ひとりごと(2006年5月分)

2006年5月31日(水)       「リハーサル」

学校へ行く日は朝が早いので、途端に睡眠不足・・・。家に居られる日は良く寝るようにしていますが、最近は夜中にさらっていたりするので、完全に「国内時差ぼけ」。でもそれにも慣れつつあるのが恐ろしいのです。

この「ひとりごと」同様、授業でもレッスンでもよく話が脱線します。それでも必ず戻せるのが特技(?)でしたが、最近はまさに今しゃべろうとする事を忘れ、高校生に突っ込まれる事度々・・・「時差ぼけ」のせい?

さて、前回↓の話の続きですが、リサイタル直前にしている事、その3。広いところでリハーサル。せめて2〜3回、事情が許せば回数はもっと、そして数箇所違うところで弾かせて頂けたらありがたいけれど・・・というところでしょうか。実は昨日も行ってきました。ほとぼりの冷めない内に書いています。

広いところで弾いてみるのは非常に意味のある事で、それはどなたもなさっている事だと思うのですが、その理由を説明しようと思ってもなかなか難しい。簡単に、思いつくまま挙げてみます。まずコンサートが練習室みたいな狭いところではなく、それより広めのサロン、あるいは大きなコンサートホールで行われるからこそ、近い条件で慣れる必要があるという事。と言うのは広いところで演奏する時に、音が会場の隅に届くまでの時間、どのように響かせれば保てるのか、それは狭い部屋で練習しているだけでは分からないからなのです。

普段できない表現もできてしまったりする代わり、弱点も浮き彫りになります。怖いところや弾けていないところがよく分かり、そして自分の出す音をよく聴くようになります。何よりも、ピアノを弾く事ただそれだけに集中できるので、本番のように自分に向かい合う疑似体験ができるのがいいのでしょうね。昨日のそのリハーサルだけで、練習3日分位の発見や変化(進歩とはとても言えない)がありました。でもそれを自分の中で消化してまとめる時間が必要・・・。

今日も朝早いので、宙ぶらりんな内容ではありますがこの辺で止めておきます。ごめんなさい。後でちょっと手を入れ直すかもしれません。

暗譜で頭が疲れるせいか、チョコの消費量が異常に伸びています。最近ビターチョコが各社それぞれ、それもカカオのパーセンテージが微妙に違うのが何種類も出ていて(既に全部試し済み)、ビターチョコ好きにしては嬉しい限り。でもこんなに食べていいのだろうか?

帰り道、何気なく空を見上げたら星が出ていました。星を見たのは半年ぶり位の気がします。それ程毎日曇っていたのか、それ程余裕がなかったのか。五月晴れが殆どないまま、もう6月になるのですね・・・。



2006年5月29日(月)       「練習三昧」

ここまで練習三昧の日々を送るというのも初めてかも。それ位時間をつくって集中しないと間に合わないという自覚があるのです。本当はひとりごとを書いている余裕はないのですが、逆に気になって仕方ないし、「息抜きしたい」という声が聞こえてくるので、まぁいいかと思って・・・。

まずお知らせ。つい先ごろ発売されたムジカノーヴァ6月号にインタビューが掲載されていますので、よろしかったらご覧下さい。インタビュー自体はいつだったか、4月中旬だったと思います。主に尋ねられたのは今回のリサイタルの事だったのですが、デュオが終わって学校が始まったばかりでそちらの事で頭がいっぱいで、自分の話なのに人の話みたいな変な感じでした。紙面が限られているので話した事全てが出ている訳ではありませんが、いろいろな方面に話が及びました。その時思ったのは「やっぱり話すのは苦手」という事。こうやって今みたいに文にまとめるのは考えながら出来る作業で、公表する内容は時間をかけてまとめた「結果」だから、まだ何とかお見せできる文章になるのですが・・・。帰りの電車の中で、そして帰宅してからも、今更ながら「あぁ言えばよかった・・・」がどれ位あったことか。朝8時半からの授業のため早起きした日で、寝不足のまま臨んだのがまずかったのでしょう。でも記事には、お伝えしたかった事がちゃんと書かれていました。上手にまとめて下さって感謝!です。

そしてリンクにピティナのサイトを追加しました。ピアノに関するさまざまな情報がばっちり!揃っています。これもつい最近の事ですが、「今週の1曲」という欄で私の演奏の音源が公開されました。もう「今週」ではないのですが、引き続きお聴きになれます。トップページから「ピアノの広場」をクリック、そして「ピアニスト一覧」をクリック、そこで私の名前をクリックして頂くとページ下部の方に曲名が出ていますので、そこからどうぞ。ちなみにショパンは発売されているCDと同じですが、ブラームスは3年前のリサイタルのライヴです。

さて、最近の近況に話を戻します。徹底的にピアノだけの生活なので、普通の話が書けなくてごめんなさい。

リサイタルの直前、練習以外にしている事。その1。このような大きな本番がある時はレッスンをお願いし、全曲聴いて頂いています。いいタイミングでいろいろな先生に聴いて頂けるチャンスがあるなら、尚更。学生時代の週1回のレッスンは、初めて曲を譜読みしたところから一応仕上げるところまで、その都度出来具合をチェックして頂き、先生のアドバイスを受けるという意味合いがありますが、今の私のような状況はちょっと違います。学校を卒業してからこんなに(いつの間に!)経っているのだから、今までの経験をもとに創り上げた自分の音楽があって然るべき。ただ、それでもまだまだ自分の知らない世界があり、また弾いていると自分では気が付かない問題もあり、演奏が独りよがりにならないように聴いて頂くのです。

これ以上何のアイデアも出てこなければ、するべき練習もし尽くしたという、それ位の段階でレッスンに行けたらいいのに、とはいつも思う事。自分で気付くような事を言って頂くなんて失礼で、つまりは高いレベルのアドバイスを頂けるような演奏ができていない・・・反省。しかし何か言って頂けるのはとても有難い事です。またレッスンを受けてみると分かるのですが、学生さんにしてみればその反面、ともすれば受身になって自発的に音楽を創らなくなってしまう恐れもあります。

リサイタル直前の今、レッスンは学校でしかしていませんが、実は結構苦痛。なぜって、偉そうに言っている自分の言葉がそのまま自分に返ってくるからです。「今週はどういう練習をしたの?」とは私のお決まりの台詞ですが(これを言われるのはどんな時?)、実のある練習とは「自分自身が良い先生になったつもりで、頭も耳も目も体もフル回転させて、良い演奏に近づく為の方法を考えられる事」だと思うのです。そういう練習って面白いし楽しい(もちろん時には悩む時もある)けれど、脳味噌も神経も120%稼動しているので、疲れ方もまた120%なのです。

リサイタル直前にしている事、その2。疲れるのは脳味噌と神経だけではなく体も同様、という訳でマッサージ。もちろん普段からお世話になっていますが、行く頻度がさすがに増えます。指や腕ももちろんですが、結構ひどいのが右太もも。ピアノを弾いている間は右足はずっとペダルを踏みっ放しだし、ペダルの踏み方にはこだわっているつもりなので、というのが理由です。ピアニストの友人たちの話では腰に来るという人がかなり多いけれど、私の場合腰はなぜか平気。

「ペダルって車のアクセルみたいなものでしょ?」なんて言われた事がありますが、ピアノを弾かれる方ならお分かりの通り、踏んだ感触も違えば踏み方も全く違います。アップライト・ピアノよりグランド・ピアノの方が感触が重い。またピアノ1台1台、微妙に違います。脱力して足を乗せるとちょっと踏んでしまう(=ペダルが効いて音が濁ってしまう)ので、踏みたくない時も意識して(筋肉を使って)つま先を上げておく必要があり。欲しい響きの効果によって、踏み込む時や上げる時の速度、踏む時間的間隔や深さなどいろいろ調節する必要もあり。指先の細かいタッチの使い分け同様、手より鈍感な(?)足でも使い分けが必要なのです。こうやって1日中右足を酷使していると足がパンパンに張り、ばくばくになってしまう・・・。

あまり意識していませんが、背中もすごいらしいです。そう言われてみれば、背筋の力を抜いて「はぁ・・・」と背中を丸める事は普段全くしない。クラス授業で立って教えている時、ピアノを弾いている時、もちろん普段歩く時などもいい姿勢でいたいので・・・今ふと「今どんな姿勢?」とわが身を振り返れば、こうやってパソコンに向かっている時も習慣からか背中は伸びています。背中の状態がひどいのは、いつも持ち歩く荷物が1泊旅行ほど重いせいかと思っていましたが、なるほど・・・。

あ、もちろん指や腕含め、全身きっちりほぐして頂いていますのでご安心を。

リサイタル直前にしている事、その3と番外編・・・があるのですが、「そろそろ練習しないと時間が・・・」の声が自分の中から聞こえてきたので、続きは次回に。こんな変な時間に更新するのも初めてです。次回には何を書くか忘れていたりして。今はそれ位、ピアノ以外は抜けまくりの日々です・・・。



2006年5月21日(日)       「毎年続ける訳」

やっと青空がのぞきました。やっぱり5月はこうでなくっちゃ。

それはともかく、また半月以上ご無沙汰してしまいました。お待たせしてしまってごめんなさい。この間の出来事、曲目解説がやっと書けたのが1週間前。新学期の慌しさは落ち着いたはずなのに学校は相変わらず忙しく、7月のコンサートの「鱒」の初合わせもあり、その他どうしてもしなくてはならない事にも追われ、あっという間でした。

さすがにリサイタル1ヶ月前になると切羽詰まってくるもので、学校の仕事以外の殆どが自分のピアノだけになります。プライベートのレッスンも1年中常に関わっている伴奏も、この時期だけはお休みです。日常生活でも急を要しないものはこの際忘れるようにしないと、何せ小心者なので気になって気になってピアノの方がおろそかになります。頭の中は暗譜と演奏の処々のためのスペースしか残っていないし、脳味噌と神経はそれ以外には使いたくない気分。通勤電車の中でも楽譜を広げ、食事していてもお風呂に入っていても頭の中で音が鳴り、何気なく指を動かし・・・ピアノを弾いていてさまざまなアイデアが湧いてくる事はあっても、どうしても日本語を繰るアイデアは出てこない。そんな訳でしばらくは面白い事は書けないと思うのですが、どうかご勘弁を。

さて曲目解説。リサイタルのプログラムに載せる曲目解説は、自分で書くようにしています。例年本当に苦しめられるのですが、どちらにしろこれは必要な事。自分の中でどう弾くかちゃんと定まっていればそんなに苦しまずに書けるもので、書く事に苦しむような状態なら(どなたかが代わりに書いて下さっても)演奏自体はハチャメチャになると思うのです。「演奏も思考も表裏一体で、その上に表現が育まれてくる」と、いつも実感しています。

1曲につき大体400〜500字というのは、かなり切り詰めないと収まりきらない分量です。たくさん書いてしまう方が断然楽だと思う。その曲のどんなところに光を当てたいのか、全体がしっかり見えていなければ書けない訳で・・・こだわりをもって選んだプログラムだからこそ、そのこだわりどころを言葉でも伝えたいのですが、あまりにも舌足らず(指足らず?)で何日も何日も悩む羽目になります・・・。

そうそう、作曲家それぞれの師弟関係や影響関係(?)を家系図みたいに分かりやすくあらわし、そこに解説をつけた音楽史の本があったりしたら、絶対にベストセラーになるだろうなと密かに思う(どなたか書いて下さい!)。世界史も音楽史には欠かせないのですが実は盲点で、毎年「リサイタルが終わったら分かりやすい世界史の本を買おう」と思いつつ延び延び・・・。延び延びといえばもう一つ、国語辞典。今使っているものは非常に分かりやすく便利だけれど、学生時代からのものなのでそろそろ新版に替えて、新しい言葉を仕入れなくてはならないかな?と思っているのです。

ところで話は変わりますが、レストランに行ったらどうしますか?メニューからアラカルトを選ぶか、コースで頼むか、それともシェフにお任せ・・・?

えぇとここで書きたいのは食べる話ではなく、コンサートの話なのです。先の話をコンサートに置き換えてみますと、アラカルトは「リクエスト可能な曲の一覧表から、何かリクエストする」、コースでは「プログラムはお客様の好みもちょっと考慮した、聴き易い曲目が選ばれている」(う〜ん、ちょっと違うかも?)、シェフにお任せは「どんなプログラムであろうとも、その演奏家のセンスと実力を信じて聴きに行く」という感じでしょうか。

年1回コンスタントにこの時期続けてきた自主企画のリサイタルも、今年で13回目を迎えます。何とか続けて来られたのは、聴きにいらして下さるお客様と周りの方々が支えて下さったお陰と、心より感謝しています。

よく言われるのは「毎年よく続くね〜」という事。その度にいろいろな答え方で切り抜けてきた気がしますが(最近の事ならともかく昔の事は忘れています)、何で私は続けているのだろう?とふと思ったので改めて考え直してみました。元々私はなるべく目立たないようにしている方が好きな性格で、「人前に出たくて仕方ない」なんて考えた事は全くありません。だから実は、舞台に一人で2時間弱というのは相当重荷だったりして。じゃぁなぜ?

いくつかその理由が思い当たりましたが、まずはこのリサイタルがなかったらきっとソロは練習しなくなってしまうだろうなという事。やはり人間、楽な方に流れるもので、1年中伴奏や室内楽、学校でのレッスンに追われていたらそれだけで手一杯で、自分自身と向き合ってソロを練習するなんてできない気もします。悩みながら音を探し表現を創りだす事をしなくなれば、自分の音楽は薄れていく。合わせたり教えたりする時にも自分が自分でないような思いを味わう事になりそうで、それは嫌なのです。

2つ目の理由。ここで「シェフにお任せ」の話につながります。クラシック音楽の中で、そこまでポピュラーではないけれど素敵な作品というのは数限りなくあり、だけど誰かが演奏しなければ楽譜もただの紙切れ以上の価値を持たず、存在が失せてしまうのです。そこでわがままが許される自主企画のリサイタル、ここでこそ「アラカルト」や「コース」ではなかなか入れられない曲を演奏させて頂きたいのです。もちろんそのプログラムは「シェフ」の腕の見せ所。どういう「素材」を組ませるか、また聴き易いものをどの程度取り入れるか、などなど。その点こちらも一生懸命考えていますので、どうかセンスを信じて(だまされたと思って??)先入観なしに聴いて頂けたら、と思っています。

もちろん「アラカルト」や「コース」にもいい点はたくさんあり、そういう形でやらせて頂く事もあります。ただ思うのは、こんな素晴らしい作品が演奏されずに消えていく事だけは絶対にあってはならないという事。心血を注いだ一つ一つの音を重ねて大きな音楽に創り上げた今は亡き作曲家の想いは、今生きている人間が演奏し続けなければ残す事はできず、その為に演奏のテクニック(表現も技巧も含めて)や解釈を磨く事が必要で、それが大学でのレッスン、和声やソルフェージュや音楽史の授業などにもつながってくる・・・と。

また脱線しかけているので戻しますが、3つ目の理由。決して目立ちたくて人前に出ている訳ではないけれど、人前でなければできない事があるからです。これはソロに限らず他の楽器のリサイタルの伴奏や室内楽でも同じで、舞台に立つという特別な状況では、決して練習では起こり得ない何かが味わえます。会場に満ちたお客様の「気」から力を頂ける事、素晴らしいホールと楽器に助けられて思いがけない表現ができる事などもそうですが、本番ならではの集中力から、その時たった1回だけの特別な演奏が出来る事が時にはあるもので、それを味わってしまったらたとえその確率がどんなに低くても、その瞬間を求めてまた弾きたいと思うようになるものです。恐るべし、本番の魔力・・・。

(後日書き足し。4つ目の理由は2006年6月11日「想い」に書きました。)

今現在の追い詰められているこの精神状態、あまり喜ばしくないのですが、これも例年の事。追い詰められた方が力が出せる筈だと呪文のように唱えて、自分で自分をなだめる事位しかできませんが、思い当たる原因は、わざわざ時間を作っていらして下さるお客様に、そしてこれだけ素晴らしい作品を遺して下さった作曲家の方々に対しての責任。本番までに試したい事、確認したい事、練習したい事がたくさんあるのに、それに対して十分に練習時間が取れず、(これは全く自分が悪いのだけど)中途半端な出来や気持ちのまま当日を迎えざるを得なかったら・・・という恐怖。自分で自分に納得がいかないという事にだけはしないよう、精一杯やるだけです。

やーっとピアノに向かうまとまった時間が取れるようになり、ほんの少しだけ気持ちにゆとりができたので書いてみました。相変わらず長い・・・。しかし短くまとめるのは難しいし、毎日音楽から言葉に頭を切り替えて少しずつ書けるほど器用でもないので、ごめんなさい。

こんなに長く書いた後に書くべき事ではないかもしれませんが(初めに書くべきでしょう)・・・6月10日、土曜の昼下がり、ぜひリサイタルを聴きにいらして下さい。しんみりと心の底から浸れる曲もあれば、元気になれる曲もあります。音楽でぜひともお伝えしたい事がありますので、言葉で説明するより聴いて頂きたいと思っております。どうぞよろしくお願い致します。

練習が終わった後ふと無性にドイツ語が聞きたくなり、インターネットでラジオのライヴを流していました。懐かしい響き。すんなりと耳に入ってきました。今回のプログラムでは珍しく、私に近い存在のドイツ・オーストリアの音楽(それもロマン派)を敢えて外しているので、練習していても何か大切なものが欠けているような気がするのです。プログラムを決めた時には、まさかそんな思いをするなんて考えてもみなかったけれど、それ位存在が大きくなっていたのかも。ドイツ語とドイツの音楽、やはり何かしらつながるものを感じます。

いつの間にか家の薔薇たちは見頃となり、冬に火鉢に植え替えた祖母のツルバラも新芽がたくさん吹き、花も久々にたくさんつけてくれました。いい季節となりました・・・。




2006年5月5日(金)        「リセット」

待ちに待った連休・・・現在、生活リセット中。

学生さんには申し訳ないけれど、この1週間は全く学校の事は忘れています。自分が「先生」なんて呼ばれる立場だと思うだけで、「いいのかな、こんなんで?」。それを考えないで済むだけでも気持ちが少し楽になります。

あ、授業でもレッスンでもない用事では、数日前に高校に行きました。勤め先の洗足学園には今年度より大学・高校音楽科ともどもミュージカルコースができましたが、前々から高校では年1度、音楽科あげてのミュージカル公演を行っています。普段の授業カリキュラムも十分に盛りだくさんなのに、それと並行しての準備、これにも相当熱が入っています。全生徒がキャストか裏方さんか演奏に必ず加わるもので、夏休み中も練習があり、またプロの方のご指導もあるとかで公演は本当に本当に見事なもの。秋の公演は、ぜひぜひたくさんの方に見て頂きたいです。という訳でキャストのオーディションがあって、審査に行ってきたのでした。

どのキャスト志望でも共通の歌2曲(一部)を歌い、4役あるうちの2役を選んで(もちろんこれも一部)演ずるというもの。音楽科全生徒の半分弱くらいが受けていたでしょうか。午前中まるまるいっぱいかかったけれど、でも非常に興味深く、面白かったです!授業中に垣間見られる一面がクローズアップされていた子もいれば、普段カマかけてもなかなか話してくれないのに(授業ではアトランダムに当てて何かしゃべってもらうようにしているので)、豹変してすごい演技を見せてくれた子もいて、隠れざるその才能には驚かされました。皆それぞれきらきら輝かせられるものを持っているし、それをきっと自分でも分かっているのでしょう。特に1年生、まだ1ヶ月も経っていないのにこれだけ自分をアピールできるのはすごい・・・。授業もまだ数回しかしていないけれど、感性が豊かで反応が鋭いと思ってはいたのです。いやぁ今年は楽しみ(審査段階から見ているから尚更)。

でも自分の高校時代を振り返ってみて、決してそこまで分かっていなかったと思う。本能でやっていた部分はあるにしろ、何のためにピアノを弾き何を表現したいのか、そこまで深くは考えてみた事もなかったような気がします(単に忘れているだけだったりして)。時代が違うのか、それとも?

4月はかなりたくさん(って?ご想像にお任せ)コンサートに行っていました。演奏会シーズンや試験シーズンになって合わせの予定が埋まり始めるとスケジュールが制約されるのですが、今はまだ自分のさらう時間を都合すればいいだけなので・・・。仕事柄、クラシックのコンサートに行くのは日常的な事であり、普段から割にマメに行く方だと思いますが、行きたいコンサート全てに足を運べないのが残念。やはりいろいろ刺激になるし、さっきのオーディションの話でもありませんが、その人の思わぬ一面が伺えるというのは楽しいもの。聴きながら、自分自身の演奏に結びつく何かが思い浮かぶ事もあるのです。

自分の本番が近づいてきた頃にコンサートに行ってドキドキするようだと、「あぁこれは準備不足」と警戒します。何だか自分が舞台に立つところを想像してしまうのです。しかし!今は普通にお客さんの立場で聴ける。これは「準備万端」のサインだといいのですが、「まだそこまでの状況に至っていない」とハタと気づき・・・。

しかしこの連休、何ていいお天気。やっと暖かくなった事だし、晩秋から家の中で越冬していた観葉植物などを一気に全部外に出しました。ひょろひょろに伸びてしまったドラセナやポトスを切って挿し木して仕立て直し、挿し木からぐんぐん育って根詰まりしているハイビスカスを鉢上げし、どういう訳かドラセナの根元に自生したアジアンタムを別鉢に植え替え・・・久々に指が真っ黒。あっという間に「小さな森」のスペースが出来ました。

少し疲れも取れてきました。夏の暑さは結構平気、最近苦手になってきた冬も一応は難なく過ごせています。秋に多少夏の疲れは出てもいつの間にか過ぎ去っているけれど、例年を思い出してみれば春が一番不調で良く寝ています。昔からアレルギー気味の体質だけど、今年の春はちょっときつかった。4月後半がピークで、やっとおさまって来て集中できるようになってきました。ホッ。

連休はプライベートのレッスンも少し入れていますが、その他の事は時間の制約を設けずに気楽に、しかしやる時は集中してやるようにしてみました。その甲斐あってご案内状書きがほぼ終わりに近づいたものの、便箋も封筒も切手も微妙に足りず、近々また買いに行かなきゃ。

曲目解説は一番「見えていない」フランクから・・・と思ったものの、四苦八苦しています。楽書を読んでも自分の中でまだピントが合っていない感じ。ピアノ曲をたくさん書いている作曲家だと、いろいろ作品を弾く内に自分なりの作曲家像が描けてくるのに。ヴァイオリン(とピアノの為の)ソナタは何度か演奏していますが、それ以外のイメージがぜひとも必要で、他の作品を聴いてみました。晩年の傑作、ピアノ五重奏曲、交響曲・・・今まで聴いた事がなかったけれどすごくいい。私好みの響き。ほの暗くロマンティックな曲が好きな方にはお勧めです。ベルギーに生まれてフランスに帰化したというものの、フランクのご先祖はゲルマン系。この方の作品に惹かれるのは、私にはどうしてもドイツ・オーストリア系統の音楽として聴こえるせいかも。

一生懸命考える事にも疲れてくると、「じゃぁピアノ弾こう」。なぜかさらうのはプロコフィエフ。今くらいの頃の練習はまだ「その時1点主義」。今一番危険だと思われるもの、あるいは一番弾きたいものを重点的に弾いています。4月後半はラヴェル、春休みまではフランクでした。バッハはまだ何となくの状態。そうやって各曲のレベルが上がってくれば同時進行で2曲、3曲とさらえるようになり、本番間近には全曲同時進行でさらえるという訳ですが・・・。

それにも息詰まったところでの逃げ道が、この「ひとりごと」。こういう状況だとこれだけ書けるんだなぁと、自分でもびっくりしています。まだまだ書けそうだけど、ネタに詰まった時のためにとっておこう(なんて思っても、実は気が乗らなければ書けない)。「書く事はプロでないからいいや」って逃げる事もできるけど、納得いかないまま書くようでは、わざわざ読みにいらして下さる方に申し訳ないと思うのです。

ところで最近甘いものを切らしているので、禁断症状が出ています。これを読んで下さっている方から度々「甘党ですよね?」と言われるけれど、そんなに甘いものの話ばかり書いていたっけ・・・?確かにチョコレートだけは別格ですが。そういえばリサイタルで頂く差し入れ(ありがとうございます、とても嬉しいのですが何だか申し訳ないので、どうぞ手ぶらでいらして下さい)、お菓子の占める割合が増えた気がするのは気のせい?食べたい時は食べるけれど、度を越えそうになると体が勝手にストップをかけるので、あまり食べない時期も実はあります。

何もないから、またオレンジピールの砂糖漬けでも作ろうかな。春先、いつものお任せ野菜セット(果物も入ります)でパール柑という文旦の仲間が届き、その皮の分厚さとさわやかな香りに負けて(?)砂糖漬けを作ってみました。面倒くさそうで行動を起こすまでに気合が必要でしたが、いざ作ったら簡単!皮と内側の白い部分もろともを1センチ幅位に揃え、水にさらしてアクを抜き、その後グラニュー糖(相変わらず目分量)と少量の水を入れて水分がなくなるまでコトコト煮詰めたら出来上がり。煮上がってもしばらく鍋の中に入れたままにしておいたのが失敗で、乾燥させるのに時間を要したけれど、いつか頂いた「お庭の樹から採れた実で手作りした」という知人からのプレゼント(実に美味でした)をちょっと思い起こさせる味が出せました。

それに味を占めて、食べきる頃に再度甘夏の皮で作ってみました。今度は皮の内側の白いわたの部分が薄いし、何となくパール柑より苦そうな予感がしたので、2度茹でこぼして水にさらしました。煮上がってからはすぐお皿に並べて、電子レンジで念を入れて乾燥した後グラニュー糖をまぶします。品種が違うと、こうも味も香りも違うのかと実感しました。

家に今あるのは甘夏と河内晩柑(色形香りからしてやはり文旦の仲間でしょう)。これでまた砂糖漬けつくる?ちなみに実の方の好きな食べ方は、何種類かの柑橘類の実を全て袋から出してほぐして蜂蜜をかける、シンプルかつぜいたくなデザート。ゼリーにしたら更に美味しそう。いろいろな味がミックスされるからこそいいのですが、手間がかかるので年に1、2度しかできないのが残念。でもこれだけ柑橘類(の香り)に今こだわるのは、きっとストレスがたまっている証拠。早く曲目解説書き上げたいものです。お休みもあとわずか・・・。


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