ひとりごと(2011年10月分)

2011年10月31日(月)            「純正律?」

週末から締め切りに追われ、いろいろなものを一つずつ終わらせようと躍起になっています。家にいる時間が無くなったゆえ、パソコンを開ける時間がことごとく減り(メールはスマートフォンからチェックしています)、パソコン仕事が随分たまっていました。ケータイもスマートフォンに変えたらその扱いにくさにすっかり参り、昔は電光石火の如く返せたメールがなかなか打てず、これまたメールだけにとどまらずに連絡先登録も滞っています。連絡先を登録し直そうとして、うっかり電話が勝手に(?)かかってしまった事が数回・・・。普段は画面にタッチしても反応してもらえない位なのに、なぜかこういう時だけあっさり画面が反応するのです。という訳で便利なんだか便利でないんだかわからないこの状況、かなり面倒で億劫です。誰か助けて〜。

あ、今日のニュース。鳩子再び。もう会えないのかなと思っていた鳩子が出戻って来ていました。キジバトの生態を全然分かっていないのですが、考えてみれば巣立ったからと言ってどこに行けばよいのか。休みたい時には戻るのでしょうか?

さて、お約束を忘れた訳ではありません。前回の続き、伴奏や室内楽を演奏する時に、ピアノの立場として注意している事を。ちょっと専門用語ばかりになってしまいますが、お許しを。

ピアノは、1オクターブを12等分に割ったものを半音とする平均律で調律されています。これは、自分で音程を調整しながら弾く事ができない、しかしさまざまな調性の曲を弾く必要があるためです。一方、他の楽器は平均律だと響きがわずかに濁ってしまうので、純正律で演奏される事が多いと聞きます(正確には純正律以外にもいろいろあるようですが、平均律で音程を取らないのは確かです)。その都度自身で音程を微調整しながら演奏できるので、その調で演奏するのに最も美しく響く音程を取ることが可能です。

という訳で、純正律で音程をとる楽器と平均律で調律されたピアノの響きが一緒になるとどうなるか?もしピアノの響きに合わせてしまったら、ソロ楽器の音程がとても悪くなってしまいます。しかしソロ楽器とピアノが全く一緒のユニゾンで旋律を奏でるところがあったら、こればかりは致し方ないのですが。ではどうなっているかと言うと、正確にはいい音程が取れているソロ楽器とピアノ、微妙に違う音程で「合わせて」いる事になります。

例えば、ある旋律にピアノが和音で(ペダルでまとめて響かせている分散和音も同様)伴奏をしている場合を考えてみます。和音に良く使われる長3度と短3度の音程。根音と第3音の間がこのどちらかの音程になる事が多いのですが、平均律に対して純正律では長3度はこころもち低めに、短3度だとこころもち高めになります。なのでピアノでその和音を同時に鳴らしている場合、ピアノの第3音はソロ楽器の音に対してハモらないので、少しぼやかして(音色音量も)弾く必要があります。

伴奏や室内楽を好んでしていた学生時代から、弾き方によって他の楽器と溶け合う響きが作れたり、逆にお互い対立する響きにしてしまう事もあると思っていました。耳で聴いてバランスを取っていると、ソロの時とは違った耳の使い方、弾き方を自然にしているのを感じます。それが何なのか自分でも説明がつかなかったのですが、最近思うに、バスの音を良く聴いて響かせ、そこから生まれる倍音の中に自分の全ての音はもちろん、相手の楽器の音も包みこむようにしているのだと気付きました。

近現代の作品では不協和音が多く、おまけに意外すぎる和声進行も多いので、私自身どういう響きになるのか知りたくて、ピアノ・パートを和音にまとめて相手と一緒に弾いてみる事が良くあります。もちろん普通の伴奏合わせの時にも、ハーモニーや音程を意識してもらうために有効な方法だと思います。音が多くなればなるほど、耳の中で想像した音と違う音が鳴るような気がするのですが、それが一体なぜなのか考えたら、やはり平均律と純正律の違いではないかと思い当たりました。

手前味噌で恐縮ですが、自分でスコアから起こしたラヴェルのラ・ヴァルス、これは余計な音を増やさず(つまりオクターブ上や下の音も重ねたりせず)、オーケストラ・スコアに忠実にアレンジしました。実際に弾いてみるとオーケストラではあり得ないような濁った響きが、音が多くなればなるほどひどくなります。オクターブ内にある12音の内、半分の6音以上違った音が重なっているところもざらなのですが、平均律で音を重ねると、あり得ない程の濁りが生じているように聴こえます。そんな風に考えたら、ラヴェルの作り出したオーケストラのあの響きはそこまで考え尽くされたものなのかと、驚きを禁じ得ません。でもラヴェルの場合、元がオーケストラで後々自分でピアノ曲に編曲、あるいは元々ピアノ曲なのに後にオーケストラ用に編曲、このパターンがとても多いのです。その際はどう考えていたのだろうと、疑問もわいてきます。

えぇと、話を戻します。合わせの時は耳で聴くのと共に、弾きながらスコアの全パートを目で追って得た情報も用いています。今ここで全ての音が鳴るとどういう和音になり、その中で自分が受け持っているのはどういう役割を持った音なのか?例えば次の主和音につなげるためには、その前の導音はちゃんと鳴らす必要があるとか、主和音でも第三音が長調か短調を決めるからそれをきちんと響かせるとか、バスのラインが自分に有る場合はもちろん出すし、相手にバスの役割が任されている場合はピアノのバスは弱く弾くとか、思いがけない和声進行が隠されている場合はその思いがけない音を強調するとか、相手にとって音程が取りにくくなるような音はソフトに弾いておくとか・・・などなど、意外にたくさんの事を考えながら弾いているなと自分でも思います。

多分それは、ソロでフランスものを弾く時に得た感覚から来たのでしょう。何の曲でももちろん、和音の構成音一つ一つをバランスよく積み上げる事を意識して響きを作っていますが、特にフランスものは音一つ一つをどんな音量どんな音色にするかを考える事で、和音のキャラクターが大きく変わります。具体的に指一本一本をどう使うか考えるより、実際にあれこれ試し弾きしている内に思わぬ響き方が偶然見つかる、と言う方が正しいです。

あ、ピアノの学生さんに時折言いたくなる事。チューニングの際に鳴らすA(ラ)の音、ちゃんとペダルを踏んで響く状態にしてから鳴らしてほしいです。ペダルの有無で響きが全然違うので。そして最初のAの鳴らし方で、その人が音をどのように奏でるかがばればれになってしまいます。伴奏助手をしていた時、ヴァイオリンのレッスンで「曲を始めるまでもなくチューニングでセンスが分かるから、心してチューニングするように」と言われていた学生さんがいました。それは正に伴奏者の立場でも当てはまるなぁと思ったのを覚えています。

・・・なんて調子にのって書いていたらこんなに長くなってしまいました。まだ今日中にこなすべきノルマは全く終わっていないので、中途半端ですがこの辺で。

今週は子供さん達にピアノという楽器とピアノの音について感じて頂く、小さなコンサートがあります。そこでいつものように連弾を、そしてドビュッシーの子供の領分から数曲ソロを。子供の領分、小学生以来久しぶりに弾きます(副科レッスンでよく宿題に出すものを除き)。大人の目線で楽譜を眺めて、つくづく良く出来ている作品だなぁと感嘆しました。大作曲家は子供に対してこそ全く手抜きをしないのですね。私も、どう表現したらドビュッシーの世界をうまくお伝えできるか、しばし考えてみます・・・。



2011年10月30日(日)            「7周年!そしてピッチあれこれ」

ふと思い出したのですが、15日で7周年ですよね?と思わず尋ねたくなるほど、全く忘れていました。どうにかこうにか月末まとめて更新を最近繰り返している内、また1年が経っていました。いつもいらして下さる皆様、本当にありがとうございます。まとめて更新が続くかもしれませんが、更新そのものは絶やさずに続けていこうと息巻いて(?)おります。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

本日のビッグ(?)ニュース!鳩子が昨日巣立ったようです。

せっかく書いたのに。書いたから出て行ったのか・・・なんて事はないでしょうが、あまりにも巣立ちが早くてびっくり。朝に羽ばたき練習の目撃情報があったので、多分間違いはないはず。感覚的には10日位かと思って調べたら半月位らしいです。一昨日遠目に見たらヒナとは思えない程大きくて、目鼻立ちもしっかりしている。卵自体を見ていないので想像がつかなかったのですが、ヒナとして生まれてからぐんぐん大きくなったのか、それとも元々の卵からして大きかったのか。なぜ?と思うと気になって気になってしょうがない性分です。ま、無事に巣立ったのなら良しとしよう・・・。

芸術の秋はコンクールの秋。最近は学生さんの出場するコンクールを聴きに行く、コンクールに出場する学生さんの伴奏合わせをし、本番にお付き合い。そんな日が多いです。

たまたま今数名の中学生の伴奏をお引き受けしています。合わせの度に何かをつかみ、ぐぅんと伸びている。その変貌ぶりに目を見張る事が多いです。正に探し求めていた事のヒントや答えが得られた時、あるいは偶然にそれが出来た時、その後考えて全てに応用し、練習してきているのでしょう。求めてもいない事を与えられても、人はそれを喜ばないし当然自分の身にもつかないもの。音楽にも正にそれが当てはまると思うのです。本気でどうにしかしたいと思うなら自分で探すはずだし、何としてでも出来るようにしようと努力するはず。次の合わせまでと言わず、1回その場弾いてみる毎にガラッと演奏が変わる事に驚いているのは、実は本人ではないかと思ったりもします。

それと関係ある事もない事も含め、最近本当にいろいろ考えさせられる事が多いです。未だに全然わかっていないと思う事もあるし、一生勉強だな、と。そんな事は前々から分かっている事ではありますが。

たった1回の演奏って、その作品をどう解釈するか、楽器をどう操るか(操るという言葉は好きでないのですが、今ぴったりくる言葉が見つけられず)、自分の心にどう向き合うか、どんな風にその時の音を聴くか、共演者とどんな化学反応が起こるか、多方面から突き詰めた結果偶然できあがるものなんだろうなと、改めて思うのです。

ちょっと専門的な事ですが今思いついたので、合わせや伴奏に関して少し。前に書いたような気もするのですが(読み返したら書いてありました・・・がせっかく書いたので消さずに残します)。

最初のA(つまりラ)のチューニング、ピアノがぽぉんと鳴った途端に合わせてしまうと、実際にはピアノに対して低く合わせる事になってしまいます。なぜならよく聴いて頂けばわかると思うのですが、ピアノをぽぉんと弾くとその直後、本当に本当にわずかなのですがピッチが上がります。だからピッチが上がったのを確認してから合わせないと、ピアノより常にピッチがぶら下がった状態になってしまいます。ただし注意!その完全に上がりきった高さで合わせてしまうと、場合によってはピアノよりピッチがうわずって聴こえる事になってしまいます。なぜなら曲中、ピアノが長く伸びた音を演奏しているところもあれば、次から次へと音が移り変わるようなテンポの速いところもあるので。

コンクールや試験の講評で「チューニングに注意」とか「ピッチが低い」といつも書かれるのに、それがなぜだかわからないと言う学生さんにも何人も出会いました。楽器の特性としてピアノより高めにチューニングする弦楽器、ピアノより低めにチューニングする管楽器、どちらにもこれがあてはまる確率高いかと思います。

実際、ピアノによってもその上がり幅は全然違います。元々のピッチが低めなのにも関わらずかなり高く上がるものもあれば、元々室温のせいなどでピッチが高めになっているにも関わらず、そんなに上がらないものもあったりします。だからプロの方々は皆さん、その幅の中でどのあたりに合わせるか決めていらっしゃるようです。このあたりどうされているのか非常に興味がありますが、きっと門外不出ではないでしょうか。

「あれ?このピッチ、442ですよね?」と確認される事も多いです。例えばコンサート・ホールのようにその場で調律して頂くのならともかく、学校のレッスン室で合わせをすると、その時の気候で442より高い事も低い事もあり得ます。また弾いている内に、あるいは空調で温度が変わる内にピッチも変動する事ももちろんあり、たった1時間の間でも随分変わるものです。

私はこれを伴奏助手時代、とてもお世話になったとある先生から教えて頂きました。それまでそんな事も考えた事がなく、ピアノが専門でありながら弦の先生に教えて頂くなんて・・・とちょっと恥ずかしく情けない気持ちになったのを覚えています。

とあれこれ書きましたが、要するにピアノのピッチが完璧な事はまずあり得ず、常にピアノを聴いて合わせて頂くしかないのです。と書くとまるでピアノ優位みたいに聞こえますが、ピアノはピアノの立場として、ソロの方に必要以上に気をつけて頂かなくてもいいように注意している事があるのです。でも長くなっちゃったので、これは明日忘れずに書き・・・たいけど書けるかな?

今日もコンクールのお手伝い。本番の日はそれ以外の予定をまず入れないので、意外に普段の日よりゆったり過ごせたりします。なんてうっかりするとぎりぎりに出てゆく羽目になるので、油断は禁物・・・。



2011年10月29日(土)            「鳩子」

もう11月になろうというのになかなか秋らしくならない・・・と思っていたら、やっと寒くなりました。もともと暑がり(なのに夏好き)なので、この秋もジャケットを持って行った日がわずか4日。用心して持って行ったのに結局着ないまま持ち帰った日が2日ありましたが、一昨日先一昨日はさすがに着ました。木枯らしも吹いてもうすぐ冬。大嫌いな冬がそこまで来ているのでしょうか・・・。

夏以来いろいろな事が、自己処理能力を完璧に超えてしまうほど押し寄せていたんだなと気付きました。それで自分の事を立ち止まって顧みる事もできなくなり、自分が自分でないような妙な感覚を味わっています。心が落ち着かなければピアノにも向かう事ができないし、思っている事を文章で書くのもなかなか大変。そんな中でこそ見えてきた事もありますが。

時間の余裕が無くなるという事は心の余裕が無くなるという事で、普段なら気にならないはずの事にも随分振り回されていました。キャパシティの小ささに自分ともう1人の自分が葛藤していて、自分の本音に初めて気付かされたりもしました。今は情報社会で、知らなければ済むのに知ってしまう事もあり、知らず知らずの内に情報を求めていたりもし、便利な世の中なのかそれとも何なのか・・・。

震災直後から1ヶ月半程は何も手につかず、ある時はぴりぴり、ある時はぼぉっと過ごしていて、あの時のしわ寄せが来ているともいえるのですが、あの状況では致し方なかったでしょう。カラッと晴れても外に洗濯ものを干す事ができなくなったのをはじめ、全てが昔と変わってしまった事を感じます。だからこそ変わってしまった自分も受け入れた方がいいのかなと思ったり・・・。

ベランダのミカンの樹にいつの間にかキジバトが巣を作り、卵を温め、ヒナが還りました。毎日ひたすら卵を温め続けていた親鳥や、今健気に留守番をするヒナ鳥から、何が大切かを教えられたような気がしました。当たり前に過ぎていく当たり前な毎日。

おどかしてはいけないので遠くから眺めていますが、勝手に鳩子と名づけたこのヒナがすくすくと成長する事を願っています・・・。




2011年10月24日(月)            「マルティヌー」

24日ぶりの更新というのは今までの最長記録、もしくは最長記録タイかと思います。すっかりご無沙汰して申し訳ありません。皆様お元気でしょうか。

この24日という期間にマルティヌーの室内楽も終わってしまいました。前回書いたのは三島公演の2日前、一番切羽詰まっていた時の事。両公演の間が約3週間とこんなに開いたのも初めてだったので、終わって1週間はマルティヌーはお休みにし、また新たな気持ちで今回取り組みました。一昨日の東京公演は、三島であんなに切羽詰まった本番を迎えていたなんて嘘のようにお互いがよく聴こえ、そして楽しんで演奏する事が出来ました。両公演にいらして下さった方々へ、心より感謝申し上げます。

マルティヌーばかりのプログラム、お客様はどう受け止めて聴いて下さるだろう?と思っていたのですが、ありがたくもご興味を持って聴いて頂けたようでした。6月に伊賀さんから「今回のテーマはマルティヌー」と聞いてたじろいだのは何だったか・・・。曲を聴いた事も楽譜を見た事もないのだから当然とはいえ、思いこみとは恐ろしい。弾いた事がないからと言って勝手に恐れをなしてはいけないなと反省です。聴きにいらしたとある方もおっしゃっていましたが、その作曲家の曲を弾いた事や聴いた事がなく、特徴を掴んでいないところから曲を創りあげるのは大変。実際譜読みも大変で、今まで弾いた事のないような和音のオン・パレード、おまけに変拍子の嵐・・・それが三島公演終わって頭の中で寝かせている内に体にしみ込んだとみえ、何だか楽しくなってきました。初回はスリルと緊張感でもっていった演奏、2回目はゆとりをもって楽しめた演奏・・・と言えるかどうかはわかりませんが、マルティヌーがかなり身近になった事には変わりありません。

今回演奏した3曲は微妙に曲の雰囲気が違いました。ヴァイオリン・ソナタ3番は激しさや荒々しさ、鋭さという言葉がぴったりきます。チェロ・ソナタ3番は素朴で伸びやか、楽しげと言ったらいいでしょうか。。ピアノ・トリオ3番は不協和音に彩られ、その上全パートが16分音符などで一緒に動き、ピアノ・トリオの音並びとしては型破りです。しかしそれらの違いをも乗り越えてしまう個性があるのは恐るべき事。先日お隣のレッスン室から妙に聴きなれた和音ばかりの曲が聴こえるなと思ったら、どうやらマルティヌーのフルート・ソナタらしい。もちろん初めて聴く曲でしたが、絶対にマルティヌーと信じて疑わない位、ザ・マルティヌーと言わんばかりの和音とリズムの連続でした。あれだけ大変な思いをしたのに、多分今ならフルート・ソナタの譜読みも手こずらないだろうな、と何故か思ってしまう自分がいます・・・。

それにしても自分では敢えて選ばないような曲や作曲家も、こうやって伊賀さん青木くんがセレクトしてきてくれるお陰で、随分と存在が近くなっています。食わず嫌いはいけません・・・感謝です。そして来年のテーマは一体誰に!?

・・・と少しずつ文章を書く調子が上がってきたところですが、この辺で。今日は丑三つ時から年末のとある関係者のみのコンサートのプログラムをあれやこれや弾いてやっと決め、そして今これをやっとこさ書き、これから午後イチの大学の代講の歌曲伴奏法の為のお勉強をしなくてはなりません。大好きなドイツ・リートなので嬉しいのですが、いつもの顔ぶれに出会うレギュラーの授業と違ってちょいとばかり緊張しそうです。という訳で睡眠はお預け・・・。


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