ひとりごと(2005年9月分)

2005年9月26日(月)      「嗅覚」

台風が関東地方をかすめたと思ったら(来なくて本当によかった!)、一気に秋風が吹き始めました。いくら夏が好きでも最近の蒸し暑さにはさすがに体が参っていたので、少しホッとしました。「暑さ寒さも彼岸まで」とは良く言ったもので、そうなると待ち遠しいのがキンモクセイの開花。気のせいか今年は遅い・・・。

勤め先の洗足学園には至るところにキンモクセイが植えられています。朝来る時も夜帰る時も疲れきってぼぉっと歩いていると、ふと鼻をくすぐるその香りで元気になれたりするのです。先日は三半規管の話を書きましたが、嗅覚も割と敏感な方で鼻で何かを探し当てたりします。「この香り・・・ん・・・?」と誘われて歩いていくと、そこに何かが見つかる事がよくある。食べ物よりは季節の花々が多いです。

とにかく敷地の広い学園で、幼稚園から小中学校、高校、大学、短大、大学院まであります。私が居るのは主に大学のキャンパスですが、それだけでも広く、勤め始めて半年は自分がどこにいるのか、これからどの建物のどの教室に行かなければならないのか、全く把握できませんでした。最近気付いたのですが、これだけ広いのに桜の樹が殆どない。春の入学式シーズンには必要不可欠な桜が無いなんて・・・と思って探したら、人目につきにくい敷地の奥に、まだ細くてたよりない桜の樹が数本頑張って花をつけていました。その代わり、大学の中庭に堂々と何本も植えられているのは梅と柿。冬の実技試験の時期から梅が一輪また一輪と開花し、春への想いをかきたてる甘酸っぱい香りを振りまきます。今は柿が少しずつ色づき始めています。その中庭の一区画がある時突然ラベンダー畑となったり(気付いている人はどれ位?)、思いがけない場所に百合がにょきっと生えて花をつけたり・・・小さな驚きがちょこちょことあるところです。

さて、竹林さんのリサイタルが終わりました。今回もホール一杯埋め尽くすほどのお客様がいらして下さいました。ありがとうございました。いつもの事ですが、これについてきちんと整理して書こうとすると更新がもっと遅れそうなので、次回に書く事にします。

昨日は半月ぶりのオフでした。本当は仕事が入る予定でしたが、毎日朝から晩まで留守にしているか、家に居られても合わせかレッスンをしているような生活だったので、無理を言って無しにしてもらったのです。練習時間が取れず、家の中の雑用が全く手付かずで、また体が休まらないそんな状態。終わった今だから言えるけれど、正直先週はきつかったです。コンクールの為のおさらい会などもぼちぼち入り始めました。リサイタルで鴻巣との往復をした翌日は朝ゆっくり寝ているつもりでしたが、何か頭の隅に気になっている事がありました。学年末試験の前の試演会のホールをまだ取っていなかった事をハタと思い出し、ネットで空いている日を検索し、すぐ午後に予約しに行こうと思い立ちました。そこでもう一つ、来年の私自身のリサイタルの為の写真撮影も早くしないと間に合わない事を思い出し、その別のホールも同じ沿線だからついでに予約しに行こう、と。その日の夜は学校で合わせが入っていたので、半日かけて神奈川をぐるーっと回った事になります。台風の影響で強まってきた雨の中を歩きながら、我ながらよく動けるなぁと感心(?)。そんな事をした翌日だから、途端に気が抜けて昨日は事が運びませんでした。ま、そんな一日も必要でしょう・・・。

コンサートの情報、前回と今回で計5件追加しました。日が迫っていますが、やっとチラシができてきた伊賀さん&青木くんとのシューベルトの室内楽が2公演。お手伝いするのも早いもので今回で5度目となります。毎回テーマの作曲家を1人定め、ヴァイオリン作品とチェロ作品とピアノ・トリオが1曲ずつ。これがいろいろな事が分かって結構面白く、勉強になります。同じ編成でもそれぞれの作曲家によって音の選び方、重ね方が違い、また一晩で同じ作曲家の作品を演奏する事により、その作曲家の特徴が伺える、といった具合。それにしても今回のシューベルトはまたすごい。シンプルで歌心に溢れているアルペジオーネ・ソナタ、反対に非常に形式的にも凝っていて、繊細なのに聴こえる以上にメチャクチャ難しい幻想曲、力強さや素朴さが際立つトリオの2番、というようにそれぞれの曲の持ち味が全く異なるのです。

これは随分前からアップしてありますが、東京アカデミッシェカペレさんとの演奏会。以前に何回か協演させて頂いたゲルハルト・ボッセ先生が振って下さるので、心から楽しみにしています。普段なかなか体験できない編成の曲というのも、また楽しみ。ベートーヴェンの合唱幻想曲、これはオーケストラと合唱とピアノという編成ですが、冒頭はピアノの長いカデンツァから始まり、次にしばらくオーケストラとピアノの掛け合いが続き、最後にソロと合唱が加わります。曲の感じはどことなく「第九」に似ている・・・興味深いです。ブラームスの愛の歌は本来4人の歌のソロとピアノ連弾の為の作品ですが、今回はそれを混声合唱で演奏するそうです。曲は18曲から成る連作のワルツで、ピアノの八木さんとは初共演ですが、連弾という形態もあいまって和やかな空気をもたらしてくれそうです。

田島さんのヴァイオリン・リサイタルも2公演。こちらのプログラムは徹底的にウィーンにこだわっています。学生さんの頃から何度か伴奏のお手伝いをしていますが、今回が本格的なデビュー・リサイタル。春頃に秩父で小さいコンサートをした時に少し彼女について書いたので、覚えていらっしゃる方も多いと思います。忙しい仕事の合間をぬってよく勉強する努力家さんで、また温かく素直な音楽を奏でてくれる事と思います。

以上、年内に行われるいろいろな編成でのコンサートです。ぜひいらして頂きたく、どうぞよろしくお願い致します。

最後は、ホームページにリンクしているロンドン在住の田山くんとのピアノ・デュオ。来年の話で鬼が笑いそうですが、プログラムを変更する事はまずありえないのでアップしました。昨年春に小さなところで初めてリサイタルをしましたが、せっかくだから少し広いホールで改めて演奏しようと言う事で決めました。こちらは近くなりましたら何かまた書かせて頂く事にします。

そうそう、リンクしていたチェリスト富田牧子さんのサイト、アドレスを変えてリンクし直しました。ブログにしてご自分で更新する事にされたそうですので、今後彼女の感性が伺える素敵な日記がちょくちょく読めるでしょう。ぜひご覧下さい。

何だかとりとめなく書いていたらこんな時間(何時?)になってしまいました。又1週間が始まる・・・。




2005年9月18日(日)      「栄養バランス」

月の美しい季節となりました。例年だと秋雨前線のせいで見られない事が多かった記憶がありますが、今年は気持ちいいお天気が続いて嬉しい限り。今晩は十五夜。真ん丸なお月様が眺められるでしょうか。

毎日が朝から晩までピアノの前にいるような生活で特に変わった事はないのですが、敢えてそれ以外の事を書こうとも思えないのは、気持ちにも時間にも余裕がないという事でしょうね。頭の中で考えている事は、音楽以外にも沢山沢山あるのですが・・・。

今は佳境。同時進行して持っているものがここまで多いのも初めて。竹林さんのリサイタル。オール・シューベルトの室内楽のリサイタル。コンクールの伴奏も時間に換算すればリサイタル1回強(その中には苦手な現代曲が・・・)。以上は日替わりで合わせの真っ最中。ベートーヴェンの合唱幻想曲は暗譜の真っ只中。そしてブラームスの愛の歌・・・。

以前にある友人が、「今日電車の中で何だかすごい人を見たけど・・・もしかして知っている人じゃない?」と話をしてくれました。その人は車内に座って膝の上に楽譜を何冊も重ね、一番上の開いている楽譜の上で指をぱらぱら動かしながら、凄まじい勢いでページを繰っていたそうです。そこまで話を聞いた時に「もしや?」と思い当たる方があったのですが、よくよく話を聞いてみるとその方の風貌や乗っていた路線からして、やはりその方だったのです。その方というのが、当時私が大学で受けていた初見の授業の先生。先生と言ってもピアニストであり作曲家であり、リサイタルの共演ピアニストとして八面六臂の活躍をなさっている方です。どんな曲でも初見で、それも音楽的な内容を伴ってお弾きになるので、授業でお手本で弾いて下さるのをいつも唖然として見ていました。その先生が車内でそうやって譜を読まれているのを知り、この仕事の大変さを垣間見たような気がしたのです。その先生のお気持ちが今、未熟者の私にも少しは分かってきました・・・。

「目で見る楽譜の情報」と「動かす指のイメージ」、「耳から聴こえる音」が一致してくる時期というのがありまして、そこを過ぎると頭の中に音楽が定着してきます。そこまでが一番苦しく、合わせの度に楽譜を開いては気合を入れている位。それを過ぎてもテクニックをどう安定させるか、音楽でどう表現するか、相手と息をどう合わせるか、本番で力を出し切るためにはどうするか、などなど問題は山積み。なのに頭の中に音楽が定着するだけで随分気楽になり、すんなり眠れるようになったりします。

夏の間に崩れてしまった体のバランスは大分戻りました。いつものような規則的な食生活が鍵!朝食はご飯と味噌汁(具は野菜)をベースに。昼も割合軽め。夜は遅くなるようだったら食べ過ぎない。間食はあまりしない。・・・というような具合です。野菜を意識して取るようにしたら体が楽に動くようになったけど、蛋白質が少し足りなかったか筋肉が多少みしみしいうような感じがしてきました。単に気候が少し寒くなってきたからかもしれないし、疲れが蓄積してきたからかもしれないけれど、今度は意図的に蛋白質を取るようにしたらいくらか改善された気がします。時々甘いものが異常にほしくなったり、炭水化物をきっちり取りたくなったり、その時々で体が欲求している食べ物が変わるもの。思い起こせば、そんな事さえ夏には気付かなくなっていたなぁ・・・と。

そろそろお彼岸。お彼岸と言えば思い出すもの。亡くなった祖母がお彼岸には欠かさず作ってくれていた「ぼたもち」(春でも秋でもぼたもちと祖母は言っていました)。いつもいっぱい作ってくれて、シーズン毎に幾つも幾つも食べられた思い出があります。握りこぶしよりちょっと小さめの大きさ、あんこが粒餡でしっかりとした甘みがあり、ずっしりとした食感なのになぜかいくらでも食べられる。あれがもう1度食べたい。でもあの味はどうしても祖母にしか出せないものなのです・・・。



2005年9月13日(火)      「譜めくり」

秋祭りの季節になりました。週末はあちこちで、祭りのお囃子やお神輿が練り歩く時の掛け声が聞かれました。土曜の吉祥寺のコンサートの会場周辺でも、家の近所でも。

その竹林さんのコンサート、無事に終わりました。いらして下さった方々は殆ど近辺の方だったそうですが、実に熱心に聴いて下さっているのが感じられました。本当にありがとうございました。

この日と全く同じプログラムで再来週もう1度鴻巣で演奏するので、詳しい事はそちらが終わってから改めて書こうと思います。今回のコンサートはトーク付きで、また休憩にはワインと簡単なおつまみが出たようです。最近はこのように気軽に楽しめるコンサートが増えてきたなぁと実感。やはり楽しんで頂いてこそのコンサートですから。恐らく休憩時のサービスの為に沢山の方々がお手伝い下さったのではないかと思いますが、大変お世話になりました。ありがとうございました。

今回は又不思議な精神状態で弾いていました。毎回当然ながら違うのですが、すごく集中していながらも冷静。大体会場に向かう前から変(というのも変だけど)でした。前日合わせをした後にやっと時間が取れて、夜中に一通りガーッとさらい、それでも朝は普通に起きて当たり前の1日が始まるような気持ちでコンサートの準備をし、うつらうつらボーッとしながら電車に乗って会場に向かい、いつもの合わせの気分で何となく(でも集中していた)リハーサルを始め、その後一人でピアノに慣れようと練習していたら開場の時間になり、毎度の如くぎりぎりにドレスに着替えて、あっという間に本番が始まり、あっという間に本番が終わってパパッと着替え、何故か帰りは重く感じられる荷物を両肩に下げて帰る・・・そんな1日でした。最寄駅で降りて家に向かって歩きながら、「何でこんなに疲れているんだろう?」と考えた時に初めて、「そっか、リサイタルの伴奏をしたんだから疲れて当然!」と気付いたという、何だかおかしな状況でした。コンサートのあった日は神経が高ぶって普通眠れないものですが、その日は何故か0時にすとんと寝られました。私にしてはあり得ない事。

今回のプログラム、お客様にとってはなかなか盛り沢山に楽しめると思います。ヴァイオリンのいいところを余すところ無く伝えられるよう、さまざまな特徴を生かすような選曲がなされています。親しみ易い小品が幾つか、内面的な深さを持つドヴォルザーク、かっちりとした古典的な美しさを持つタルティーニ、ロシア民謡をヴァイオリンの超絶技巧で彩ったヴィニアフスキ、そして流れとハーモニーが美しいフォーレ・・・。お時間がありましたら9月23日、鴻巣にどうぞお出掛け下さい。

さて、ピアニストの条件の一つに「三半規管が強い事」を入れてもいいなぁと考えているのは私だけでしょうか。コンサートの折、そんな事を考えました。「三半規管」、これは耳の奥にある体の回転や運動を感じる感覚器官だそうです。その前に、ピアノを弾くのになぜ三半規管が関係するの?の謎解きを・・・。

子供の頃から、そして今でも遊園地の乗り物は苦手です(そんなに行った事もないのですが)。ジェットコースターは気分悪くなるので、皆がキャーキャー言いながら乗っている時はいつも荷物番。回るティーカップでもメリーゴーランドでも、下りれば目眩がして歩けなくなったものでした。

ピアノを弾く時に見なくてはならないもの、実はたくさんあります。横を向いて弾くので、お客様の視線から目をそらすような事をしなくていいのは助かりますが(前を見て演奏される楽器の方はどうされているのかお尋ねしたいものです)、それはともかく・・・と。ソロなら鍵盤だけですが、伴奏や室内楽なら楽譜や共演者。コンチェルトなら指揮者。目が二つ位ではとても足りない・・・。あちこち頭を向けていたらひどい首凝りと目眩に悩まされるでしょう。そんな訳で、三半規管の弱い私はなるべく首を振らず目もきょろきょろさせたくないので、いつしか工夫をするようになりました。

殆ど無意識なのですが、考えてみれば鍵盤は練習でも本番でもまず見ていない。最近そう思って自分の手を敢えて演奏中に見るようにしてみたら、指の動きも腕の移動も目まぐるしくてクラクラしました・・・。楽譜が置いてあれば目はずっと楽譜を追うし、暗譜してしまえば目をつぶっているか、あるいは目を開けていても何も見ていない。不思議なものです。

ソロの曲なら、跳躍のある曲はとんでもない距離で無い限り(2オクターブ以内位?)体の感覚で覚えています。本番で外す時などは、得てして体に力が入っていてその感覚に狂いが出た時。弾きながら「何とか脱力しなきゃ」と悪戦苦闘している事が多いです。腕の移動の無い範囲では指使いやきちんとした練習により、見なくてもミスせず弾けるようになります。

室内楽や伴奏でも基本はソロと全く同じですが、どんなタイミングで出られても対処できるように、弾き終わったら最短ルートを取って腕は移動し、次弾く鍵盤の上に指を置いて待つようにしています。だから傍目に見たらいつも動作が音楽より先に先に行っているように見えるのでは?

それでも合わせものでは絶対に楽譜から視線を外さないようにしています。自分のパートだけでなく相手のパートも一緒に読んでいるので、何かあった時(ずれそうになった時など)その瞬間に楽譜を見ていないと命取りなのです。そんなに大胆な腕の移動(跳躍)を要する曲は普通はないのですが、先日のフォーレのソナタは左手がバンバン跳ぶ曲で、珍しく必死に手元を見ていました。譜めくりの箇所がたまたまそんな大変な箇所で、パッと楽譜に目を戻したら「ん?違う?」。めくったページが違う気がしてめくり直したのですが、いつもは楽譜をしっかり見ながら弾いていた箇所なので、うっかり勘違いをしたのでした。そう、実は始めにめくってもらったままでよかったのです。もちろん後で譜めくりの方には謝りましたが、いつもと違う事は本番ではすべきではないと肝に銘じました・・・。

譜めくりって本当に大変な仕事なのです。私自身がする事になっても未だに(演奏以上に)かなり緊張します。自分でお頼みする立場だからこそ、その大変さが分かります。勝手ながら「譜めくリスト」とお呼びしてしますが、毎度のコンサートではいろいろな方にお世話になっています。

楽譜が読めなければならないのは当然ですが、譜めくりが必要な曲はピアノの大譜表(ト音記号とヘ音記号)の上に、更にソロの楽器や合唱のパートも書かれています。例えば「ヴィオラの曲ならアルト記号も読めたら確実」とか、「幾つもの楽器のパートも一緒に書いてある室内楽の場合は、パッと見てピアノのパートがどこに書いてあるかが分かる」とか、その時演奏する楽器の譜面に慣れていて下さったら、尚ありがたいものです。

又繰り返しや省略などがつきものですが、うっかりそれについてのお願いをし忘れたりした時に、機転を利かせて下さるだけの音楽的センスがおありだと、とても助かります。自分自身の経験ですが、以前試験だったかコンクールだったか伴奏し終えて戻ったら、次の演奏者の譜めくりの人がいなくて、急遽私が譜めくりする事になりました。その時は口頭で、「前奏はここから始め、ここはここまで省略して、ここは繰り返し・・・」と早口でパーッとまくし立てられ(本番前だから当然)・・・。一瞬の事だから目が点になりました。何とかなるかと行ってみればその楽譜が実に分かりにくく、あちこちに×マークやかぎ括弧が付いていてどれを信じていいのか分からないし、またそのページがくっついていてめくりにくくて・・・知らない曲だったのですが、勘を働かせてめくりました。何とか間違えなかったのが救いでしたが、直前の自分の伴奏はさておいて冷や汗タラタラ。

近現代の作品では変拍子や複雑なリズムに悩まされます。今たくさんお引き受けしているサックスのコンクールの2次予選の選択曲は、どれを取っても「・・・」。例えば音の高さだったら多少読み違えても譜めくりのタイミングに影響する事はないのですが、拍子やリズムを読み違えたり、あるいは落ちたり(目がついていかなくなり、どこを弾いているのか分からなくなる)すると、全然違う箇所でめくってしまうような事件に発展してしまうのです。またそういう曲の場合はお互いの演奏がずれる可能性も普通の曲よりはずっと高くなるので、伴奏する方も結構必死で数えています。そんな状況の中いい演奏が出来たとしたら、それは完璧なタイミングでめくって下さった譜めくリストのお陰です。

伴奏はソロを支える責任の重い立場だと自覚していますが、そんな伴奏を支えて下さっているのが譜めくリストだとお分かり頂けたでしょうか。1メートルと離れていない場所で、コンサートの間ずっと楽譜をめくって頂くのですから、何となく「気」でいろいろな事が伝わってきます。まるで空気のように存在感を感じさせないのに各ページで私が望んでいる絶妙なタイミングでめくって下さる方あり、演奏中はもちろん演奏前演奏後までかゆいところに手が届くかの如く細かいフォローをして下さる方あり・・・。

なんて長くなりましたが、それ位譜めくりは大変で、音楽的にも人間的にも信頼できる方にしかお願いできない、とても重要なお仕事なのです。ぜひコンサートの折には譜めくリストにも注目してみて下さい。

一つコンサートが終わって少し肩の荷が下りたのですが、考えてみたら翌日から始まるオール・シューベルトの練習が全然間に合っていない事に気付き、気を抜く暇もなく必死にさらいました。珍しく坂道を転がる雪だるまのように集中度に加速がつき、その他のもの含めまだ弾けていない危ない曲も練習できました。昨日はそのシューベルトの合わせ、今日は学校で1日サックスの合わせです。

今日のこの話の飛び方、練習するものが多すぎてどこから手をつけていいのか分からず決断できないような、今の自分の精神状態を正に表しているかも。ひらめきも足りないので、書くのにいつもより時間がかかりました・・・。



2005年9月7日(水)       「秋の気配」

・・・そういえば、そんなタイトルの歌がありましたね。

何だかすっかり気分は秋です。最近のこのお天気の悪さといい、仕事の忙しさといい・・・晴れたとしても、いつしか空が高くなり、日差しも斜めになったなぁと感じる今日この頃。夏休みの間も合わせでちょくちょく学校に行っていましたが、あの時の人の少なさやセミのうるささが嘘のように、今は新学期の活気に溢れています。前期が4〜7月なのに後期は9〜2月、授業回数は一緒の筈なのに・・・?後期は長丁場なので今から気合が入ります。

先日近所の日本風の庭園で「虫聞きの会」なるものがあり、ふらりと出かけました。そこに行くのは多分小学生以来。有名なところなのですが、近所だと逆に疎かったりするのが常。「虫聞きの会」と言っても、つまりは普段は閉めている夜間に園を開放し、また園内に秋に鳴く虫を放って、その音と夜の涼やかな空気を楽しむという催しです。仕事帰りに寄ったので既に日もとっぷりと暮れていて、園内は真っ暗。なんて書くとお化け屋敷のようですが、あちこちに吊るされている灯篭(それぞれ異なる俳句と画が描かれている)が柔らかな光をぼぉーっと放ち、ところ狭しと植えられている(本当に茂みの中を歩いているよう)木々の葉や草が風になびいてさやさやと音を立て、さらさらと流れる小川が耳に心地よく、池の上を渡ってくる風はすっかり秋のものでした。そんな中で聞く虫の音は風雅で、しばし日常を忘れてゆったりとお抹茶を味わいました。

春にたくさん花をつけた鉢植えの梨の木がたくさん実をつけたので、少しずつ様子を見ながら摘果して、そろそろ収穫と相成りました。1つだけ根元に近い実がぐんぐん大きくなったので、去年みたいにカラスに食われないよう袋かけして収穫の頃合をはかっていたのですが、なんとそれが先日の大雨で落果。袋の中を調べたらコガネムシが入っていて既に少し食われ、甘い香りが漂っていました。ちょっと悔しいけどコガネムシが喜んだのならいいか・・・。まだ数個小さい実は残してあるので、それがこれから大きくなるといいのに。

気持ちに余裕が無いと、不思議とこんな事を書きたくなるものです。今日も頑張らなきゃ・・・。



2005年9月5日(月)       「長い道」

新学期が始まりました。普通、大学の後期授業は10月からだと思うのですが、何故かうちの学校では9月から、それも1日からです・・・。「夏が終わってしまった」というこの気持ちは、毎年の事ながら何か一抹の寂しさを覚えるもの。今年の夏は全然休めなかったというのもあるけれど、柄にもなく夏バテがひどかったので、今望むのは「崩れた体のバランスを早く戻したい」という事。

週末はコンクールの伴奏に行っていました。ヴァイオリンの小学生の部の予選でしたが、年齢を感じさせない程大人びた演奏がたくさん聴かれました。それにしても楽屋の熱い雰囲気には、ただただ圧倒されるのみ。幼少時から始める楽器といえばピアノとヴァイオリンが双璧ですが、まだ予選だというのにこのレベルの高さ、私が思うにはヴァイオリンの方が断然すごい。というのはピアノはやはり大人仕様の楽器を使うので、手や体が大人のサイズにならないと、テクニック(音量音色含めて)にも音楽的表現にもどうしても無理が生じると思うのです。その点、小さいサイズから少しずつ体の発達に合わせて楽器を替えていくヴァイオリンの方が、まだ理にかなっているような気がします。ヴァイオリンは全く弾けない素人のたわごとですが、でもこの仕事に携わるようになっていろいろな状況を見聞きしてきて、そんな風に考えています。

コンクールについて思う事をここに書くのは控えようと思いますが、少しだけ。年若い内から「通った通らない」という試練をくぐり抜けなければならないのは、ちょっと過酷かなと思う事もあります。伴奏者として結果通知の連絡をもらう時、それが嬉しい結果ならいいのですが、そうでなかった時、せめてこれを踏み台にして今後いい方向につなげていってくれるよう、そう祈るだけです。きっとまた頑張ってくれると信じながら。

音楽の道を進むに当たっては、スポーツ選手のように30そこそこで引退しなくてはならない訳でも無し、先はとにかく長いのです。この道の長さ、深さ、険しさなどを思えば一通過点でしかないとも言えるし、でも人生に於いてなかなか貴重な経験をしているとも言える。自分の過去を振り返ってみてそう思います。

確かコンクールだったと思うのですが(でも受験の時だったかも)、温かい思い出があります。中学生の頃の話ですが、私がコンクールでうまくいくように、と友人が数人集まって放課後、学校の最寄駅近くの教会に寄って祈ってくれていたそうです。通っていた学校はプロテスタント、でもその教会はカソリック・・・何はともあれ私の事を思ってわざわざ時間を作って祈ってくれたとの事、随分後で聞いた話ですが、本当に嬉しく有り難かったです。当時の友人からは、そのような温かい気持ちをたくさんたくさん分けてもらいました。今もつながりがありますが、そんな支えがある中やってこられた気がします。

9月1日防災の日が近づくに連れて、改めて何かの時にはどうしたらよいかを考えていました。そんな時に聞いたハリケーンのニュースは想像を絶し、被災された方には心からのお見舞いを申し上げます。昨日夜は、東京杉並や三鷹で1時間に100ミリを越すとんでもない大雨が降り、あちこちで浸水したそうで・・・いつしか地球全体が異常気象に覆われているような気がします。最近日本中で頻発している大地震もそうですが、大災害に遭遇したらどうすべきか本気で考えなくては・・・。


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