ひとりごと(2013年11月分)

2013年11月30日(土)            「バロック」

あっという間に11月も終わり。楽しみにしていたアイソン彗星が蒸発したらしいとか?ちょっとしょんぼりしています。

お陰様で無事リサイタルも終わりました。いらして下さった皆様、スタッフの方々、本当にありがとうございました。まだ1週間しか経っていないというのに、遠い昔の事のように感じます。間際の1週間は学校の仕事も前日までほぼいつも通り、とにかく必死に過ごしておりました。極力手をつけないようにしていた事は、終わってから一気に降る降る。年末のあれこれ、そして年度末の諸々、日常的にしている事ってどうしてこんなに多いんだろうと思いながら、当たり前な日々を取り戻している内に、あの日考えた事や思った事は殆ど忘れてしまいました。

今回弾いたのは、6月の津田ホールでのプログラムとほぼ同じもの。でもこじんまりとしたスペース、アットホームな空間、というのが違うところです。それだけで自分の心持ちも状況も、かなり変わるものだと感じました。年一度の定期リサイタルではトークは入れず、音楽だけで全てをお伝えするつもりで演奏しているので、今回はちまちまと何を考えて演奏しているかお話し・・・するつもりでいたのですが、とてもとても何を話すか考えるところまで頭が回らない。リハーサルが終わって本番までのわずか10分ほど、ぶつぶつ呟きながら予行練習しておりました。

実は本番1週間前、バロック音楽の巨匠ともいうべきお方のレッスンを受けてきました。J.S.バッハ、子供の頃から常にいつも身近な存在で、いろいろな作品を弾いてきています。でも弾けば弾くほどいろいろ分かって来て、そしてその反面ますます分からなくなり・・・ただでさえさまざまな解釈の可能性があるというのに、チェンバロやクラヴィコードで演奏する事をイメージして当時の音楽的慣習も踏まえて弾くか、現代のピアノで弾く事を前提に新しく「作り直す」べきか、はたまたその「いいとこ取り」で行くか。これまた迷いますし、1つ変わったら全てを変えなければなりません。小学生の時から馴染んでいた曲だからこそ、もう1回全てを考え直そうと思い、そしたらますます深みにはまっていくようなそんな気持ちを味わっていた時でした。

レッスン、久々に緊張しましたが、結論から言いますとたくさんのヒントを頂けたレッスンでした(詳細は省略)。迷っていたところはやはり指摘されましたが、各曲の最初もしくは大切なところに絞って考え方の根本を示して下さり、残りは自分でゆっくり考えました。一番響いてきたのは「バロックの考え方」について。目から鱗が落ちた気分です。それに従って弾いてみると演奏が180度変わるような気さえしましたし、当時の演奏様式についてまだまだ知らない事が多すぎます。全てを知った上で、モダンピアノで弾く時にどの解釈で行くか選ぶ余地はあると思うのですが、いやいやまだまだ勉強しなければ、と思わされた時間となりました。

でもそれよりも何よりも大切な事。無欲に、謙虚に、力を抜いて、そして音楽を心から楽しんで、作曲者と「共同作業」するつもりで(←確かそんなようなニュアンスでおっしゃっていました)、そんな風に弾きたいなと日々思う身としては、背中を押して頂いたようなありがたいお言葉でした。そしてこんなレッスンが非常に懐かしく感じられたのですが、なぜだろう?と考えていてハタと思いあたりました。亡くなられた師匠のレッスンはこんな感じだったなぁ、と。演奏活動されていらっしゃる方の一言はひらめきに満ちていて、そして重く響きます。

本番当日はぎりぎりまで迷っていましたが、結局バロック当時に寄った考え方で弾いてみました。これだけ表現の可能性がある楽器でやるのは正直勇気がいりましたが、この曲に新しい風を吹きこむためにはいったんそう弾いてみる事が必要だと思ったまで。今まで何を感じ考えて弾いていたんだろう?と思う位、自分でも違って聴こえました。それがよかったのかどうか自らジャッジを下す事はできませんが、前と同じでいいと安心(妥協?)してしまったら終わり、常に何か探し続けなくてはいけないと思うのです。

バッハについて書いていたらいつの間にこんなに書いてしました。他にもいろいろ書けそうな事はあるのですが、又次に・・・。




2013年11月21日(木)            「夢の中で」

いよいよソロ・リサイタルも明日となりました。

次のコンサートまでの間隔が短く、それぞれ編成もプログラムも違うのに、不器用な私が集中できるのは常に目の前のコンサートのみ。ソロに気持ちが向き始めたのは先日の古曽志先生コンサートが終わってから。こうやって人と一緒に演奏する事が続いている中にソロ・リサイタルがあるというのは、正直何か気重に感じてしまいます。やはり人と音楽を共にするのは楽しいもので、おまけに暗譜の必要なし。ソロだとコンサート1回分、最後まで全うするのは責任重大だなと感じます。人前に出る事や1人で弾くのが好きなどころかむしろ苦手な性分なのもありますが、音楽と自分自身を「お聴かせできる」レベルまで持っていくのは大変な事だとつくづく思います。

うまく説明できないのですが、気持ちが「人前で1人で弾ける」レベルまで来れば、「ただのピアノの音」でない音が出せるような気がします。何かをイメージ出来る音、何か気持ちを語れる音・・・。

何だかちっとも良くないんだけど、どこをどうしていいかわからないと思っている時は苦しい。何をどうすればよいのか見えているんだけど、時間が全然足りないと思っている時も苦しい。

そんな時、明け方に夢を見ました。数年前にお亡くなりになった、かつてお世話になった大切な先生。楽器は違うけれど、人として、そして芸術家として、そして人生に音楽に大切な事は何かを教えて下さった方です。昔、リサイタルの直前にお葉書を下さった事がありました。今思えばお亡くなりになる少し前だったように思いますが、苦しい時だっただけに、お忙しい先生がわざわざ書いて下さった事をどれだけありがたく、そして嬉しく感じたかを思い出しました。夢の中でも、あれ?どうして先生ここに?と思いました。昔と変わらずブツブツ何かおっしゃっていて、いたずらっぽい笑顔で、いつの間にか人ごみにまぎれて居なくなってしまわれました。あぁあの時と同じ、様子見にいらして下さったのかなと・・・。

そんな事があって少し我にかえりました。そして何のために弾くのか、思い出しました。弾くのは1人だけど、本当は1人ではないし。

三者(?)三様のプログラム、バッハパルティータ、ドビュッシー映像、ムソルグスキー展覧会の絵、という名曲揃いです。当日券も出る予定ですので、お時間が出来ましたらふらりとおでかけ下さい。よろしくお願い致します。

夢から目覚めた後、先生に質問したい事があったのを思い出しました。今晩もまたふらりと夢の中にいらして頂きたいものです・・・。



2013年11月12日(火)            「古曽志先生とネコの音楽会」

いつしか日が暮れるのが早くなりました。朝も起きる頃には薄暗い。街中でも日に日に木々が色づいてゆきます。冬も、そして年の暮れも近いと実感します・・・。

さて、古曽志先生とネコの音楽会も、お陰様で先週末無事に終了致しました。とてもあたたかい空間でした。もちろん他のコンサートでも、いつもお客様のあたたかさを感じながら弾かせて頂いているのですが、あの日は特に。何と言いますか、どんな曲が聴けるのだろう?というような期待やワクワク感もあり、そして古曽志先生がネコちゃんに注いでおられるようなあたたかな眼差しが、お客様から舞台に向かっても注がれているような、そんな空間でした。

今回のコンサートの企画構成は先生ご自身がなさったのですが、いつも先生は明確なコンセプトを持ってコンサートを企画されています。今回はタイトル通り、先生の作品とネコにまつわる作品を集め、それをつなげて1つのお話にしたようなコンサートとなりました。先生の作品は、留学されていたパリでの思い出から想起されたもの、そしてネコの日常にまつわるもの、そして童話「長靴をはいたネコ」に基づくもの、これにからめてフォーレとイベールというフランスの作曲家の作品も演奏されました。

リハーサルの時間は十分にとってありました。さまざまな編成の曲があり、それにお話も入るがゆえ、舞台転換やセッティング、出入りの段取りも多少複雑、慣れない私は覚えるのが大変でした。今回演奏されたアンサンブル・ヴァリエの皆さん、先生の教え子さんのグループなのですが、チームワークがとても素晴らしい。演奏者の皆さんはもちろん、スタッフとして手伝って下さった方々も見事なお仕事ぶり。いい音楽をお届けするために、皆で一つになってアイデアを出しあい、助け合って・・・というリハーサルでした。そこで生まれた空気がそのまま客席にとどまってお客様に届いたかのようです。

なんて書いていると自分が何をしていたか忘れそうですが、ちゃんと演奏しました。先にも書きました通り、お客様のあたたかなお気持ちが後押しして下さったのでしょう。やわらかなふわっとした何かに包まれて演奏出来た、そんな気がします。

作曲家が曲を書いて表現する事、作曲家がイメージしたものを受けとめて演奏する事、どんな作品であっても自分なりにいつも一生懸命考えてしている事ですが、やはり身近にいらっしゃる方のお書きになったものを演奏する、というのは何か違うものです。本番に先だって先生の前で演奏する時が何と言っても一番緊張します。先生の描いていらっしゃる作品を具現化するために、楽譜を見て疑問に思った事なども質問しますし、楽譜のすみずみまで読み、「普段の先生」のイメージも重ね合わせ・・・紙に書かれた音符の数々を演奏して「一瞬で消えゆく音楽」にする、というのはこういう事。得難い経験をさせて頂いています・・・。

今回弾かせて頂いた連弾組曲「こねこのポール」、とてもかわいい作品ですが、実は難しい。音の重ね方に先生のこだわりがおありだと思うのですが、ただの和音にならないように微妙に各音の長さを変えてあります。4本の腕を行き来して1本のラインを描くように、まるで2人の仲を試しているようなところもあちこちにあります。テンポの変わるところも多々あり、きちんと打ち合わせておかないとかなりコワイけれど、いろいろな解釈で試せます。まるでネコの気持ちのようにくるくると変わる曲想、繊細で美しく移り変わってゆくハーモニーも魅力。連弾好きの方にお勧めです。

まだ全部書き切れていない気もしますが・・・参加させて頂けてとても心地よかったコンサートでした。いらして下さった皆様、先生とアンサンブル・ヴァリエの皆さん、スタッフの方々、ありがとうございました。

昨日のゲリラ雷雨の後、外に出たら空がツートンカラー。空を2つに分けるラインがひかれているかのように、真っ黒な雲と青い空がとなりあっていました。雨が上がって晴れた後も風は強く、急に震えるほどの寒さがやってきました。木枯らし1号。今朝は相当寒そうです・・・。



2013年11月7日(木)             「お近づき」

11月に入ってもう1週間が経とうとしています。本当に本当に日が経つのが速くて怖いです・・・。

先日のモーツァルト室内楽の東京公演もたくさんのお客様にいらして頂き、無事終了致しました。いらして下さった皆様、ありがとうございました。あの日も予期せぬ雨にたたられ、どうしてこうもお天気に恵まれないかなと思いつつ、でもモーツァルトを弾いていたらいつしか忘れました。モーツァルトにはやはり不思議な力があるなと感じました。

当日のリハーサルで、また本番で、どうして子供の頃はモーツァルトが好きになれなかったか、そしてその後好きにはなってきたけれど苦手と思っていたか、それを弾きながら漠然と考えていました。昔はひねくれていたというか、欲があったのか・・・音楽に携わっていられるだけで十分幸せで、つまらない欲に振り回されずに済むようになったからこそ、素晴らしいものを素直に素晴らしいと思えるようになったのかもしれないし、それを伝える立場にいられればいいと思うようになったのかもしれない。あ、元々「作曲者の遺してくれたものありきなので、演奏者は作曲者のメッセージや想いを伝える事が第一」と思っています。それを伝えるお客様の存在は本当に大切ですし、だからと言って自分の思うところは全く演奏に盛り込まなくていいという訳ではないですが。

話がそれてきたので戻しますが、あの日は静岡公演とは又ちがった演奏になりました。本番2回目なので少し落ち着いたとも言えますし、その分いろいろ考えながら弾けたとも言えます。 何を考えていたかな〜まず、ピアノに早く慣れる事をリハーサル中では考えていました。何だか音での表現が浅いな。何でだろ?と思いながらいろいろ試していました。モーツァルトなので、ザ・モーツァルトというべき音色のイメージは最初からあって、美しくて端正で軽やか?そんな音です。音量を変に出してしまうと音に重さが出てモーツァルトらしさが消えてしまう。8分音符の連続、16分音符の連続というようなところが単調にならないようにしたい。何でもなさそうなスケールやトリル、そういうところにも色を出したい。昔は表現の引き出しが全然足りなかったのでなすすべがなかったけれど、今はあれこれ思いつくようになったのが嬉しいです。細かいパッセージでも音が抜けないように、トリルが綺麗に入るようにするには、鍵盤の重さや深さ?を踏まえて、体とピアノをつなぐ腕のベストなバランスがとれればいい。という事も弾きながら分かってきました。そして何よりも、同じメンバーで13年毎年続けてきたからこそ、今モーツァルトに取り組めるのだろう、という事。時の積み重ねってありがたいものです。

そして古典って思いのほか自由に弾けるものだとも感じました。テンポの速い遅いとは全く別で、流れがあるか止まっているかという問題があり、曲の冒頭から流れを持って弾き始められれば、その後は流れにのって自然に音楽は進んでゆく。そして曲の元々持っているフレーズ、つまりハーモニーやリズムが絶妙に組み合わされてできているフレーズを理解していれば、メトロノーム的でない「人間的な」伸び縮みのあるテンポとなり、それが古典主義特有の表現となる。当たり前に書かれている事を当たり前に捉え、そしてそれを当たり前に美しく演奏する。学生時代にも先生方はそのように教えて下さっていたけれど、それが何なのかを全然分かっていなかったなと、今自覚するのです・・・。

何だか説明が長くなってしまいましたが、いろいろな事がこの年にして分かってきた貴重な経験でもあり、そしてそれを抜きにしてもモーツァルトの素晴らしさを実感でき、また少しだけモーツァルトにお近づきになれた気がします。いらして下さった皆様にもモーツァルトっていいなと思って頂けていたらとても嬉しいのですが。もっと年をとった後にまた演奏出来る機会があったら、またその年齢なりにいろいろな事がみえてきて楽しく弾けるのではないか、そんな気がします。今回もありがとうございました。

さて、モーツァルトが終わってからなぜか随分時間が経ったような気がしているのですが、カレンダーを今見てまだ1週間も経っていない事にびっくり。日付感覚がどうかしています。明日は銀山コンサートシリーズの古曽志先生の一夜。という訳でこのところは再びピアノ・デュオづいています。半月後の(!)ソロの練習もやっと動き始めました。

古曽志先生は母校での大先輩にあたりますが、かつてパリに留学されていて、先生のお書きになった作品は何かフランスの香りが漂ってきます。現代音楽っぽくない、という表現でいいのかどうかわかりませんが、とても聴きやすい作品です。今回のコンサートのキーワードは「ネコ」。ネコを愛される先生の書かれた作品と、セレクトされた(別の作曲家の)作品から成るコンサート。1つのお話のように一晩のプログラムが組まれているのではないかと思います。私たちが演奏させて頂くのはフォーレの「ドリー」より2曲と、先生の連弾組曲「こねこのポール」。5曲から成る「こねこのポール」、優しい眼差しで日々ネコを見つめていらっしゃるからこそ書ける音楽だと思いますし、連弾としてもとても興味深く書かれている作品で、弾きながらいろいろイメージが広がります。木管四重奏とピアノによる「長靴をはいたねこ」、先生の朗読も合わせて、お子さんにも楽しく聞いて頂けるかと思います。当日券も出ますので、ご都合よろしかったらいらして下さい。

急に寒くなりました。電車内では徹底的にマスクしてウィルスから逃げています。皆様もお身体お大事に・・・。


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