ひとりごと(2005年12月分)

2005年12月30日(金)     「秋の演奏後記」

年越しまでカウント・ダウンのはずなのにここ数年のこの時期の生活は普段と変わりなく、時間の過ぎ去る感覚が全くと言っていい程なくなっています。いつの間にか冬至も過ぎ、後は少しずつ少しずつ暖かくなり(これはいくら何でも気が早過ぎ)日が長くなるのを待ちわびるのみ。

例年お手伝いしているヴァイオリンのコンサートも終わりました。友人のヴァイオリニストのお弟子さんの伴奏で、1年1度この時期にお手伝いするのももう数回目。小学校低学年だった子はもう中学生になってしまい、本当に時が経つのは早いものです。毎日練習している本人よりも毎週レッスンしている先生よりも、年1回聴いている私の方がその進歩を強く実感!この年頃の「上達」って、一言でくくれない位沢山の意味合いを秘めていると思うのです。テクニック的に以前出来なかった事が出来るようになるのはもちろんの事で、それには日々の練習がものを言う場合もあるでしょうし、体の成長に伴う事かもしれません。専門外なので良く分からないけど、楽器のサイズが大きくなっていく事も何らかの関係があるのではないかと思う。いろいろな体験を経て心が大人になってゆくにつれ、表現したい物の引き出しの数も増える。また気のおもむくまま弾いていたのが少しずつどんな演奏を目指すべきか、舞台でベストの力を出し切る為にどうするか、などなど自ら考えるようにもなり・・・最近は皆といろいろな話が出来るようになりました。

さて、今更ですが秋の演奏後記。

まずは11月のシューベルトのコンサート。チェロと「アルペジオーネ・ソナタ」、ヴァイオリンと「幻想曲ハ長調」、最後に「ピアノ・トリオ第2番」というオール・シューベルト・プログラム。シューベルトは私自身6月のリサイタルで真っ向から取り組んだばかりの大好きな作曲家でもあり、いろいろ考えさせられる事も多かったです。旋律が分かりやすくシンプルなのに、曲の内容がこんなにバラエティに富んでいるものかと改めて驚かされました。「アルペジオーネ・ソナタ」は歌心に満ちた親しみ易い曲。「幻想曲」はこんなに繊細で美しい曲もそうないのに、テクニック的にはヴァイオリンもピアノもともどもハチャメチャに難しい。「トリオ第2番」は男性的で力強く、また素朴な感じのする曲でした。それぞれ3曲がこんなに持ち味が違うのに、どの曲も演奏する際に緊張を強いるところがあるなぁというのが、本番を迎えて思った感想。単に作品が長大だから集中力を途切らせたら一貫の終わりというのもあったけれど、それが発見でした。

東京アカデミッシェカペレさんとのコンサートについては11月25日にも少し書きましたが、ここで補足を。今思い起こしてみてもあのコンサートは特別でした。あの時は、毎日毎日を一つずつクリアするように必死で過ごしていた時期でした。そんな時に限って「ある一瞬」であったり「ある1日」であったり、何か自分の意識が別次元で機能しているような時間がぽっと出現したりするのです。そんな中のコンサートだった気がしています。

練習の際にも本番舞台の上でも打ち上げの席でも感じた事ですが、オーケストラと合唱の皆さんの音楽を心から楽しんでいらっしゃる姿勢には本当に力づけられましたし、演奏中そのオーラに助けられた感がありました。後半の悲愴交響曲は本当は客席で聴きたかったのですが、さすがに演奏直後に客席に行く勇気が持てずに舞台袖で聴いていました。演奏に参加していないのに、勝手ながらも不思議な一体感を持てたような気がしています・・・。

ボッセ先生の創られる音楽には音楽に対する深い愛情が込められています。そんな一言で表せるような浅いものではないのは言うまでもありませんが、今この段落に来てしばらく言葉を見つけられなくて立ち往生。それ以上を書くと何だか余計な事を書いてしまいそうで控えますが、一番書きたかったのは、素晴らしい先生の棒の下に演奏させて頂けて幸せだったという事。後でお聞きしましたら、団員の皆さんも本当に心底先生をお慕いしていらっしゃるそうですね。

個人的な事で書かせて頂くと、ベートーヴェンの存在が少し近くなった気がしました。ベートーヴェンは弾けば弾くほど畏れ多く、そして難しく感じられてきてしまっていたのですが、「合唱幻想曲」を演奏する機会を頂けた事により、頭の中の混沌としていたさまざまな要素が初めて一つにまとまったように思えました。作曲者が表現しようとしていた世界がどんなに大きいものだったかを身をもって感じたら、力強さや温かさなどはその中に包括される一要素でしかないと思えたのです。もちろんそれは私の思い込みでしかないのかもしれないけれど、何かが「分かった!」という感覚は嬉しいもの。今度ベートーヴェンを弾く時は新しい気持ちで臨めそうです。

ブラームスの「愛の歌」は今だから言える話ですが、当初は合唱プラス連弾なんて未知の世界で一体どうなる事やら見当もつきませんでした。それを助けて下さったのは、今回の連弾のパートナーとなって下さった八木さん。「愛の歌」は何度も演奏経験がおありでいろいろ教えて頂きましたが、やはり合わせる事を日常とされていらっしゃる八木さんだったからこそ、ほんの数回の練習であそこまで息を合わせる事ができたのだと思っています。2台ピアノならともかく、連弾はかなり特殊。同じピアノでありながらメロディーパートと伴奏パートと2人の役割分担が全然違い、また下のパートが自分の弾かない音についても考慮してペダルを踏むというのは至難の技!上のパートとしては仮にペダルが無くてもニュアンスが出せるようにしておかなくてはならない程。楽譜を見て自分で譜めくりし、お互いに合図もしながら指揮も見、合唱を耳に入れておく。いつも五感フル活用でした。でも楽しかった〜。音楽の楽しみの原点ってこういうところにありかな、と再認識する事ができました。

そして、とりあえずここで今年を振り返ってみようと思います。

思い起こせば今年は前代未聞の慌しさでした。思いがけずもいろいろなコンサートの機会を頂き、新しいレパートリーも拡がり、それに向けて演奏を創りあげてゆく経験を積み上げて行けたのは願ってもない事でした。一体今年は何曲新しい曲に取り組んだのか数えるのも恐ろしい位、ここまで譜読みに追われたのも初めて。合わせものには、お声をかけて頂かない限りはできないものもたくさんあるので、それでもやらせて頂けてよかったと思っています。

学校の仕事も年々忙しくなり、両立はとにかく大変でした。それでもコンサートは大体土日にかかる事が多かったので、授業も殆ど休まずレッスンも殆ど動かさずに出来てホッ。学校を休んでさらう(体を休める?)時間を作りたいとちらと思ったりしましたが、休まずに演奏活動と両立されている先生方のご様子を学生時代から拝見しているので、何とか休まずに済みました。大学と大学院のピアノと室内楽のレッスン、高校でのアンサンブル(連弾、2台ピアノ、伴奏法)とリーディング(初見)のクラス授業、とバラエティに富んでいてその準備もかなり面白いのですが、実際は全然時間が足りない・・・。またこの頃ちょっと考えるようになってきてしまったのが、「レッスンって一体何を教えるの?」って事。そして「もしかしたら自分は教える事には向いていない?」という事も。これは書き出したらキリがないので別の機会にします。

伴奏と室内楽、ソロ、教える事、いつもこの3つで自分の中のバランスを何とか保っているのですが、今年は圧倒的に伴奏と室内楽の比重が高かったです。その経験からいろいろと学べたありがたい1年でしたが、そんな年を過ごしてきた今は猛烈にソロの練習、勉強をしたいという気持ち。音楽について以前よりいろいろな事が分かってきて、そして自分の事も少しずつ把握できつつあります。作曲家が楽譜上に書き遺した作品の遺志と私が演奏で表現したい意思が一致する曲、これが正に弾きたい勉強したい曲。ピアノ曲ほどレパートリーが多くても、これから生涯ずっとピアノを弾き続けても、「そんな曲」にはそうそう滅多に出会えるものではないのです。そんな候補の曲がいろいろ見つけられたからこそ、納得できるまで時間を作って曲に向き合い練習したいと思うのでしょうか。今の年令で感じたものを表現し、これから先少しずつ衰えていくであろうテクニックを再度磨き直し(音楽では引退はまだまだずーっと先の話)、今しかできない事は今やっておかないと・・・という焦りもちょっとあります。と言っても果たしてどこまでできるやら。出来る範囲で精一杯頑張ってみるだけ。そしてそれが伴奏や室内楽、教える事にも生かせると信じています。

このサイトもいつしか1年余経ち、たくさんの方が訪れて下さいました。こんな気ままなひとりごとにお付き合い下さいました事、心より感謝申し上げます。当たり前の事ながら読んで下さる方がいらっしゃるからこそ何とか続けなければと思えるもので、演奏も同じですが、自分の中で自己完結するような事なら決して続かせる事はできないのです。以前からの私を良く知って下さる方々は驚かれている事と思いますが、元々の私は音楽を通じてなら辛うじて出来るものの、自ら何かを語るという事は出来ないタチでした。なぜ自分でサイトを起こそうと思ったのが今となってはあまり思い出せず、また書きたい事が次から次へと思い浮かぶのも我ながら不思議です。それと相反するようですが、インターネット上という特殊な環境では思っている事を全て書く事が出来ないのも事実。例えば周りの人と私の間にさまざまな距離感があり、流れた時間があるのだから、当然一人一人との接し方は変わってきます。どなたにも読んで頂けるような文章を書いたらありきたりのつまらない事しか書けないのでは?なんて考え始めたらどうしてよいのか分からなくなって、タイピングする手が止まってしまう事もしばしば。早い話、こんな拙い文章で何かを伝えようとする事自体がおこがましいのかなと、自信が持てないだけかもしれません・・・。

今日でやっと仕事納めで、これからお年賀状を書かなきゃ・・・。次の更新は「来年」となります。よろしかったらご感想等メールして頂けますととても嬉しく思います。来年も又よろしくお願い申し上げます。どうぞよいお年を・・・。



2005年12月23日(金)     「変わらないもの」

東京は空っ風が吹き荒れていますが、日本全国あちこちで大雪。ニュースで見る映像にはただただ驚かされます。こんなに降って大丈夫なのだろうか・・・心配です。

更新の間が又もや空いてしまいました。「10日も経ったしそろそろ更新して〜」と言われ・・・何度もアクセスして下さった方へ、ごめんなさい。何かと落ち着かない今日この頃です。

でも伊達にサボっていた訳ではないのです。前回更新してから1日もオフがなく、家に殆どいないような生活に逆戻り。なのにさらわなくてはならない曲が沢山あるし、毎日寒いせいか何だかとにかく眠いし・・・。先週は学内での演奏会で数人のサックスの学生さんの伴奏をしました。ある日には5曲連続、途中1曲は他の方が伴奏されたのでその間に休めましたが、この日のトータル時間80分って1回のリサイタルと同じ位?(・・・と終わってから気付いたら、どっと冷や汗が出ました)。オリジナルがピアノの為の曲ならまだ良いのですが、オーケストラ・パートをピアノにアレンジしたものは得てして弾きにくい。オーケストラで鳴っている音全てを10本の指でまかなうのはとても無理で、腕がもう1本あったら・・・とか指が後2本はえていたら・・・とか、ばかな事を考えながら弾いています。その翌日からは、今日のヴァイオリンのコンサートの為の合わせが始まり、それと又別に年明け早々室内楽のオーディションと学年末試験の合わせも・・・。

大学の授業期間も昨日で無事終了。昨年までは1月入ってからも少し授業があったのですが、今年度からカリキュラムが変わって楽になりました。新年からは試験期間でその間補講をしたり、試験の為に合わせをしたりレッスンについて行ったりもしますが、何はともあれ「毎週何曜日の何時から」という決まったスケジュールで動く事はもうないのでホッとします。「決められている」という状況は何だか苦手なのです。今年は朝9時からという日も多く、寝坊しない為に結構ぴりぴりしていましたがそれも終わり。高校の方は2月いっぱい授業は続きます。

そんな中、「予期せぬ神経を遣った」のはケータイを変えた事。新機種が出揃ったところで買い換えようと思っていた訳ではないのです。今まで使っていたケータイは非常に使い勝手がよく、ちょうど2年経つけれど何の不満もありませんでした。1週間前、夜にケータイで話していたら電池切れ。それから電池を替えたのに突然電波が圏外になり「あれ・・・?」。よくある電波障害かと思ったのですが、翌朝になってもそのまま。仕事だったので早朝使えないままのケータイを持って出かけ、帰りに修理に持って行ったのでした。見てもらった結果は、修理に出してみないと直るか直らないか分からないし、年末にかかるのでもしかしたら年明けにならないと戻ってこないかもしれないとの事。2年使っているから自然故障かもしれないし・・・と言われ、ターミナル駅まで電車で揺られる事30分、カタログを見ながらずっとどうするべきか考えていました。

確かに2年分多少ガタが出てきたなぁと思ってはいたところでしたが、とにかく使いやすいし気に入っていたので迷ったのも事実。でも代替のケータイを使ったまま、もう直らないと言われたら・・・?結局悩んだ挙句に買い替える事にしました。売り場に行って初めて、そうだ、新機種が出揃ったところだからこんなに混んでいるのかぁと納得。機種変更2時間待ちの間に片付けられると踏んでいた野暮用の数々、全てケータイのTodoリストに入れていたのに後から気付きました。預けてしまったので何もできず、今のこの生活はケータイなくしてはありえないところまでいつの間に来ているのに、改めて気付かされました。

今まで使った2台は同じメーカーで基本的に使い方は同じなのですが、今回初めて別メーカーの物を使ってみたら戸惑う事の多い事。今までのものはいろいろな機能において自分仕様にカスタマイズできるのが特長でした。単純に慣れの問題かもしれないけど、便利に使いこなせるようになるまで少し時間が必要なようです。しかし急に新しくなったケータイを手にしていて、正直非常に違和感があります。予期せぬ違和感でも言うのでしょうか。新しい状況に慣れるのに時間がかかるこの性格、時にはちょっと面倒なものです。

というのと関連があるかどうかはともかく、たまたま最近数人の友人と話したばかりの事。世の中絶対変わらないものって果たしてあるのだろうか?「ある」と答えた人あり、「ない」と答えた人あり。そして希望があるのは、変わらないものがある方かない方か?こんな話をするとその人の大切にするものがよく見えてくるし、またそんな考え方もあるんだなと刺激を受ける事もあります。私は世の中どうなろうとも絶対に変わらないものがあると信じたいけれど、もしかしたら変わらないものは何もないのかも、でも変わっていくからこそ希望があるのかな、とも思えるようにもなりました。何となくそんな事を漠然と考える年の瀬・・・。

今年を振り返っての演奏後記、シューベルトの室内楽とアカデミッシェカペレさんとのコンサートも含め書きたい事はたくさんあるのですが、なかなかパソコンに向かう時間が作れなくて中途半端になってしまっています。結局今年もまたクリスマスカードを書けなかったし・・・。ちょっと早いけれど「メリークリスマス!」

今日はヴァイオリンのコンサート。毎年お手伝いしていますが、今回はどんな演奏をしてくれるのだろう?学生さんたちの年毎の成長ぶりがとても楽しみです・・・。



2005年12月12日(月)     「食べ頃と賞味期限」

師走に入ったら時が経つのが早い早い・・・半月ちょっとで来年です。

それにしても悲しい事件が多過ぎる今日この頃。どうしてどうして?という思いでニュースを見ています。亡くなったお子さんには、今度生まれ変わる時には絶対に幸せになってほしい。心よりご冥福を祈るばかりです・・・。

更新が遅れてごめんなさい。最近あまり時間がなかった原因、それは「移動」。遠いところでは逗子や所沢へ、毎日4時間位は電車に乗っていました。そして溜まりに溜まった野暮用の数々にもやっと手を付け、都内あちこちへ重い荷物を持ったまま寄り道。とんでもない距離を歩いていました。もともと歩くのは何でもないのですが、荷物が多いのは苦手。どうも変な持ち方をしてしまう為、左右の肩甲骨の位置が違ってしまう。意識して直そうと試みても、重くて必死になっている時はそこまで考えていられない!靴もウォーキングシューズかスニーカーだったらいいんだけど、そうも行かないのが辛いところです。

更新が遅れたもう一つの理由。どうも冴えていない。書きたい事の焦点が定まっていないから言葉もひらめかないし、整理されていない分かりにくい文章しか浮かばないのです。さっきから何度となく読み返しつつ、今日も不調だ(と、正真正銘ひとりごと)・・・。

さて、1週間が経ってしまいましたが、沢山のお客様の温かい拍手に包まれての田島さんの東京デビューも無事終わりました。ありがとうございました。

同じプログラムで2公演というのは「美味しい」という話を前々回に書きましたが、富士と東京とで全く違った演奏になりました。実は今回のプログラムの曲は殆ど、2回の本公演以外に今年初めから小さい本番を踏んでいます。曲に取り組み始めた頃と今では演奏自体が違うのは当然ですが、気持ちの上でかなり大きな違いが出るみたいですね・・・。

長期間同じ曲を練習し続ければ飽きるし、短期間なら気持ちも新しい。だからしっかり練習してあって仕上がり具合は良いようでも「腐っている」演奏もあれば、まだ仕上がりは荒いけどとても新鮮な演奏もある。同じ1年間であってもコンスタントにさらうのと、何度か寝かす期間を設けるのとでも違う。舞台の上で「今から弾く音楽は、普段練習しているものとは全く違う新しい創造の賜物」と思えなければ、弾き手の「単なる日常の繰り返し=練習」をお客様にお聴かせする事になってしまいます。それは聴き手にとってもつまらないものでしょう。

もちろん大作曲家が遺してくれた一流の作品はちょっと弾いた位ではとてもおぼつかず、年齢や経験を経るほど作品に一歩ずつ近づけてきます。つまり、毎日練習して近づけるのは「体がどう動くか」であって、「どのように解釈するか」という頭脳的な問題と「作曲家の心にどう近づくか」「どんな心持ちで演奏するか」という精神的な問題は、もっと長い時間をかけないと無理。そんな時に思うのです。時間って尊いけど非情・・・。

食べ物の話に置き換えたら・・・いつ食べるかを想定して作り始めますよね。それが食べ頃を考えるという事で、音楽では本番がいつかを考えながら練習を始めるという事。そしてもし余ったら・・・いつまでに食べきるかを考えますよね。それが賞味期限で、音楽で言えば練習でベストな食べ頃に作り上げたら、本番までいかに賞味期限を持たせるかという事。もちろん先に「本番ありき」なので、賞味期限までを考慮して作り始めますが・・・。そして、おなか一杯になってもその日のうちに強引に食べきる必要があるのか、冷蔵庫にとっておいてちょくちょく食べ続けるか、冷凍してとっておくか・・・、もし冷凍したら解凍するのはいつか、解凍の際に冷蔵庫でじっくり溶かすか、流水で一気に解凍するか。一番美味しく食べられる方法を選ぶのと似ています。

田島さんの場合。万全に準備してリサイタルに臨んでいましたが、だからこそ逆に怖さを感じる時もきっとあったのだろうと思います。舞台では普段起こるはずの無い事が起こる、そう考えて私もいつも自分を戒めていますが、でもいつも何がしかの力が自分の非力さをバックアップしてくれるから、頑張り過ぎなくても大丈夫!とも思えます。お客様の「気」?作曲者のオーラ?共演者の励まし?あるいは音楽の神様?独りで頑張らずに周りの力をお借りしようと思ったその時、田島さんの中で何かが変わったのでしょう。ある瞬間を境に音楽がぐぅんと伸びやかになりました。今までに聴いた事のない大らかなフレーズや、クライスラーでのふっと力が抜けた粋な表現・・・。

以上が田島さんのリサイタルを終えての感想と考えた事でした。何しろデビュー公演は大変な上に重い意味があるのですが、2回目からはきっと少し楽になるはず。これからの自分自身の足跡を、リサイタル1回毎に順調に刻んでいって頂きたいものです。

ところで最近編み物が流行っているみたいですね。編棒と毛糸玉を見ると妙に懐かしい気分になります。もう全くご無沙汰ですが、小学生の頃ちょこちょこ編んでいた事を思い出しました。ピアノの練習に忙しくなる前の頃。そのきっかけというのが、確か押入れの奥から綺麗な毛糸の束を見つけた事。そうそう、正にこのホームページのピアノの鍵盤のようなブルーの細糸で、3cmおき位に白のポチポチッとしたこぶが出ている変わった感じに惹かれたのです。あれが普通の毛糸だったら今編み物未経験だったかも。今はそんなでもないのですが、昔はとにかく好奇心が強い子供でした。この糸を何とかしなきゃ、みたいなおかしな使命感(?)にかられて、初めて編み物をしてみる気になったのです。その初めての作品は夏休みの自由研究で(暑い最中に編み物というのも・・・?)、かぎ針編みの二等辺三角形の透かし模様のストールになりました。最近街中で手編み風のストールやマフラーを身につけている人が多いから、今ならまとってもおかしくないかな。

その後手掛けたものは棒針編みのマフラーが2本・・・だけだったような気がする。ピアノの練習と学校の勉強との両立で手一杯になって、それっきりです。次に何か編める事があるとしたらそれは一体いつ・・・?



2005年12月4日(日)     「ピアノ・デュオの相手」

体調が何となく戻ってきた途端、また以前のように忙しくなりつつあります。この数日にしていた事はと言えば、まずは3月末にある自主のピアノ・デュオ・リサイタルの始動。そして明日室内楽の試験を控えている、受け持ち5組のグループの補講と試演会。田島さんのリサイタル前のホールでのリハ。久し振りにサックスの伴奏も・・・。

長年お世話になっているマネジメントへピアノ・デュオの打ち合わせで行く前に、必要な写真や資料を揃え、ロンドンの田山くんにお尋ね・報告メールを送り・・・コンサートもお頼まれして弾かせて頂くのと自主で企画して弾くのとでは、事前にしなくてはならない事の量が格段に違います。また私自身の例年のリサイタルでは何をいつにすべきか手順は分かっており、しかるべき時間を確保して自分が動けば済む事なのですが、今回のように第1回目(昨年春のはサロン・コンサートだったので)というのは何にしろ手探り状態。

ロンドンと東京という遠距離ピアノ・デュオなので、合わせの日程(おまけに場所も)をどうするか決めるだけでも一大事。じゃあ何故そんな条件的に困難な相手とデュオを組むのか?と問われそうですが、こればかりは・・・やはり一緒に演奏したいと思える相手でないと難しい。他の楽器とピアノというデュオなら楽器の違い(特性)を生かせるので多少の違いは問題ないのですが、ピアノ同士というのは全く同じ楽器であるが故、音の出し方(タッチ)の違いがあると無理なのです。ピアノはいわば打楽器なので、発音の瞬間はピンポイント。弦や管楽器とはその発音の違い(スピード)を逆手にとる表現も出来るのですが、ピアノ同士だとそれが決定的に違ったらずれまくる恐れあり。もちろんそれだけが問題ではないのですが。

いつかじっくり田山くんの事について書くと昨年12月に宣言したきりだったので、今日はデュオを組むきっかけを。そもそもはピアノ・コンチェルトの伴奏(つまり2台ピアノのセカンド・パート)を頼まれたのが始まりでした。その時の曲がラフマニノフのコンチェルト3番。これは、ラフマニノフのコンチェルトは全てオーケストラと共演し、ソナタも録音している、ラフマニノフのスペシャリストでもある彼の十八番。その時のスケールの大きい音楽にまず惹かれたのですが、また私自身もラフマニノフは大好きで、音楽の好みや音楽についての考え方も似ていました。

もう一つ決定的だったのは、そのきっかけを作って下さったのが御木本先生だったという事。フィンガー・トレーニングでお名前の知られている御木本澄子先生に私は子供の頃からみて頂いていますが、田山くんも時折帰国してお世話になり始めたのでした。フィンガー・トレーニングと言うものの、実際は「ある響きを作り出すにはどのようなテクニックを使うか?」というレッスンなので、お互いピアノの師は違っても、響きとタッチについての根本的な考え方には殆ど相違はない訳です。

普段は全然連絡も取らないし性格は全く異なるのですが、ただ楽しいだけではなく、音楽を通じての会話が出来る相手はそうはいない。そこまでできる相手だと確信したのは、昨年春に舞台を一緒に踏んでから。

合わせの仕事をするようになってから、どんな演奏が求められ、又自分は何を勉強していくべきかを必死で探っていた時期がありました。その考えた「結論」を書くのはまた別の機会に譲るとして、アンサンブル・ピアニストにはソロを引っ張ってゆくタイプと、逆にソロを支えてゆくタイプがあるなぁと漠然と思っていました。もちろん私は後者の方(だと思っているけど、本当は?)。

昨年春のサロン・コンサートで初めて田山くんと本番を迎えてびっくりした事。何よりもいつも私のソロを聴いて下さるお客様が驚いていらしたのですが、舞台には「全く初めての自分」がいました。合わせものでは基本的にソロを支える事に徹し、また自分のソロでは表立って自分を発散するより内面的な方向に音楽を追求してゆく事が多いのですが、そのどちらでもなく、当日はとても楽しんでピアノを弾けたのです。その時に思ったのですが、アンサンブル・ピアニストには第3のタイプ(勝手なカテゴリー分けですが)、ソリストのいつもは隠れている魅力を引き出す事ができるタイプもある。多分彼はそういう能力があるのだろう・・・と。本来それは私の仕事なのに、舞台では逆に仕掛けられていました。

非常に説明が長くなりましたが、それが東京ーロンドン間の距離をものともせず(?)デュオを組んでいる理由です。なんて勝手にこんな事を書いていますが、田山くんはどう思っているか・・・今ロンドンは夜になったところ。数日後帰国してラフマニノフの音の絵をCD録音する為必死でさらっている筈ですが、今頃きっとくしゃみをしているだろうな・・・。

ところで室内楽の試験、本当にたまたまなのですが田島さんのリサイタルと重なってしまったので、審査に立ち会えないのです。こちらは1年前から決まっていた事なので何とも運が悪い。試験間際の本番を想定したレッスンというのは、ソロであれ室内楽であれ、正直なところこちらもかなりエネルギーが要るものです。

室内楽のレッスンはピアノ以外の楽器も含まれるので、ピアノの学生さんはともかくと、他の楽器のテクニック的な事に関しては基本的には何も言えません。弦楽4重奏や管楽6重奏などのように、同種の楽器の集まりだと分かる事もあるのでは?と思いますが、ピアノ混合の編成は弦楽器、管楽器も混ざるので・・・。ではレッスンは何をするのかと言うと、主に「音楽の表現」についてと「どうアンサンブルするか」という事。母校で弦楽科の伴奏助手をしていた時、ピアノの立場から気付いた事について一緒に弾きながらレッスンをしてほしいと先生方から言われていましたが、当時の経験が非常に役に立ちました(今も同じような事をしていますが)。

音楽でどう表現するかという事は、多分どの楽器でも目指すところは同じ。というのは楽譜が原点で、解釈と表現はそれに基づくものだから。「こんな表現はどう?」と質問を投げかけるのですが、イメージを言葉で伝えるって本当に難しい。なかなか伝わらないと、「ピアノだとこう表現するんだけどその楽器ではどう演奏する?」なんてついつい手が鍵盤に伸びます。

全ての音が一つになって流れ、そして息づくようになるのがアンサンブルとしての音楽。合わせる為のテクニックについていろいろ言える事もありますが、意外にも気持ちが一つになれば済むことかもしれません。音楽を通して、学生さん同士の人間関係がどう変化してゆくのかが、毎回手に取るように分かります。

直前レッスンで皆に口を酸っぱくして言った事は、「本番として、集中した演奏をする」。たった1回しかない本番だからこそ、その時にしかできない演奏をしようという気迫も必要。またその中で出来上がるナマモノの演奏を当人が楽しまなければ、生き生きとした演奏は生まれてこないのです。その日の試演会ではその甲斐あってか、普段のレッスンは一体何だったの?と言いたくなるような、そんなグレードアップされた気持ちのこもった演奏が聴けました。何だか嬉しかった(消耗したエネルギー分は取り返せそう)。ただ「今できても当日油断しないように」と釘刺すのも忘れませんでした。

昨日はまる1日、サックスの合わせ7人。全員が違う曲で、また全楽章の人ばかり・・・。コンクールが終わってからご無沙汰で、またこの数日の慌しさでうっかりしていましたが、真夜中に気付いて慌ててさらいました。昨年のこの時期は譜読みに四苦八苦していたような記憶があるけれど、やっと最近主な曲はほぼレパートリーに入ったので、今年はあたふたせずに済んでいます。一応レパートリー内の曲だったので何とか間に合いましたが、お陰で寝不足。

譜読みが少なくなった分、来年のソロの曲は早めに準備しよう。練習は、曲が決まったばかりの時と本番間際が一番楽しい・・・。



2005年12月1日(木)     「秋の収穫」

もう師走とは早い早い・・・。クリスマスの飾り付けをしながら、これを昨年片付けてからそんなに間もないような気がするのは気のせい?

田島さんのデビュー・リサイタル富士公演も無事に終わりました。ホール満席状態の沢山のお客様にも見守られた中でのデビュー、田島さん自身いろいろな思いが寄せてきたのではないでしょうか。「もう遠い昔の出来事」となった私のデビュー当時を、演奏しながら、また帰りの新幹線の中でもちょっと思い出しました。もっとも疲れ果てていたので、熱海以降は記憶が全くありませんzzz・・・。いらして下さった皆様、どうもありがとうございました。

と言ってもこれで終わった訳ではなくまだ東京公演があり、詳しくはそれが終わってからまとめて書く事にします。この秋は同じプログラムで2公演というリサイタルばかりでしたが、「あと1回」があるのは何て美味しいというべきか、何と羨ましいというべきか。全く同じ演奏にはならないゆえ、楽しみが増えるしリベンジ(?)もできるし・・・。私自身の自主企画は1回弾いてそれで終わりなのですが、「このプログラム、せっかく準備したんだからあと何回かは弾きたい」と毎度思うものです。

コンサートが続く割にこのひとりごとの更新が追いつかず、書くものが書けていないのですが、このリサイタルの聴きどころを。

ウィーンに関連する作曲家の作品を集めたプログラムです。メインとなるブラームスのヴァイオリン・ソナタ1番「雨の歌」、これは私の好きなヴァイオリン・ソナタ5本指に入っていますが、どこが好きなのかを問われてもまた説明が難しい。ブラームスの個性さまざまな3曲のヴァイオリンソナタ、どれが好きかで性格が分かるような気がします(まるで心理テスト)。素朴さ明るさに満ちた2番、激しい情熱が全曲に貫かれている3番とは全く持ち味が違います。1番はメロディーラインが繊細で悲しくなるほど美しいのですが、その中に秘められた情熱をどうしてもあらわに出来ないもどかしさが、逆に曲に奥行きの深さを与えているような気がするのです。

私の勝手な想像ですが(お墓の中のブラームス氏に鼻で笑われそうな気が・・・)、この曲からは「良く晴れた秋の1日」が思い起こされます。希望に満ちた春でもなく、解放的な夏でもなく、気持ちが縮こまってしまう冬でもないから。自身の歌曲「雨の歌」から第3楽章のテーマをとっているので「雨の歌」なのですが、じめっとした湿気は曲には特に感じません。高くなった秋の青空の幾分憂いを帯びたさわやかさ、空が透けて見えそうな筋雲が風に乗って移りゆくような曲想のさり気ない変化、広い空を見上げている時のさまざまな気分(嬉しい気分も悲しい気分も、深く物思いに沈んでいても又何も考えていなくても、どれも合いそうな感じ)・・・。昨日見た美しい夕焼けの色のような温かみも、曲中至る所で感じます。

好きな曲だとこう弾きたいこんな響きにしたいというイメージが、弾けるようになる前から、そして弾き込むにつれていくらでも出てくるもので・・・ちょっと書き過ぎたので後は一言ずつ。モーツァルトのKv.301のソナタとシューベルトのD.384のソナチネ、どちらもこの大作曲家にとってはシンプルに書かれた愛らしい作品です。ある意味作風が近しくもあるお二人、でも音の並べ方やリズムの扱いには個性の違いがよく表れています。逆にこちらとしてはどう弾き分けるかが難題・・・。クライスラーのウィーン3部作、愛の喜び、愛の悲しみ、美しきロスマリンは良く知られた作品です。どれもワルツ(レントラー?)の3拍子だけど雰囲気は異なり、何度弾いてもいい曲で、しかし粋に演奏するのは大変。最後に演奏するのはモンティのチャルダッシュ。これもおなじみの名曲ですが毎回演奏が違って、当日どう弾いてくれるのかはお楽しみ。プログラムの最後を華麗に締めくくって欲しいと思っています。

さて話を戻して・・・東海道新幹線に一人で乗る時は二人がけの方にいつも座ります。つまり下り方面だと富士山が見える方ですが、片道1時間でも結局寝てしまい、富士山を見られたり見られなかったり・・・。今回は昼に出たのでそんなに眠くもなく、たまには反対側の景色を見ようと思って3人がけの方に座りました。昼間の「こだま」だからか自由席でも人は少なく、快適快適。東京からしばらくの間、高架の上から見る景色はまさに秋色。街角の公園、民家の屋根の連なりからにょきっと頭を出している樹々が、こっくりとした深い色合いに染められていました。都心にもこんなに樹があったっけ?改めて思った程。

年に1度の私の自主企画のリサイタルのプログラム(当日入り口で皆様にお配りするあれ)、12回続けてきたのでプログラムも全部並べるとよりどりみどり。基本的に暖色系統で、赤、オレンジ、ローズ、紫、茶色などから毎年微妙に違う色を選んでいます(さすがにそろそろ寒色に行く?)。色を決めるのも迷いますが、印刷の際に指定するのもなかなか大変なのです。分かりやすく言えば・・・口紅にしても究極の1色を選ぶのは難しい。イメージにぴったりの色がもしなかったら、店員さんになんて言葉で説明すればいいか至難の技。その紅葉を車内から見ながら思ったのです。プログラムに使えそうないい色あるなぁって。綺麗に染まった葉っぱを1枚持っていって「この色で」とお願いしてみよう。無理かな?

紅葉って気候できっといろいろ変わるのでしょうね。それを実感したのが家にある鉢植えのもみじ。ご近所の大きなもみじの樹には例年実がなるので、高さ10センチにも満たないような赤ちゃんもみじが良く見つかります。踏まれたらかわいそうと掘り上げて鉢に植えたら意外にぐんぐん大きくなり、毎年それなりに紅葉するようになりました。10数年毎年見ていますが、赤くならずに枯れて葉が落ちてしまったり、見事に赤くなったのに猛烈な風ですぐ散ってしまったり、部分部分で染まり方がまちまちだったり、年によっていろいろです。今年は今までの中で一番の見事な色づき。夕焼け色に染まって1週間は経つのですがまだ散らず、てっぺんが濃く下にゆくにつれて薄くグラデーションになっています。新幹線から見た時も思ったけれど、今年は紅葉の当たり年なのでしょうか。

遅まきながら体の調子がやっと戻ってきました。「こんな時もあるさ」が今回長かった〜。良く寝ている分、日にちが経つのが異常に遅い感じがします。頑張っている受験生の皆さんには申し訳ないけど、入試があったせいで学校が休みになったのがかなり大きかった。時間に追われず頭の中を真っ白にして出来る事ばかりしてました。

ひとりごとを読んで下さっている皆さんにはばれてしまっているかと思いますが、私の前世はイタリア人?と思う位、料理するとイタリアンもどきになってしまう事が多いです。ニンニクやオリーブオイル、トマト大好きだし、簡単に何か作るとなればまずパスタ。昔ハーブ栽培にはまっていろいろな種類を育てていましたが、最終的に残ったのはバジリコとローズマリー。イタリアンには必需品です。ナチュラルチーズはイタリア産とは限らずですが、どんなキツイものも大好物です。

何なのでしょうね。でもまぁそういうものばかり作っているのは健康には良くないかも、と思い当たる節あり。煮物の類、和食など一応は作れますが、確かに頻度はずっと少ないです。美味しいものは何でも好きだけど、作るのはイタリアンが好きという事にしておこう・・・。

お休みの間にこれだけは急がねば!と思って、ジェノベーゼソースも作りました。パスタなどでお馴染みのあの緑色のソースです。昨年の今頃も書いた気がするけど、バジリコは冬が近づくと葉が黄変して枯れてしまうので、その前に慌てて仕込まなければならないのです。今年は7鉢(1鉢に3〜4株)あったバジリコをまずは収穫。そして茎から葉っぱを外していきますが何せ凄まじい量、直径35cmくらいのザルに富士山盛り(山盛りよりもっと!)。その作業で1時間弱くらいかかりました。後は松の実とパルメザンチーズとニンニクとオリーブ油と少量の塩をハンドミキサーで混ぜるだけですが、分量の配合が怪しくて毎度のことながら目分量。何冊か見て調べたのですが、バジルの葉20枚とか30枚の場合のレシピしかないので。まぁそんな適当な配合でも綺麗なグリーンの香り高いソースが出来るのです。空気に触れると色が黒ずんでしまうので、瓶に詰めた後上部にオリーブ油を注いでおくと色が保てます。摘んだばかりだとさすがにいい香り。お試しあれ。

これは何と言ってもパスタでしょう。もう相当カロリーが高いのを承知の上で、でもどうしても大量に使いたくなってしまう。炒めたナスやキノコ、ハムなどにも合うし、あっさりしたチキンや白身魚などのソテーにもいいらしいです。以前どこかのイタリアンのお店でバゲットに塗ったものが出たのを思い出し、サンドイッチに塗ってみました。結構これもイケました。

3月26日と7月25日に書いたアメリカホドイモ(アピオス)、あれもとっくに地上部は枯れていたのに掘り起こすのを忘れていました!地中ではネックレスのように芋がつながっているというのを読んで、何が何でもそれを確かめたくて植えたようなもの。去年はどういう訳だか失敗で、親芋しか育っていませんでした。さて、今年の収穫は・・・?

まずは生えていたところからスコップを差し込んで、もしもつながっていたらそれを切ってしまわないよう、その後は手で芋の鎖(?)をたどりながら掘ってゆきます。春に4つ植えた内2つは芽が出なかったけど、親芋がそっくり残っていました。ワインカラーの花を咲かせた株は伝ってゆくとずんずん根っこが伸びている・・・むむ?プランターの端から端まで来てしまった・・・そこでぐいと掘り起こすとネックレスのような子芋が6つ!もう1株も3つ子芋が出来ていました。非常に感激したけれどもったいなくて食べられず、来年用の親芋として再度植え、3つだけ茹でてお味見。ひいき目かもしれないけど、しっかりとしたいい味がしていました。

この前の東京アカデミッシェカペレさんとのコンサートなど含め、いろいろ書きたい事はあったのですが、こんなに長くなってしまったのでまた次回に。やっと書く気が起こってきました。コンスタントに書ければいいのですが、ま、ひとりごとなので・・・。


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