ひとりごと(2007年10月分)

2007年10月31日(水)       「色あい」

妙ちくりんに暖かい今日この頃。毎日用心してコートを持っていくものの、手に持っているだけなのですっかり皺だらけ・・・。

もう11月、と思ったらさすがにお尻に火がつきました。今自分を甘やかして後で怖い思いをする方がいいか、今頑張って後で少しだけホッとできる方がいいか、そんな風に自問自答しながらの毎日です。

フォーレを今弾いていて、学生時代に先輩に言われた事を思い出しました。その昔試験を聴いて下さって、「調性感や和声感をもっと大事にしたらいいんじゃないかな」と言って下さったのです。わざわざ言って下さった事、本当にありがたかったのですが、当時はその意味をあまりよく理解していませんでした。それにやっとぴ〜んと来たのが伴奏助手の頃。

伴奏助手として勤める事になったけれど、ちゃんと伴奏法をどこかで教わった訳でもないので全く自信もなかったのです。正真正銘のたたき上げでした。とにかく少しでもいいアンサンブルができるようになりたいという一心で、お仕事は「来るもの拒まず」でレパートリーをどんどん増やし、学生さんのレッスンについていって先生方から言って頂いた事は応用できるようにし、素晴らしいアンサンブル・ピアニストの演奏を聴きにいき、弦楽器についてもいろいろ尋ねて知識を増やし・・・今よりははるかに自分のための時間も取れた。あれだけ集中して「勉強」できた3年間は今思えば本当に貴重な時間でした。

作曲科出身でアンサンブル・ピアニストとして活躍している友人が身近に何人もいた事もありますが、そういう方々の素晴らしさはどこにあるのだろう?と考えていました。そんな時、あるヴァイオリニストの先生がおっしゃいました。「ピアニストはたくさんの音を弾いているのだから、曲の構成や調性、和声などを熟知していて、ソロ・パートをしっかり支え、時には引っ張っていってほしい」。その時に今更ながら、「そうか、たくさんの音を独りで担えるのはピアノだけか〜」と、そして「なるほど、作曲を勉強していれば作品への向かい方も違うはず」と気付き、昔先輩に言われた一言が蘇ってきたのでした。

それ以来、曲の構成、調性や和声を理解した上での表現は、最も大切にすべき事の一つとなりました。アンサンブルではもちろんの事、ソロであっても。

フォーレの作品はよどみなく流れてゆく中、色あいがたえず移ろいゆきます。ルバート(テンポを「自由に」加減する事)もかけられず、リズムもシンプルとなると、音色でそれを表現していくしかないのです。しかしこの和音の連結、時代の先端を行っていたのではないでしょうか。楽譜に書かれている音を普通に追うだけでは突飛に聴こえかねないハーモニーなのに、それにふさわしい音色で弾くと、思いがけなくも美しく繊細な音の綾を織り成すのです。楽譜の中からそれを一つずつ「発掘」している気分。ぎらぎらする夏でもなく、しんしんとする冬でもなく、かといってさやさやとする春でもない。正にしみじみとする秋の色あい・・・。



2007年10月28日(日)       「原典版」

やっと秋晴れが続くようになり、雲の合間の十五夜のお月様を美しく眺められたかと思えば・・・まさかこの季節に台風が来るなんて思いもしないでしょう。しかしすごい速度、お陰であっという間に通り過ぎ、今日は気持ちよく晴れるらしい・・・。

それにしてももうすぐ11月。今年の初めは確か、「この1年はいつもより演奏のお仕事が少なめだから、その分落ち着いて自分のためにピアノを弾こう」と書いた気がします。なのに実際は、いつもに増してもりだくさんの1年になっている・・・。そう、そろそろ年賀状の季節という訳で(!)今年の反省を始めているのですが、何にも増して今一番気になっているのは来年のリサイタルのプログラム。夏休みにある程度決めたはずなのにそれを覆す別の案が浮上、でもそれを弾いて確かめる時間がないが故に、未だ気持ちはうろうろしています。早くしないと試験シーズン突入で自分の事は後回しになってしまうし、今はさらわなければならないものがあるので。

11月の関係者の方だけのコンサート、そんな訳で(フォーレ2公演にはさまれ、学校は休めず・・・)プログラムはかつて勉強したものでまとめました。なんて書くとお手軽に決めたみたいですが、40分という制限のある中、有名な作品で尚且つつながりの感じられるプログラム、これを考えるのはかなり苦労しました。ノクターンは卒業してからレパートリーに入れたものですが何かと演奏の機会が多く、また平均律や悲愴ソナタ、バラード1番は小学生の頃から弾いているので、とりあえずは楽譜を見なくとも手は動きます。不思議なもので、子供の頃に弾いたものは理屈ぬきで覚えられたし、その後弾いていなくてもちゃんと記憶されています。大人になってから弾いたものはそうはいかないのが悲しいところ。

とは言っても大作曲家の傑作ばかりだし、今の年齢の解釈があってしかるべきなので、もちろん改めてきちんと勉強し直します。となると楽譜をどうするかが問題。開いてみれば子供時代の筆跡の書き込みがちょこちょこあって、その幼さに苦笑。バラードは何度も勉強し直す度に先生の書き込みが増え、また海外の先生のレッスンを受けたり、公開レッスンで見聞きした事を書き込んだりする内に、楽譜は真っ黒。それらは決して消す事の出来ない大切なものなのですが、それが先に目に入るようだと楽譜に本来書かれている事をうっかり見落とすし、つい先入観で弾いてしまうので、こういう場合は楽譜を新しくするようにしています。

原典版が各社からでているような曲なら今までのと違う版を買って、以前から使っている楽譜と見比べながら使う事が多いです。原典版でも基にする資料、その解釈によって各社それぞれ微妙に違い、フレージングやアーティキュレーション、音までも違う場合などはどれを選ぶか相当迷います。音楽の意味がそれによって大きく変わってきてしまうので。

初めての先生であった井上先生が楽譜の大切さを教えて下さいました。あ、今思い出しましたが、それは正に悲愴を勉強していた時の事。その時家にあった、とある校訂版をレッスンに持って行ったのですが、先生はなぜ原典版で勉強する必要があるのか、小学生の私にも分かるように話して下さいました。それから新しい曲を勉強する時には、何版を使うべきか必ずお尋ねするようになりました。

簡単に説明しますと、原典版とは作曲者の自筆譜、筆写譜、初版譜などの資料を基にして、正しいと思われる作曲者の意図を再現した楽譜、校訂版とは作曲者の遺したものの上に、校訂者(演奏家や学者)の解釈も書き加えられた楽譜・・・とでも言えばいいでしょうか。

という訳でスタンダードなピアノ・ソロのレパートリーは大体揃っているにも関わらず、未だ楽譜は増え続けています。CDもそうだけど、増える事はあろうとも決して減る事はない。一体どれ位増えてゆくのやら・・・。




2007年10月22日(月)       「観葉植物」

また1週間が経ちました。前回書いたものを読み直してみたら、何だか遠い昔に書いた日記を読んでいるようです。

やっとお天気が回復!毎朝空を見上げては「一体晴れるのはいつの事やら」と思っていたので、「あぁ、ついに」という感じです。晴れなければ出来ない事はいくらでもあるのに、雨が降らなければ出来ない事ってあるのだろうか?・・・ないですね。植木の水やりをしなくて済む事くらい。

植木で思い出しましたが、冬に備えて観葉植物を屋内に取り込みました。今は早い気もしなくもないし、耐寒温度がそれぞれでまだ入れなくても大丈夫なものもあるのですが、この後いつ時間ができるかわからないし、いつ急に寒くなるか分からないので・・・。たった1晩寒い思いをさせてしまったが為に弱ってしまう事もあるし、やはり生き物は最優先に考えてあげたい。それなりの鉢数があるのですが、1つずつ見て枯葉などを取り除き、大きさの合う受け皿を探し、移動の持ち運びもかなり重くて、時間も体力も必要(筋肉痛は最近遅れて出てきます)。この夏暑かったせいか、相当に育っていました。

何も考えずにそうやって植物に向かいあったのは久しぶりの事。幾つか植え替えをし、パンジーの苗も植えつけ、指先は1日でがさがさになりましたが、少し自分が戻ってきたのが分かりました。

いつの間にか秋も深まり、冬の準備に入ったと感じる今日この頃。ついこの間まで夏だったのにこんなに日暮れが早くなり、学校で5限が始まったらぼちぼち暗くなるなんて〜。やはり春と秋は過渡期、メインは夏と冬ではないかと思えます。学校の話は最近全く書いていませんが、いつもと変わらず頑張って(?)通っています。しかし後期は試験を後に控えている忙しさとでも言うのでしょうか。前期は地に足がつかないままバタバタ駆けずり回っている感じでしたが、今はじっくり腰を据えて力を蓄えるべき時期なのでしょう。教える立場であってもそれは同じ。

えぇと本題。ずっと保留になっていた演奏会の詳細をアップしましたので、コンサート情報をご覧下さい。美しくしみじみと響くフォーレの音楽を聴きに、お時間ありましたらぜひお出かけ下さい。

実はこれを早く載せなくてはと思い、無理して書く事にしたのでした。そんな訳であまり書けませんでしたが、今日はこの辺で。風邪が流行っているようですので、皆様お気をつけ下さい・・・。




2007年10月15日(月)       「3周年!」

いまいちすっきりしないお天気が続いていますが、そんな中、このサイトもお陰様で今日で3周年を迎える事が出来ました。今年の3月31日にアクセスカウンターが30000を記録したばかりなのに、もう40000が近い事に恐ろしささえ(?)感じます。ぼちぼちとしか更新できませんが(しかし月末になると急ピッチ)、いつも読んで下さる皆様には本当に感謝しています。ありがとうございます。

さて、数日前の竹林さんのリサイタルも無事終える事ができました。いらして下さった皆様、ありがとうございました。竹林さんは最初から非常に落ち着いていて、安心して音楽のキャッチボールができました。普段からヴァイオリンと作品とにしっかり向かい合っているその姿勢は、当日の演奏にも表れていて、お客様にはちゃんと伝わった事と思います。ヴァイオリン・ソナタを3曲という正に「デュオ」のプログラム、特にリヒャルト・シュトラウスのソナタはヴァイオリンとピアノが複雑にからみあった、アンサンブルの面でもかなりの難曲です。正直これに一番私たちは悩まされていたのですが、本番前1週間になってやっと音楽が焦らず滑らず、少しずつですがフレーズを自然に歌えるようになってきました。それは合わせを重ねただけでもなく、時間が解決したのもあり・・・。そしてもう1つ、私自身これは最も好きな曲10本指に入る位なのですが、聞けば竹林さんも同じく憧れの曲だったそうです。そういう思いも通じたのでしょうか。幸せなひとときでした(と言いつつ、実は結構必死で弾いていましたが)。

今回ピアノは、ホールに備え付けのベーゼンドルファーを使ったのですが、それがまたいい響きを奏でてくれました。ふくよかで丸みのある温かい音。さすがオーストリアの楽器だけあって、ウィーンで活躍していたモーツァルトとリヒャルト・シュトラウスは特に、どんぴしゃでマッチしていたと思います。調律師さんのお力あっての事なのですがタッチのコントロールが絶妙に利いて、弱音でも音色がつけられたのは楽器が助けてくれたというところ。なかなか弾かせて頂く機会がないだけに貴重な経験でした。

終演後には思いがけずも、かれこれ何年もお会いしていない先生方が楽屋を訪ねて下さいました。とても懐かしくもあり、有難く、そして嬉しかったです。

しかし何だか精神状態は、いつもと違って変でした。本番までにどう持っていくかを忘れていたというか、何をする事もできない状況。やっぱり本番前日くらいは丸々1日休みにしたいけど、そうは問屋が卸さない。いつもと同じく学校にいました。レッスン終えたら即行で帰り、合わせの録音をチェックしたら疲れて練習する気力も失せて、「ま、明日ホールのピアノで慣れればいいか・・・」と開き直り、早めに寝ました。いつもはぎりぎりまであがいて夜中までさらっていたりするのに、我ながら珍しい。

ホール入りしたら気持ちのスイッチはぽんと入るもので、調律があがってから開場するまで殆ど休みなくぴっちりリハーサルをし、慌てて準備をしたらもう本番。本番の事はよく覚えていない気もするし(なので詳しく書けないのです)、でも思い出してみれば細部まで覚えているような気もしなくもない。何故だか分からないけど、あがるかも?とも考える隙もありませんでした(といってもいつも通りに弾けた訳でもなく・・・)。ある意味凄く集中していたとも言えるし、ある意味妙に冷静だったとも言えるし・・・。

いつも本番後は眠れず起きていたりするのですが、その晩はくてっと眠りました。朝になっても体が重くて起きられないと思いつつずるずる、その時に頭に引っかかっていたのは、月曜の合わせまでにフォーレを何とかしなきゃという強迫観念。せっかくのベーゼンドルファーの響きも、頭のどこかの引き出しに仕舞われてしまいました(悲しい)。

先々週は日本歌曲、先週はドイツ(含オーストリア)ものとロシアもの、今度はいきなりフランスものという訳で、今はフォーレの練習に追われています。前から並行してさらえていればそんなに苦労もしないのでしょうけど、突き詰めようと思ったら無理。先日のヴァイオリン・ソナタは何度も演奏しているものでしたが、今回のフォーレは実は殆どが初めて。週代わりでこういろいろ勉強できる機会もないだろうとプラス思考で考えようと思ったものの、そんな悠長な事を言っていられないくらい切羽詰っています。今日の初合わせの前に何とかしないと・・・。

今回のフォーレは大体が晩年の作品なのですが、譜面をみると音が結構少ないのに関わらず弾きにくいのです。この前のリヒャルト・シュトラウスと比べると、びっくりするほど譜面が「白い」。逆にこういう方がしっかり指使いを考えるべきなのか、う〜ん。でも「白い」のにハーモニーは不思議、誰のものでもないフォーレならではの連結があり、実際皆で音を出してみないとその独創的な美しさは浮かび上がってこないのです。高校生の時分、フォーレの室内楽にはまって全集を買い、友人にも「いいよぉ」と勧めていました。今思えばとにかくませていた高校時代でした・・・。



2007年10月9日(火)        「写り」

やっとやっとキンモクセイが咲き始めました。ある時突然甘酸っぱい香りが街に漂い始めたら、どこを歩いていても、すぐ近くに樹がなくても、その香りがしてきます。この香りと澄み切った空があれば、あぁ秋だなぁと・・・そう思える瞬間が好きです。

この1週間余りの間にもいろいろな事があり、そして荒牧小百合さんとの日本歌曲の録音も無事終わりました。いつものピアノ・ソロの録音の時の感覚とも違う、歌曲のリサイタルの時の感覚とも違う、何だか不思議な2日間でした。その時の事を何としてでも今日書いてしまおうと思ったのですが、猛烈に眠いのにまだ今日の授業の準備をしていなくて・・・また後日に。

何としてでも書いてしまおうと思った理由、竹林さんのヴァイオリン・リサイタルもあと3日。何か1つ山を越えると、その前の事は遠い昔の事となってしまうので。私が言うのも何ですが(プログラムを決めたのは竹林さん)、非常に素晴らしい選曲だと思うのです。ソナタ3曲、時代も古典派、ロマン派、近代と違い、当然持ち味も全然違います。シンプルなのに洗練されているモーツァルトのK.378、若々しい情熱と歌心に溢れているリヒャルト・シュトラウス、叙情的でかつエネルギッシュなプロコフィエフの2番。お時間ありましたらぜひ聴きにいらして下さい。

あ、録音の時の困った事、1つだけ。1日中弾くからこそ、やはり楽な格好をするに限ります。1日目は長袖シャツを着て腕をまくっていたのですが、数曲自分で譜めくりしなければならないものがあり、音をさせずにめくろうと思ったら結構シャツは窮屈でした(めくって下さるというお申し出もあったのですが、何となく自分でめくろうと思ったのです)。それに録音中は空調を切っているので、思いのほか暑くてぼぉっとする。それに懲りて翌日は半袖のカットソーで参上。楽でした!本当は足元ももっと楽にしたかったけど、替え靴持っていくのが重くてやめました。ペダルを踏む関係上、靴はどうしても右のヒールのみまぁるく磨り減るのです(家より外で弾く時間が長いのもあるけど)。

そんな訳で2日目は初日より(体は)楽に弾けたのですが、なんとスタッフさんに写真撮られました。撮影は入らないという荒牧さんの言葉を信じて来たら・・・。録音中は音楽以外の事に神経がいかず、弾いて聴いてまた弾いての繰り返し。時間的に余裕がなく、思い起こせば鏡も全く見ていなかった気がします。果たして終わった後は、疲れきっていたのか充実感に溢れていたのか・・・?写りの自信は全くありません。これがコンサートとの大きな違い。

ちなみに3月のソロの録音の時は、初日のマイク・セッティング中にお試しで弾いている最中に撮ってもらいました。メイク崩れも着崩れも(?)する前、しかしどんな録音となるのか全く想像もつかぬ時間帯の事でした。怖くて怖くて「表情固いね」と言われ、出来上がってきたのをみたら確かにそうだった。じゃぁ一体いつならいい表情で写る?う〜ん、私の場合は永遠の課題でしょう。

電車の中から真っ赤な彼岸花が咲いているのを見つけました。キンモクセイもろとも、どうやら季節は半月遅れで歩いているようです・・・。


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