ひとりごと(2006年6月分)

2006年6月30日(金)       「試験」

今年ももう半分終わるなんて・・・全く早いものです。

時間に流されているなぁと思う今日この頃。前回書いてから今日まで「ひとりごとに何書こう?」とも思わなかった位、いっぱいいっぱいの日々でした。1日だけ、リサイタルから約半月ぶりのお休みがあったけれど、何にもできなくてぼぉっとしていただけ。「今日できる事は明日に延ばさない」、自分の中で譲れないものの一つですが、それが崩れている事が許せなくもあり、そんな事でストレスためていたら本末転倒とも思うし・・・。

という訳で、リサイタルの回想は・・・少々お待ち下さい。すみません。

ま、それは自分の中の話で、学校ではそれにはお構いなくちゃくちゃくと、前期末に向けて事が進んでいきます。初めての試験を迎える1年生、高校生も大学生も口を揃えて「試験やだなぁ」とぼやいています。聞こえなかった振りをして動向を見守るもよし、ただ「頑張れ」と言って送り出すもよし、どうしようかな〜と思いましたが、結局誘導尋問をして自分について考えてもらう事にしました。「うまく弾きたい」「絶対に間違えたくない」と思うがゆえに、それは自分で自分の首を絞めることになると思うのですが、どうしても点数が気になるみたいです。中に一人二人、「点数なんてどうでもいいから思うがままに弾いてみよう」とか、「精一杯やってみるだけ!」という子がいてもよさそうなのに、なんて考えてはいけない・・・?

昔を振り返ってみて、私自身がそうだったかもしれません。点が気にならなかったと言えば言い過ぎですが、点数のみを気にしても仕方ない、点数に表れないかも知れない自分だけの「何か」が見つけられたら、そんな事をよく考えました。初めから点数を諦めていたわけではなく自分なりに頑張っていたけれど、それが何か分かっていた訳でもないし、ひねくれていたと言えばそれまで?

何はともあれ、自分しか頼れない。だから「頑張れ〜」と思いつつ、試験の審査をしているのです。

しかしこの数日は暑かった。梅雨の中休み、久し振りに覗いた青空に免じて蒸し暑さも許せるのか、どういう訳か長袖でいられるようになりました。こんな時に目にとまる紫陽花の色合い、鼻をかすめるクチナシの香りもいいものです。

未だ朝顔の植え替えができずお互いのツルが絡まりあっているし、やっと大きくなってきたバジリコには数日前に孵化したらしいショウリョウバッタの子供が群がって穴が開いているし(さぞかし美味しいでしょう)、どんな時も自然は待ったなし・・・。



2006年6月19日(月)       「梅ジャム」

あれから1週間以上過ぎました。前回の↓ひとりごとを読んで「そんな事を考えていたんだっけ・・・」と自分で思うほど、現実味がない。リサイタル終わってすぐに書いて正解でした。

でもこれは例年の事で、終わったらすぐ「現実の生活」が戻ってくる。今まで「考えない」「手をつけない」に徹していたさまざまな雑事を含め、学校の仕事、伴奏や室内楽、リサイタル終わってからの事務的な事、などなど・・・そういう事が一気に押し寄せてきます。する事の中身は変わっても、夜中までかかって翌日の準備をし、目覚ましを幾つもかけて朝早く起き・・・という風に、生活の時間帯はどうも変わり映えがしないのです。あれ以来ソロはご無沙汰。舞台に乗せてから分かる事が山ほどあるからこそ再度新たな気持ちで勉強したいと思うのに、実際には絶対無理。あれだけさらってあそこまで弾けるようにしたのに、もったいなくて涙が出ます・・・(大げさ?でもない話)。

どうやってあれだけ練習時間をひねり出せたのだろう?と、不思議に思います。今のこの生活では、毎日コンスタントにまとまった時間をつくり出すのは(体の事を考えたら)まず不可能。でもそんな事を言っていたらとても当日まで仕上がらず、それ位切羽詰っていたのは事実で、普通でない精神状態だったから恐らく出来たのでしょう。今回のように身近なドイツ音楽から敢えて離れた事で、それなりのプレッシャーがあったのだと思う。特に暗譜。1回のリサイタルで覚えるべき楽譜はどんなに少なくても100ページを下る事はないのですが、近代以降のものは響きの点からも楽譜上の情報量の点からも、「本当の意味で」覚えるのは大変だと実感させられました・・・。

まだ録音が出来てきていない事もあるし、ゆっくり回想する時間が今はないので、リサイタルの事はまた改めて書く予定です。ご感想メールを下さった皆様へ、ありがとうございました。お返事なかなか書けなくてごめんなさい。

オフの日はまだしばらく先。気持ちに全然余裕がないのに、それでも自然は日々とともに移り変わる。そんな事を考えました。リサイタルが済むまでは、目に映っていても耳に入っていても肌で感じていても、脳味噌が感知していなかった気がします。行く先々で見つける色とりどりの紫陽花(本当に近頃の紫陽花は品種改良のせいか色も形もよりどりみどり)、ぼぉぼぉに生えた草や木々の若芽が風にそよぐ音、雨の香り・・・。そして今日気付いた事。もう6月も5分の3は過ぎてしまったという事実。

そうなのです。ついこの間新学期が始まり、やっと生活のペースがつかめてきたと思ったら、もうすぐ前期の試験。授業もレッスンも、もう試験準備モードに入っています。それが終われば念願の夏休みなのですが、うちの学校、実質的夏休みは8月のみだという事を思い出しました・・・。

さて、リサイタルが終わったらまずしようと思っていた事の一つに、梅ジャム作りがあります。ジャム作りは結構好きで、以前にルバーブでジャムを作った話を書きましたが、何と言っても(手前味噌ですが)旬の果物で作ると新鮮でフルーティな感じがして美味しいのです。紅玉のジャム作りは毎年欠かさない年中行事。ミックスベリージャム(イチゴ、ブルーベリー、ラズベリー)も好きなのでよく作りますが、ブラックカラントが手に入ればもっといい味になるのに・・・。キウィやバナナがたくさんあって悪くなりそうな時も、ジャムにするとあっという間に無くなります。ジャムはパンに塗るよりなめるもの。

さて梅ジャム。最近はすっかりご無沙汰ですが、昔はよく梅酒を漬けていました。それもホワイトリカーでなく、果実酒用のブランデーで。家ではこの味が梅酒のスタンダードで、もうかれこれ10年位?経って熟成したものが眠っています。漬け込んだ梅を引き上げた時にどうにかこれを有効に使えないかと思って、ひらめいたのがジャム。当時はネットで検索するなんて事も出来なかった訳で、自分の勘を頼りに作ってみました。普通のジャム作りのレシピ同様、包丁で刻んで実から種を外し、適量のグラニュー糖で煮ただけでしたが、ブランデーの香りがふわっと残ってかなり美味しかった記憶があります。梅酒をまた漬けたら作ってみようと思いつつ、まだ在庫が残っているのであれから1度も漬けていませんが。

ふと、「そうだ、今年は梅の実からジャムを作ろう」と思い立って、リサイタルが終わった頃に届くように注文しました。追い詰められている時は「終わったら何しよう・・・」と考えるのが、プレッシャーから逃れられるささやかな希望の光(ささやか過ぎ?)になったりするのです。梅干用の「白加賀」、かなり品質はよく色艶も形も綺麗。ただ毎日家を空けている内に甘い香りがして熟し始めてきたので、焦って作る羽目になりました。

前の晩から水に漬けてあく抜きをしたものを、翌朝いくつかの実の皮がはじけるまで茹でてまた水にさらしておき、それをその晩遅く学校から帰ってきてからジャムにしました。頭の中を真っ白にして(でも次の日伴奏の本番があったので「指切るな切るな」と念じつつ)、木べらで実を潰し、種の周りについた実を包丁でこそげ取り、何回かに分けてグラニュー糖を投入し、「しゅわ〜ぽこぽこ」という音を聞きながら鍋をかき混ぜ・・・体はくたくたに疲れているはずなのに、こういう普通の事ができる日常っていいなと、小さな幸せを感じました。

生の実から作るのは初めてでしたが、思いのほかいい出来でした。ほのかに酸っぱくて、青梅だったからか若々しいさわやかな香りがしました。疲れている時には酸っぱいもの。効き目がかなりありそうです。来年もリサイタルが終わったら絶対に作ろう。

やっと少し雑用に手をつけられるかなと思っていたのに、うっかりホームページ・ソフトを起動してしまったのが運のツキ。ついつい書き始めてしまったらまたこんな時間に・・・。



2006年6月11日(日)       「想い」

昨日、お陰様でリサイタルも無事終わりました。いらして下さった皆様へ、どうもありがとうございました。

リサイタルはある日ある時その瞬間だけのものなので、やはり特別です。録音に残すのとでは意味が違い、当然演奏に臨む姿勢も変わってきます。お芝居のように長丁場で日々の公演の中から毎回新しい物が生まれるというものとも、作曲のように納得した段階で手を加えるのをやめたら完成するというものとも、恐らく違うでしょう。それぞれの立場でのご苦労がきっとおありだと思うのですが、たった1回限りの意味について改めて考えさせられました。

わざわざその時刻にお時間を作っていらして下さる事の重さ、しみじみと感じます。ご縁があって「聴きに行きたい」と思って頂けても、タイミングが合わなければ不可能な事だから。たった1回しか演奏できないし、音はその瞬間で消えてしまうからこそ、失敗は許されない。その失敗とは、音のミスをしたかどうかとかそういう事ではなく、果たして自分の伝えたかった何かをお伝えする事ができただろうか、貴重なお時間とチケットのお代を「無駄ではなかった」と思って頂けただろうか?という事。

やはり自分の想いは音楽でしか伝える事ができません。拙いながらもこのひとりごとでは文章でお伝えする事を試みていますが、どこかで限界を感じます。リサイタルでは演奏の全て、選んだ音の一つ一つ、そこに流れている時間、舞台での動作、何もかもが言い訳できない「ありのままの自分」です。逆に言えば、「良くも悪くも本当の自分」はそこにしか居ない。5月21日「毎年続ける訳」にその理由を3つ書きましたが、4つ目の理由に思い当たりました。人前に出る事が好きでなくとも、本当の自分で居られる場所が必要で、どこかにそれを知ってほしいと思うところがあるのかもしれません。それ位日常的にお見せしている自分と本当の自分との間にギャップがあるという訳で・・・。

前にも書きましたが、室内楽や伴奏ではまず「あがる」事はありません(とんでもなく大変なプログラムで〜という時、1回位は記憶にありますが)。でもソロは、特にこの自主企画の時はとんでもなく怖い思いをします。それもここ3、4年程。もちろんそれなりに対策は練っていますが(?)、昨日「何をどうしても怖いものは怖い」という結論に達しました。これでちょっとすっきり。

怖い原因を見つけ出して、それを潰せば上手くいくはず。そう思って今回見つけた原因(過去にもいくつか見つけました)は、「暗譜」「体の無駄な力」「体調」でした。

確かに今回は近代の作品が多くて暗譜には手こずりましたが、本番数日前に思ったのです。頭のどこかにはちゃんと必要な情報はストックされている、と。というのは真夜中、頭があまり働かないような状態で全プログラムを通してみたらちゃんと弾けて、逆に暗譜を間違えるのは昼間、気合いが入っているはずの時が多い事に気付いたから。だから暗譜が心配で怖いというのは理由にならない。

そして体の無駄な力。これも前々日に悟りました。椅子の高さと位置を一定にして全プログラム弾いてみたら、その時々でちょうどよく思えたり思えなかったりしたのです。変な感触の時はえてして背中に力が入って丸くなり、上から腕を落として重さを利用しながら弾けないので、指に無駄な力を入れて力でコントロールしようとしている事に気付きました。そういう時は「こんな筈では・・・」と内心焦っていつもの体の状態をつくりだそうとしながら、逆に自分の首を絞めているのです。

という訳で、昨日はリハーサルから本番用の靴を履いて椅子の高さと位置を決め、姿勢をさまざまに変えて試してみました。同じ椅子の位置でも腰の場所が前後に1センチ違えば、弾きやすさはもう変わる。力でごり押しして弾き切れるだけの馬力と精神力があれば乗り切れるかもしれないのですが、それは私の場合全く無理なので、いかに合理的にエネルギーを使い回して弾くかをいつも考えています。スポーツ選手同様、いいフォームからいい響き(結果?)が生まれるはず。楽に弾ける時のいい状態とは、それ位微妙なバランスの上で成り立っているのです。本番で「あかん」と思ったら、背中をとりあえず伸ばすようにしてみました。確かに効き目あり。しかしベストなバランスを保つのは難しいです。

体調。これは言うまでもないので・・・省略。さて、これらをクリアできていたら怖い思いをせずに演奏出来たはずです。しかしやっぱり怖かった・・・。

終わってからも結構考えました。要するに昔は怖いもの知らずだったのですね。かつては勢いで弾けた部分も多々あったと思うのです。若さの特権という事で許して頂きたいのですが、それをずっと続ける訳にはいかない。こんな風に年々何かを学び、そうやって13回分弾いてくる内に音楽の底知れぬ奥深さ大変さに気付かされてしまったのです。だから自分が自分に課すハードルもデビュー当時より年々はるかに高くなり(そうでなくては困るけど)、完璧さも神経質さも更に高まり・・・だからきっと、もうどうやっても怖いと思うのだろうなと腹をくくったら、楽になりました。

聴きにいらして下さった先生にお電話した折、その話をしました。「分かってくればくるほど、怖くなるのは当然。でもどんなに怖くなっても弾き続けなさい。それが自分を成長させるから。」とのお言葉を頂きました。そしてお気付きになった今後の課題についてもお話し下さりました。本当に嬉しくありがたかった。この年になってもそう言って下さる先生がいらっしゃるのは、実に幸せな事です。

もちろんそういう事だけでなく、曲の内容、集中力、表現など考えている事はたくさんあり、本番ではそれを「考えながら」ではなく「自然に」演奏できるように、とは思っていますが・・・昨日の場合はあまり覚えていません。弾いている時はちゃんと意識はありましたが。

アンコールも終わり、舞台で最後にお辞儀した時に胸によぎったのはホッとした気持ち、そして「またここから1年頑張らなきゃ」という想い。心の底からそう思いました。

コンサート情報のページに新しく4件追加しました。既に来年のリサイタル、決まっています・・・。それでもやっぱり次回こそは怖くなく弾きたいものです。

ほんの一言だけ書くつもりで書き始めたのに長くなりました。今でしか書けない想いです。数日するといつの間にか忘れ、また来年同じ状況になるまで思い出さなかったりするもので・・・という訳で、リサイタルの回想、別ヴァージョンは改めて書かせて頂く事にします。本当にありがとうございました。ご感想等、メールでお寄せ頂けましたら嬉しく思います。どうぞよろしくお願い致します。

明日から7月終わりまで室内楽や伴奏があれやこれや入っていて、さらうべきものと新たに譜読みするものが山積み(暗譜しなくていいだけ楽かも?)。しばらくオフは全く無しです。今日1日はゆっくり休みたいけど、今一番したい事って一体何だろう・・・?




2006年6月9日(金)        「もう明日」

いつの間にか「もう明日」なのです・・・。

やっと前日になって、丸1日家に居られます。いつもと変わらず今週も3日学校に行き、外にさらいに行ったりもしていたので、なかなかハードなスケジュールでした。朝のたった2コマの授業だけでもそれプラス往復時間、出かける前の準備、帰ってきてからの後片付けなどを考えると7時間位は費やしているもので、家に着いたら疲れて寝てしまう。それでは練習できないので夜中に少し元気を取り戻せたら練習、そして再度少し寝てから朝に学校に行く・・・ここ数日はそんな感じでした。昨日はそれを逆手にとってちょこちょこ寝貯めし、今日から一気に朝弾く生活に変えました。明日はマチネなのでお昼前からリハーサル、さすがに慣れておかなくてはならないので。

実は6月に入ってすぐ「ひとりごと」を書きかけたのですが、その日にまとめたら練習が出来なくなってしまうので放っておいたのを、すっかり忘れていました。読み返してみて、やっぱりこれは今は使えない。かなりの分量なのでもったいないけど、消去・・・。

前日は何をし、そして何を考えているかというと・・・例年だと結構のんびりしています。半月くらい前から自分でカウントダウンしているのですが、忙しかったり疲れたりして弾けない日があるかもしれない事を考慮して、本当はあと10日あるのに「あと1週間!」、あと5日あるのに「あと3日!」という風に危機感をあおっています。そうするとちょうどよく前日には「あと1日あったのね」と思えるもので、割とゆったりとできるのです。ところが今年はそうも行かないほど切羽詰っていたので、今週家にあまりいなかった分を取り戻すべく、フルにさらっています。

一番大切なのは、いい精神状態でいられるかどうかだと思うのです。そうすればいつもやっている事が本番でもできる確率が高いし、焦らないから体に無駄な力が入らず楽に弾けるし、頭もクリアでいられるから弾きながら必要な事を一つ一つ思い出せる。それが口で言うほど簡単にできれば何の苦労もないのですが。

それともう一つ。結局決め手はテンポ。いいテンポで始められたら演奏がうまくいく可能性はかなり高くなります。反対にテンポがイマイチまずかったり、決められなくて迷いながら弾いていると、絶対に(この場合は「絶対」)演奏はうまくいかない。本番数日前くらいになると不思議と、どの曲もツボにはまるようにテンポが定まってきます(一定のテンポで弾けるかどうかではなく、その曲固有のテンポの意味)。そうするとリズムも決まる。やはりピアノを弾くには芸術的感性も大切だけど、運動的側面もあるからかなぁと実感します。昔レッスンに通っていた頃、最初に全曲通し、弾き終わった後に開口一番先生がおっしゃるのは、必ずテンポの事でした。どうしてだろう?と実は思っていたのですが、今となればその大切さがよく分かります。

それぞれの曲について発見した事考えた事はたくさんあって、それはぜひとも本番を迎える前に書いておきたかったのですが、とても時間がなくて残念でした。それは明日、演奏を通じてお伝えできればと思います。お時間ありましたら(当日券出ます)、ぜひ浜離宮朝日ホールにいらして下さい。よろしくお願い致します。

ついに関東も梅雨入りしましたが、数日前の天気予報から一転して、明日晴れるそうですね。それだけでも何だか嬉しい・・・。


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