ひとりごと(2007年2月分)

2007年2月28日(水)        「2公演」

もう2月も終わり・・・なのに、今から春先特有の凄まじい風が吹き荒れ、ついでに花粉もぶんぶん飛んできます。土いじりが趣味と豪語(?)するからには、マスクはしたくないけれど。

昨年一昨年のひとりごとを見てみると、沈丁花が咲いたのは3月に入ってから。でも今年はもうすぐ散りそうです。椿も早々と開き、バラの新芽ももう伸び始めています。考えてみればこの冬は空がくっきり晴れ渡る事も少なかったので、オリオン座など夜空の星を眺めた記憶もあまりないのです。

さて、昨日田島さんの東京公演も無事に終わりました。いらして下さった皆様、ありがとうございました。前回富士公演の話を書きましたが、やはり同プログラム2公演というのは美味しい。全然違う体験が再度できるのはうらやましい限りです(出来る事なら私のリサイタルもそうしたい)。

富士では新鮮な演奏をお聴かせできた感じでしたが、昨日はかなり落ち着いて演奏できました。どちらがいいかではなく、全然違ったタイプの演奏になったという事。もちろん前回の経験を踏まえて気をつけるべきところは気をつけるけれど、それプラスアルファの何かが新たに生まれてくる。それが何だったのか客観的には分からないし、まだ昨日今日の事なので・・・。

富士での不思議な経験を前回書きましたが、これは実は田島さんに直接お話ししていなかったのです(だから文中、彼女にお尋ねの?マークを入れました)。恐らく同じように感じているはずと信じて疑わなかったので、特に話さなかったというのもありますが、そしたらこれを読んですぐお返事が来ました。やはり同じような不思議な感覚の中、弾いていたそうです。

昨日の話。私は非常に冷静に、いろいろな事を考えながら弾いていました。「考えながら弾く」と言ってもいろいろなパターンがあって、嫌な緊張をした時などは、(何で間違えずにこう指が複雑に動くんだろう?)とか余計な事を考え始めて、怖くなったりします。前回みたいな不思議な感覚で弾ける時も、一応は考えています。考えるというよりは、感覚を研ぎ澄ませてそれに敏感に反応していく感じ。昨日はまた全然違って、今まさに流れている音楽そのものをどうつなげていくか、どう田島さんとキャッチボールをしていくかを考えつつ、全然別の事がふと思い浮かんだりしました。何回も弾く機会があった伴奏助手時代の、ベートーヴェンのこの曲のイメージとか、高校生の時いつかヴァイオリンと共演してみたいと思いつつ、フランクのピアノ・パートを遊びで弾いていた時の事とか。それは、集中できないからついつい他の事を考えてしまうような状況とは異なり、意識や感覚が2つの次元を行き来しながら、その中で今しかできない音楽を演奏しているような、そんな感じと言えばいいでしょうか(ちょっとうまく説明ができないので省略)。

前回のリサイタルから1年ちょっとしか経っていませんが、田島さんの演奏もかなり変わった気がします。1回で2公演、すなわち2倍吸収し、そして成長できるのでしょうか。合わせの度にどんどん変化していましたが、変われる時ってそれ位、人は変われるものなのですね・・・。

昨日ホールからの帰り道、ケータイが鳴りました。何かと思ったら、ある方から今年秋のヴァイオリン・リサイタルのご依頼の電話。昨日アンコールの最後の曲を終えた時、演奏のチャンスに恵まれている事、素晴らしい作品を演奏できる事のありがたみを、しみじみと感じていました。と共に、今年はあまり演奏のお仕事を頂いていないので、しばらくご無沙汰かなぁと少し寂しく思いました。学校のお仕事が増えてきたのもあり、最近は落ち着いた時間が全く取れないので、今年は少しゆっくりして自分の勉強もちゃんとしようと思っていたのですが、しかし何と言う偶然!私が昨日ヴァイオリン・リサイタルで弾いて来た事は、ご存知なかったそうです。本当にびっくりしました。候補の曲をお聞きしたら、これまた私の大好きな曲が幾つも・・・楽しみです。

この数日で集中して更新してみました。高校の授業も明日で終わるので、久しぶりに家に缶詰になって練習する予定。春休みだから可能だけれど、6月のリサイタルの前はできない事。期間が短い分、じっくり音楽と自分に向かい合ってみます。しかしどうなるか全く予測がつかず・・・。

桃の花が綺麗です。もうすぐ雛祭り・・・。




2007年2月26日(月)        「フランクのソナタ」

昨日は寒かった〜今シーズン初めて、霜柱が立ったのを見ました。

さて、連続更新、今日はいきなり本題から。

前回、「田島さんの富士公演で不思議な経験をした」と書きましたが、よくよく冷静になってみると、その不思議さを文章でお伝えするのは不可能だぁ・・・と自信喪失。でもその日は本当に「さっきのは???」という感じで、帰宅した後も翌日も何だかぼんやりしていたのです。

リサイタルの伴奏は(実際は2重奏の曲も含みますが、便宜上「伴奏」という事で)、お相手とピアノのバランスにかなり気を遣います。もっとも相当気を遣わないと弾けない曲が多く、そういう2重奏ソナタは得てしてバランスの取り方が難しいという事になります(と私は思う)。テクニック的に難しくても、ピアノが相手の事を考えずに弾き倒してしまえるのなら楽なもの。めちゃくちゃ難しいにも関わらず弱音が多くの場面で必要、そしてその中で粒を揃えなくてはならず、またただ弱く弾いても音数の多さゆえにピアノが目立ってしまう場所も多いので、たくさんの音色を使い分けなければならないのです。

全くの独断と偏見ですが(?)、ピアノのテクニックでもっとも難しいのは上記3つ、すなわち弱音のコントロール、粒を揃える事、いかにたくさんの音色の引き出しをもっているか、そして機能的には打楽器である事を忘れさせるような美しいレガート、和音のバランスを自在に操れる事・・・だと思っています。ん〜もっと上手くなりたい。

富士のホール、今回はピアノがよく鳴りました。初めに一人で弾いてみた時、正直これはどうしたものか・・・と少し気が重くなりました。単純に耳がこの響きに慣れないだけ?それともピアノに手がまだ馴染んでいないだけ?と思って、パラパラと関係ないソロ曲を弾いてみました。関係なくはないか・・・その時弾いてみたのはフランクのプレリュード、コラールとフーガ。その日弾く事になっていたフランクのヴァイオリン・ソナタ、同じ作曲家なら同じような音のパレットがいるはずと思ったので。それでピアノがさっきと違った音色を出してくれるようになりました。

ヴァイオリンとのゲネプロ、かなり長い事弾いていましたが、少しずつ耳が慣れ、手もコントロールが利くようになってきたので、タッチをさまざまに変えながら試してみました。「これでヴァイオリンを越えてしまう事は恐らくないはず」と確信がやっと持てましたが、でも内心「でもフランクだからなぁ・・・」と思ったのも事実。そう、フランクは怖い曲なのです。もう何回も本番を踏んでいるにも関わらず、弾く度に表現に迷う事も多く、また怖くてちょっと気後れがします。素晴らし過ぎる作品で、本当は演奏できるのがありがたい筈なのに・・・。

さて、本番。フランクは後半にどんと1曲、メインです。1楽章冒頭、ピアノのソロから始まるのですが、「あれ?何か違う」。ふわっと曲の流れに包まれたような気がしました。いつもよりテンポはゆったり目、多分それまで1度も試していないテンポなのですが、それにうまく2人で乗れました。2度あるあの怖い怖いピアノのソロを何故か怖いと思わず、その時ふと「こんな風に歌ってみればいいかも?」とか「こんな音色にしてみよう」と頭に浮かびました。2楽章もテンポ設定が速すぎて自分の首を絞めがちなのですが、「深いところでタッチを意識しよう」とか「あぁこの低音のラインが重要なんだ」とかその時思えたので、落ち着いたテンポで弾け、いつもよりは少し細かく表現できたような気がします。気の抜けない1、2楽章で今回全く別のアプローチが出来た事で、3楽章から大分楽になったのですが、そんな訳で3楽章のドラマチックな前半と瞑想的な後半の対比に改めて気付かされ、続く4楽章が春の訪れのような喜びにあふれている事に心から共感できました。

何だかよく分からないまま終わり、よくよく思い起こしてみると、不思議な感覚に満たされていました。なぜ作曲家がこの曲をこう書いたのかが、突然舞台で見えてきたような感じ。もちろん曲を理解しようと努め、現在の自分なりに曲の解釈は定めて演奏に臨んだつもりでしたが、そんな浅いものではないもっと深いものが曲の奥底に流れているのを演奏中に実感したのです。そしてもう1つ、ゲネプロまでは、どうコントロールしよう?どう難所をクリアしよう?と考えていたピアノと作品に対する恐れが、本番ではすっかり消えていました。どんな風に演奏したいかが突然見えた事で、怖さは半ばどうでもよくなったのです。そしてピアノが信じられないくらいさまざまな音色を奏でていて、こんな響きが出せるよ、あんな表現もあるよ・・・と教えてくれたような気がします。あぁピアノが助けてくれたんだなと、嬉しく思いました。そしてそれは、静岡でのコンサートで毎回お世話になっている調律師さんのお陰です。ありがとうございました。

実はまだその録音を聴いてはいないのですが、テンポ的にはかなり速いところがあったらしく・・・でも何だか「そう」思えた本番でした。ま、そんな不思議な事ではない?いや、最近あまりないような出来事でした。田島さんとしてはどうだったのでしょう・・・?

今度プレリュード、コラールとフーガを録音するに当たって、同時期にヴァイオリン・ソナタも改めて勉強できたのはとても有意義でした。フランクは大器晩成型で晩年近くに傑作が集中しており、この2曲は近い時期に作曲されましたが、やはり似ている(って当たり前といえば当たり前だけど)と感じるところが多々あります。別々に練習していた時はあまり思わなかったけれど、その独創的な形式といい、オルガン音楽を彷彿とさせるようなピアノ・パートの厚みのある音の重ね方といい、どことなく憂いを漂わせ、あるいは悲痛な想いを込めた旋律といい・・・あぁやっぱりフランクと思わせるにふさわしい個性だなぁと思います。

ちなみにこのヴァイオリン・ソナタ、私は3楽章が「へそ」だと思っています。あ、ここでいう「へそ」とは、要するに大事なところという意味です。3楽章がどうも分からないという声もよく聞きますし、試験等時間制限がある場合カットされてしまう事が多いようですが、私に言わせれば「あんな胸に迫る音楽はそうはないのに・・・」。

1楽章はとても美しいけれど全体から見れば序奏の役割だと思うのです。まず短いし、展開部無しのソナタ形式で書かれているから。2楽章は嵐のようで存在感も大きいけれど、普通にソナタ形式で書かれているから、展開的に驚きのある3楽章の意味深さにはとてもかなわないと思う。3楽章が私にとってなぜ「へそ」かと言うと、ファンタジーという自由な形式を用いている事、そして最初にヴァイオリンのソロ(レチタティ−ボ)を交えながらクライマックスを築き、そこからさざなみのようなピアノにのせて起伏のある旋律が歌い継がれ、最後は悲しく終わるという意外性・・・。この曲に耳慣れてしまっているからこそあまり驚かないのですが、誰もがやっていない事を思いつくのは本当に凄いことだと思うのです。そして4楽章はロンド形式でありながらヴァイオリンとピアノがカノン(少し遅れて同じ旋律で追いかける事)で書かれている、これまた独創的なアイデア。今までの事は夢?と思わせるかのごとく、のびやかで明るく(でも途中3楽章の悲痛な旋律がふと再現される)、気持ちが開放されてしまうので、やっぱり「へそ」は3楽章でしょう・・・。

ちょっと熱が入って、専門的な領域に入りすぎました。ごめんなさい。でも大変有名な曲なので、どこかで耳にした事のある方も多いと思います。ほんの少しだけ↑を頭の隅において再度聴いて頂けましたら、「そうかも」と同意して頂けるかも?しれません。もしもまだでしたら、これは「クラシック音楽入門編ベスト10」に挙げるべきと思うので、ぜひぜひ一度聴いて頂けたらと思います。

楽章の壁を越えて共通の主題が用いられる「循環形式」で作曲されている事もそうなのですが、それ以上に4つの楽章が1つの雄大な筋書きの上に展開されて行き、各楽章それぞれが魅力的である事、作品を知れば知るほどその素晴らしさに驚くばかりです。

そう、あの後2、3日は3楽章が頭の中で鳴り響いていました。それにしても本当に素晴らしい・・・殆ど何かにとりつかれています。でも明日でしばしお別れなのです。今度ちゃんと(つまりヴァイオリンと一緒に)演奏できるのはいつの事でしょう?

肝心な事を書き忘れていました。明日当日券も出ますので、お時間ありましたらぜひトリフォニーホールにお出かけ下さい。私の勝手なイメージなのですが、このプログラム、何故か春っぽいと思うのです。ヘンデルのソナタ然り、ベートーヴェンの1番のソナタ然り(でもバルトークのルーマニア民俗舞曲はちょっと違う?)・・・。



2007年2月25日(日)        「練習」

今日は、季節が逆戻りしたかのような寒さになるみたいですね。今年みたいに暖かいと体は楽だけれど、冬はやはり寒い方が春の訪れの嬉しさを強く感じる気がする・・・。

さて、田島さんの富士公演もたくさんのお客様がいらして下さり、無事終える事ができました。ありがとうございました。実は今回、本番で不思議な経験をしました。帰りの新幹線の中でそれについていろいろ考えていて、文章も頭の中で殆ど出来上がっていたのですが、残念ながらパソコンに向かう時間がありませんでした。東京公演も明後日ある事ですし、後日まとめて書く事にします。

レコーディングまで約半月。ピアノを弾いている時間は毎日相当あるのに、未だソロをまともにさらえていない日々が続いています。これからどんなペースで練習し、当日までどう精神状態をもって行くか、もちろん考えています。そして、今更考えても仕方ない気がするけれど(いや、今後のために反省しなくては)、なぜ今の今までまともに練習できない状態だったのかも。

改めて考えてみて、ソロは全てが整わないと練習できないという事、実感しました。あくまでも「私の場合」ですが。練習時間がちゃんととれる状況にあり、体調も精神状態も良好、頭もクリアな状態・・・理想論かもしれないけれど、それ位整っていないと中途半端になってしまう。お客様に聴いて頂くその日まで、全てを一人でやり遂げなければならないからこそ、その必要がある気がするのです。

大学の方は一応10日前に終わったのですが、高校の方は順繰りに試験があり、田島さんをはじめ幾つかある本番とそのための合わせなどで、この1週間も殆ど家に居られない状態でした。当然ながら、家に居られない=練習できない。そしてちょこちょこ細切れ時間があってもあまり意味はなく、せめてどぉんとまとめて6時間位は欲しい。でもいつもやってみて思うには、外出しない日であっても練習時間が取れるのはなぜか6時間が限度。そういう日は外出しない位だから結構ゆとりを持った過ごし方をしているもので、意外にちゃんと料理しているし、睡眠削って練習に当てようとも思わない。雑用もちょこちょこあったりするもの。ホールをお借りする方が余程効率的だし、集中して練習できるといつも思います。

以前に、例え5分でも時間が空けばさらうと書いた気がしますが、それは時間は大切にするという意味(もちろん実際5分でもかじりついて練習しているけど)。伴奏等合わせ物は、相手次第で演奏が変わる事を考慮して一人で突き詰めるのもほどほど、だから細切れの練習でも割に有効に時間を使えます。でもソロの場合は、練習の最初の過程から一人で完成形を目指すので、まとまった時間でないと練習の意味は薄くなってしまうのです。

1日6時間が限度と考えていくと、なるほど外出する日はまともに練習できない訳だ・・・と納得。よく行くところはたいてい往復3時間、その支度などで前後1時間、あちらで済ませる用事が数時間、と考えると6時間分はゆうに超えます。毎日家に居座る訳にもいかないから仕方ないけれど。電車の移動時間とか楽屋で待っている細切れ時間は、結局うつらうつらしていたり、ケータイメールを打っていたり・・・レッスンや合わせなど連絡事項、おさらい会や試験の感想など、空き時間を有効に使って連絡できるので便利なのです。そうそう、前回書いた富士への新幹線の車内でも眠らずに、試験が終わったばかりで学生さんからたくさん頂いたメールのお返事、返していました。

練習時間については過去にも少し書いた事がありましたので、よろしければ2005年3月16日「段取り」と2005年8月8日「イギリス物のコンサート」をご覧下さい。子供の頃は練習嫌いだったので「練習しなさい」といつも言われていたし、ピアニストは1日中練習するのが当たり前、それを見習わなければピアニストには到底なれない、なんて思っていました。そんな訳で随分頑張って(無理して?)練習していましたが、今思えばピアニストと違って弾いている曲が少なく、また曲が短いのに1日中弾いていられないのが普通。

では今なぜ1日6時間確保できても足りないかというと、練習すべき曲の総演奏時間だけでも6時間くらいになってしまうから。リサイタル1回のプログラムもCD1枚分のプログラムもおおよそ80分。田島さんのプログラム、レコーディング、6月のリサイタル、その他春にある幾つかの本番の曲、レッスンで教えている大曲・・・という訳で、通して弾けば6時間程。練習はまさかただ通す訳にはいかず、細かな練習を毎日どういう段取りでやっていくかが腕の見せ所・・・。

小学校5年生か6年生の頃1度、8時間練習した時がありました。宿題で課せられていた日記に書いていったら、学校の先生に「よく練習したね」と言って頂いたので、しっかり覚えています。当時は宿題は多くて、確かエチュード関連が3つあり、ハノンとツェルニー50番、もう1つはランゲンハーンの指の訓練かブラームスの51のエチュード。そしてバッハの平均律、ドビュッシーの子供の領分全曲、あとは確か古典でベートーヴェンの作品10−1のソナタ全楽章だったような気がします。全部通しても1時間ほど・・・練習が嫌いだったのに、子供なりに考えて練習していた記憶があります(でも私がピアノの先生だったら、「そんな長くなくていいから集中して練習したら?」と言うでしょうね)。

さて、話戻して体調と精神状態と頭のクリア度について。今だから言える話、昨日まではガタガタでした。今年に入ってからとにかく本番が多くて、それで神経が疲れきってしまっていたのです。私にとってはおさらい会でも試験でもリサイタルでも、本番は本番。この1、2月で本番があったのは延べ20日間ほど。1日の中で時間と場所を変えて幾つか本番がバッティングした時も度々で、本番で7〜8曲(時間にしたら2時間弱)弾いていた日もありました。それが授業やレッスン、合わせの合間に挟み込まれていたので、気持ちの上ではオンオフの繰り返し。オンにならない時はまずないのですが、それだけ続くとオフにできなくなってきます。体はクタクタになっているにも関わらず、気持ちはぴりぴり、頭は冴えきっているので、夜は体は寝ているのに意識は起きている状態(でも何故か電車の中では眠れる)。そうなってくると食欲も失せてくるもので、何を食べたいかが分からないから何を作るかも思い浮かばない。そんな状態でしたが、この数日やっと本番が無しで、何とか食べなくてはと思って料理し始めたらやっと食欲も戻り、昨日は午前が休みだったので前日夜からひたすら眠り・・・やっと正常に戻ってきたという実感が持てています。

しかし最近はさすがに切羽詰っていて、「夜中に頑張れば2時間くらいは弾けるから、睡魔に負けずにピアノを弾こう!」と目標を立てていたのですが、それが出来たのは1日だけで、結局疲れてぼぉっとしているか寝てしまっていました。頭の中で音が鳴り、こんな風に弾こう、こういう解釈もあり?なんて次から次へとアイデアは出てくるのに、ピアノが弾けないのは結構苦しく、何よりも自分が自分でない気がしました。1ヶ月くらい前から「自分の言葉をしゃべりたい」とずぅっと思い続けてきましたが、状況が整ってこれでぼちぼち練習に取り掛かれそうです。

読み返してみて、ちょっと今日のは言い訳っぽいなぁと思うのですが、これが全然更新出来なかった理由です。ごめんなさい。・・・あ、その前に田島さんの東京公演という大仕事がありました。これについては本番までに頑張って書きます。

スギ花粉がついに飛び始めました。今年は昨年より断然少ない筈なのに、体は異変が起きています。風邪っぽい?まさかついにひいた・・・?と思ったら、どうやらスギ花粉のせいらしいのです。なんとなく鼻がぐすっとしていて、目が痒い。でも一番困るのは、のどに花粉が1粒とりついても分かる事。変にいがらっぽくてごほごほやっても、出て行ってくれません。生活に支障が出るほどでないのが救いですが、そろそろマスクとゴーグル着用を考えなければならないかも?アレルギー症状に悩まされている方々もおありかと思いますが、くれぐれもお大事に・・・。




2007年2月17日(土)        「チューニング」

ご無沙汰しております・・・。

なんと今日は田島さんのリサイタル、富士公演です。という訳で早く寝たいのですが、幸い今日は夜公演なので家を出るのがいつもより少し遅く、それに今更新しなければ「未更新期間最長記録」を打ち立ててしまいそうなので、頑張ってちょこっと書いてみる事にします。

2月入ってオフの日はまだ1日しかなく、その日はいろいろな事に追われました。普段の日は学校が忙しかったのもさながら、6月のリサイタルの曲決めにもかなり時間を取りました。実際にプログラム順で通して弾いてみて、お客様の気持ちになって一応CDもプログラム順で聴いてみて、いつもそうやって決めるのですが、ちょっと確信がもてなくてそれをもう1回やってみました。コンサート情報にプログラムのみアップしたので、よろしかったらご覧下さい。選曲の理由についてはまた後ほど。実際は未だなかなかソロの練習時間が取れないのですが、レコーディングも迫りつつあるので、そちらの曲も頭の中で鳴り始めています。

大学の実技試験期間がやっと一昨日終わりました。主にしていたのはサックスの伴奏。超難解な曲に追われた怒涛の日々が過ぎたのも束の間、今度はヴァイオリンのリサイタル。高校の授業では歌曲伴奏。合わせものでもそれぞれが全く異なり、頭と気持ちの切り替えが大変です。

さて、チューニングの話。演奏会の最初にまずピアノでポ〜ンと鳴らすA(つまり「ラ」)の音、あれです。私たちピアノの人間にとってはそこにある楽器次第ですが、他の楽器の方々には合わせるのがきっとわずらわしいに違いない・・・と思うのがこの季節。暖房が入れば暖まり、人がいなくなれば一気に冷える、その繰り返しでこの時期の学校のピアノは狂いやすくなっています。弾いているとみるみるピッチ(音の高さ)が変わってくるので、最初にどの辺で合わせるのか判断が難しそう。「みるみる」と表現しましたが、何気なく聴いていたら気付かない位の繊細な違いで、聴き分けるのに神経を使います。

ピアノの音ってよく聴くと、鳴った瞬間からその音が延びる間に、ピッチが微妙にうぃ〜んと上がるのです。これは伴奏助手時代に弦の先生から教えて頂きました。かなり上がる事もあり、それほどでもない場合もあり。だからチューニングの際にそのピッチの幅のどの辺で合わせたらいいか、それぞれに秘策があるのでは?と思います。私の勝手な推測ですが、鳴った瞬間のピッチで合わせてしまえば音程がいつもピアノより低めになってしまうと思うし、テンポの遅い曲のようにピアノの延びた音と音程を合わせる必要が生ずる曲なら、延ばした音のピッチで合わせる方が恐らく音程がはまるような気がします。

サックスは温まるとどんどんピッチが上がるので、上がる事を見越してちょっぴり低めにチューニングする事もあるらしいのですが、ヴァイオリンなど弦楽器は逆に下がるので、ほんの少しだけ高めにチューニングする事が多いようです。昨日はヴァイオリン、サックスと合わせを続けてしていたので、一瞬耳が混乱。「あれ、低めに合わせるんだっけ?高めだっけ?」。

ピアノのAの出し方によってもピッチは変わります。ペダルなしなら音が延びない=響かないという事で、うぃ〜んと上がる幅も狭くなります。かつんと力を入れて弾いた時も同じ。ペダルを使って、且つやわらかく響かせる音色にすれば、ピッチの幅はより大きく出ます。以前管楽器のレッスンについていって、吹き方次第で音程は高くも低くもなるという話を聞いて、ピアノもその点似ていると妙に納得したのです。

本番の際のソリストのチューニングの時の表情、お客様には背中を見せているので多分分からないと思いますが、人によってさまざま。確信を持って「これでOK!」と目で伝えて来る人もあれば、「このピッチではどう?」と目で訴えて来る人もいます。その表情から「大丈夫そうだから信頼して任せよう」とか「ちょっと心配・・・頑張って!」とか、気持ちも察する事ができます。

今日の田島さんも、最初のチューニングから安心させてくれて、そしてベストを尽くした充実した演奏をしてくれる事を願っています。

それにしても書き始めたら何故か調子づいて、長くなってしまいました。行きのこだまの車内で爆睡は確実。寝過ごさないようにしなきゃ・・・。


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