ひとりごと(2013年7月分)

2013年7月31日(水)             「とある夏の夜」

7月も早いもので終わります。梅雨末期のようなぐずついたお天気が続いていますが、日本各地での「経験した事のないような豪雨」、とても心配です。どうかこれ以上被害が広がりませんように・・・。


またまた月末駆け込み状態で、今月やっと4本目。専門的な話ばかりになってしまってごめんなさい。それにしてもどうしてこんなに不器用なんだか・・・こうやって毎日書いていると、のって来て書けるのですが、書かないでいると全く思い浮かばなくなってしまう。でも漠然と思っている事を文章にまとめるのは、自分にとって必要な作業です。

今日から、例年お手伝いさせて頂いている子供たちの合宿。昨夜帰ってすぐ、さらったり荷物詰めたりしなきゃと思ったのですが、体の芯からぐったり。動けなくなってしばし数時間・・・。その後むくっと起きた時にはなぜか元気になり、ちゃちゃちゃと荷物を詰め(しかしパッキングは早くなったもんだ)、いろいろ事務的な作業をし、このひとりごとを今書き(既に朝になっている・・・)、そして片付け、最後に少しだけピアノをさらい、出発です。

洗足では今新校舎建築中。高校音楽科の授業で使っていた懐かしの校舎が取り壊されたのも記憶に新しいのに、9月からもう稼働するらしく、先日内覧会に行ってきました。まだ中では工事中ですが、立派な校舎ができたものです。それに伴って学内でのお引っ越しも始まるので、普段置きっぱなしにしている荷物をいったん全て持ち帰る羽目になり・・・いゃ、実に重かった。

近い内にお伝えできるかと思いますが、この秋はワクワクするような演奏の機会をいくつか頂き、とても楽しみにしています。譜読みの量とか合わせの時間を考えたら相当大変になりそうですが、それでも楽しみ。

気付いたら、本来起きようと思っていた時刻の30分前(もう寝るのは無理)。子供たちのパワーに負けないように、今日からも頑張ります。

しかし眠い・・・。




2013年7月29日(月)             「2013リサイタルの回想・その4」

今日は6月のリサイタルの回想の続きを。正直、全くと言っていい位忘れているのですが(気持ちの切り替えも大事?)、せっかく本番当日メモった物が残っているので、それを頼りに一気に書いてしまおうかと思います。

「展覧会の絵」についてリサイタルの前後にちょこちょこ書きましたが、まだ書いていなかった事もあるので、改めて。

曲との出会い、いつどの曲と出会うか、大切な事だと思います。昔と印象が変わっている事もままあるし、(テクニック的に)弾けないと思っていたのにいつの間にか解消されている事もあるし、その曲の解釈が自分の中で育ってきてイメージが湧き、その曲を好きになっていた事もあり・・・。ムソルグスキーの「展覧会の絵」は、「良く耳にするのに、でも全然分かっていなかった」の右代表みたいな曲でした。今(再び)出会えたからこそ素晴らしい曲だと思えた訳で・・・。

私自身、いつもは割と内省的な曲、内容の深い曲を好んで弾くのですが、今回は方向転換をして華やかな曲、力強い曲を弾いた訳ではないのです。「展覧会の絵」は作曲者の全身全霊をかけた、重く深い作品だと思っています。

この曲を知ったのはいつのことだったか、多分小学生の時だったと思います。まさに「展覧会」さながらの面白い曲がある、と。以前にも書きましたが、この曲を舞台にのせる事は無いだろうと思っていたのは、あまりにも楽譜の情報が少なすぎてどう弾けば(どうイメージすれば)いいか分からなかったから。なので今回弾くと決めたからには、どちらにしろまず楽譜を徹底的に読み込もうと考えました。実際譜読みし始めたら、今まで弾いてきた他の曲で分かってきた事が全く通用しない。ムソルグスキーが他にいろいろピアノ曲を書いていたら、その曲の楽譜などを見てヒントを探したかもしれないのですが(あまり知られていない小品が数曲のみ)。

何かが見えてきたのは、ムソルグスキーについての楽書を読んでからの事。譜読み前にした事が今回は本当に多く、ムソルグスキーが作曲した経緯、「絵」のインスピレーションの元について情報を得、それからやっと音符の1つ1つをどう弾くかがイメージできてきた感じです。昔だったら何曲目のどこがテクニック的に難しいとか、そういう表面的な事も気になったと思うのですが、今回はそんな事は殆ど考えずに済みました。この曲が世の中に出て行った経緯も多少複雑だった故(詳細長くなるので省略)、出版されている楽譜も微妙に違っており、結局自筆譜を見て自分の中の「答え」としました。ラヴェルのオーケストラ編曲から入る人も多いと思うのですが、この曲はロシアの心を表している、というような記述も読み、そう考えるとラヴェルの編曲はあくまでラヴェルの解釈だと思ったので、今回は敢えてラヴェル編曲のスコアも読まず、オーケストラの音源も聴きませんでした。「全ては楽譜の上に」と思えたのです。

ハルトマンへのムソルグスキーの想いを理解し、それをお客様に少しでも伝えられるレベルまで持って行けるかどうか。そんな事をいつも考えていました。終曲の「キエフの大門」、一見華やかな曲ですが、弾いているととてもせつない気持ちになります。なぜ「ハルトマンの思い出に」と題した曲の最後にこのような曲をもってきたか?原画の大門には鐘つき堂(のようなもの)が描かれ、大門と言っても教会のようなものなのかと思ったりもしました。私には、ハルトマンの再生を願うムソルグスキーの気持ちが、変ホ長調という雄大さを思い起こさせる調性で、あのような巨大な伽藍を感じさせる音楽を書かせたのではないか、と思われてならないのです(あくまでも私見です)。

ロシアにはまだ行ったことがないのですが、いつか行ける時があればその時にまた何かが大きく変わるのだろうな・・・。

アンコールのドビュッシーの「沈める寺」は、個人的に好きだからというのもありますが、キエフの大門と同様に雄大な建築や風景を表した音楽として、しかし音の扱い方がまるで逆、対照的だなと思って弾いてみました。ドビュッシーはムソルグスキーに影響を受けましたが、作曲や表現の根本は全く逆。風景や色、香り、響きのニュアンスなどが浮かんでそれを表現しようとするのがドビュッシー、風景などが浮かんでそこから感情を類推し、また思想などもかぎとって表現しようとしたのがムソルグスキー、という弾き分け方をしてみました。

ドビュッシーは今回久々の登場でしたが、曲の世界に入っていく過程がとても楽しかったです。何よりも楽譜に書かれている情報が格段に多く、また構成も本当によく考えられていて、今回新たに気付けた事も多数。このような楽譜情報を読み取った後で、どの音にどんな音量や音色を配置していくかをいろいろ考えて試していくのですが、まだまだ楽譜を読み込むことが出来ると弾きながらも思いました。それにしても今回、「ピアノのために」「映像1集」と続けて弾いてみて、「映像1集」は実は古典組曲のはるか先にある発展形だと気付けたのが面白く、サラバンドを進化させてあの「ラモーを讃えて」になったのも、1曲の中に盛り込んだ響きの多彩さ(音量、音色、重ね方など)も、何から何まで本当に「お見事」というしかありません。

というところで、1ヶ月半に渡った「今年のリサイタル回想」、終わりにします。

しかしドビュッシー、いいですね。また近々弾いてみたいなと思っています。作曲年代順に弾いていくのも作曲家のいろいろが見えてくるようで、本当に面白い。春にデュオで弾いた「小組曲」から謎に思っていた事が、1つまた1つと解けてゆきます。そう言えばちょうど今弾いているドビュッシーのアルトサックスのためのラプソディ、これも「展覧会の絵」のように謎多き曲で(詳細長くなるので省略)、昔から弾く度に「?」と思う事が多々ありました。が、なんと最近ドビュッシーの直筆ファクシミリが出版されたとの情報を入手。数日前、それと今まで弾いていたピアノ伴奏版とオーケストラ・スコアを見比べていて、びっくり大発見。長年の謎が解け、夜中に大興奮していました。

「全ては楽譜の上に」。これだから止められない・・・。




2013年7月28日(日)             「ログハウス」

例年なら今は梅雨明けて1週間ほどのはずですが、今年はついつい「残暑」お見舞いを申し上げたくなってしまいます。それにしても猛暑とゲリラ雷雨にはお手上げ。

さて前回の続き。峰の原高原でのピアノとフォルテピアノのコンサート、肝心要の演奏について。

いつもお世話になっているペンションぷれじ〜るさん、今回初めてログハウスでコンサートとなりました。自然の中のログハウス、窓を開ければやさしく風が吹き抜け、鳥の鳴き声が聞こえ、木のお部屋でフォルテピアノはもとより、ピアノの音も自然に響きます。ここに到着したのはコンサート前々日の夜。街灯もない暗がりの中で目が慣れぬまま、私たちより先に到着して調整して下さっていた調律の竹田さんが案内して下さり、久しぶりにこの楽器とご対面しました。夜は虫が入ってくるので窓を開けられず、外は闇という不思議な緊張感の中、ちょこっと弾かせて頂きましたが、懐かしい響きは健在でした。そして長い長い眠りから覚めたというアップライトピアノ。本当に最近まで眠っていたとは思えないほど。アップライトとは思えぬほどアクションもよく、豊かな響きがしました。

翌日は1日中合わせ。フォルテピアノも到着したばかりでその場に馴染んでもらうには時間が必要で、そして私たちも久しぶりにこの楽器で演奏するので楽器に馴染む時間が必要なのです。それに日常生活では、ひとつだけに集中する訳にはなかなかいきません。「長野に着いたら」・・・ずっとそう自分に言い聞かせ、やっとその時間が訪れたのです。集中したら後は早いもので、気がつけば夜になっていました。でも肝心のベートーヴェンのコンチェルトが手つかずで、結局合わせは夜中まで。気になって何時まで演奏可能かお尋ねしたのですが、「24時間いつでもどうぞ」と。それにしても妙に集中できる環境でした。

さて、当日の朝も何だかバタバタしている内に本番になり・・・こじんまりとしたログハウスに、お客様がすぐそこまで座っていらっしゃる状態。でも連弾やフォルテピアノを聴いて頂くには正にぴったりの雰囲気、そしてお客様の好奇心?と優しいまなざしを感じました。たまたま選んだ今回のプログラム。大バッハの息子フリードリヒのソナタはまっすぐで素朴、そしてベートーヴェンの2番(作曲順としては1番の)コンチェルトは若々しく楽しげ、シューマンのカノン風変奏曲は心の奥にしみじみとした想いをのこし、最後のメンデルスゾーンのアレグロ・ブリランテは軽快で華やか。音楽に一緒に向き合って下さる皆様と、自然の中で共に味わうのにふさわしい曲だったような気がします。

今回の調律は、フォルテピアノの方をヴェルクマイスター第3法、ピアノの方は平均律でして頂きました。楽器そのものの響きの違いだけでなく、調律法による違いもお客様には感じて頂けたのではないかと思います。平均律とは違って、ヴェルクマイスター第3法では調性が変われば色合いも変わるのですが、フリードリヒ・バッハのイ長調の次がベートーヴェンが変ロ長調、半音上がる調性だったので、弾いていても良く分かりました。

ベートーヴェンのコンチェルトはフォルテピアノで私がソロのパートを、現代ピアノでオーケストラのパートを原田さんが弾いてくれましたが、こんな面白い(?)試みはなかなか聴けないでしょう。いつもは手や体がぶつかる距離で(音楽的にも)密に合わせをしているので、別々に、しかも違う楽器で合わせるって不思議な感覚でした。そして違う調律法の楽器同士で合わせるという事。まさか曲毎に調律して頂く訳に行かないので、止むを得ない状況でした。当然微妙な音程のずれが生じる訳で、でも強引に慣れてしまえば気にならなくなりましたが、滅多に聴けない貴重な機会だった事には間違い有りません。音色の違いと言い、バランスと言い、自分でもぜひ聴いてみたかったです。

もう何度もこの楽器を弾かせて頂いているのに、今回改めて意識した事。ピアノでいう黒鍵(フォルテピアノでは色が逆になるので白鍵)が、ピアノでいう白鍵(フォルテピアノでは黒鍵)の長さの3分の2もあります。つまり、ピアノでいう白鍵(フォルテピアノの黒鍵)の広い部分が少なく、結構弾きにくいのです。他には、ピアノでいう黒鍵と黒鍵(フォルテピアノの白鍵)の並ぶところには指がはまって抜けなくなったり・・・。連弾はそこまで音が多くないので今まで意識せずに済みましたが、さすがにコンチェルトになると違う。むしろ逆に、モーツァルトやベートーヴェンのコンチェルトにちょくちょく出てくる何小節にも渡る長〜いトリル、鍵盤が軽いので問題なく弾ける事に気付きました。

フォルテピアノで初合わせしている最中に「!!!」となった出来事。「鍵盤が足りない」事件です。今回弾いた1784年製シュタイン(レプリカ)は61鍵(一番下もファ、一番上もファ)、時代的にこれで弾けるはずなのですが、1楽章のカデンツァを必死になって弾いていたら「???鍵盤がないっ」と端っこまで行って気付きました。最低音も最高音もバンバン使うのですが、まさか足りなくなるとは思っていなかったのでびっくり。後で分かりましたが、この作品はベートーヴェンが何度か改訂したもので、カデンツァは後から書かれたものらしいです。もっと鍵盤数が多い楽器が生まれた後の事でしょうが、だからと言って即興でカデンツァ弾ける訳もなし、どうしようと考えた末、音が足りないところだけソロのカデンツァの間に暇している原田さんに弾いてもらいました。一気に流れるスケールやアルペジオの途中から入るという至難の技を披露してくれましたが、聴いているお客様としては面白かったそうです・・・。

番外編、このログハウスでファミリーコンサート(もちろん関係者のみ)もありました。ぷれじ〜るさんでは皆さんが何かしら楽器を演奏されるのです。自然発生的に夕飯の後に皆が楽器を持ち寄り、何かしら持ち曲を演奏、ソロあり、室内楽あり・・・。いつの間にかコンサートになっていました。身近に音楽があるのって、何か楽器が演奏出来るのって素晴らしい。皆で幸せなひと時を過ごせました。

演奏で思い出せるのはこんなところでしょうか。もっとたくさんの出来事がありましたが・・・ぎゅうっと凝縮された数日間でした。今回も貴重な機会を頂き、本当にありがとうございました。

先ほど空気を入れ替えようと窓を開けたら、ぶいぶい羽音をさせてコガネムシが入ってきました。そのままドロン。どこに隠れたんだか・・・。




2013年7月26日(金)             「優しい音」

暑中お見舞い申し上げます。

この7月、例年よりはいくらかゆとりがあるかと思っていたら予想外の展開となり・・・こんなに長らく書かなかったのも初めて。何度もいらして下さった方には本当に申し訳ないです。お待たせしました。

何があってこんな状況になったか思い起こしてみましたが、今月前半はまずベートーヴェンのコンチェルトをさらうのに時間を使いました。いや、むしろ気の方をより多く遣ったというべきか・・・。それと並行して学期末の慌ただしさがあり、また伴奏の方もいろいろお引き受けしていて、練習はもとより考えたり聴いたりする事でいっぱいいっぱいになっていた、というところ。6月のリサイタルが終わった後はいつもいったん落ち着くのですが、ここまでさらい続けているのはもしかしたら初めてかも?本当に幸せな事なのですが、1つ1つに十分に時間をもっとかけられたら・・・というのが切なるな願いです。

先日の峰の原高原でのピアノとフォルテピアノのコンサート、自然に囲まれたとても気持ちよい空間で演奏させて頂け、心の落ち着きを取り戻せた数日間でした。連休のさなかの貴重なお時間を割いていらして下さった皆様、楽器と調律でお世話になった竹田楽器様、ペンションぷれじ〜るの皆様、本当にありがとうございました。折しも都会は35度の灼熱地獄が数日続いていた頃で、あの涼しさと静けさは信じられない位。今自分に必要な事は豊かな自然と静かに流れる時間だと実感できた、そんな滞在でした。

時計を持たず、時刻を気にせずに過ごせるって出来そうでなかなかできない。でもここではできてしまうのです。今回あちらについてから久々にフォルテピアノに再会し、練習させて頂いたので1日中、それも間に合わなくて夜中まで合わせていました。実際しなくてはならないことは目白押しでしたが、時間に追われている感じはしないのはなぜか・・・。昼間弾いていると、休符の合間に鳥たちの鳴き声が合いの手のように入ります。夜は本当に静かで何の音もしないようで、でも自然の息づきが存在しています。そんな中に流れてゆく、木でできたフォルテピアノの優しい音色〜。

もう何回もこの楽器を弾かせて頂いていますが、素直で優しい音がします。いつもコンサートの休憩時、調律の竹田さんが楽器を解体してしくみを説明して下さるのですが、こんなシンプルな構造だったのかと改めて驚かされます。今でこそグランドピアノは1台で大ホールを響かせられるように立派な楽器になりました。今のピアノの表現力の豊かさももちろん好きですが、楽器を慈しむように大切に弾くとその気持ちにこたえるように優しく響く、そんなフォルテピアノの音もとても好きで、ぜひこの音を皆様に聴いて頂きたいと思います。

毎朝毎晩通勤電車で揺られ、スケジュール通りに合わせや本番をし、夜は寝ているんだか寝ていないんだかわからぬ内に朝になり・・・というこんな生活でいいのか?ついつい考えてしまいます。やはり心のゆとりがある状態で音楽に向かい合わなければいけないなと、反省です。

と思いつつ、ゆとりのない生活はまだまだ続きます・・・。


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