ひとりごと(2005年11月分)

2005年11月25日(金)     「バランス感覚」

更新までにこんなに時間が経ってしまいました。何度もアクセスして下さった方へ、お待たせしてごめんなさい。

今思えば、9月に入ってから最近までは、本当にメチャクチャに詰め込んだスケジュールでした。殆ど休みがないのは慣れていますが、朝から晩まで、そして帰宅してから夜中までもふぅっと気を抜く瞬間もないままの毎日・・・。やはり疲れが限界まで溜まっていたのだなぁと、休んでみて初めて気付きました。

ここ1週間は割と隙間のある過ごし方が出来ていて、休みの日は信じられないほど長時間熟睡しています。寝ても寝てもいくらでも寝られるというこの感覚、どれ位ぶりだろう?このところは眠る事自体、緊張していたような気がします(さもなければ朝は遅刻・・・)。それでも疲れが取れず、仕事以外に時間が余ればひたすら寝ています。

脳味噌は思いの他平気。さしあたって暗譜するものもないし、「ひとりごと」もひらめくまで待とうと思っていたので(でも今日もまだまだ)。体も酷使してはいたけれど動けなくなるほどでもなく、その証拠に風邪も今のところは大丈夫です。一番きていたのは気持ちでしょうか。考えなくてはならない事、しなくてはならない事が多すぎて・・・(自分の事だけを心配したくなったら赤信号)。そして本番で集中する毎に、意外にエネルギーを使っているものだとも気付かされました。普段はそのエネルギーは自然と蓄積されているけど、これだけ本番があるのは自分としてはかなり大変で、使い過ぎて今は不足気味。

体の調子がベストな状態になかなか戻ってこないのですが、さすがに最近は「そういう時もあるさ」とどぉ〜んと構えていられるようになりました。いい時もあれば悪い時もある・・・。逆に体の調子がいくら良くても精神状態が何だか変な感じの時もあるし、かといって頭が冴えているかどうかは別問題。結局はバランス感覚が大切なのかな?と思うに至りました。プラスマイナスゼロという感覚も含め、音楽の上でも応用できるものです(?)。

普段の音楽生活の中で一番多いのが伴奏や室内楽など「人と合わせる」事。それがちょっと一段落して、今は試験前でもありレッスンや授業など「教える」事の比重が増えてきたのですが、自分でも不思議な位よくしゃべる・・・。口だけがまるで一人歩きしているように言葉がぽんぽん出てきます。このところ弾く事でしか表現し得なかった事、それを通じて考えたり感じたりしていた事が、一気に言葉となって溢れてきたかのよう。またこの数日「今一番したいのは何だろう?」と考えて思い当たったのが、「一人で弾く」事。ソロの曲を自分の意のままにどう弾くか組み立てるという感覚は、ひどくご無沙汰しているような感がありました。いろいろ楽譜を引っ張り出してきて2〜3時間弾いていたら、いつの間にかすっきり(来年のリサイタルのプログラムもほぼ決まり!)。こんな風に、どれもが欠けても何だか自分が自分でないような気がするのです。

音楽の上でこだわるバランスは他に・・・例えばリサイタルのプログラム全部を通してみた時の感じ。軽い曲と重い曲、短い曲と長い曲、長調と短調などなど組み合わせの妙。例えば1曲30分かかるような大曲の力配分。全曲通じてつかえる力(体力、集中力・・・)はどの程度でどう配分し、どこにクライマックスを設定してどこをリラックスして弾くか(イメージ的には、何かを長時間に渡って記録する折れ線グラフ)。例えばポ〜ンと鳴らした和音。外声(ソプラノとバス)をクリアに弾けば軽い響き、全部の音を同じくらいの大きさに弾けば重い響き。ソプラノを効かせたら、バスを効かせたら、あるいはハーモニーのアクセントとなり得る特定の音を効かせたら、などなど。

・・・なんて前置きがここまで長いのは、バランス感覚が鈍っている証拠。

それはさておき、東京アカデミッシェカペレさんとのコンサートについて。今もって本当にあの日舞台に乗っていたのか実感が湧きませんが、終わってからしばらくはいろいろな思いが断片的に湧き起こりました。その中で一番大切な事を今日は書かせて下さい。

このコンサートもまた、忘れられないものとして心の中に残っています。全プログラムを通じて、ボッセ先生、カペレさんオーケストラと合唱の団員さん方々、共演して下さったソリスト皆さんの「気」が一つになっての大きさ深さを感じられる、そんな演奏になっていたような気がします。自分も当事者ですし、まだ録音も聴いていないので「・・・気がします」としか言えないのですが。終わってからじわじわと寄せてきた思いは、またとない機会を頂けたんだなぁという事、そして今後このような機会に再度めぐり合えるかどうかという事。本番が終わるまで必死だったので、そんな思いを練習中に噛みしめる余裕がなかったのが不覚・・・。

当日ホール入りした時はちょっと緊張していました。共演者と一緒の時は普段と同じ精神状態でポンと舞台に出られるのですが、今回のように大勢の方と一緒だと話は別。今だから言える話ですが、本番前の数日は疲れがピークに達していて思うように練習がはかどらず、そのせいでもありました。たまたまとは言えこのコンサート直前はスケジュール的にキチキチでしたが、1ヶ月前に最初の合わせがあったお陰で練習も暗譜もいつもより計画的に進んでいて、「だから大丈夫(なはず)」と自分をなだめていました。リハで気持ちを取り直し、ちょっと気がかりだったピアノのタッチについては調律師さんに全てお任せし、後はなるようになるだけ。そう思ったら本番は気持ちよく舞台に出られました。

気持ちよく舞台に出られたのは、もう一つ心に思った事があったからです。それは本番前に怖い思いをしていたり、もしくは舞台の上で怖くなってしまった時に、いつも考えるようにしている事でもあります。それは、「もしかしたらこの曲をこのように演奏できる事はもうないかもしれない。だからこの瞬間を精一杯大切にしよう」という事。合唱幻想曲のような大編成の曲がコンサートで取り上げられるのはそうはない事なのに、そこに呼んで頂けて、またその日にちがたまたま空いていて、そしてそのような条件で集まった方々と共演させて頂いて・・・でも全く同じメンバーで演奏する事が今後あるでしょうか?もちろん私自身がこの曲を再度演奏させて頂く機会があるとは限らないのです。そんな風に思ったら一瞬一瞬がもったいなくて・・・。

そんな風に一瞬で消えてしまう音楽の為に、「何月何日何時、とあるホール」という限られた時間の中でベストの状態で臨めるようにするのが、舞台に立つ者の務めなのでしょう。だからこそそれに賭ける想いは強く、また二度と再現できないからこそ聴いて頂きたいと思うのです。そんな演奏はその瞬間に立ち会って下さった聴衆の方々の為でもあり、そんな素晴らしい作品を遺してくれた作曲家の為でもあり、そして最後に演奏している私達自身の為でもあり・・・。

ピアノを弾く身としては、オーケストラやオペラのように沢山の人々で一つの作品を創りあげるという経験はなかなか出来ないゆえ、どうも考え方が小さくなってしまいます。しかし合唱幻想曲でこのような大きな編成の一員になってみて、何か非常に謙虚な気持ちにさせられました。ベートーヴェンの偉大さが改めて強く感じられたのもあり、参加させて頂けた事に対しての感謝の気持ちでもあり、またこういうチャンスにめぐり合えた運に対しての不思議な気持ちでもあり・・・う〜ん、うまく説明できません。

ちなみにソロのリサイタルで怖い思いをしても、同じような事を考えます。演奏頻度の高い曲は限られるものでそれはともかくと、やはり膨大なピアノ曲のレパートリーを考えると、同じ曲ばかり演奏する訳にもいきません。演奏してみたい曲は数え切れない程あるし、遺されている作品も誰かが弾かない限り埋もれていってしまう運命にあるし、それより何よりソロ・リサイタルを回数多く開けるような立場ではないから。だからこそ舞台では、この曲を今度聴いて頂けるのはいつ?そして素敵な響きのするピアノでいいホールで弾けるのはいつ?と思うと、ちょっと寂しい気持ちになったりするのです。

そうそう、全員の顔が揃うかどうかという事で、同窓会も同じだなぁなんて考えていました。3年ぶりにあった同窓会もオケ合わせと重なったので、今回は残念ながら出られませんでした。中高6年間皆一緒な中、私だけ中学3年間だけで出てしまったのですが、有り難くもいつも同窓会に呼んでもらっています。今もってこ〜んなに長くお付き合いの続いている友人がいるのも嬉しく、また心強いものです。高校以降の友達は殆ど皆同業者なので、あえて同窓会がなくてもどこかでつながりがあって消息も分かるのですが、こういう方が珍しいでしょうね。

いつしか外が明るくなり、もう朝になってしまいました。でも最近はいくらか余裕もあるし、今日はリサイタル前でオフにしてあるので何とか大丈夫です。いくらでも眠れる日があれば朝まで起きている日もある。これもバランス感覚・・・?



2005年11月16日(水)     「紅葉」

東京アカデミッシェカペレさんとのコンサートも、無事に終わりました。あれだけの大きいホールで弾かせて頂ける事もそうないのですが、いらして下さった沢山のお客様はもとより、舞台での時間を共にした共演者の皆様方、このコンサートを支えて下さったスタッフの方々、皆の気持ちの集結がこのコンサートの結果なのだなぁと、そんな事を考えました。本当に幸せなひとときでした。どうもありがとうございました。

終わってからもホッとする間もなく、今に至っています。コンサート翌日は朝一で本番を控えた人のレッスンをし、その後は又練習・・・。昨日は外国のピアニストの方のレッスンを受ける事ができたので、その準備で暗譜に余念がなかったのです。結構最近決まった話でしたが、やはりコンサート前は合わせもあればいろいろしなくてはならない事もあるので、レッスンの為の練習は全く出来ずじまい。それも済んでやっと気持ちが学校モードになりましたが、それにしてもオーチャードホールの舞台に立っていた時の事は未だ現実味がありません。不思議・・・。

今週末も学生さんのコンサートの伴奏があり、その後は田島さんのリサイタルも2週続けてあり、学校では5グループ持っている室内楽の試験と大学院の入試が目の前で佳境・・・。それなのに体力的にも精神的にも時間的にも限界が来ていて、いつもよりは寝ているにもかかわらず全く疲れが取れません。9月に入ってからずっとこんなペースだったので、それも当然だけど。という訳で、この後2日間何も入れない休みを取りました。誰が何と言おうと休む!という固い決心です。もともと「自由業」、定期的な休業日はもちろんないし、仕事がある日が営業日、自分の練習はオフの日にするので結局オフもオン?まぁ皆さん同じ状況でいらっしゃるとは思いますが、ここで休まずにダウンしてピンチヒッターをお願いするような事だけは避けたい。それが自分の為でもあり、周りの為でもあるのだから・・・と言って切り抜ける事にします(とか言いつつ、たまった雑用をこなしている気がする)。

いつもの事ですが、コンサートの感想その他はゆっくり思い起こしてから書く事にします。そしてご感想のメールを下さった方へ、ありがとうございます。そしてごめんなさい。お返事もう少々お待ち下さい。

今日も朝9時から学校でレッスンなのでもう寝ます。普段電車を乗り過ごす事はまずないのですが、昨日は駅に着いて扉が開いてから目を覚ます事が何度あったか(忘れ物もせずに何とか降りました)・・・危険な兆候。

しかし一気に寒くなりました。勤め先の洗足学園は秋が最も美しい季節。学園自体の建物、敷石からしてほぼレンガ色一色なのですが、たまたまなのか紅葉の美しい木々が数多く植えられていて、見事に調和しています。日々その色合いが移り変わり、そして葉がパラパラと散ってゆくのですが、そこに日の光が差し込んだ時の美しさには目を見張ります(去年はあまりにも美しいのでケータイのカメラで撮ってしまいましたが、今年の紅葉はまだイマイチ?)。気がつけばもうすぐ師走なのですね・・・。



2005年11月9日(水)      「小春日和」

小春日和、インディアン・サマー・・・ちょうど今頃、深まる秋の中、まるで春を思わせるような気候の事を指すんだそうですね。一昨日と昨日は正にそんな陽気、暖かな日差しの中を散歩したくなりました。何とか風邪はひかずに済みましたが、結局展覧会も行かず我慢。やはり本番前、ちゃんとその時間を確保してあるのだから集中しようと思った・・・と言うのが正論ですが、正確には、行こうと思っていた美術館博物館は全て一昨日は休館日だったし、昨日はいつもの授業の後、試験を控えて切羽詰っている状態の学生さんの補講レッスンを入れてしまったし・・・。

秋になってからは、学校に行ったら授業とレッスンをした後に学生さんの合わせもしてくるというのが、お決まりの過ごし方でした。昨日はそれでも、「いつも」よりは断然早く帰宅。それで気がついたのは、「いつの間に日が暮れるのがこんなに早くなったんだろう?」。そして、夏よりは空気が澄んで星が見えやすくなったという事も。

考えてみたら今週末も本番なのです。当たり前ながら練習と本番は別もの。どのようにあと数日過ごして本番への気分へ持っていくか、それを上手にしないと。・・・という事を今書き始めたらこれまた止まらなくなりそうで、今日は敢えて中途半端でやめておきます。

東京アカデミッシェカペレさんとのコンサートの聴きどころは、いろいろな編成の曲を盛りだくさんに楽しめるところかと思います。最初のベートーヴェンの「合唱幻想曲」は、オーケストラ、歌のソリストさん、合唱、そしてピアノというぜいたくな大編成。始まりはいきなり5ページもあるピアノのソロのカデンツァから、次いでしばらくオーケストラとピアノの掛け合いが続き、最後に歌のソロと合唱が加わり華やかに終わります。曲調も歌詞の内容もどことなく第九交響曲を思わせますが、幻想曲というだけあって、テンポや拍子、調性を(もちろん曲想も)次々と変化させながら、曲は流れていきます。その次のブラームスの「肝に銘じよ」は、アカペラの合唱の短い作品。何でもボッセ先生が学生の頃歌われていた(確かそう伺いました)、懐かしの曲だそうです。その次のブラームス「愛の歌」は混声四部合唱とピアノ連弾の為の作品。さまざまな「愛」についての歌詞にのせた18曲のワルツの連作です。個人的に「ワルツ」は大好きなのですが、大勢で気持ちを一つにして演奏するワルツも本当に楽しいものだと実感します。ボッセ先生は珍しい作品もよく取り上げられるのですが、その選曲は毎回素晴らしく、先生ご自身の強いメッセージが込められているのをプログラムからも感じ取る事ができます。チャイコフスキーの「悲愴交響曲」はポピュラーな作品ですが、ボッセ先生がチャイコフスキーをお振りになる事自体とても珍しいのだそうです。どのような演奏をなさるのか楽しみで、今回の悲愴は(舞台袖からでも)ぜひ聴かせて頂きたいと思っています。

一気に書いてしまいましたが、そんな訳で私も演奏に加わらせて頂ける事がありがたく、またとても楽しみにしています。お時間がございましたら、日曜日の昼下がりにぜひお出掛け下さい。

一昨日昨日は特に忙しかった訳でもないのに、なんでこんなに疲れているのだろう?と考えて思い当たりました。楽譜、郵便物、届いたファクス、コンサートのチラシ、授業で使う楽譜のコピー、過ぎた時間の手帳のレフィルなどなど、「紙」の整理に昨晩かかりきり。情報、情報、情報の洪水・・・。そして手も荒れる季節となりました・・・。



2005年11月7日(月)      「テンポ」

あっという間に11月に突入。何だか訳分からないまま日々が飛ぶように過ぎてゆきます。先週は大学が学園祭で授業がなかった分ゆっくり出来た日もあったけれど、週後半はコンクールのサックスの伴奏で慌しかった!昨日は1ヶ月ぶりのオケ合わせがあったのですが、そんな訳で練習ができていなかったのでまぶたが今にも落ちそうな中夜中に必死でさらい、午後に帰ってきてから熟睡・・・(通常の1日の睡眠より長かった)。

体は気持ちよく熟睡した筈なのに、うつらうつらとしている時に「このどよ〜んとしている気持ちは何?」と考えている自分がいました。頭は体と別に活動し続けている事に我ながら驚き。このところはなかなかひらめかなかったこのひとりごと、何について書こうかとふと思いついたりもしたのですが、さすがにそれ全部は今の体力では書けない。あれだけ寝たのに猛烈に眠いし寒気もちょっと。気が抜けると風邪をひくという事でしょうか。いやいや、絶対にひかない!ひいている暇もないし。

昔は結構気持ちの切り替えが苦手だったにもかかわらず、今はさすがに必要に応じて瞬時に切り替えられるようになりました。集中していなければならない時は半日とか、長いスパンでは1週間とか持続できる代わり、丸1日、2時間、例え10分であってもいきなり気持ちをオフにしたり、全く別の事もできるようになりました。集中を切らしたらダメになりそうな時は、あえてずっとその状態を続けてしまう事もあります。気を抜いているつもりは全くないんだけど、夜中に「明日が終わればとりあえずは眠れるから」と、自分をだましだまし無理したのが仇となるのか・・・。

コンクールの話。私が伴奏する事になっていた学生さんがたまたま10名程集中した日があり、その日は朝8時半呼び出しから夜9時に弾き終わるまで(それでもまだ審査は続いていた)、殆ど休みが取れませんでした。呼び出しの時間に集合し、それから少しして数人一緒に別の音出し室へ、それから順番に一人ずつピアノと合わせが数分だけでき、それから舞台脇の楽屋へ、そしてやっと舞台裏、ついに舞台へ・・・というように移動。おおよその時間は読めるとはいえ、正確な時間は分からないのでずっと待機していなくてはならないのです。呼び出し時間が近い人同士ではたった30分しか離れておらず、舞台で演奏し終わって慌てて戻ると、既にピアノ合わせの部屋でお待ちかねという事もありました。全員何とか直前合わせが出来たのが幸い。そんな感じで、演奏し終わればすぐ次の人の待つ場所へ急ぐような状況で、休めたのは遅いお昼にラーメンを20分で食べて来たのと(近くにあった有名なとんこつラーメンのお店、ラーメンなら時間かからず食べられると踏んだのがドンピシャ、ピーク時を外したので間に合った)、暗くなった頃40分空いたのでコーヒーを飲みに出られた事。ホッと気を抜いてしまうと気持ちも体もホールに戻れなくなりそうで、今思うと味わっている余裕も殆どなかったのです。

課題曲が決まっていたのでその日に伴奏すべき曲はたった1曲、だけど相手が違えば全てが変わってきます。あくまでも私の場合ですが、普段の精神状態と違うからこそ演奏に集中できるように、伴奏も含めてのお手伝いを心がけるようにしています。例えば本番前に集中する事に専念したい人には敢えて必要な事以外話さないようにし、人と話す事で緊張をほぐしたい人にはいろいろ声をかけるというような具合。でも実は、今回一番気を遣ったのはテンポでした。

音楽の最も大切な要素の一つであるテンポ、これについて普段から考える事思う事多々ありますが、こんなに注意深くなった事もあまりないものです。その曲にふさわしいテンポは作曲者が冒頭に書いた言葉やメトロノーム記号である程度限定され、またその範囲内で演奏者それぞれがしっくりくるテンポを持っている。更にはその日の調子や気分で変わるので、毎日全く同じテンポで演奏する事はありえない。ピアノのソロのようにその日の自分の気分任せというのは一番楽なのですが、じゃぁ同じ曲なのに皆違うテンポを求めている場合は一体どうしよう?

こんな場合は、その曲を演奏する際の私自身の好きなテンポをとりあえず決め、そしてそれを元に皆のテンポの印象をメモしておきます。「速め」「同じ」「きもちゆったり」というような感じに。この仕事、自分のテンポでしか弾けないとなると務まらないのです。またメトロノーム的にはほぼ同じテンポであっても、不思議なものでビートを少しためて感じるか流して取るかでも、意外に変わるものです。そんな場合は「ちょっとかっちり感」とか「そのテンポで早回し」なんてメモしてあります。大体そんな切羽詰った状況でメトロノームを鳴らす訳にはいかないというのもあるけれど、人間の感覚はもっと微妙で複雑なものだと信じたい。

その日突然気分が変わる事もあるだろうし、心臓の鼓動が早い時にいつものテンポ通りに演奏したいかどうかは分からないので、舞台裏で最後の確認、「タタターンタターンタタタ・・・」と歌って尋ねていました。連日朝から晩までステージの誘導をされていた係の方はお分かりだったでしょうが、傍目に見たら何とも不思議な光景かもしれません。でも前奏が違うテンポで出てしまったら取り返しがつかないし、何せ伴奏もある意味非常に怖い曲なので・・・。後は舞台に出たとこ勝負で、聴きながら微調整しています。そう、その係の方には最後の日の最後の人の伴奏が終わったら、「これで終わりですか?お疲れ様でした。」なんて声をかけて頂きました。こちらこそお世話になりました。

話戻して、どよ〜んとした気持ちの第一の原因は恐らくコンクールの事。一昨日夜遅くに結果が出て電話やメールで皆知らせてくれたのですが、15人に1人しか残れない厳しい確率で、残念な結果となってしまいました。いや、その結果は問題ではないのです。ありのままの感情はその場では封じておいて、どんな思いで言葉を選んで電話をかけてくれたりメールを送ってくれたりしたのだろうか・・・と、一人一人の顔が思い浮かびました。昔そのような経験をして気持ちが分かるだけに、ちょっとこちらも苦しくなってしまったのでした。

これに関しては、皆考え感じている事ももちろん違うでしょう。もっともっといろいろな想いが頭の中をめぐりましたが、とても書ききれるものでもなく、このような場で100%忠実に伝えようとしても難しいものがあるので、これ以上書くのは差し控えます。でもこれをきっかけにして音楽について、演奏について、自分について真剣に考え、それ故誰もがステップを1段2段と上がれたのは、一つだけ確実に言える事。夏休み前からずっと伴奏にお付き合いしていて、それを至近距離で感じられたのはとても嬉しい事でした。「転んでもただでは起きない」。そう思って気持ちが整理できたら、新たな気持ちでまた頑張って欲しいと心から祈るばかりです。

どよ〜んとした気持ち、現在のこのムチャクチャな私の状況に第二の原因あり。うつらうつらしながらも、「あの書類まだ出していなかった・・・」とか、「もうそろそろ来春のデュオのコンサート、動き出さないと間に合わない」とか、「学園祭や祝日でできなかった室内楽のレッスン、どこかに補講入れないともう試験だぁ」とか、「今週のコンサートで着るドレス決めなきゃ」とか考えている。それなのにどういう訳か、気になる展覧会がこの秋に集中しているのも思い出しました。さすがに今週はさらう為に何とか時間を空け、当日までどのように持っていくかどういう練習をするべきかも見えているのに、それでも行きたくなったら行きたくなる。さて、どうしよう?枯れかける前に感性を取り戻しに行くべき・・・?


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