ひとりごと(2010年3月分)

2010年3月31日(水)             「2010年のプログラム」

氷が張るほどの寒さ、春はいつ来るのか・・・?でも花はいっぱい。いつしか春爛漫となっていました。このところ家には寝に帰るだけ。外を見る余裕もなく、久しぶりに見てみたら数鉢ある椿は満開、ヒヤシンスも咲き始めていました。その反面あれ?と思ったのは、未だに沈丁花の蕾が残っている事。他の花と比較したらまだ咲くはずのないライラックがもう開きかけている。山吹はまだ芽吹きの段階。気候の乱れが花々にも影響を及ぼしているようです。

さて、今更ですが今年のリサイタルの選曲について。

今回まず弾きたいと思ったのはシューマンの幻想曲でした。特に3楽章・・・。考えてみれば今年はシューマン・イヤーですが、「弾きたいものは弾く」と決心しました。あまのじゃくなので、今まではそういう記念すべき年の作曲家は敢えて弾かずに外してきたのです。と言う訳で後半はこの1曲で決定。

前半はいろいろ案がありました。昨年平均律でフーガを堪能したら、同じバッハでも今年は組曲で舞曲を楽しみたくなったので、プログラム最初にバッハのパルティータを1曲。この段階では2番か6番、場合によっては1番もあり?と思いつつ、まだ保留しています。

最初がバッハで最後がシューマンとなれば、全体をドイツ物でまとめる事になるかな。だけどロマン派まででまとめてしまうとありきたりだから、何か新しいもの、もしくはあまり弾かれない作品を・・・と考え、ヒンデミットのソナタ3曲からどれかを弾こうと思いました。ヒンデミットのピアノ曲。実は弾いた事はありません。ヴィオラ弾きだったヒンデミットは多くのヴィオラの為の作品を、そして他のいろいろな楽器の為にもソナタを書き残しています。ヒンデミットの室内楽曲に今まで数曲接してみて、少し存在が近くなってきたので白羽の矢を立てたのですが・・・。ピアノ・ソナタ3曲の音源を聴き、ざざっと弾いてみて、多分とんちんかんな解釈はしないはず、と敢えて思いこむ事にしました(そうでないと怖くてとても弾けない)。という訳で2番をセレクト。その理由。バッハとヒンデミットだけでは前半が寂しく、もう1人入れたいけど、1番と3番は長くてプログラムが時間オーバーしてしまうので、かわいいサイズの2番に。

そこで、もう1人の作曲家を誰にするか。もういろいろい〜ろいろ考えました。楽譜を何冊も積み上げ、ドイツものの作曲家、それもロマン派のもの、思い当たるものを全集まるごと片っ端から弾いてみました(詳しくは11月23日「弾破!」を参照)。リサイタル約3回分に匹敵する分量。弾いて行く内に「あ〜これキツイ」とか「ちょっとつながり悪いかな」とか「ん、あまり好きでないかも」という具合にどんどん削られ、トータルの演奏時間を考えると更に絞られてゆきます。幾つか候補はありましたが、その中で弾きたい!と思えたのはブラームス。やはり今はそういう気分になってしまうのです。ブラームスで弾きたい曲、そして今まで自主リサイタルでとり上げていないものとなると作品118か119。でも118だと長すぎるので119にしました。

というところで保留にしていたバッハをどうするか。前半にブラームスの作品119、そしてヒンデミットのソナタ2番を持ってくれば、やはりパルティータの6番は長すぎて無理なので2番。長さ的には1番の可能性もありましたが、曲調からしてのどかな1番よりは、厳しさの感じられる2番の方が今しっくりくる、と思ったまで。

と言う訳で結論、バッハのパルティータ2番、ブラームスの作品119の4つの小品、ヒンデミットのソナタ2番、後半にシューマンの幻想曲。そんなプログラムとなりました。深く考える前に、直感でここに落ち着きそうな気はしていたのですが〜敢えてゼロに戻していろいろ探し、時間を計りながら弾いてみて、でも結局ここに戻ってきてしまいました。

あまりにもきれいにすんなり決まってしまうと不安を覚えるもので、そっくり丸ごと別のプログラムに変えようかなという気持ちが1月頃むくっと持ちあがってきましたが、結局全然時間がなくて・・・元の鞘におさまっています。

桜もそろそろ満開かな。花びらがひらひらと散る風景、ちょっと悲しいけれどとても美しい。1年に1度、またもうすぐ見られます。日本に生まれて本当によかった・・・。



2010年3月29日(月)             「せっかち」

ほんにご無沙汰致しました。何回も何十回もいらして下さった方々へ、お待たせしてごめんなさい。

いつしか、例年お手伝いしている弦の講習会も終わっています。今回は本当に本当に目まぐるしい中、精一杯頑張った日々でした。私達以上にお忙しいのは講師の先生方であり、スタッフの皆さんなので、こちらも頑張ろうと思えるのですが。そんな訳で家帰ってもお風呂に入れば中で寝てしまうし、ゆっくりお茶飲むどころか、パソコン開けるどころか、新聞読むどころか、寝るどころか、よくわからない内に朝が来ている。朝から夕方までのレッスンの伴奏に加え、夜は学生さんのコンサートの伴奏が毎日ありました。ぴりぴりする暇もなく次々と渡される楽譜を開き、気を確かに持って本番に臨み・・・何とか無事に終えられたような気がします。お世話になった先生方、スタッフの皆様、ありがとうございました。年2回顔を合わせる受講生の皆さん、またまた進化しましたね。聴かせて頂けて嬉しかったです。

我に返って思うに、疲れたのは耳と神経だった気がします。その最中はそんな事考えもしないのですが、24時間中の半分はずっと座り通しでピアノを弾き、音を聴いているので、道理でお尻が痛くて耳が疲れる訳だ・・・。そして1人でいる時間が必要な性格なので、1人で頭と心を冷却する(冷静になりたいの意味)時間が一瞬でも取れたら・・・と思う時もありました。

前回更新した直後からその講習会も含め、いろいろなお仕事さまざまな出来事があり、ぁ・・・っという間に3月も終わりに近づいています。昔から、何かある度にちゃんと頭の中で整理し、気持ちも整理し、手元にあるものも整理しないと次へ進めないタチでしたが、何一つ整理できないまま次から次へと出来事に襲われているようなそんな毎日です。そうなると生まれつきのせっかち気質はますますひどくなり、食べるのもせかせか、書くのもせかせか、メール打つのもせかせか、歩くのもせかせか、寝るのもせかせか・・・でもピアノ弾く時のテンポだけは早くしたくはないな。気ばかり焦り始めると、もう1人の自分が「焦るな焦るな〜」と言い始めます。

この春休み、「小さなお散歩」「ちょこっと体験」ができる機会にも恵まれました。数年来の行き詰まりが飽和状態、これではまずいと危機を感じたから。半ば強引に時間をひねり出したので、今いっぱいいっぱいになっているのはそのせいでもあるのだけど、生活がただ落ち着いているだけでは音楽は枯れていく。つまらなくなっていく。年間で一番余裕がある3月しかできないだろうから、思いきって無理をしてみました。

最近いろいろな方々とおしゃべりしていて思った事。どうも私の性格は誤解されているようです。ちっともきちんとしていないって。きちんとしていないが故、きちんとしなきゃ決意が立派なだけで。実は今もこのギャップ、どう説明しようかと自分自身戸惑っているのです。

桜も咲き始めたというのに、真冬のようなお天気。春はやはり波乱万丈なのでしょうか。もう新学期。学校モードへ気持ちも切り替え時です・・・。



2010年3月12日(金)             「鍵盤」

いつになっても暖かくならないのに、新学期が背後から迫ってきている気がするのは気のせいでしょうか。あっという間に3月も半分・・・。

久々にピアノの話を。

何の楽器でも、まず「コントロール」は必要だと思うのです。メンタルの事はこの際横に置いておいて、ピアノの場合は一番気になるのは鍵盤の扱い(ペダルももちろん)。それも、初めてそこで出会ったピアノと即刻仲良くならなければならないから。でも実際はどんな音が出ているかを聴いてから鍵盤をコントロールするので、初めてのホールも響きを理解して音を拾えるように、耳のコントロールも必要なのです。

レッスンしていてそんな話になりました。どう説明したら一番ぴんとくるかな?と思ってふと思いついたのは、「鍵盤が自力で戻ってくるのを指先で感じられるかどうか」。

「こんな表現をしたい」、「こんな音を出したい」と思って初めて、それを実現するためにテクニックが必要になる。子供の頃そう教えて頂きました。だからこそテクニックはその人(の手や身体)に合っていれば、その人の数だけ存在する。あくまでもその中の1つだと思って、読んで頂ければと思います。

私自身、指と鍵盤は基本的に密着、つまり必要以上には指を上げません。重力奏法と普通言われる、出来る限り重さを利用して無駄な力は使わない弾き方。もしかしたら脱力奏法とも言う?つまり自ら指を上げようとするのではなく、鍵盤に押し戻されて指が上がってしまうような、そんな感覚で弾く事です。

このメリット1。レガートがしやすくなります。「抜き足差し足忍び足」を想像して頂ければわかると思いますが、体重をもう1本の足に静かに移し替えるから足音がしないまま歩ける訳で、隣の音に移る時に鍵盤と指が密着していたらアタックがつかずに綺麗に移れる。次の音、音量や音色をグラデーションにするのも思いのまま。

メリット2。腕力(指力?)でなく重さを使えば、楽器がよく響いてくれる。例え音量が弱くてもホールの隅までよく通る音が出せます。つまり、音がよく伸びるという事。

メリット3。脱力しているのだから手を壊す事はないはず。逆の言い方をすれば(?)、筋肉をほぐすのに(例えば練習の始めに)ぱらぱら弾きをするより、テンポの遅い重力奏法をした方が効果的(少なくとも私の場合は)。なぜなのか理屈はわからないけれど、腕や手の「インナーマッスル」を正に鍛えているような、そんな気がします・・・。

メリット4。いろいろな音色を作り出せる。音量ならぬ音色は、果たして指の?手の?腕の?何を変えたら変えられるのか?う〜ん、今ここで弾いて説明できたら簡単なのに。鍵盤が下りる時のスピード、深さ、重さ、重さをかけるタイミング、鍵盤に入る時の指の方向(真下、向こう、手前へ?)、後は・・・もういろいろ!いつも耳で聴いて直感で選んでいるので、説明がつかないのです。・・・と言っているとレッスンにならないので、そんな時は弾いてみて一生懸命言葉を探しますが。だからこの鍵盤どんな重さ?深さ?と最初から把握できないといけない訳で、把握してから即、勘でどんな弾き方をするか決める。というか実際は全て耳が判断しているので、手が何をしているのかは無意識レベル。実は本人、良く分かっていません・・・。

こんな事がありました。デビューしたての頃、随分昔の話ですがリサイタル当日のリハーサル。何だか鍵盤が重い気がして弾きにくい・・・と思い、意を決して「ほ〜〜んの少しだけ鍵盤を軽い感じにして頂けたら嬉しいのですが・・・」と調律師さんにお願いしてみました。どんな時でも素晴らしい響きにして下さるのに、ペーペーがこんな事を言わせて頂くなんて失礼極まりないお願いなのですが、「じゃぁ10分(位だったと思う)待って」と快く引き受けて下さいました。さて10分後。とても軽くなって弾きやすくなり、「あぁこれでタッチの苦労もなく弾けるかな」と本当に安心しました。その後「で、何を変えたんですか?」とお尋ねしたら、「残響をちょっとばかり減らしただけ、タッチは実は変えてないよ」・・・つまり耳とタッチがどれくらい密接に関わっているかという証し。

それから現在に至るまで、そういう事にはよく遭遇しました。焦る前に「待て待て、響きにつられるな〜」と思うだけで全然違うものです。そして今は、せっかくいい状態にして頂いたピアノに自分を合わせる事が、どうにかできるようになってきました・・・。

どんどんそれてきたので戻します。「鍵盤が自力で戻ってくるのを感じられるかどうか」、これこそがちゃんと重さをかけて弾いているかどうかのバロメーター。そしてこの鍵盤、一体どれくらいの重さなのか深さなのか知っているからこそ、思いのままに操れる(はず)。もちろんそれだけではなく姿勢、椅子の高さ、前後の位置、靴のヒールの高さ、さまざまな条件が絡み合っているんだけど、それら全てがぴたっとはまった時、信じられない位の弾きやすさに驚嘆するはずなのです。だから本番前のリハーサルでは、真っ先に身体の状態、バランス感覚を作りだすのに神経を遣います。それがすなわち、初めてのピアノ(リハーサルをしているので初めてではないけれど)で思い通りの表現ができるかどうかにかかっているので。

な〜んてこれが分かってきたのはここ数年の事。それまでは、本番当日リハーサル、そして本番でも「どうして弾きにくいんだろう?」と思う事が多々あって、その弾きにくさも毎回違うし、その訳分からない原因を追及するのに必死。それが分かっただけでも今日まで続けてきた意義があるかも(?)。そんな事を意識しなくてもいついかなる時でも自分の音、表現を作り出せるすごい方もいらっしゃるでしょうし、あるいはその時々の身体のバランスに合わせてその時々の響きを作り出せる方もいらっしゃるでしょう。でも私としては、自分なりの身体のバランス感覚を整えた上で、その時のピアノやホール、そして気分で音楽を表現していきたい、そんな風に思っています。

「鍵盤が自力で戻ってくる感覚」をつかめるエチュード。以下お勧めです。

ランゲンハーン著「ピアノのための指の訓練」全音楽譜出版社
ブラームス作曲「51の練習曲」

ありがたい事に、小学生の時からこれをやらせて頂いていました。この両エチュードから1曲ないし数曲、それからハノン、ツェルニー、そしてバッハ、曲、いつもレッスンに6冊よっこらしょと持って行っていたのを思い出します(プラス鞄の中には行き帰りの電車の中で読む、学校の図書館で借りた本も入っていたので重い重い)。子供だからそこまで理論的に考えられてはいなかったけど、ブラームスのエチュードはよく「音楽的にどう弾くか」、今思えばタッチの事をたくさん教えて頂きました。それを感覚の中に蓄えさせて頂いたからこそ、長い時間を経て突然眠りから覚めたように今よみがえったのです。本当にありがたい事。先生方に感謝・・・。

2月後半から今にかけて、ちょっとばかり「インプット」する事ができました。学生時代はもちろん、20代の内にそれなりに経験をした蓄えが底を付きそうで、どうにかこの状況を打破しないと・・・とここ2〜3年あたふたとしていました。と言ってもそれがすぐ消化されて「アウトプット」に回せる訳ではないんだけど、少しは持つかな。

いつの間にか空も春になりました。冬に比べて夜空が寂しいったら・・・。



2010年3月5日(金)              「手紙」

あっという間に3月。となると頭の中はもう新学期の事でぐるぐる回り出します。やっとやっと高校の(私の担当している)授業がお休みになったというのに・・・。なんやかんやと予定が入り、結局私の春休み気分も今週で終わり(になるらしい)です。時間の進み方は学校に行っている時よりゆるゆるしていますが、しなくてはならない事が思いの外はかどらなかったため、自分の練習は「全く!」でした。「全く」何だったかはもうお分かりでしょう・・・。

数日前、手紙にご縁のあった1日がありました。

ある人にどうしても伝えたい事があって書いた長〜い手紙。事情があって出す事が出来なかったのですが、渡せる機会があり、どうしようかと迷った挙句1カ月前に書いたものをそのまま渡しました。

帰宅したら手紙が届いていました。1つは海外にいる友人から届いたもの。もう1つは春休みでしばらく会っていない学生さんからのもの。

その日は長めの空き時間があったので、楽譜とともに文庫本も持って行きました。さらって疲れたら読書、読書に疲れたらさらおう、なんて思ってその通り、有意義に過ごせました。さて帰宅後。どうしても続きが気になって夜中に再度読み始めました。あっ・・・。その長編小説は手紙が重要なモチーフとなっている事に、その時気付いたのです。何かがつながっているんだけど?と思いながら、夢中で読み進めていたので全然気付かず。

本当に偶然なのですが、これは同じ日にあった出来事。メールはよく書きますが、手紙、それも長〜い手紙を書く事はめったになく、また肉筆のお手紙を頂くのも珍しい事。1日を振り返りながら、なんて不思議な事もあるのだろう?と思ったのです。まさにその時読んでいた小説のように。

本当に伝えたい、と思う大切な事があれば手紙を書きます。そしてその逆に改まった用件もないけれど、ふとその人の事を思い出した、という時にもカードや葉書を書きます。字が下手なので(自分でも読めなかったり・・・?)失礼だな〜と思いつつ、下手なりに精一杯心をこめて・・・。

いろいろな想いが交差する中に居られる事、ありがたいです。その想いを時間をかけて伝えようとして下さっている事、とても嬉しいです。その事に感謝・・・。


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