ひとりごと(2009年2月分)

2009年2月28日(土)           「軌道修正」

プーランクについて今日は書こうと思ったのですが、いざ書き始めたらあまりにも言葉にするのが難しくて・・・また改めます。

洗足では春休みが一番長く、学生さんにもそう言ってどぉんと(!)宿題を出すのですが、気がつけばもう2月も終わり。1ヵ月半のお休みの3分の1が過ぎてしまった・・・という焦りが心を支配しています。

学生時代、春休みは一番気楽でした。どこかへ行きたい病にかかるのもこの時期で、当時は春休みと言うとどこかへ行っていたものです。

春は友人の住んでいた九州に行く事が多く、飛行機も使わずに新幹線に乗り、荷物は小さなボストンバッグ1つ。往復で2日間かかるような、のんびりとした旅でした。雄大な自然を見に、地元ならではのおいしいものを食べに、忙しい中、車であちこちに連れて行ってくれた友人にはただただ「ありがとう」としか言葉がありません。

中学生になりたての頃、コンクールのご褒美で益田での小さな演奏会に出させて頂いた事がありました。きつきつのスケジュールの中、益田では雪舟の作った庭園を見せて頂きました。帰りは津和野で途中下車し、短時間で一気にタクシーで街中をめぐりました。その時受けた印象が忘れられず、どうしてももう一度きちんと自分の足で歩いてみたい。そんな思いにずっととらわれたまま時は流れ、再度訪れたのは大学時代の春休みでした。

山口、津和野・・・あのあたり(どこに行ったか正確に覚えていなくて)ローカル線に揺られ、駅に着いたら荷物をコインロッカーに預け、ガイドブックとかつての記憶を頼りにてくてく歩く。独りでご飯を食べるのは未だ苦手なのですが、独りで行動するのは慣れています。写真は撮っていないはずなのに、断片的なシーンが映像として鮮やかによみがえってきます。肌寒い中、春の訪れをそこかしこに感じました。観光名所よりはむしろ途中の道のり、何気ないワンシーンの方がしっかり覚えている。おまけにその時に考えていた事も。そして意外にも、時間に追われながらめぐった子供の時の印象の方が勝っていたのです。

多分その時は何かに煮詰まっていたか悩んでいたはず。考え事をする時間が欲しくてどこかに行きたいと思う事、よくあったと思います。結構人見知りする性格だったのに、地元の方とお話しできたりするのが嬉しかったというかホッとしたのも覚えています。そうやって昔は自分の軌道を修正していたのかも・・・。



2009年2月27日(金)           「お店を広げる」

沈丁花が早々と満開になり、いい香りを放っています。あっという間に2月も終わる・・・。

ひと頃よりはスケジュールの詰まり方が楽になっている筈なのに、かなり疲れが出ています。それ位ハチャメチャな生活を送っていたつけが回ってきたのも実感。そして今は、いろいろな場所に行く必要ができ、またいろいろな事をしなければならなくなり、いろいろ気を配るべき状況にあり、という事なのでしょう。

「本気で集中できたらそれがずっと途切れない」のは長所のように聞こえますが、言いかえれば「何かに集中したら他の事をけろっと忘れてしまう」という短所にもなり得る。だからこそ「すっぱり気持ちを切り替えていかないと何もはかどらない」訳で・・・。

明日の準備をする時とか、事務的な仕事をする時とか、料理もそう、広いスペースに今からやるべき事を並べておくという習慣になってしまっています。つまり「お店を広げて」しまう。そのあたりに広げてあるものを見て、あぁ次はこれだっけと思い出し、1つずつこなしていきつつ達成感に浸る(?)。「いくつもの事を同時進行するために」と言えば聞こえがいいのですが、この場合、とっ散らかしたものを最後に片付けるのが億劫です。

数日前、楽譜の整理をしました。試験シーズンが終わり、使わなくなった楽譜を片付け、これから使う楽譜と総入れ替え。ソロで弾く予定のある曲、教えるためにさらわなければならない曲、伴奏の曲と分けて出していくのですが、いろいろ見ている内に、「あ、これ、今度弾いてみようかな」とか「初見の授業で使えそう」とか思い始めると、すごい事になります・・・。

料理だったら〜あれが食べたい、と思って買い出しに行く事はまずなく、冷蔵庫を開けて今そこにあるものから何を作るかを考えます。手元にある中で一番食べたいのは?、そして今食べてしまわないとまずいものは?それに組み合わせるとしたら何がよい?と考えて、使うものを一揃いそこに並べておく(この段階では迷い中)。作り始めてみたら、メニューや入れるものや味付けが変わるのは日常茶飯事。出来上がってから「あれ?最初に作ろうと思っていたものって何?」と思い、でも「今日使わなかったこの材料は明日何にしよう?」と考え・・・でも忘れる可能性もあり。

計画的なのか行き当たりばったりなのか、自分でもよくわからなくなります。長期ではきちんと計画しているけど、その都度フレキシブルに対応できているという事?とりあえず今すぐやっておかなければならない事だけは何が何でもやり、後に回せる事はその期限内に優先順位をつけて何とか間に合わせる。音楽の考え方と同じなのかも、と思うと何だかおかしいです(2008年11月14日「プラスマイナスゼロ」に書きました)。

1つだけ例外。仕事で連泊する時のホテルの部屋はびっくりするほどきれい。何かを使った順にまたパッキングしていくので、昼間にお掃除して頂く時は「スーツケースが部屋にごろん」位にすっきり片付いています。

あ、もう1つ例外。レッスンや合わせ、待ち合わせなど、約束の時刻にはきっかり。うちのクラスの学生さん、5分早く来ると「う・・・今日は早いね」と私に言われ、5分遅れると「あれ、今日は?」とメールでせっつかれます。私自身、時間を守るのは相手を尊重するという事だと思っているので。

書きたい事は山ほどあるのに、余裕がなくてごめんなさい。富田さんのリサイタルの合わせは現在佳境。曲目についても、近い内に思うところを書けたらと思っています。

曲が「形になっていく」その過程の真っただ中は、とても面白くもあり、だけど合わせの時間は限られているから必死だし、自分達が納得できるところまで持って行けるのか、お客様やお墓の中の作曲家がそれでよしと思って下さるのか、そんな事を考え出せば結構苦しかったりもします。もちろん今から進むべき過程が手に取るようにみえていれば苦しくはないだろうけど、きっと面白くもないと思うのです。

気になる事を真っ先に片付けてから練習しようと思えば夜中に弾く羽目になり、音源を聴いている内に寝てしまう。10年も昔となった伴奏助手時代ってこんな日々だったなぁと思いだす今日この頃。実は今もびっくりするような時刻です・・・。



2009年2月21日(土)           「底力」

今年は暖冬?と思いきや急に寒くなったり、大雨が降ったかと思いきや真っ青な空が覗いたり・・・三寒四温って言いましたっけ。しかし花粉がすごいです。喉はがらがらで声が出ないし、今年は耳の中まで花粉が入るのか痒くて・・・。

大学の試験シーズンもやっと、終わりました。高校では音楽教科や実技の試験が今たけなわです。

いつもの生活に戻るに戻れない、今はそんな感じです。この試験シーズンは半端でなくいっぱいいっぱいでした。例年なら「体きつい〜」と思いつつ、しゃかりきに頑張れば乗り切れていたのに、今年は頭も心もフル稼働していたので体を省みる余裕もなく・・・過ぎてみて初めて、どれほど疲れていたかを自覚しました。「へたってなんかいられない」という思いは体力を超えるんだ・・・と、人ごとのように感心しています。疲れた、と思った時にぼぉっと出来るのは幸せな事です。

本当のところは・・・1ヵ月半毎日ひたすら学校と家を往復するだけという生活だったので、それ以外の雑用がたまりにたまっています。1日1つずつ済ませていれば済んだものの、例えばそれを1ヵ月半ためこんだら計45個。必死で1つずつこなすものの、なかなか減るものでもなし・・・。

演奏についてこれほど考えた事もない、という試験シーズンでした。試験という本番にどう臨み、どういう演奏をするか、そして終わったら次回にどうつなげていくか。学生さんは皆必死でした。レッスンや合わせの最中に話し合い、それでも足りない分はメールが行き交い、そんな中、自分自身改めて考えさせられる事が多かったのです。無意識でしていた事を相手に伝わるように言葉にする、しゃべるだけならまだしも、体裁を整えて文章に残すのは結構頭を使うもの。そういえば今週の高校の実技試験でも、コメント用紙が配られたのでめいっぱい書きました。もしかしたら本ができる?なんて事はないですが、小冊子が作れる位の分量はこの時期、もう充分書いているような気がします・・・。

ほとぼりさめないうちに、そんなやりとりの中から幾つかを。

本番でいい演奏をしたいと誰もが考えるでしょう。練習がうまくいっているのは最低条件として、では一体何が必要?

これも何人もの学生さんとレッスンや合わせで話し、メールでやりとりした事。結局は人間力、つまり人としての底力ではないかと思うようになりました。なーんて言いきってしまったら身も蓋もないんだけど。怖い状況に自ら飛び込んでいく勇気がある?とか、限界に挑む事に躊躇しない?とか。無鉄砲さ、大胆さと言い換えてもいいような類の力を持ち合わせていたら、結構何とかなると思うのです。でも同時に、繊細さ、神経の細やかさも本当はほしい。

自分に甘いか厳しいかも分岐点になり得るけれど、それに対応できる心を持っているかどうかも多分関係しています。例えば、とても自分に厳しい人が本番前に、「こんな状態ではきっと今日もいい演奏ができない」と自分を追い込んでいたとします。その人が強い心の持ち主でその追い込みに耐えられるのなら、自分に厳しくするのも意味がある。でも心がそこまで強くなかったら、きっと自分で自分を潰してしまう。そんな場合は、ちょっとばかり甘くなってもいいんじゃない?と助け船を出し、逆に明らかに自分に甘い人にはタイミングを選んでひとこと言わせてもらい・・・。

なぜ演奏しているのか、その意味を自分で知っている人は本番で気持ちが揺らぐ事は少ない気がします。人前で演奏する事への緊張感より、その意味の方が勝るから。それはおそらく人それぞれでしょうし、演奏する度に変わる事なのかもしれません。

本能のままにピアノを弾くのは好きだけど練習は嫌い、と言っていた子供の頃、同じ道を目指す同級生の中で自分の居場所を必死で探していた学生時代、あの時になぜピアノを弾いているのかその意味を見つけていたら、もっと肩の力を抜いて楽しい学生生活が送れていたかもしれないけれど、でも今の自分はここにいないし、今こんなピアノを弾いてもいないでしょう。

演奏する事そのものが目的という時代から、どのようにそういう考えに変わっていくのだろう?本気で誰かに何かを伝えようとした事、それを伝えられなくて後悔した事、そんな経験が人を変えるのかもしれない、そんな事も思いました。いろいろな経験をしていく内に、いつしか「伝わってなんぼ、伝えられなければ意味がない」と言うようになり、表現する手段がたまたまピアノというだけ、という事に気付かされたのです。自分で今書きながら、「人って変わる」とつくづく不思議に思います・・・。

演奏っていろいろな要素を含んでいるものなのです。演奏上のテクニック、その曲に対する想いや解釈、その人の性格、そこまでの人生経験、その時の精神状態、(ピアノ以外の楽器なら)伴奏がつく事による諸問題、などなど。当たり前の事なのに自分の学生時代、そこまで深く考える事はなく、なんとなくうまくいったりいかなかったりしていたのだと思い出しました。 今の私が接しているのは殆どが大学生だから、なるほどこういう事が演奏する際の悩みになる・・・か。

なんて偉そうに書いていると、「じゃぁ自分はどうなの?」という声がどこかから聞こえます。言うだけならいっその事、自分で行動を起こす方が楽。 分かっている人は分かり過ぎていて、でも殆どの人には絶対に気付かれていないと思うけれど(さぁどこまでばれているか・・・)、もともと私はむちゃくちゃきつい性格。ぬるいのは無し、どうせならとことん熱いかとことん冷たいか、どちらかに徹するのが好きです。こう思うようになったら、一刻も早く自分の世界へ戻らなくては。自分の世界というのは・・・自分の練習の事です。

きっちりとした詳細は近々お知らせできると思いますが、恒例のリサイタルのプログラムをコンサート情報に載せました。自分の事をしっかり見つめ直したいと、この2、3年ずっと思い続けていました。まだぎりぎりのところで踏みとどまっているけれど、何かが崩れたら自分が自分でなくなりそう・・・という慌ただしさの中、原点に帰りたい、帰らなければ。そう思って心に決めていたプログラムです。新学期始まったら落ち着いて練習できなくなるのは目に見えているので、あと1ヵ月だけ。そう思ってこれからねじを巻きます。本番で悔しい思い、怖い思いをしないために・・・。



2009年2月8日(日)            「覚悟」

きつかった1週間も終わりました。試験週間も終盤に差し掛かっています。いつしか空気も春の感触・・・カラッカラに乾ききった冬の空気とはもう全然違います。空を見ても、地平線近くがなぜかうるんで見える・・・。

そう、数日前から予期せぬ出来事が起きています。朝、家を出た途端に喉の奥がガラガラ、咳が出て、鼻がぐすぐす・・・そう言えばこのところ目や顔がかゆかったっけ。そこでやっとスギ花粉の到来かぁと気付きました。この1、2年ひどくなり、5月のヒノキの時期が過ぎるまでは気が抜けないのですが、でも今からなんて早くない?と思ったら、ニュースでやっていました。例年よりかなり早いらしいです。それにしても今こんな状態では先が思いやられる・・・。

先週も試験や演奏会での伴奏がいろいろ続きました。本番ちょっと前に挙動不審(?)に陥った学生さん何人かに言った事。「暗い静かなところに行ってきたら?」。単純に自分が今欲している状況かもしれませんが、落ち着きたい時には最も効果があるような気がします。実際試してくれたかどうかは知りませんが、その学生さん達は皆、本番で精神状態を立て直してきました。後で尋ねると、実は緊張でがたがただったという学生さんもいましたが、音楽からは感じられず堂々とした演奏ぶりでした。ホッ。

そして心もとなさそうな学生さんに舞台に出る直前に尋ねる事。「(もう出ても)大丈夫?」。舞台に出てしまったらもう袖に引き返す事はできないから、何気なくフラッと出てしまう前に覚悟を決めてもらうのです。時間にしたらたった数秒の事かもしれないけれど、覚悟を決めるまでのこのプロセスは大事。考えてみたら私自身、舞台に「さぁ行こう」という一瞬を選んで決断している事に気付きました。そんな時、私の性格を知りぬいて下さるマネジメントの方と調律師さんが、ちょっと心配そうに見守っていて下さる事も。

ピアノの場合は独りだから、自分で責任を持って精神状態をどうにか作り上げなくてはならないのです。試験など、客席側から見ていて真っ先に気になるのはそこ。本番が終わって、学生さん自身が何らかの反省の言葉を口にするのもそこ。さすがにそればかりは手助けできないのです。何をすべきか、ぜひとも自分で見つけてほしい・・・。

たまたまレッスン室が使えず、試験の伴奏をする学生さん数名の飛び飛びの合間、ずっと聴きながら待っていた時がありました。卒業試験ともなると、初めて聴く学生さんでも演奏のはしばしから伝わってくる事があります。その人の性格、今の気持ち、美意識、そして今まで生きてきた中で積み重ねてきたものがこの演奏なんだろうな。そんな意気込みが伝わってきたような気がしました・・・。


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