ひとりごと(2010年4月分)

2010年4月30日(金)             「初見・その2」

あれだけ4月中は荒れ放題凍え放題だったのに、連休に入ったら嘘のようにお天気もよくなり、暖かくなりました。お天気の神様、連休中の好天で帳消しを狙っている・・・?

さてさて忘れない内に続きです。初見のお話。なぜ私が初見大好き人間になったのか。

それは子供の頃に遡ります。たまたま音楽に囲まれた環境に育ったので、何でもまずは耳から入ってくる状況でした。耳で覚えてしまった曲を探り探り弾いたりももちろんしましたが、どんな風になっているのか楽譜を見たくて仕方がなかったのを覚えています。家の楽譜棚をあさっては、あの曲がこの楽譜かぁと見つけるのが楽しかったのです。ただこの段階では耳コピーの方が断然早く、音符で真っ黒の(と言っても子供の目から見ての話)楽譜を見てはげんなり。それでも懲りずにいろいろ弾いていく内、調性やハーモニーの流れを意識すると読みやすくなるのにいつしか気付いていました。

今弾いている曲を全調に移調、これも子供の頃言われてやっていました。もちろん簡単な曲ですが、それを試している内に調性の感覚が体にしみ込んでいったのかもしれない、と今になって思います。鍵盤でいろいろな和音を作り出して遊ぶのも好きでした。オクターブは鍵盤が12個。半分にしたら6つ。更に半分にして3つ。そうやって割り切れたものを重ねたら減七の和音だっ。とか気づいて大喜びしていました。後々楽典の本を読むようになった頃、なぁんだ既にそんな事は発見されていたのかと(当たり前ですが)がっかりしましたが。何か一つ和音を半音でずらして行くとか、同じ和音でも重ね方を変えてみるとか、鍵盤で遊んでいる内に知らず知らず得られた感覚が大きかったのかもしれません。頭の中でぐちゃぐちゃ不協和音を鳴らしてから鍵盤で再現して、弾いてみたら意外に綺麗すぎるからもっとハチャメチャ和音にしてみようと音を足してみたり。練習中の曲もまずハーモニーの骨組みにして弾いてみる、これも無意識にいつもやっていた事。美しいハーモニーの連結には敏感な、変な(?)子供でした。

ピアノの演奏会を聴きに行く前にその楽譜が手元にあれば、ざっと弾いて行くのも習慣になっていました。当然子供の手に負えるものではないのですが、楽譜から見て感じた事、音にして感じた事は自分の中に蓄積されています。今でもはっきり思い出せる印象深い曲がいくつかあります。ベートーヴェンの作品101のソナタの冒頭、弾いてみたら調号と実際の調性が一致しない。「変な曲!」と思いました。今でこそなぜあのハーモニーで曲が始まるか、その訳はよぉくわかります。ドビュッシーのプレリュード2巻。第1曲目の霧のページを開いて3段譜にまず驚き(この頃は3段譜を見た事がまだ無かった)、実際弾いてみて「黒と白をまぜこぜにしたようなあいまいな響き、でも確かに霧っぽいかも?」と思い・・・第2曲目の枯葉で「更に変だ、この響き・・・」と思いながら奮闘し、ちょっと弾いてみてそこでついに挫折。残り10曲までは回らず、演奏会の日となってしまいました・・・。

実際にこれらの曲に取り組む頃に初めて楽譜をみたら、こんな感覚は恐らく生まれなかったと思うのです。音符を追うのに夢中、弾けるようになるのに必死で。でも楽譜は作曲家が遺したメッセージ、謎解きの宝庫だとしたら、どんな小さな気付きも見逃さない事が大切。それこそが作品を解読する事のヒントになるような気がするのです。作曲家の意図を最優先するのはもちろんですが、楽譜を見る人の感性でいろいろに見え、いろいろに感じるはずだから。そしてその感動や小さな思いがそのまま音にのっかって、(作曲家の意図にプラスされた)演奏者のメッセージとして聴き手に伝わっていくはずだから。

話がそれました。なぜ初見が好きか。それはいろいろな曲に対する興味があり、そして耳から入った曲はぜひ弾いて自分の手で音を鳴らしてみたいという気持ちが強かったから。それにほかならないと思っています。根っこの部分で「音楽大好き」、そして「きっと自分の知らない素晴らしい作品がもっともっとあるはず」と信じられたから。そういう意味では、家にいろいろな楽譜があり、好む好まざるに関わらずさまざまな楽譜を目にする機会が多かったのはありがたい事でした。活字中毒同様、そういう意味では音符中毒なのかも。

レッスンに持って行く曲数もそれなりに多かったと思うのですが、それでも弾いてみたい憧れの曲は山ほどあったので(高校生の頃は、順序を踏まずいきなり大きな曲や傑作を弾かせてもらう事はかないませんでした・・・今教える立場になってその意味はよくわかります)、こっそりそういう曲にいろいろ手を出していました。そして人と合わせるのが大好きなので、室内楽でも伴奏でも機会あればやらせて頂こうとあちこち首を突っ込み、必然的にそっちの方でもたくさんの曲に取り組む事になりました。やればやるほどどうすればいいかがわかる(パズルにのめり込む内に手筋が見えてくる、あれと一緒)。その繰り返しで今の私があります。

「好きこそ物の上手なれ」、です。だから「初見は苦手だから嫌い、だけど上手になりたい」という学生さんには、「上手になれば好きになれる」、「好きでやっている内にいつしか上手になっちゃった」で行ってほしい。そしてただ楽譜を見るだけではなく、実際に音にしてみる経験は多ければ多いほどいいです。目で見た楽譜を頭の中でまず鳴らし、そしてどの音をどの指で弾くか、その連携には弾いてみるしかなく、弾けば弾くだけすんなりつながるようになるのです。だから授業で取り上げた曲を全員に弾いてもらう事ができないけど(人数が多いほど曲数も多く扱うので)、プリントとして渡すからぜひお家で興味を持って弾いてほしい。

・・・って書いたものの、多分新クラスの誰もこのひとりごとの存在は知らないだろうな。連休明けに告知しよう。

何だか追われて必死で書いているので、ちょっとまとまりのない文章になりました。ごめんなさい。ただですら今月中締め切りのものが多く、更に連休前までに、そして連休後までに何とかしなければならない事もからみ、崖っぷち状態なのです。私の回りの方々は多分お分かりかと・・・。



2010年4月29日(木)             「初見・その1」

あっという間に連休に突入。それにしてもこの寒さは一体何?

ごめんなさい。結局月末ぎりぎりまで更新できずじまいで。でも有言実行するために書いてみます。

新学期の落ち着かなさと言うかペースの掴めなさと言うのはもう毎年の事なのですが、今年はなぜかそれに拍車がかかっている気がします。レッスンでは春休みの宿題の確認をするや否や、7月の試験の曲をもう決めて取り組んでもらわなければならない。大学と高校の初見の授業では、新たに出会う学生さんの名前と顔と覚え、そしてその人の音楽的傾向(初見に関して)を把握し、毎週それぞれのクラスでどんな事をするかを決めなければならない。

「・・・せねばならない」と便宜上書きましたが、そういう事をいろいろ考えるのはとても面白いのです。あれこれ楽譜を引っ張り出してパラパラめくり、また別の曲が頭に浮かべばその楽譜を探す。高校の方の曲をさがしているはずが、そうだ!と大学の方の曲になっていたりして、気がつくと床に楽譜屋さんを広げている状態となっています。考え始めると妥協できずとことん突き詰めてしまう性格ゆえ、前夜は殆ど寝られず睡眠不足。午前の高2、午後イチの高3、その後の大学生・・・と授業が進むにつれ呂律が回らなくなり(でもどうして授業だとあれだけしゃべりたい事が出てくるのが自分でも不思議で)、かろうじて熱意でカバーしている感じ。その内容は授業の合間に、それでも書けなかったものはその日の晩の内に記録しています。使った曲のコピーに日付を入れて整理し、誰が何の曲を弾いてどんな感じだったかを書きこみ、次回に何をやるかを考えてメモる。冴えている時はいろいろ閃くのですが、最近頭が飽和状態でイマイチ・・・。

新たなクラスになった時に必ず最初にする質問があります。それは「初見が好きか嫌いか普通か」という事。今までで「好き」に手を挙げてくれた人が1人もいないのがちょっとさびしい。大抵は殆ど全員が「嫌い」。今年は「普通」に手を挙げた人がわずかに居てくれたのが救いでした。「どうしてそんなに初見が嫌いなのに授業をわざわざ取るかなー?」と尋ねると、これまた全員雁首を揃えて「初見が苦手だから」とのたまう。苦手だとしても克服意欲を持ってくれているのなら、ま、いいか。だったら初見大好き人間としては何としてでも好きになってもらわなくては、と思うもの。かくして面白い曲探しに熱をあげるようになる訳です。

大学の方はクラス編成の都合上止む無く大所帯なのですが、それでも授業2回目で何とか全員顔と名前を覚えました。私の授業では学生さんはかわいそうに(?)質問攻めにされるのです。1コマの内に4巡位したかな。アトランダムに当てて、その都度名前を呼びながら必死で覚えました。と言うのも、授業最後に出席カードを集める時、私がその人の名前を間違えずに言わない限りカードを出してくれない学生さんがいるから。気持ちはよくわかります。早く名前覚えてもらえたら嬉しいから。しかし全くどっちが試されているやら〜。

というところで今日はここまで。今日も初見が絡んでくる(?)バタバタな1日となる予定なので、続きは明日に回します。2日で1テーマなんて、このホームページを始めたばかりの頃に1回あっただけ。忘れない内に一気に書いてしまいたいタチなのでそうなるのですが、明日何を書くべきを忘れる可能性がありそうでちょっと怖い。あまり期待せずに明日をお待ち下さい・・・。



2010年4月19日(月)             「食欲」

季節外れの雪が降りました。全くいつまで冬が続くのか・・・暖かくならないと「動けない」。根っこは変温動物なのです。

この時期の過ごし方。かれこれリサイタルも17回目となります(・・・その間で何歳年をとったんだか)。という事で、その分だけ本番の迎え方も変わってきました。春から夏に移り変わる気持ちよい緑の季節、でも今は心地よく過ごす事をハナからあきらめています。思い出せばいろいろありました。

リサイタルを始めて数年目。花冷えの晩、とある演奏会に行ってものすごい寒い思いをして風邪をひきました。私にしては珍しく1カ月位ひきずってリサイタル直前まで咳こんこん、なかなか練習に集中できませんでした。これはコンディションの最悪記録。やはり体調が整っているからこそ練習やその他もろもろに集中できるのであって、過ごしやすい気候も条件として必要な気がするのです。あれ以来同じ失敗はすまいと常に細心の注意を払い、このところは寒さに対抗すべく完全に真冬の格好をしていました。何とか風邪の危機は逃れたものの、敵はそこかしこに・・・ま、最大の敵(!?)は自分自身ですが。

お頼まれの演奏会だったらひたすら良い演奏をする事だけ考えれば良いような気がするけれど、自主企画の場合は演奏以外に考える事やする事がたくさん。始めたばかりの頃は手帳にカウントダウンの日数を書きこんだりしていました。そうでもして危機感をあおりたてないと間に合わないような気がして。数年していつしか書くことさえ忘れてしまいましたが、今は書いていない以上にもっともっと強く危機感を感じている気がします。10年日記でもないけれど、いつ頃何をすればよいかもう分かる。だからこそ「何月何日頃に何をする」をクリアしていれば何とかなる、と思ってしまうのが怖くて、またその通りに行かなくなった時に焦るのが怖くて、いつも頭の中は早回し。そう、せっかちなのです。

最近気付いたのは、矛盾(相対)する事が自分の中に混在している事。

例えば、日常生活ではとっちらかしてあるのが好きです。実際にも、頭の中でも、メモの上でも、とにかく「お店を広げる」。そうすると、いろいろな事がリンクしてアイデアが出てくる。何をどういう順番で片づけていけば良いかがわかる。ついでに言えばうっかり忘れるミスも防げる。これがいつものやり方。なので夜中はとんでもない事になります。とっちらかったものが片付いていけば今日やるべき事は終了、目の前にあるものもすっきり、頭の中もすっきり、これで今日(!)は気持ちよく起きられるという算段なのですが、一つ間違うと片付くまで寝られない。そういう状況の方が断然多く、学校へ行く日が続くと全くいつ寝るんだか・・・。気力で持っているので意外と眠くはないけれど。

ちなみにこれ、ピアノに関しては全くあてはまらないのです。今弾いているこの曲だけにきっちり集中できてこそ、どう弾こうかとか、本番までに何をしなくてはいけないかとか、アイデアがむくむくと湧いてきます。そういう時は面白いように自分の中に曲が入って来るし、考えたり思いついたりした事などすぐ覚えるし、何時間経ったか気がつかないほど集中できる。でもその分、ピアノ以外の大切な事をケロッと忘れるのが怖い・・・。

2人の自分がそれぞれ持ち場を分担して、ちゃんと申し送りすれば何とかなるか、と。そんな意味のない事を考えつつ、1日24時間しか無い事を憂えんでも仕方ないので、今日は何を優先しよう?と考えるところから1日が始まります。

伴奏や室内楽は全く平気だけど、ソロ・リサイタルとなると話は別。本当に1人で舞台に立てるのかな?と普段は人ごとのように思うもので、ある時気持ちが切り替わるまで、正確には切り替えられるまでが勝負。多分日常の自分には全く想像のつかない自分が居て、その自分が火事場の馬鹿力を出している。それは私を助けてくれる何がしかの力が働いている証拠。

このまま放置しておくと多分来月までそのままになりそうなので、何とか書いてみました。が、ツマラナイ。ひらめかないと書けないのでごめんなさい。実際はこんな小難しい事を考える前に、ひたすら追われて行動を起こしています。学校の事もあるし、練習はともかく曲目解説も書かなきゃならないのに、その前にまだご案内を送っていない(すみません・・・)。今はそれでストレスを感じているのか、普段は(必要以上に)感じない食欲がフツフツ。今頭に浮かんだのは、小麦の香り高いパン。昆布(とかシラスとかゴマとか入っている)ふりかけ。生のイチジク。しっとりバウムクーヘン。熟成の進んだナチュラルチーズ。アーモンドとキャラメルの濃厚フロランタン。鮭の麹漬珍味。旬の野菜を使ったパスタ。温かいミルクティー。ふわっと溶ける生チョコ。お腹は全然すいていないのになぜだか・・・。



2010年4月11日(日)             「猪突猛進」

ご無沙汰しています。と言ってもまだ10日。新学期が始まっただけで住んでいる世界が変わったような、なぜかそんな気がしています。ぺぇぺぇの立場なりにもいろいろな書類が来て、決めなくてはならない事があり、期日までに提出しなくてはならず、それだけで頭がクルクルしてしまいます。

この時期の不安定さはとても文章では書ききれないもの。書くとキリがないので省略しますが、「1日が48時間あったらいいのに」。息つく間もなく次々と取り組んでゆければ少し睡眠は増えるかもしれないけれど、キリキリした時間の使い方をするのが嫌でペースを落とせば睡眠は減る。と言う訳で結局、毎日すんごい時間に寝ています・・・。

そんな話をしても仕方ないので全然違う話を。

久しぶりに街へ出ました。と言う書き方自体なんだか変なのですが、最近は学校がらみが多いもので・・・。晴れて暖かくなったせいか、とにかく人が多い。そんな中を歩いていると、どうしても向かいから羊の群れが押し寄せてくるような気がしてくるのです。羊ならまだ良いのですが、夕方は皆家に帰りたくて早足になるせいか、水牛の群れが突進してくるような気がするし、お店の中では牛がたむろして動かなくなっていると思ったり・・・。皆動物化してこわいっと思いながら、群れの流れに逆らって、脱いだジャケットとたくさんの荷物でごろんごろんしながら歩いていました。しかし「どうしてこんなに人が多いんだ〜?」と言っている自分が、こわい顔して猪突猛進していたかもしれない。反省です。

そう言えば春休み、新しいものに挑戦してみました。「何?」って機械系のものですが、人に話したら「今更?」と言われる程の初歩的なものなので、ちょっと恥ずかしい。なので黙っています。新しい事や物に挑戦するのが苦手、というか気後れする。やってみたら「こんなに簡単」といつも拍子ぬけするのですが、機械導入はなぜか億劫なのです。この性格も何とかしなきゃ。

ちっとも暖かくならないと日々ごねていましたが、桜もお陰で長持ち。やっと春らしくなりました。幸せ・・・。


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