ひとりごと(2005年8月分)

2005年8月30日(火)      「飛騨高山での仕事」

何ともぐずぐずした台風が過ぎて、「最後の夏」が戻ってきました。

飛騨高山での続き。まずは仕事関係の話から。

この音楽祭にはいつも公式伴奏者として参加しています。講習会での弦楽器のレッスン、そして受講生のコンサートの伴奏が主な仕事です。レッスンでは今回はヴィオラのクラスが殆どでしたが、大変だったのはむしろコンサートの方。公式伴奏者は3名で、それぞれいろいろなクラスでレッスンの伴奏もしますが、期間中数回ある受講生コンサートの伴奏が平等に割り当てられています。

今回私が担当したのは、市内の教会での夜行われたコンサートと、美術館で昼間行われたサロン・コンサート。教会では6名の受講生の内無伴奏曲を弾いた1名を除く全員の伴奏を、美術館では10名の受講生の内無伴奏曲を弾く人ともう一人のピアニストが伴奏する人を除いた5名の伴奏を受け持ちました。ちなみにこういう場合の本番への段取りはどうなっているかと言うと、直前に1回だけ全部を通せる位の時間のリハーサルがあります。曲目は一応前もって知らされていますが、高山に着いてからのスケジュールには私自身の練習時間は全く入っていないし(ピアノの数が少なく、時間の余裕もないので)、楽譜もリハーサルの時に初めて手にするような状態。そんな訳で、その瞬間瞬間に気合いで弾いていく、これが全てです。

1日目は朝東京を出てバスで高山入りし、着いてすぐ夜8時過ぎまでレッスンの伴奏。2日目もずっとレッスンの伴奏でしたが、この日のみ少し時間があったので大急ぎで町散策をし、早々とお土産を調達しました。

3日目の午前に美術館コンサートのリハーサルがありました。毎年来ているので顔見知りになった学生さんもいますが、もちろん初めて顔を合わせる学生さんもいます。曲目も同様で、過去に何度か弾いているのですぐ思い出せる曲もあれば、弾いた事があっても指使いなどもう1度確認したいような曲もあり、新しい曲も1曲ありました。でも1度通して合わせてみて、合わなかったところをちょこっと確認する位しか時間がないのです。楽器を出している間に「1分ちょうだい」と言って鍵盤に指を走らせ、あるいは楽譜をぱらぱらめくり、遠い記憶の中から音楽を蘇らせます。ソロを支えるべき伴奏者がいっぱいいっぱいになっては意味が無く、学生さんがまずどんなテンポで演奏したいのか、ピアノとのバランスはどうなのか、また本番を控えているからこそ精神的なフォローを必要としている場合もあり、相手の立場になって考えなくてはならない事がいろいろあるのです。しかし何よりも大事なのは、どんな演奏をしたいのかを読み取って、それを実現できるような伴奏をする事。書くと長くなりますが、このような事を考えるのはすっかり習慣になっています。

そのリハーサルの後は午後に3コマ分チェロのクラスで伴奏してから、夕方教会へ向かいました。教会コンサートのリハーサルは本番直前に会場でする事になっていたのです。こちらの方が皆演奏時間が長く(たまたま?)、また合わせ的に難しいもの(テンポの変化が多い、等)ばかりで、おまけに自分でしなくてはならない譜めくりも大変なものばかり!本番まで時間とにらめっこです。リハーサル後に着替えてちょっとしたら、もう本番が始まりました。朝から頭が休まる暇が無く、無我夢中であまり良く覚えていませんが・・・何とか無事に終わってホッ。教会にはほぼ満席になるほどのお客様がいらして下さいました。あたたかい雰囲気の中で弾かせて頂けた事、受講生の皆さんにとってもいい経験になった事と思います。お世話になった教会の皆様、ありがとうございました。

これで翌日楽ならいいのですが、更にキツイものが待っていました。朝美術館に向かったらすぐ、昨日リハーサルを済ませてあるサロン・コンサートの本番。実はこのコンサートの最後に、私もピアノのソロを弾く事になっていたのです。この音楽祭には公式伴奏者として参加しているのですが、事務局からのお達しとあればやむを得ず。前の晩に暗譜の確認をしようと思ったけど、相当体が参っていて電気をつけたまま寝てしまい、運を天に任せて弾く羽目に・・・。伴奏はこの日もう一人ピアニストがいたので、出ずっぱりでなく少し休めました。ソロはバッハのイタリア協奏曲、ショパンのノクターン嬰ハ短調遺作とバルカローレ。最善は尽くしたつもりですが、高山入りしてから練習できたのは前日のリハーサルの隙をみての15分程。頭の中身を伴奏モードからいきなりソロ・モードにするというのも、なかなか難しいものです。お客様は美術館を訪れた方が入れ替わり立ち代わり・・・館内に演奏は響き渡っていましたが、どんな風に聴こえるのかいつか客観的に聴いてみたいものです。

その日の夜は、マスタークラスを受け持たれた先生方全員が出演されたコンサートがあり、それは客席ですっかりくつろいで聴いていました。高山には非常に立派な音楽堂(ホール)があるのです。もちろん先生方がこのコンサートの為に練習されたのも高山入りしてからで、ほんの数回しか合わせていないそうですが、信じられないほど息の合った素晴らしい演奏を聴かせて頂く事ができました。

最後の日は朝から午後まで又レッスンの伴奏があり、終わったらもうバスの時間が迫っていました。あっという間の5日間・・・。

最も大変だったのはコンサートが2つ続いた、以上↑の2日間。後の日はレッスンがメインでしたが、そこで伴奏する曲はコンサートと又別なので、トータルで一体何曲伴奏したのか頭の中はクチャクチャでした。毎日のスケジュールはこんな感じで不規則ですが、せっかく飛騨高山に来ているのだからと、ちょっとの時間を見つけたら体を休めるより町を歩くようになりました。何度来ても飽きない魅力のある町です(ただ昼間の上三之町はすごい混雑!)。お土産も、何が美味しくてそれはどこで手に入るか、大分頭に入ってきました。古く懐かしいもの、伝統のあるものが好きな私にとっては、昔のままの町家を生かした喫茶店が多いのも、嬉しい事の一つ。コーヒーの味も然ることながら、その空気を味わいたくてそこに行く、そんな楽しみ方もここではできます。歩いて30分圏内しか行けないのが、「仕事」の辛いところ・・・。

こんな感じだったので、さすがに「帰ったらちゃんと音を創り直そう」と思いました。確かに伴奏の仕事は「どんなものでもすぐ弾ける」のが必須条件ですが、生活全てがそうなってしまうと音が荒れて手もなまる。ちゃんとした準備段階あってこそだと実感します。曲について勉強する事然り、いい音を出すきちんとした練習然り。だから私の場合はソロも弾き続けている事に、大きな意味があると思っています。

そうこうしている内に、秋からの予定を視野に入れた「1日中ピアノの前に居る」生活が戻ってきています。まず9月の竹林さんのヴァイオリン・リサイタル、10月にあるオール・シューベルトの室内楽のコンサート(チラシが出来たら情報をアップします)、11月にあるオーケストラとのコンサート、そしてサックスのコンクールの伴奏などなど、これらの合わせが学校勤めの合間を縫って、9月からほぼ同時進行で始まります。本番の時期がずれていても、合わせの時期がずれる訳ではないのが辛いところ。大きなコンサートの合わせの予定は大体押さえましたが、素面にかえって手帳を見れば、「一体いつ家にいて練習出来る?」という疑問が・・・。



2005年8月25日(木)      「手まり」

更新がすっかり遅くなってしまってごめんなさい。飛騨高山に行っていました。

飛騨高山での音楽祭(と講習会)の仕事で、数えてみたら高山を訪れるのも今年で4回目。今回泊まったホテルはネットにLANで無料接続ができるという事で、LANケーブルも買ってパソコンを持っていくつもりでした。なのでしばらく更新できないと言う事もお知らせしませんでしたが、その日の朝に「慌しいスケジュールの中、果たしてパソコンを開く暇なんてあるかな?」とふと思い・・・荷物が多いこともあり、結局置いていったのでした。それで正解!持って行った文庫本も数ページしか読めなかったし、疲れ果てて電気をつけたまま明け方までうたた寝してしまった事も数回。

5日間の内お日様が見えたのは初め2日間だけで、後の3日間はどんよりと曇り、時折ザーッと雨が降りました。仕事だからいいものの、観光でいらしている方には残念なお天気。しかしどんなお天気でも、あの素敵な古い町並みには合うものです。カーッと照りつける強い日差しの下を歩くのもいいのですが、雨がぱらつく中の散歩も(足元が濡れるのを除けば)乙なもの。

初日の夜に散歩しました。上三之町の通りを歩きながら上を見上げると、ちょうど正面に明るい月が昇ったところ。この街は夜がともかく早く、歩いている人も殆どいない。月明かりに照らされて古い木造の建物がセピア色に浮かび上がり、それは本当に美しい光景でした。次の日もそれを見たくてもう1度行きましたが、どうやらその日が満月だったみたい。満月の頃に高山にいるのも偶然なら、たまたまお天気が良かったのも偶然、小さな幸せを感じました。

音楽に関する事については次回にまとめるとして、疲れている今はそれ以外の話に徹する事にしますね。

高山に着いた翌日の朝に必ずするのは、元気な内に早起きして朝市に行く事。毎日川べりに市がたち、野菜や果物、漬物や花、お土産などいろいろな物が売られています。時間が遅くなるにつれて(お昼頃までやっている)人は増えるけど品は薄くなるので、8時前位を目指します。食生活が不規則になるので、まず買うのはトマトやリンゴ。早朝もぎたてのもので、信じられない程安く、そしてとにかく美味しい!ホテルの冷蔵庫に入れておいて毎朝一つずつ食べていました。色鮮やかな切り花、漬物用の子ナスとか枝豆とか、はたまたおもちゃかぼちゃ(食べられない装飾用かぼちゃ)とか欲しいものはいろいろあったけれど、とても持ち帰れないのが残念。

もう一つ、いつも買ってくるのが小さな手まり。その朝市の中でたった1軒しか扱っていないのですぐ分かります。直径2cmほどの小さなものですが、色とりどりの糸にくるまれたその模様と色の組み合わせはさまざまで、とても綺麗。既に幾つも持っているのですが、「そこのおばちゃん今年もお元気かな?」と思いながら、新しい手まりを求めて必ず寄ります。農閑期のみ、それも全て手作業なのでそうたくさんは作れないらしいのです。「もう80になっちゃったから来年はもう持っていけないかも、と思いながら作ってるよ」と話して下さいましたが、いつまでもお元気で作り続けて頂きたいと、切に願っています。

こういう時に持ってくる必需品。蓋と中網の付いている大きなマグカップ。スプーン。お茶類。アーミーナイフ。1回毎パックになっている入浴剤。今回はリールに巻かれたロープで長さが調節できる、洗濯物干しロープも見つけて持って行きました。ちょっと吸盤が弱かったけど非常に重宝。

朝起きてホテルを出るまでと、夜ホテルに帰ってきて寝るまで。ホッとするこんな時に温かいものをゆっくり飲みたいので、自分でマグを持っていくようになりました。ティーバッグを持って行ってもホテルの湯飲みが小さくて、お茶が濃すぎたり何度も入れ直す手間が面倒だったり・・・。割れないように「プチプチ」でグルグル巻きにして持って行くので、キャリーバッグの中でかなり場所は取りますが、これに救われた事が何度あったか。今回は1回ずつドリップできるコーヒーや、いい香りのブレンドの紅茶と共に、お湯を注ぐと花が開く中国茶も持って行きました。中国茶って何煎も入れられるから、中網付きで便利。

トマトもリンゴも洗って丸かじりしたので問題なかったけど、西洋梨や桃を旅先で剥いて食べたりした事も、かつてあったっけ。アーミーナイフは鋏やワインオープナー、缶切りなども付いているもので、昔スイスで買って来ました(いつもは非常用持ち出し袋に入れています)。冷房で冷えた体を温めるので、お風呂も入浴剤を入れて30分くらい浸かって(眠って?)います。学生時代は「荷物が少ない事が快適」だったのに、いつしか「快適に過ごすには荷物は多くても厭わない」になってしまいました。一体いつからだろう?

もう今日からいつもの忙しさに戻る為(おまけに台風も来るし)、随分中途半端だけど続きは次回にゆっくり。

そうそう、すっかり忘れていましたが、この欄の7月19日と25日に書いた「原稿」がもう出ていました。雑誌「ショパン」の9月号の「21世紀に弾きたい名曲シリーズ」で、「モーツァルトの幻想曲Kv.397」についてのちょっとしたエッセイみたいなものです。ご覧になって頂けましたら幸いです。

高山に行く直前に、飼っていたクロアゲハの幼虫が蛹になりました。実はこの虫、7月終わりに台風が来た時、何気なく目をやったミカンの小さな木の根元にいるところを発見したもの。風に吹かれ雨に打たれたらかわいそうだなぁと思って、総計3匹を飼う事にしました。先に蛹になった2匹は普通のアゲハだったのですが、一番のチビが色艶も模様も違うし何か変だな?と思って調べたら、これがクロアゲハ。さすがによく食べてぐんぐん大きくなり、ナミアゲハより幼虫時代の期間も長い。今頃家の周りのどこかでまだ蛹のままいる筈ですが、台風の到来によって振り落とされないかちょっと心配・・・。



2005年8月15日(月)      「花火」

終戦の日。もう60年も経ったのですね。

もちろん私は当時生まれていませんでしたが、今までにいろいろな方からお話は伺っています。その中で一番強く印象に刻まれている事と言えば、被爆者の方から伺ったお話。中学生の頃、YWCA主催(だったと思う)の「広島の旅」というものに、友人と一緒に参加しました。いろいろなプログラムが組まれていましたが、その一つとしてある病院に入院されている方をお訪ねして、ベッドサイドで直接お話を伺う機会がありました。思い出すのも辛い経験を話す事で、その方がどれだけ苦しい思いをされているかは子供心にも良く分かり、お話を伺うのもまた辛い事でした。「2度とあのような事が繰り返されないように、今私が伝えていかないと・・・。」と、涙ながらに話して下さったあの方は今どうされているだろう?と、夏が来る度に思い出します・・・。

お盆なのでお墓参りにも行ってきました。凄まじい暑さでしたが、都心を離れて青々と広がる田んぼや草むら、林を久々に見、「やはり緑はいいな」と実感。夏好きの私とした事が最近は夏バテしていたのですが、ご先祖様のお陰かちょっと復活しました。

夏と言えば花火!下町だと東西南北いろいろな方向に、日替わりで花火(しかし遠いので小さい)が見られたりします。と言ってもそれは理論上の話で、実際は建物によって阻まれる事もあり。長年恒例で眺めていた大好きな花火大会が、最近建った大きなマンションによって今年は見えなくなってしまって、かなりがっかりしていたところ。もう2度とここから見られる事はないのだから・・・そう考えると、今見られるものもいつか見られなくなるかもしれない。そうやって都市の景観って移りゆくのかなと、大きなマンションがニョキニョキ建った風景を見ながら考えました。先日たまたま見えた花火は、かなり距離としては遠いはずなのですが、多少端っこが建物に隠されるものの運良く見る事ができました。やっぱり花火は(どんなに小さくとも)ライヴで見たい。

昔は会場まで繰り出したりもしましたが、そういう事も今はなかなかできなくなりました。真上から降ってくるのを下から見上げるのが本当の「花火観賞」だけど、最近はもっぱら横からみるばかり。でもどんなに遠くから見ていても、花火の中心に何故だか吸い込まれるような感じがするのです。そうなると他の事はすっかり忘れます。あの感覚は特別・・・。



2005年8月11日(木)      「譜読み」

もうじきお盆。このところ都心の人気(ひとけ)がなくなってきた気がします。電車に乗ってもいつもの時間帯とは思えないほど人が少ない。私自身は夏休みだからどこかへ行くという感覚は、特にはないのです。人の多いところは苦手なので、もしどこかへ行くとしたら別の期間の方がいい。どこかへ行くのもまずは仕事がらみですが、逆に言えば仕事のお陰でいろいろなところへ行ける。それも嬉しい事です。

お盆が過ぎたら、例年のお仕事なのですが飛騨高山に行きます。空き時間が殆どないので仕事としてはキツイのですが、それを補って余りあるほど街の魅力は大きい。伝統のある街は食べ物が美味しいし、睡眠を削ってでも早起きして朝市に繰り出すついでに、散歩するのも楽しみ。

その前に何が何でもしておかねばならない事。練習!飛騨から戻ったらほぼいつもの生活に戻ってしまうので(学校は9月1日からですが)。やっと数日前、今後のスケジュールを見ながら楽譜の整理ができたのですが、「・・・」。最近ここまでたくさんの曲を一気に譜読みした事あったっけ?と思うほど、今回はすごいです・・・。

「譜読み」、これは全く今まで弾いた事のない新しい曲を練習し始めて、とりあえず指が動き、最後まで何となくつっかえずに通せるようになるまでの段階を指す言葉。練習(これは本番以外の全てを指します)の段階で「譜読み」は一番面倒で、かつ一番大事だと思っています。そう考えるようになったのは、同時進行で何曲も常に弾いていなければならなくなった伴奏助手時代から。学生時代、ソロを中心に練習していた頃にはそんな事を全然考えていなかったというのが、何とも浅はかですが。

現在の状況としては伴奏や室内楽のお仕事が最も多いのですが、時期によっての忙しさに差はあれど、いつも同時に何人、十何人もの方と演奏する違う曲を持っていて(暗譜しなくていいのがせめてもの救い)、その為にはいつでも弾けるレパートリーがどれ位あるかが重要になってきます。母校で伴奏助手を勤め始めた時は、いくら学生時代伴奏や室内楽が好きでいろいろやっていたと言っていても、クラシック音楽の膨大なレパートリーの数に比べればたかが知れていて、来る曲来る曲新しいものばかり。そんなにはとても勉強できないとお断りする手もあったかもしれませんが、逆に今レパートリーを作っておかなくては後で苦労すると思ったので、ひたすらいろいろな曲を知る事に努めました。とは言っても、今もそうやって次々と新しい曲に向かわなくてはならない状況は、何ら変わりはなく・・・。

そんな訳で、効率のよい譜読みの方法を考えるようになりました。本来なら、時間をかけて楽譜を眺め、指を動かし、だんだん弾けてくるというプロセスをたどるのが一番自然で楽しい。一つ一つの音を選びに選んで作曲して下さった作曲家の方々に対しては、時間をかけて曲に取り組まなくては本当に申し訳ないという気持ちも、もちろんあります。

一番最初にする事は曲の大まかな分析。「ソナタ形式かロンド形式か変奏曲形式か、それとも?」というような事。分かりやすく言えば、同じ主題が出てきたら当然同じ指使いで弾く方がいい。調性が違ったり微妙に形が変化していても、基本的には揃えた方がいちいち脳味噌がまごつかなくて済みます。もちろん考える手間が省けるし、暗譜するのも楽で、同じニュアンスで弾く事が出来るから。それから一つ一つ指使いを決めていくのですが、これは脳のエネルギーを全て使い切ってしまうのではないかと思う位、本当に面倒な作業。頭の中が数字だらけ(それも1から5まで!)になって、気分が悪くなります(?)。いい指使いを決められるかどうかに全てがかかっていると私は考えているのですが、それは悪い指使いだと、表現したい事が最後まで弾きにくさに妨げられるから。又強い指もあれば弱い指もあるけれど、その各指の特徴を生かす場合もあれば、全部の音の粒を同じように揃えなければならない時もあります。フレーズ(一息で弾ける程度のひとまとまりの旋律)やアーティキュレーション(音を切るかつなげるか、に関する問題)を考えながら、自分の手の都合に合わせて、一番欲しい音色が出せる指を選ぼうとすると、結構迷います。5本も指があればかなり可能性があるもの。片手ずつ分けてゆっくり何度も指を変えて弾きながら、自然に弾ける指を探します。でも慣れてきて両手で弾いたり本来のテンポに戻したりすると、変更することもしばしば。

でもこうやって苦労して考えた指使いに、後で裏切られる事はないのです。考える時は一曲まとめて集中してやりきってしまうのですが(統一性がなくなるので)、これさえきっちり決められれば、その後は細切れの時間でも何とか意味ある練習ができます。ソロを暗譜して人前で弾くのも大変な事ですが、楽譜を見て弾ける伴奏などでも舞台では普段の精神状態とは違うので、指がもつれるのでは?という心配事は減らせた方がありがたい(何せ心配症なので)。まだまだ譜読みの後には大変な練習が待っているというのに、これだけで本当に気が楽になるものです。昨日はやっと1曲、決められました!

あ、ちなみに「初見」というのは「譜読み」とは全く別の意味です。「初見」とは読んで字の如く、初めて見た楽譜をいきなりそこで弾いてみる事。どんな時に必要な技術かと言うと、例えば・・・講習会の伴奏の仕事で、いきなり受講生が「予定外の曲でレッスンを受けたいのでその伴奏を今して欲しい」と言ってきた場合(来週の飛騨でもありえるシチュエーション・・・)。その時に一番必要な事は、音を間違えずに正確に弾く事ではなく(ま、正確に弾けるに越した事はないのですが)、大切なのは多少音を間違えても、本来のテンポでハーモニー感や曲の感じを出して伴奏する事。それができれば指使いはどうでも良い訳で、又その時分にとりあえず出来ればいいというのが、「譜読み」とは決定的に違う点です。

説明がまた長くなりましたが早い話、練習にはいろいろなプロセスがあるという事で・・・その内いつか、次の段階について書く事にします。ここしばらくは、脳味噌栄養補給のための黒砂糖が手放せなくなりそうです。

先週やっと、長らく切らしていた「チャンプルーの素・詰め替え用」(7月12日参照)を買いに行けました。黒砂糖はその時まとめ買い。そして、ゴーヤーチャンプルーを作る時いつも普通のお豆腐を使っているので、ふと思い立って島豆腐も購入。やはり全然違います。食感の違いは大きい。かなり沖縄の味に近づけた気がします。

昨日の夕飯にはマグロのネギトロ。わさび醤油で頂くのも美味しいのですが、私がよく試すのはもっとこってり味。お醤油のたれも入れますがコチュジャンをちょっと加え、刻み浅葱やネギももちろん入れ、生卵も一緒に混ぜます。海苔とはベストマッチ。食欲が無くてもご飯がガンガン進みます。

先日友人に会った際は、「フォー」を食べました。皆さんご存知かとは思いますが一応書きますと、お米の粉から出来ているベトナムの麺です。「フォー」とはどこでどう出会ったのか記憶が定かでないのです。最初に食べた時に、何故か「あぁ久し振りにやっと食べられる」と思ったのですが、その時以前にいつ食べたかを全く思い出せないままなのです。食べた事がないのにそう思うようになったとしたら、非常に不気味な話。考えられる線その1。以前読んだ小説にフォーが出てくる一場面があって描写がとても見事で、それから勝手に味を想像した。その2。食べた事があるのにそれをすっかり忘れている。その3。フォーを食べる夢を見て、何故かその時の味を覚えている。さぁどれでしょう?

それはともかく、最初に家で作った時は食材を買ってきて、ネットで作り方を検索したものです。なので味付けには余り自信が持てなかったのですが、外で食べてみてまぁまぁの味は出せているかな?とちょっと嬉しくなりました。パスタに合わせるソースはいろいろな可能性があるように、フォーにもいろいろな具を合わせられる事が分かりました。私が好きなのは(と言ってもそんなに食べてもいないけど)チキンのあっさり味。久し振りに作ろうと思ったら買い置きがなかったので、また探しに行かなきゃ。

やっと生活が少しだけ落ち着いてきました。しかしまとまった時間を作るって本当に難しい・・・。



2005年8月8日(月)       「イギリス物のコンサート」

残暑お見舞い申し上げます。

毎日凄まじい暑さが続いていますが、皆さん体調は大丈夫ですか?何だか落ち着く間もないまま8月に入って、もう数日が経ってしまいました。まだどことなく昼間の熱気をはらんだままの風が吹く中、昨日の夕方見上げた空には、まるで秋のように天高く雲が流れていました。やっぱりもう立秋なのですね・・・。

この1週間もとかく慌しかった〜。先週のコンサートが随分遠い出来事に感じられます。忘れない内にそのご報告を。

このコンサートは入場無料、そして「お子さん連れの方もどうぞ」というコンセプトの下に行われました。しかしポピュラーな曲ばかりでプログラムを組んだ訳ではなく、前半はクライスラーがメイン、後半はイギリス物ばかりのプログラム。トークが入っていたので、分かりにくい感じはきっとなかったと思います。

当日は午前中から会場に入って打ち合わせをした後、ゲネプロも軽くしました。その段階では会場に椅子は少ししか並べていなかったと思うのですが、実際には開演当初で椅子を増やしてほぼ満席、プログラムが進むに連れてお客様も増えてきたので更に椅子を増やし・・・という状態。嬉しい驚きでした。いらして下さった皆様、ありがとうございます!お客様にはお子さん連れのご家族が割に多く見受けられ、又ご年配の方もお若い方も含めていろいろな年齢層の方々。演奏中にお子さんの声など聞こえ、又会場を歩いている(?)お子さんの気配を感じたりしましたが、演奏している私達も、そして会場の空気もそれによって変わる事はなく、それは今まであまり経験した事のない不思議な雰囲気でした。

経験した事のないものといえば、司会の方のいらっしゃるトーク付きコンサート。司会を務められたのはコンサートを企画された方です。自分で話しながらのトーク付きコンサートでは、曲間にそれぞれの曲に関するエピソードや自分の思い出、考えなどを織り交ぜて話す事が多い。大まかな筋書きだけ決めておいてもメモ無しで話すので、うっかり順番を間違えたり時間を超過したりする事はあっても、自分に都合の悪い事を話す事は絶対にありえません。この日はそんな訳で勝手が違ったのでちょっとびくびくしていたのですが、やはり来ました。怖い質問!「普段の練習時間は?」と「クラシック音楽以外に演奏したり聴いたりする音楽は?」。

多分誰もが答えにくいと思われるこの質問、別に隠しておきたい訳ではありませんが、誤解が無いように説明するのが難しくて困るという意味。予測していなかったので、言い訳がましくだらだらと(しかし口調は素早く?)話した記憶があります。何せコンサート中の事なので、精神状態が普通でなくよく覚えていないのです。学生の頃ならともかく、今は仕事の合間を縫って練習時間をひねり出すので毎日一定の時間は取れないという事、ただ「ピアノの前にいる時間は?」と言われれば自分自身の練習はもちろんの事、レッスンの時も弾きながら教えるし、合わせ(室内楽や伴奏など一緒に合わせながらする、いわば「練習」)も常に沢山の人としているので、本当に長い時は1日10時間位は「ピアノの前に居る」事もある。そんな風に話した気がします。

それに補足したい事。自分自身の練習に限れば、マイペースで出来るので長くてもいいところ6時間位。でもそんなにできるのは年間トータルで1ヶ月もないでしょう。リサイタルを目の前に控えた時は、プログラム全部を通しても90分近くあるので、それらを細かく練習したり通し練習なども入れれば、1日6時間でも全く足りない。ただ私の場合は学校勤めがあり、伴奏や室内楽の仕事もかなり多いので、1日を自分の為の練習のみに費やす事はあまりない、という意味です。

だからでしょうか、いつも「ひとりごと」に書いている通り、自分の為に取れる練習時間は本当に大切な時間です。昔は(正確には大学生までは)練習が好きではなかった。今は本当に面白いし、楽しいです(もちろんしんどく感じられる時もありますが)。秋に新学期が始まったら落ち着いて練習出来ないのは目に見えているので、夏の間に譜読みを済ませ大まかに形を整えておきたい曲が10数曲・・・。今週来週で何とかしよう。

話を戻して・・・クラシック音楽以外を演奏する事は全くと言っていいほど無いです。「餅は餅屋」だから。今でこそ時間がないので全然聴けなくなりましたが、ポピュラー、ロック、ジャズなどなどいろいろ聴いていた時代もありました。詳しくは又いつか。

今回は初合わせから本番まで期間も短ければ合わせの回数も少なく、何回も合わせてきっちりお互いの音楽的意思の疎通がはかれてから本番を迎える私にしては、相当珍しい事でした。現在絶版のディーリアスの楽譜を探すのに南條さんが奔走し、又合わせの内1回は台風が上陸した為かなり早めに切り上げたのも理由ですが、プログラムの殆どが小品だったので特に問題も無し。小品はその時の気分というかひらめきで弾くべきものだと思っているので、敢えてあまり打ち合わせをせず、本番でお互いに音を聴きながら合わせていく、そんな駆け引きが「その時だけの」音楽を創りあげていくのです。

クライスラーは大好きな作曲家です(果たして作曲家と言っていいのかどうか、やはりヴァイオリニストと言うべき?)。あれだけ粋で洒落たセンスのさまざまなタイプのヴァイオリンの小品をあんなに沢山遺してくれて、それは本当に有り難く素晴らしい事。ピアノの為の小品で、ヴァイオリンでのクライスラーに匹敵するようなものはちょっと見当たらないと私は思っているのですが、それは各々の楽器のキャラクターとも関連するのかもしれません。クライスラーの私のお気に入りのCDがあって、それを演奏されている方に南條さんは師事していたのですが、演奏にはその方譲りの一面も少し伺えました。クライスラーはピアノも上手だったそうです。ピアノ・パートも結構考えて書かれていて、ちょっとした事で演奏が粋になったり野暮ったくなったりするのです。とにかく難しい・・・。

ちょうどこのコンサートが終わった頃、クライスラーの自作自演のCDを見つけました。他の作曲家の曲を演奏した録音は聴いた事がありましたが、自作自演は初めて。ちょっと言葉が見つからない感じでした。敢えて言うなら彼の波乱万丈の人生を思わせるような「味のある演奏」。モノラル録音であるにも関わらず、えもいわれぬ素敵な音が聴けました。

後半はエルガーの小品数曲とディーリアス。エルガー自身かつてヴァイオリニストを目指していただけあって、ヴァイオリンの為の作品も多いそうです。ロンドンに留学し、又エルガーについて研究をしていた南條さんならではの選曲で、彼女が作品の素晴らしさを説得力を持って演奏していたと思います。私自身も沢山発見がありました。ディーリアスの素晴らしいソナタについては7月25日のこの欄に書きましたが、だんだん曲に馴染んでくるにつれて演奏のアイデアもいろいろ出てきました。時間の都合で1楽章しか演奏できなかったのですが、全曲演奏してこそ見えてくることが沢山あると思う。いつか全曲演奏する機会が得られたら、その時にもっとこの曲に近づける気がします。でもこうやってこの曲に出会えて本当に良かった。

いろいろ話が途中脱線しましたが、コンサートのご報告は以上です。暑い中お出で下さった皆様には心より御礼を申し上げます。

ふと気付けばこんな長さに・・・。他に書きたい事もちらほらあったのですが、それは又改めて。

夏は大好きなのですが、やはりこの暑さではなかなか仕事や雑用の気力が生まれてこない。一時期の夏バテ状態からは脱したのですが、どうもいつものペースでは事がはかどらず、自分が自分でないみたいです。猛暑には素直に降参してのんびりと過ごす方が理にかなっている・・・?



2005年8月2日(火)       「手紙派」

一昨日、南條さんとのコンサートも無事終わりました。予想に反して(しかし嬉しい事に)この凄まじい暑さの中、会場に溢れんばかりのたくさんのお客様がいらして下さいました。ありがとうございました!

いつもの事ながら、コンサートの事はゆっくり思い返してから文章にしたいので、ご報告は次回に改めてさせて頂きたいと思います。でも今、一言二言で感想を・・・と言われたなら、多くのお子さんを含むいろいろな世代の方に聴いて頂けた事、そしてイギリスもののレパートリーが新しく増え、素晴らしい作品に出会えた事、これが特に嬉しかったです。

このコンサートが終わって8月に入ったらやっとお休み・・・のつもりだったけど、スケジュールを組んでみたら全然違った結果になり、今週はかなり「通常」の日々。学校のレッスンと授業がない位で、後は特に変わりません。ただ、久し振りに帰国した友人や上京する友人に会う時間がすんなり取れるのは、夏休みならでは。昨日は休みにしましたが、案の定どぉっと疲れが出ました。不思議なもので、いつしか「気の持ちよう」で動けるようになっています。どんなに疲れていても家を一歩出ればしゃきっとするし、結構元気に帰ってきた筈なのに家に一歩入ったら疲れて動けなくなったり・・・。やっぱり体は「一昨日のコンサートが終われば気分はリラックス」と思っているのでしょうか?8月後半からの仕事の譜読みは殆どに手をつけていないので、そんな事はとても言っていられないのに。

この数日はたくさん葉書や手紙を書きました。実は今頃リサイタルのお礼状をお出ししているような有様で・・・こんなに遅くなってしまって本当に申し訳ないなぁと思うばかりです。そしてその他いろいろお返事を書きそびれていたお手紙なども。

それにしても書きながら思った事。ここ数年はめっきり肉筆の手紙を書かなくなってしまいました。手紙って素敵な通信手段だし、学生時代から暇さえあれば好んで書いていたクチなのですが、最近はもっぱらメール。その理由はいろいろあるけど、何と言っても早く書けるから。字を書くよりタイピングの方が断然早い。頭の中に文が浮かぶと同時に文字に出来るのは楽(私も相当せっかちですが)。その速さでは肉筆で書ける訳もなく、当然必死で書こうとすれば字は乱雑になるし、手も痛くなります。そしてそんな速さで書いたにも関わらず、メールだとその場で何度でも直せるのもポイント。肉筆では下書きをいちいちしないので先を見越して文章を考え、例えばそれが葉書だったらちょうどよい分量で終わりに出来るように調節しなくてはならないのです。頭の中をクリアにして集中して一気に書き上げなくてはならないけど、その程よい緊張感がまたたまらない。その時の気分が筆跡に出てしまうので、書き上げてから「あ〜ぁ」と思うことも無きにしもあらずだけど、そんな訳で私は(今も気分は)手紙派です。

心に残っている手紙やカードは何故かはっきりと思い出せるものです。何度も何度も読み返したりするせいか、文面や筆跡はもちろんの事、便箋の柄や封筒に貼ってある切手の種類なども。カードの写真や絵なども考えに考えて選んでくれたのが分かるような気がして、その時間までもプレゼントしてもらったようにとても心が温かくなります。そんな中に書かれた一言、たくさんの方がそれぞれ下さった一言一言が今の私を創っているんだなぁと思いながら、ふとその方々の表情を思い出しました・・・。


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