人の顔が見える音楽、その人でしか伝えられない音楽、そして本気の覚悟。むしろそれを見せて聴かせてほしい。聴く側のこちらも一応生身の人間なので・・・。



2014年6月24日(火)             「シューベルト尽くし」

ご無沙汰しております。あっという間に7月になってしまいそうです・・・。

生き物は最優先という事で、毎年育てているバジリコと朝顔は何とか植え替え出来ましたが、毎日見る度に一回りずつ大きくなっています。お日様のなせる技なのか、恵みの雨のなせる技なのか。夏至も過ぎ、そろそろ夏本番です。

あれよあれよという間に学期末の慌ただしさの渦の中に放り込まれ、なんだかんだと毎日のように大学に行っています。レッスンと授業、そして補講と合わせ、本番も聴きに行き、伴奏しに行き・・・という学期末。近現代のお初の曲が数曲あるのもすっかり忘れており、譜読みと練習に必死です・・・。

来週は待ちに待ったピアノ・デュオの峰の原公演。いろいろな意味で楽しみです。いつも快く楽器を貸して運んで下さる竹田楽器さんのお陰でシューベルトの頃のピアノに再会でき、その楽器でシューベルトを演奏出来るのも楽しみならば、ぷれじ〜るさんの美味しいお食事も豊かな峰の原高原の自然も楽しみだし、このコンサートをあたたかく支えて下さるぷれじ〜るの皆様と峰の原の皆様にお会いできるのも楽しみならば、ゆったりと流れる時間の中で過ごせてぐっすり眠れるであろうことも楽しみだし、まぁともかく楽しみなのです。

その割には、合わせはともかくその他の事を全然考えていない・・・衣装は出発前日に決まるでしょうし、プログラム作成は大抵あちらに到着してから一気につくる事になるでしょうし、楽器と仲良くなるために時間が許す限り弾いているでしょう。そう思えば峰の原でも相当忙しいはずなのですが、それを忙しいと思わずに豊かな時間を過ごせていると思えるのがいいところ。

週末お時間が許すのでしたら、ぜひぜひ長野・峰の原高原にいらして下さい。シューベルトの頃のピアノで演奏するシューベルト作品を聴いて頂きたいのはもちろんですが、この豊かな自然とぷれじ〜るさんのあたたかなおもてなしも絶品です。ちなみに会場はログハウス。コンクリートの中で演奏するのとやはり響きも雰囲気も全然違うのです。コンサートのページにも書きましたが、もしもご検討いただける方がいらっしゃいましたら、直接ぷれじ〜るさんへお問い合わせをお願い致します。よろしくお願い致します。

さて、今日は大学の仕事を終えて夜神戸に向かい、明日午前にあちらを発ってまた大学に戻ります。直接見て、そして聴かないと分からない事があるからですが、そういう感覚は忘れずにいたいものです・・・。



2014年6月12日(木)             「津田ホール」

梅雨に入った途端、各地で豪雨が続いていますが大丈夫でしょうか・・・。

さて、リサイタルが終わって早くも1週間が経ちました。そう、あんなに毎日お天気が良かったのに、あの日から崩れてそのまま梅雨入りしたのでした。当日、私はたまたま雨に殆ど降られないで済みましたが、夕方頃雨がすさまじかったとの事。そんな中、足をお運び頂いたお客様には、心より御礼を申し上げます。そして調律師さん、スタッフの皆様のお陰で何とか無事終える事が出来ました。本当にありがとうございました。

当日本番の事があまり思い出せないのですが・・・実は今回、ぎりぎりのキワキワまで気持ちが本番モードに切り替わらない、何か不思議な感じでした。いつもより家にいられる時間が多く取れ、マイペースで練習出来たからという訳でもないのですが、いつまでも素面モードで妙に落ち着いていて、何だか変とずっと思っていたのでした。いくら落ち着いていたとしても、やはり本番モードに切り替わらないのはよくない事。心配になって昨年のこのひとりごとを読んで見たら、やはり同じような事が書いてあり・・・それさえ忘れていたのですが、昨年はさすがに1週間位前に切り替わったらしいです。

ちなみに今回は3日前の最後のリハーサルで、やっと気持ちが本番に向きました。出来ていない事、本番までにしなくてはならない事が頭の中に一斉に並び、それから本番までは秒読みでした。ホッと一息つきたくてもその時間がもったいない、間に合わない・・・明後日、明日、後○時間・・・という内に終わっていたという感じ。その割には、いつも以上に「弾いた」「終わった」という実感が有りません。本当に舞台に立っていたのかさえ正直怪しい、というところでしょうか。

それからの1週間はぼぉっとしながらも、学校の事や雑務諸々に追われておりました。少しずついつもの日々が戻ってきたという感じで、リサイタルの事を思い返す余裕もなく・・・今日はあまり時間がないので、回想はまたいつか書かせて頂こうかと思います。メールやお手紙を頂いた方へ、お返事まだ書けていなくてごめんなさい。

ところでショックだった事がありました。当日、終演後に知ったのですが、津田ホールではもう弾く事ができないという事実・・・。来年4月以降ホール貸し出しはしないらしいという事は知っていたのですが、なぜかそれはホール改修だと勝手に思いこんでいて疑わなかったのです。はっきりとした事はわからないのですが、でもそうではないらしい・・・。

終わってから、むしろその事がショックでどよんとした気持ちでいました。絶対に無くなる事がないと思っているものが無くなるという、信じられない気持ちです。世の中に「絶対」はない事位分かっているのに。

最初にこちらで弾かせて頂いたのは、学生時代の室内楽のコンサートでした。室内楽の試験の成績により選抜されるコンサート、記憶に間違いがなければ確かそれが津田ホールでした。あの憧れのホールで弾きたいと思って皆で必死に頑張った記憶がありますし、実際に弾いてみたら本当に弾きやすくいい響きで、感激した記憶があります。いいホール、いいピアノは助けてくれるんだなと。ピアニストは、ホールとそこに備え付けられている楽器に助けられて演奏が成り立つのです。

それから数年して、年に1度のこのリサイタルシリーズが始まった訳ですが、数えてみたらリサイタルで使わせて頂いたのは今回でちょうど10回目。何を弾いたか、リハーサルでどんな風に感じたか、舞台袖での緊張した時間、本番での響き、楽屋に会いにいらして下さった方のお顔、等々まざまざと思い出されてきました。やはりホールと楽器、セットでどんな響きなのかが記憶されていて、リサイタルを企画する時は真っ先にどこで?と考えるところから始まります。あそこで弾いたらきっとうまくいく・・・なんて他力本願ではいけないけれど、でもそれ位どこで弾かせて頂けるかは大切な事なのです。

本番直前のリハーサルは時計とにらめっこしながら心のゆとりはないものですが、「こんな事になるんだったらもっとリハーサルの時間を大切に使いたかった」と、後悔しました。そして、今までどれ位たくさん幸せな想いをさせて頂いた事だろうとしみじみ思い出し、まるで取り返しのつかない事をしてしまったかのようなどんよりとした気持ちで、帰途につきました。

実際来年の4月以降がどうなるか正確なところはわからないのですが、少なくとも今のこの状態のホールで弾かせて頂ける事はない訳で。たくさんの素晴らしい経験をさせてくれた津田ホールと、ホールのスタッフの皆様には心より感謝申し上げたいです。今まで本当にありがとうございました。

でもあと10ヶ月くらいあります。今度は聴衆のひとりとして、あの雰囲気と響きを心に焼き付けておくために足を運びます・・・。
 


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