ひとりごと(2010年10月分)

2010年10月31日(日)            「初合わせ」

台風は幸いな事に上陸せずに去って行き、屋内に取り込んでいた植木など外に再度戻しました。台風一過の青空が見られるのを心待ちにしていたのに、残念ながらお預け。今度カラッと晴れるのはいつの事でしょうか。

いよいよリヒャルト・シュトラウスの合わせも始まります。今まで何度か演奏の機会のあったヴァイオリン・ソナタはともかくと、チェロ・ソナタとピアノ・トリオ2の練習が・・・あゎあゎしています。

室内楽に取り組むにしても、学生時代は(授業でとっていたグループでは)1つの楽章ずつ最低でも1カ月位かけて丁寧に合わせていた記憶があります。その代わり選曲は、先生のお眼鏡にかなった内容の深い傑作と呼ばれるものばかり。次に何をやりたいか一応希望も言わせて頂けましたが、「そうではない曲」の場合は却下。でもその意味も今はよくわかります。1つの音、皆で奏でる1つの和音、1つのフレーズ、そんな小さい単位にきちっとこだわらなければ音楽にならないような、そういう奥の深い曲に取り組んでいました。レッスンして頂き、どのように楽譜を読みこんで音楽を創り上げていくか、皆でとことんと追求できた事が正に財産になっています。

大人になってからの室内楽は、当たり前ながら全員の都合を合わせる事自体が至難の技。だからこそ1回1回無駄のない時間の使い方をしなければならないのです。学生時代のように「納得できるまで時間をかける」「自然と分かってくるまで待つ」という事ができるとしたら、それは本当に「至福の時間」。そういうやり方で室内楽する時期は1度は通るべきだけれど、いつまでもそのままではいけないし、実際問題無理なはず。リサイタル1回のプログラム分の曲を同時進行で1カ月で仕上げるなんて、昔だったら全く想像できなかったでしょう。

楽譜が手元に揃ったらざっと見回して形式を把握し、どの曲から、どの楽章からさらうかを決め(時間のかかりそうな大変ものから)、それから形式にのっとって指使いを決め(例えばソナタ形式なら提示部と再現部を先にみて、展開部は後にするとか)、両手で弾いてみて弾きにくいところを微調整。小節番号が振られていないものは、注意深く数えながら書き込みます(間違えると全部書き直さなければならないっ)。それからざっと弾けるようになったら、次に相手パートも同時に読んで頭の中で鳴らしながらも弾けるようにし、テーマがどのパートに出てくるか?とかフレーズがどこまでか?とか、掛け合いの場所とか、気付いた事をどんどん書き込んでいきます。弾かずに譜面を最初から最後まで、強弱記号とかテンポとか1つだけに決めて通して眺める事もします。これ位準備していっても初合わせはとにかく時間をとるし、すさまじく神経を遣うもの。でもこの初合わせが終わると、なぜだか「何とかなるかも?」とやっと思えたりするのです。実際はここからがスタート、これから詰めていくべき事がたくさんあるのに。

という訳で全く初めて取り組む曲の初合わせは、さらってある無しに関わらず未だに気重です。伴奏では、学生さんが「初合わせが楽しみです」なんて言ってくれるのに失礼だけれど、責任に押しつぶされそうになるというか何と言うか・・・。

練習したい病のせいで、いつもに増してせっかちで短気です。なのにどういう訳か(秋が深まったからか)いつもに増して眠い〜。カリカリしていい事ちっともないんだけど、今夜こそラスト・スパートでさらわなきゃ・・・。



2010年10月30日(土)            「1つの音」

急に真冬の寒さ、そして台風の来襲・・・。という訳で危なさそうな植木は屋内に取り込みました。数日前に思いがけず、ローズマリーの小さな鉢植えにツマグロヒョウモンの蛹がくっついているのを見つけました。このまま冬を越すとしたらここは風の通り道、ぶんぶん振り回されてかわいそうだから場所を移すかな?と考えていたのですが、いつの間にかもぬけの空。無事に出ていったのはよかったけど、この寒さの中どうしているんだか・・・とまた心配になっています。

実は最近、なかなかひとりごとが書けない。本当に調子のいい時は何について書こうか、テーマも文章もいくらでも出てくるのですが。そんな話を友人にしていたら「思った事をただ書くだけでいいのに」と言われ・・・ん?何かこの台詞、どこかで聞いた事があるような・・・?と考えていて思い当りました。小学生の頃。今でこそ文章書くのは何でもなくなりましたが、小学生当時は感想文が大の苦手でした。よく何か本を読んでは感想文が宿題になりましたが、あの時のイヤダイヤダという思いがなぜこんなに強烈に残っているんだか。

という訳で掘り下げた事は今とても書けないので、思いついた事をぽつぽつと。

いっぱいいっぱいになっている中、それでも日々いろいろな事を考えています。最近よく思うのは、自分にとっての未知の世界がたくさんたくさんあるという事。目に見える事が全てではないという事。話してみなければわからない事がある。話すまでもなく直感を信じて良い時がある。自分のやり方を変えていこうとする勇気も必要だけど、無理だと思ったら自分の流儀に固執すべき。日々の生活の中、しっかり立ち止まって一つ一つ考えや思いを整理する時間は絶対に必要で、その時間さえ確保できれば忙しくてもどうにか「自分」で居られる(はず)。学生さんといろいろ話していて、こんなに余裕のない自分は何か言ってあげられる立場にない・・・とちょっとばかり自己嫌悪に陥ったりします。

先日ドイツ・リート(歌曲)の演奏会に行った折、聴いていて妙に懐かしいような苦しいような思いにふと、かられました。しばらく考えていて思い出したのは、学生時代に受けた公開レッスンの事。リートの公開レッスンとしてピアノも学生で、という事でお声がかかったのです。1つの音のニュアンス、音の長さ、ペダリングなどなど、あれほど細かく言って頂いたのも初めてだったかもしれません。頭の中に鳴る理想の音楽と今の自分のぎこちないつたない音楽とのギャップが大きすぎて、レッスンを受ける前から苦しんでいました。1つ1つの音を妥協せずに徹底的に磨き上げ、それから組み立てる、その労を惜しんではいけないと教えて頂いたのです。音数の多いソロの曲だけ弾いていたら全く気付けなかったかもしれない。冒頭のたった1つの音で世界観を表現するような、そんな演奏が出来るようになりたい、と思い始めたのはその頃からでした。

台風はどうなるのか、ちょっと心配な朝です・・・。



2010年10月22日(金)            「黒パン」

毎日ぐずぐずお天気が続き、冷たい風が吹いています。もう11月だから本来だったらこれ位の寒さのはず。嫌いな秋と冬がついにやってきたという感じです。

本当に久しぶりに家にいます。しなくてはならない事のリストがどんどん膨れ上がってゆき、少しずつでもやっていこうと手帳に書き込んでいるのに、なかなか進まない日々。それでも今日は徹底的に自分を休ませようと思っていたので、とにかくぐっすり眠り、のこのこ起きだしてパスタ(秋味)を作り、それから気がついた事を気の向くままにちょこちょこと片付けています。そして毎日毎日酷使している耳も休ませたい、とはいうものの今真っ先にやらねばならない事は自分の練習、そして自分の曲と学生さん達が弾いているソロや室内楽の曲の勉強・・・。

最近美味しいパンにはまっています。いつだったか、「きっと先祖はイタリア人、と思えるほどパスタやトマトソース、チーズは好き」と書いた事がありましたが、それに匹敵するほどの「小麦大臣」かも。焼き菓子も好きだし、美味しいパンをあちこちで買えるようになったのも嬉しい。いつもはフランスパンが多いですが、先日ドイツパンのお店の前を通りかかり、懐かしくなって黒パンをずっしりと買いこんできました。黒いから黒パンと勝手に呼んでいただけで、正式名称が何なんだか実は知らずじまい。遠い昔、スイスのレマン湖畔にホームステイさせて頂いた時、食卓に並ぶ真っ黒で正方形のパンを見て驚いた記憶があります。恐る恐る食べてみたらもちもちっとした食感と粒々の歯応え、ほのかな酸味が相まって美味しい。フランス語は全く分からないし(そこのお家のお母さんだけドイツ語お話しになったのでカタコトドイツ語で)、コンクール控えてピリピリしていた中、毎食食べさせて頂いていた思い出の味。日本ではあまり見かけないなと思いつつすっかり忘れていて、やっと再会できました。あの時食べたのと全く同じで真っ黒で正方形、「プンパニッケル」という名前でした。でも考えてみればフランス語圏なのにどうしてドイツパンだったのか・・・バゲットなどフランスパンは、滞在中一度もお目にかからなかったのです。

話変わって、前回書いた「成長」の話の続き。人前で演奏する事は、日常の生活とは全くかけはなれた世界(場所そのものではなく)の事。例えば子供の頃は人前で演奏するのがただただ楽しかった人も、大人になる過程でそれが集中できなくなったり緊張するようになったり、果ては嫌いになってしまったり・・・。今レッスンや伴奏で関わっている学生さん、その過渡期にあたっている人が何人もいます。この秋、その過渡期はあるきっかけで上手くクリアできた人もいれば、正に今真っただ中で試行錯誤の真っ最中の人も。結局最後は「自分」にどう向き合うか、そこに行き着くような気がします。自分ときちんと向き合えなければ、舞台でたくさんの方々の前に立つ勇気は持てないので。

そういう話をしていると必然的に自分の子供時代、学生時代を振り返らざるを得ないのですが、今思えばとにかく必死。もう忘れてしまっているけれど、過去の記憶を意識下から掘り起こす事ができるなら、悔しい事キツイ事辛い事が目を背けたい程ごぉろごろと出てくるに違いないと思うのです。もちろん嬉しい事ありがたい事もいろいろあったけれど。当時そんなの当たり前としか思っていなかったのは、今よりはるかに怖いもの知らずで、また目指しているものがあったからこそ。どうして昔はあんなに強かったんだろう?とつくづく思う今日この頃です。

そんな中、届いた1枚のお葉書。今立派に社会で働いている、かつての学生さんからでした。人が本当に変わるのは卒業してからなのかもしれません。学校に勤め始めて8年半経ち、ここを巣立っていった学生さんの顔がいろいろ思い出されました。年月といろいろな出来事を経て考えも変わり、今自分の言葉で自信を持って語れている。それをとても嬉しく感じました。という自分自身は一体どうなのか?と問われると・・・練習しなくては・・・。



2010年10月19日(火)            「6周年!」

気がつけば10月も半分過ぎているというのに、未だに汗ばむようなこの暑さ(?)。数日前は街なかで頑張って咲いているサルスベリを見つけました。しかし秋もひたひたと忍び寄ってきているようで、学校の中庭の柿はたわわに実り、紅葉も少しずつ始まっています。

予想通り10月前半はキチキチの毎日・・・という訳で全く更新できずにごめんなさい。その間にもちょこちょこ覗きに来て下さる方があり、すっかり忘れていましたが、このホームページもお陰様で6周年を迎えました。ありがとうございます。

今の願望。家に滞在したい。ピアノは持ち運べないから(ま、外で借りられない事もないけれど)練習は家でするものだし、パソコン作業も1台しか持っていないので家にいないとできないし、ゆっくり寝たいし、その他もろもろ家でしなければならない事が山積し、もともと外より内に居る方が好きなタチ。という訳でこのところの生活はすさまじいものがあり、そのストレスと疲れがたまりつつあります・・・。

この時期、教えている学生さん達、伴奏している学生さん達、殆ど皆がコンクールやオーディションを受けたり演奏会に出たりしています。正に芸術の秋。本番に正面きって向かい合う事で少しずつ、あるいはどぉんと成長するのだなぁと、傍から見ています。

そんな学生さん達と最近話したのは本番での精神状態について。ほぼ全員が「自信が持てなくて自分を出せない」、「本番になると集中できない」、この2つのどちらかを気にしているようでした。どちらも「普段の精神状態のままではなく、舞台ならではの集中状態を作り出す事」が秘訣(と私は思っています)。伴奏の為、本番前に舞台袖で一緒に居て気付いたのは、緊張をほぐす為に身体を動かしたり、緊張の為にそわそわしているだけになってしまう人が多い事。また話してみると、落ち着いてゆっくり考えたり、心を鎮めたり、あるいは無心になったり、そんな時間を日常生活の中で持てない人も意外に多い気がしました。どんな時でも集中でき、自分の世界に入れる。とても大事だと思うのです。私は逆に、頭の中の気になる事を一切排除できないと集中できないのでピアノに向かわない。昨日考えていて「そっか!」と気付いたのですが、これもまた大問題・・・。

今日(というか昨日)は久々にてきぱきてきぱきと雑用をこなせたけれど、その代わり失ったものは?あぁ学校へ行く準備をしなきゃ・・・。


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