ひとりごと(2008年10月分)

2008年10月31日(金)          「ジンジャー」

今日はハロウィーン。そして10月ももう終わりです。やっと寒くなり、いつも手に持っているだけだったジャケットを着られるようになりました。

秋に必ずする事と言えば、紅玉の段ボール買い。決まった時期にしか食べられないものこそ、今の時代に貴重な気がします。もう届いてからかなり経つというのに全然余裕がなく、やっと先頃ジャムにする事ができました。昔はこの時期だけとばかり、焼きりんご、煮りんご、アップルパイ、タルトなどなどいろいろ作っていましたが、そんなに時間があったのっていつだっけ?と思い返せば、やはりそれは学生時代・・・。今出来る事はもう限られてしまうのですが、毎年ジャムは作っています。

紅玉のジャムは皮ごと使うので(だからこそ安心なものを頼んでいます)、ほんのりときれいな夕焼け色。素材の味を生かしたいし、甘々だと舐める事もできなくなってしまうので、砂糖は極力減らしています。でもそれだけだと味がしまらないのでレモンの搾り汁を加えていますが、今年はまたちょっと違った味にしたくて、そこで思いついたのがジンジャーとシナモン。アップルパイと言えばシナモン、それにアップルジンジャーサイダーとかある位だから、ショウガとの相性もきっといいはず。と思ってシナモンをぱらりんと、そしてショウガのみじん切りを少し入れ、おそるおそる試食してみたらこれがなかなかイケました。いつもの「甘酸っぱい」にちょっとアクセントが加わった感じです。ご興味のある方はお試しを。ただし分量に関しては、あくまでもご自分の責任でお願いします。いつもの事ながら勘に頼って適当なので・・・入れ過ぎてしまうと、りんごの方が負けてしまう恐れもあります。

今でこそアレルギーの出るもの、げてものでもない限り好き嫌いはありませんが、子供の頃はどうしても好きになれなかったもの(無理して食べていましたが)にショウガがあります。辛いような刺激が強いような何とも言えない感じが苦手で、それが許せるようになったのは小学校高学年くらいの時。頂き物のお菓子にジンジャーが風味づけに入っていて、食べてみたら意外に大丈夫、それどころか結構お菓子に合う事がわかったからです。今となっては、冬は蜂蜜づけショウガを風邪予防に常備している位になってしまいましたが、味覚って年とともに変わるとつくづく思います。

近々、管のコンクールも始まります。今回はたまたま1次予選が無伴奏曲、皆の思いはそれぞれ違うようです。いつもピアノと一緒だからこそ心許ないという人もいれば、合わせる事によってうまく自分が出せなくなってしまうから無伴奏の方が気楽という人もいます。どちらの言い分も「ごもっとも」なのですが、私たちピアノはいつも一人。一人に慣れてしまいましたが、それは「音楽する」事本来の意味からしたら特殊だと思うのです。一緒に舞台に載っていて何かしら影響しているとは言え、直接どうにかする事はできないから、(背中を押すかのごとく)後ろからベストを尽くせるよう祈るだけ。伴奏しながらそんな事を思っています・・・。




2008年10月29日(水)          「必然」

前回書いてからまだ1週間未満?毎日盛りだくさん、目一杯という感じで過ごしております。

同じ盛りだくさんでも、今はほとんどインプットだけ。いつだったか「何かを取り込まないと自分が空っぽになってしまう」と書いた事がありましたが、今は逆で、せっかく取り込んだのに何もできずそのまま。こんな時こそ自分のためにピアノを弾けたら、弾きたい、と思うものです。

ここまで濃い日常が送れるのもありがたく、それはつまり自分自身が守りに入っていないという事。ものすごく神経質な自分とものすごく大胆な自分、考え倒す自分と直感で動ける自分、どちらもまぎれもなく本当の自分です。やりたい事ややらなくてはならない事が目の前にごろんごろんと転がってくると、ポンとスイッチが入る。守りに入っている時は無理をしないよう何かを犠牲にするのに、今は珍しく後先考えずがむしゃらに進んでいけます。何なんだろう、これって。本当に今必要な事なら体が自然に動くし、無理もきくのでしょうか。

無意識レベルでは一応守りも固めているらしく、体調管理は何とかできています。ただ昨夜は、いつしか気付かぬ内に何もかけずにうたたね・・・はっとして1時間くらい後に起き、幸い風邪もひきませんでした。しかし今朝はいったん起きた後に15分ほど二度寝してしまい、電車では学校の最寄り駅で危うく乗り過ごす寸前。いつも30分くらい余裕をみているので遅刻はしませんでしたが・・・。普段は寝坊する恐怖から眠りが浅く不眠症気味。起きるべき時間には一発で起きられるようになりましたが、早起きしていろいろできる性質ではないので、寝る前に全て用事は片付けるのが常。という訳で、ここまで睡魔に襲われるのは初めてです。何かがおかしくなっているサインかも?

「きついな」と思う時を乗り越えるには、「そんな時もある」と思う事にしています。目先の事だけで振り回されるのはいやで、長い目で見てバランスが取れ、そして何か答えらしきものが導き出せればいい。最後に納得できれば・・・その時は本意でなくても、時間が経ってみれば「あの経験があったからこそ」と思えるから不思議です。

それはさておき。ゆっくり書きたい事はあり過ぎるのですが、家にいる時間が全然ないので今は無理。このところいろいろ感じ、そして考えさせられているのは音、音楽、そして言葉、それを通じて伝えたい事、そして人間の脳の為せる業・・・。音楽に関わる事だけで毎日がいっぱいなのに、何でこんなにいろいろ思い、考えるのだろう?と。言葉と音楽、どちらともお付き合いしてきた年月は同じくらい。言葉の世界と音楽の世界、どちらに居てもやっとそこそこ自由に動き回れるようになったような気が、最近しています。

禅問答みたいな(?)核心にちっとも迫れない書き方でごめんなさい。「今日の出来事」的な事ならすぐ書けるのかも知れませんが、書きたいのはそう言う事ではないので〜(時には書きますが)。

あ、そう言えばこの数日間、あちこちの駅のホームで10数年ぶりの「再会」がいろいろありました。以前から、びっくりするような場所でびっくりするような相手にばったり会う事は割と多く、また「普通そういうのって覚えていないんじゃない?」と言われるようなケースでも、しっかり相手の事を覚えているのです。まずは小学生時代に大変お世話になった先生。演奏会帰りだったので稀なシチュエーションではないけれど、でも実際にお会いするのは10数年ぶり、とても懐かしく嬉しい事でした。そして大学時代に部活で一緒だった後輩。学部が違ったので卒業以来連絡も取っていないし、会ってもいなければ今どこに住んでいるのかも知らないけれど、パッと見て一瞬で分かりました。その瞬間、相手もこちらをパッと振り返って目が合い・・・なのにその時どうしても名前が出てこなくて、声をかけられなかった。でも絶対に間違いないという確信はあります。そして学生時代ピアノを教えていた時の生徒さん。当時は小学生で、あれから10数年、向かいのホームの電車内でもすぐわかりました。

こういう事って単なる偶然でもないような気がします。少し前の事、ある日外出したら電車の事故があったため、いつもと違うルートでそこに向かっていました。予定していた時刻よりちょっと遅め、それも本来着くのと別のホームに着き、乗り換えるために階段を降りていたら突然名前を呼ばれ・・・すごい人ごみの中だったのに、どうしてここに私がいる事がわかったんだろう?・・・予定通りの電車に乗っていたら会わなかったはずなのに、とか。学生時代、連休に友人を訪ねて京都に行った帰り、新幹線がめちゃ混みで自由席にも乗れず、どうしようかと途方にくれてこだまのホームで待っていたら、たまたま京都に来ていた別の友人が同じ事を考えてこだまのホームに現れ・・・あんなにホームは長いのに、なぜ同じ車両に?結局東京まで各停でのんびりおしゃべりをしながら帰ってきた、とか。

まだまだその手の話は尽きないのですが、偶然のような必然って絶対に存在する。やはり必要としていればこそなのかな?と思う今日この頃・・・。

ここ2、3日は毎晩数行書き付けてみて、「やっぱり中途半端だからやめよう」と断念していましたが、なぜか今日は(まとまりがないながらも)そこそこの分量が書けました。やはり必要と思う事には体が動くのか、今これを書く事が必然なのか(ま、どうでもいいか)・・・。



2008年10月23日(木)          「4周年!」

秋晴れのさわやかな日が続き、過ごしやすい季節となりました。さすがに乾燥してくると癖毛がまっすぐに保てるようになりますが、指先のひび割れが始まったのはいただけない。しかし考えてみればあと1週間で11月なのです。こんなに暖かくていいの・・・?

しばらくご無沙汰していた間に、このホームページ(よくブログと間違われますが)もお陰様で4周年を迎えました。夏頃パソコンの不調を訴えた頃から少しアクセス数が減っていましたが、ここ1週間ほどで突然回復!という事は、パソコンが回復するまで「訪問」をお休みされていた方々が、今戻ってきて下さったという事でしょうか?逆に考えれば、普段私がちっとも更新しないにも関わらず、今か今かと訪れて下さっていた方々がいかに多かったか証明されたようなもの(反省)。本当にありがとうございます。

今はすごい生活になっています。今思えば先月は相当余裕があり、あの間にパソコン関連を片づけてしまえて本当にラッキーでした。学校の仕事自体後期にまた増えたのもありますが、まずは来月の大学院入試と学部のAO入試、おまけに早々と高校の方の卒業試験もあって学生さんたちのレッスンの心配がいろいろ。管のコンクールも来月で、その合わせが今佳境。そしてハタと気づけば、年内にあるいくつかの本番が少しずつ迫り・・・楽器もジャンルも全く(!)重ならないのでどう時間をやりくりして曲を勉強し、そして練習するか、気合いを入れ直さなければ。来年の自分自身のリサイタルも既にどうするか決めてありますが、どんな風に取り組んでいくかいろいろ思案していたら、何だかそんな悠長な事を言っていられないような状況になりつつあります・・・。

先日、出身中学にちょっと行く機会があり、かつて担任をして下さった先生ともお会いする事ができました。私学なので、こ〜んなに時が経ってもお世話になった先生にお会いできる、嬉しい事です。「ところであなたの学校はどうなの?」と尋ねられましたが、中学時代には教壇に立つ事を全く想像していなかったので、こういう事でお話しできる事がとても不思議に思えました。その時にふっと思い出したのですが、「大人になっても、ハイヒールは体によくないから履かない事」とか「着色料の入ったものは食べないように気をつけて」とか、昔よくおっしゃっていました。生徒の立場としては細かい事を意外に鮮烈に覚えているのですが、先生ご自身は「そうだっけ?」。すっかり忘れていらしたようです。

もちろんそんな事ばかりではなく、先生方のお考えや信念など伺う機会はたくさんありました。今もちゃんと覚えているけれど、それはいったいなぜ?授業中に話して下さったエピソード、クラス礼拝やホームルームでのお話、そう言えば学級日誌があって、クラス全員が順番に毎日の出来事をこと細かに書き(あれは誰が持っているんだろう?読みたい・・・そうだ!今度の同窓会で提案してみようっ)、お忙しい中毎日目を通してコメントをちょこちょこ書いて下さいました。中高一貫校なのに1人だけ外部受験をするのがいやでよく相談させて頂きましたが、いつも親身になって話を聞いて下さり・・・本当に本当にその節にはお世話になりました。

でも「そういう話」をするのって勇気がいると思うのです。私自身、どちらかというと、何かを話したそうにしている気配を感じて話を引き出す方が得意かも。レッスンで教えている学生さんに自ら話す事もなくはないけど、あえてそういう時間を作っている訳ではないし。どこからともなくそういう姿勢は伝わるのだろうか?(いやいや、そんなに甘くはないでしょ)なーんて事を考えていました。

考える事、そして自分の意見をちゃんと言える事を大事にする学校でした。思いやりの心を育み、一人ひとりの意思を尊重し、「生徒」でなく人として先生方は接して下さいました。そんな中でたった3年間でしたが学ばせて頂いた事、心から幸せに思い、そして誇りに思っています。今こうやって教える立場にあって迷う事悩む事、もしかしたら自分に向いていないのではないかと思う時もありますが、私にとっての理想の先生像は母校の先生方です。

そういえば今朝も最初は高校生の授業。ちょっと気合いが入ります・・・。



2008年10月11日(土)          「腹式呼吸」

ある朝、外に出て、「ん?この香り?キンモクセイだ・・・」と気づく時が好きです。これも、イマイチ好きになれない秋のいいところ、でしょうか。

10月に入った途端、何だか息つく間もないような感じで・・・あっぷあっぷし始めるとろくな事がないのはいつもの事。思い当たる節はいくつもいくつもあるのですが、時間的にも精神的にもあまり余裕がありません。体の疲れもひどいのですが、ある瞬間「あ〜この肩こり、何?」と思い当たりました。肩こりを自覚する事は滅多にないので、これはきっと「休め信号」が出ているのでしょう。

最近、授業やレッスンでしょっちゅう話す羽目になる事を1つ。

随分昔の話となりましたが、弦楽器のオーディションに伴奏でついていった時の事。「先生も本番前になると腹式呼吸に変えるんですか?」「・・・」。本番前の何かが起こるか分からない時の事、余計な話をして動揺させたくなかったので、言葉を濁してそれっきりとなってしまいました。

歌曲伴奏の授業や室内楽では合わせる事について、またレッスンでは歌って弾く事について、そんな話をする時に「何呼吸している?」と必ず尋ねてみます。するとやはり「演奏の時ですか?普段の時ですか?」と聞かれる事が意外と多く、時には「胸式か腹式かどっちかわからない」と言われる事も。

呼吸。生きていく為に当たり前に必要で、でも無意識の内にしていて、またいい演奏の為にも絶対考えなくてはならない事。ピアノを弾くにしても、胸式では全く駄目だと考えます。私自身小さい時からさんざん言われていたので、小学校高学年の時に意識的に腹式に変えました。「お腹で吸わなくては」と常に考えていた気がします。はたから見えば滑稽?でもあの時直して正解でした。だって精神状態が普通でない本番の折に、いちいち腹式に切り替えられるなんて思えないし。

あまりにも当たり前になってしまっているので、今なぜ必要なのかを考える事もないのですが。それが威力を発揮するのは、大変ゆっくりな曲をテンポを保って演奏する時、そして長いフレーズを演奏する時。試しに今はかってみたら私の場合、1呼吸(吸って吐いて)につき、腹式の方が胸式のほぼ2倍持ちました。胸式は苦しくて、これで演奏したら明らかに呼吸困難に陥っているはずです。

呼吸は音楽と、そして演奏とも深い関連があります。思いつくまま幾つか挙げてみますと
息を吸う                    ⇔ 息を吐く
筋肉が緊張する               ⇔ 筋肉が弛緩する
(腕を)上げる動作              ⇔ (腕を)下げる動作
クレッシェンド(音量をだんだん上げる)  ⇔ デクレッシェンド(音量をだんだん下げる)
フレーズの始まり               ⇔ フレーズの終わり
などなど。どんな場合にも必ず当てはまるという訳ではなく、例外ももちろんありますが、自然な音楽創りには忘れてはならない事なのです。ピアノは1人で演奏して完結してしまうので、どう弾こうとも自分の自由という考え方もあるかもしれませんが、人と一緒に演奏してこそ音楽(基本的に1人で弾くのはピアノ位?)と思っている私にしてみれば、人と一緒に音楽する原点こそが呼吸だと思っています。それを教えてくれたのはやはり、今まで一緒に演奏してくれた友人を始めとしたたくさんの方々なのです。

あ、1つだけ呼吸の際に注意しなくてはいけない事。吸う事に専念し過ぎると過呼吸症候群のような状況、つまり指先がしびれて頭がぼぉっとする事になってしまう恐れがあるので、くれぐれもほどほどに。自然に自然に。

本番で難しいところにさしかかろうとする時、体が固まったら失敗するという事が分かったのは学生時代。何だか腕が動いていないとか重心が落ちていないと思った時、呼吸を意識するようになりました。それと別のケースですが、テンポの遅い中身の深い曲を弾いている時、本番で曲の中に入り込めてしばらくした後、じ〜んと指がしびれてきて頭がくらくらしてきた事があったのです。忘れもしないベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品10−3の第2楽章、20歳の頃の本番でした。ベートーヴェンの耳が聞こえなくなりつつある頃に書かれ、苦悩の表現が盛り込まれた重苦しい楽章なので高い緊張感を要し、ゆっくりのテンポ、条件が揃い過ぎていたかもしれません。今思えば知らず知らずの内に吸い過ぎて、過呼吸症候群を引き起こしたのでしょう。練習の時でさえ経験がなく、別の曲も含めて30分超の長丁場だったので、意識のどこかで「困ったなぁ・・・」と思いつつ「何とか最後まで弾けますように」と念じていたら、少しずつ少しずつ魔法が解けるようにしびれも消えていきました。しかしその間の怖かった事。それ以来、気をつけるようにしています。

秋になっても、1日の間に目まぐるしくお天気が入れ替わっています。すっきりと1日中晴れるようになるのはいつ?そういえば「女心と秋の空」と言いましたっけ・・・。


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