ひとりごと(2004年12月分)


2004年12月29日(水)     「ラフマニノフ」

前回の項に書きました「N響アワー」を見て下さった方へ、ありがとうございました。

さすがに「年の瀬」を感じるようになりました。学校はお休みになったものの、生活は未だいつものペースです。というのは1月8日にリサイタルの伴奏を控えているせいもあり。二人の都合が今までつかなかったのもあって、今週から駆け込みで合わせを一気に入れています。いやぁ本当にラフマニノフのチェロ・ソナタは大変・・・にもかかわらず本当にいい曲!

その内好きな作曲家について書く事もあるかと思いますが(今日は長くなるので省略)、ラフマニノフはどんな時でもかなり心惹かれる作曲家です。まずは「ラフマニノフ節」とも言えるあの憂いを帯びたロマンティックなメロディとダイナミックな表現。ともかく音が多くて指使いが複雑になるし、大きな手と体を要求されてテクニック的にも相当大変なのですが、さすが大ピアニストの書いた作品だけあって、弾けてくると逆に手にはまって楽になります。その弾けて来るまでの練習の過程も、まるで難しいパズルを解いているように面白い。舞台にはそんなにたくさん載せてはいませんが、ピアノ曲はそんな訳でいろいろ弾いています。ただどうも気になりつつもチャンスがなく、手が出なかったのがこのチェロ・ソナタ。いつか取り組みたいと思って楽譜は買ってありましたが、まさかピアノ・パートだけ一人で弾いていても意味がないから・・・。チェロの深みのある朗々とした響きがラフマニノフのメロディには正にぴったり。厚みのあるピアノの響きとも相まって、お互い弾けて来るほどにいろいろな表現がみつかる気がします。今回のお頼まれした時は本当に嬉しかったです!ピアニストにとってみれば、このような二重奏の室内楽は(デュオとして活動しているならともかく)こちらから話を持ちかける事は少なく、声をかけて頂けるのをひたすら待つ、そういうものだから・・・。

ピアノのソロと室内楽では使う筋肉がかなり違う気がします。うまく説明できないのですが、ソロだとパワーとスピードの方がより必要だし、室内楽だと指の緻密なコントロールの方に神経を遣います。ただこのラフマニノフのチェロ・ソナタ、その点は曲者(?)でパワーとスピードはソロ並み。又ピアノの音数が室内楽とは思えないほどべらぼうに多いのに、チェロを凌駕しないような抜群のコントロールも要求されます。更に大変なのが「眼」!伴奏や室内楽の際は通常眼はどこを見ていると思いますか?1.楽譜、2.手元、3.共演者・・・?

この答えは人それぞれだと思いますが、私は95%位は楽譜で残り5%位は共演者。手元の移動は、ソロ曲でもない限りそんなにバシバシ跳躍する事もないので、指が鍵盤を触った時の感覚と腕の移動の距離で読めるし、共演者の呼吸と旋律の音色の微妙な移り変わりを聴いていれば、合わせるタイミングは相手を始終見ていなくてもわかります(もちろん曲の始めなど重要な箇所は特別)。鍵盤の白黒のコントラストだけでも実はかなり眼に刺激が強い。その上、目眩がするのでジェットコースターに乗れないような私は、演奏中に眼が楽譜と手元を何百回と往復しているだけでも気分が悪くなってきてしまうのです・・・。そういえば学生時代のソルフェージュ(初見)の授業で「手元は見ない」、そんな風に教えて頂きましたっけ。話し戻してこのラフマニノフ、跳躍が多いのです。弾いていて本当にクラクラするので、いっその事暗譜してしまおうか(無理!)と思う位・・・。

それはともかくと、このラフマニノフはかなり力を入れて二人で創りあげている真っ最中!その他、富田さんのハンガリー仕込みのコダーイのソロ・ソナタなどもかなり聴き応えがあると思います。新年早々ですが、1月8日のマチネ(詳細はコンサート情報のページをご覧下さい)にぜひお出掛け下さい。

昨日あった出来事も年を越す前に書いてしまいますね。

アメリカ暮らしも10年以上の友人が一時帰国したので、久し振りに会ってランチ。その後別の友人も合流するので、二人で恵比寿のガーデンプレイスで日向ぼっこしながら待ちました。その後三人でお茶をする予定でしたが突然の予定変更!そのすぐ近くにある彼女の勤め先の日仏会館ホールのベヒシュタインのピアノを、急遽弾かせて頂ける事になりました。噂には時折聞くもののベヒシュタインは初めて。どんな音がするのか恐る恐る弾いて見たら、内面に向かってまろやかに香り立つような、そんな品のある美しい響きがしました。小1時間いろいろな曲を弾いてみて、その友人の「リストとドビュッシーがベヒシュタインには合うらしい」という言葉通り、ドビュッシーを弾いている時がよりさまざまな響きを出せたような気がしました。もちろん他の方が弾かれたりすれば、又別の響きが引き出せた可能性もあるのですが。でも本当にいい音でした・・・。



2004年12月25日(土)     「師匠の背中」

今日はクリスマス。クリスマスというと思い出す、師匠にまつわる出来事があります・・・。

それについて書く前に「師匠」、昨年春に亡くなられた井上直幸先生の事を改めて書かせて頂こうと思います。全てを書こうとすると本になってしまいそうなので、ほんの少しだけ。

私がここまでやって来られたのは、沢山のお世話になった方々のお陰です。そして先生方との出会いには本当に恵まれていると、しみじみ思います。ピアノの先生、ピアノ以外の音楽関係の先生、学校の先生・・・。「出会いは必然」だと信じていますが、どの先生なくしても今の自分はありえなかったでしょう。いろいろな形で私をここまで導いて下さり、又現在もいろいろとお世話になっていますし、もちろんこれからもご指導頂けたらと思っています。

井上先生は私にとって初めてのピアノの先生でした。昔NHKの教育で「ピアノのおけいこ」という番組があり、ドイツから帰国されたばかりの先生が講師を勤められた時に、出演したのがきっかけです。週1回30分の放送で公開レッスン形式、その収録の為半年間NHKに通いました。たった30分という短い時間内に、確か3人位のレッスンが行われたのですが、その曲のエッセンス(真髄)をまだ子供だった私達に実に分かりやすく教えて下さいました。課題になった曲は、テクニック的には易しくても音楽的内容が詰まった作品ばかりで、それは教える立場になった今、いかに素晴らしいレッスンをして下さったかをひしひしと感じています。

「演奏はテクニックから入るのではなく、まずイメージをしてそれを表現するのが大事」、そういうレッスンでした。もちろんそれは子供であってもその点は全く妥協されず、レッスンには全曲暗譜してそれなりに仕上げていくのが前提でした。レッスンというのはそういうものだと子供心に思っていましたが、初めからそういう先生に出会えて本当に幸運でした。その当時から、演奏は毎回新鮮な気持ちで、といつもおっしゃっていらっしゃいました。先生の瑞々しい感性から紡がれてゆく音楽は本当に特別なもので、お手本に目の前で弾いて下さる演奏を、魔法にかけられたようにぽぉーっと聴かせて頂くだけでした。

先生は、日本ではまずシェーンベルクのピアノ作品の全曲演奏・録音で注目を浴びられたそうで、その後より活発に演奏活動をなさるようになりました。私の中で強い印象が残っているのはモーツァルトでしょうか。コンチェルトでもリサイタルでも沢山聴かせて頂けましたが、一音一音が語っていて又美しい歌が流れているので、一耳聴いただけ(?)で先生の演奏と分かるものでした。その他バッハやハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ドビュッシー、そして武満徹など現代ものなどもお得意でした。大変ご多忙だった為レッスンは月1回位でしたが、オーケストラとの協演やリサイタルなどには、毎回必ず伺わせて頂きました。先生固有の響きやフレージング、演奏されているお姿、又終演後楽屋にお訪ねした時のホッとされたような表情・・・。それは昔も亡くなられる直前もあまりお変わりはなく、懐かしく思い出すことが出来ます。

曲がりなりにも私が舞台で演奏出来るようになった事を、先生は殊の外喜んで下さっていました。ただ伴奏など他の仕事が忙しくなってソロの練習時間をちゃんと取れない事もお気づきになっていらして、作品と自分にきちんと向かい合う時間を取らないと・・・といつも戒めて下さいました。作曲家とその作品に敬意を払って演奏する事を教えて下さったのも先生でした。お忙しくて直接ホールに聴きにいらして下さった事はなかったのですが、毎回録音をお送りすると必ず聴いて下さって、感想を伝えにわざわざお電話を下さいました。普段の連絡はファクスやメールでする事になっていたのですが、時々突発的に地方のホテルから電話をかけていらして、長い時間気持ちよくお話し下さった事を思い出します。それは、やはり演奏家として活躍されている先生でなくては伺えないようなアドバイスばかりで、話は舞台の上での精神状態や作品の解釈、練習の方法、又ご自身の舞台での経験談など多方面に及びました。

先生のおっしゃった事が本当の意味で分かってきたのはごく最近です。舞台で演奏する事においての「壁」にぶち当たっても大きくつまずかずに済んでいるのは、時々そんな大切な一言が思い出せるから。今も演奏に迷いが出ると、こんな時は何とおっしゃるだろう?と考えてしまいます。初めて出会ったその時の先生の年齢と今の私の年齢が、ついに一緒になりました。まだまだ自分は未熟ですが・・・。昨年亡くなられるまでに流れた時間は長いけれど、レッスンして頂いたりお話しさせて頂いたりした時間はその割には短いかもしれません。でも大切な事は全て師匠の背中から直に学ばせて頂けました。現在私が今学生さんとそういう事について話したりするのが好きなのは、師匠から受け継いだものなのでしょうか。

一昨年のクリスマスにあった出来事。その翌年確か2月に先生のリサイタルが都内であるという事で、チケットを予約しに電話をかけました。そしたら急遽キャンセルが決まったとの事。びっくりして先生にメールしましたら、「検査の結果急遽入院が決まったけれど、大した事はないから心配しないで。」とすぐにお返事頂きました。一日も早いご回復をお祈りしていましたが、その後ずっと連絡が取れなくなりました。今だから言えることですが、私の気持ちの中にせめぎ合いがあったのです。きっと再びお元気になられて演奏を聴かせて頂ける日が来ると信じていましたが、反面何もご連絡がない事に嫌な予感がし・・・。お世話になった恩師や大切な方が亡くなり、自分の感謝の想いを伝えられなかった事に後悔した苦い経験があったので、すぐに長いお手紙を書きました。お亡くなりになられたのは4月。その直前はご自宅に機材を運び込んで最後の録音をなさっていらしたそうです・・・音楽を心から愛していらした先生らしいと思います。クリスマスに頂いたそのメールが最後となってしまいました・・・。

ライブで聴かせて頂く事がもうできないのが残念ですが、CDは「最後の録音」も含めカメラータなどから多数出ていると思いますので、聴いて頂けたら嬉しく思います。又忘れてならないのが春秋社から出版されている「ピアノ奏法」という本。タイトルから受ける印象とは違い、先生の音楽について考えていらっしゃる事が対話形式で読みやすく書かれています。一般書としてもベストセラーになったそうです。私がこうやって書くよりも余程、それを読んで頂く方が先生について分かるかもしれません。

ところで井上直幸先生の演奏が12月26日にテレビで放映されるとの事。NHK教育で「N響アワー」、夜9時〜です。詳しい情報がないので分からないのですが、ぜひぜひ!観て頂きたいです。特にライブでは素晴らしい演奏を聴かせて下さる先生でしたので・・・。



2004年12月23日(木)     「熟睡」

さすがに体力の限界が来たようで・・・最近はなかなか更新できず、来て下さった方には「ごめんなさい」。いつもは睡眠4時間あれば何とか持つのですが、今週はしっかり寝ています。

先週は7日中4日分本番があり、「終わったー!」という気分で月曜の貴重な半日オフを迎えました。とは言っても翌日から全く新しい曲の合わせが入るので、それを練習しようと意気込んでいたら、どういう訳だか午前の仕事が終わる頃から猛烈に体調が悪くなり、結局その後はず〜っと寝込んでしまいました。終わった今だから言えるけど(合わせの前に「ごめん、寝込んでいたからさらえてなくて・・・」とは口が裂けても言えない)、全く物も喉を通らず、昏々と15時間位熟睡。起きたらフラフラだったのに、火曜は10時から19時半まで7人の学生さんと合わせをしてました・・・。不思議なもので、ここぞという時には体調は持つのに、気を抜いていい時を狙って調子が崩れるのです。こうやって体も心も酷使しているといつか罰が当たると自分で戒めていますが、ここまで頑張ってくれる自分の体に感謝!しかしいつも睡眠を返上してまで何とか片付けている雑用は、すっかり放置されてぐしゃぐしゃ状態です。

学校の仕事は昨日で最後。そして夜にはオーディションに通った学生さんの室内楽のコンサート。受け持っているグループ2つが出させて頂けたのでそのゲネプロを、又本番も全部、計4時間聴きました!背中が痛かったけど聴き応えはありました。いい演奏をしているグループには、「いいメンバーに出会えて良かったね」と言ってあげたい。幾つかあったそんな演奏は聴けてとても嬉しいです。

さて、日曜のヴァイオリンのおさらい会の伴奏も無事終わりました。1年に1度、毎年この時期にお手伝いするようになって数年。毎日練習しているご本人よりも毎週聴いていらっしゃる先生よりも、意外に私の方が1年間の進歩が良く分かるものです。音大音高生も、受験生も受験生予備軍も、また趣味でやっている人もいるのですが、一生懸命に本番に臨む様子は皆一緒で、それは清々しいものです。友人でもある先生のレッスンを間近に見ていて、彼女の熱意が学生さんにしっかり伝わっているのだなぁと感嘆するとともに、又教える(・・・という言い方は私はあまり好きではないのですが)のは素晴らしい事と思うのです。毎年その成長振りを伺えるのが楽しみで、まるで保護者になったような気分。

今はコンクールやオーディションの数が格段に増え、又小さいホールやスタジオなどの施設もあちこちにできました。年間に大小含め人前で演奏する機会がどれ位あるか学生さんに尋ねてみましたが、少なくとも10回弱位は誰でもあるみたい。私の学生時代にはそうそう人前で演奏するチャンスはなかったので、ちょっと羨ましいです。精神的な慣れも必要だし、残響の多いところでしか出来ない表現方法が沢山ある。そんな事さえ全く知らなかった自分の経験を踏まえて、時々試演会を企画しています。名前の通り、お客さんに聴いて頂くというよりは、「試しで演奏できる場」です。例えば俳優さんのしゃべる科白、これに絶妙な「間」があるかないかで玄人と素人位の差がでると思うのですが、音楽でもその「間」を表現するにはまずそれなりの残響が必要で、音がホールの隅っこに届くまでの時間をどう扱うか、これに慣れる必要があるのです。そういえば昨日、室内楽コンサートに出たある学生さんが、「休符までをどうにか表現しようと心がけた」と言っていました。良くぞそこまで「演奏」してくれた!と、聞いて思わず涙が出そうになりました・・・。



2004年12月18日(土)     「キャンドル・サービス」

いつの間にかアクセス・カウンターも1500近くになり、びっくりしています。いつもご覧下さる皆様へ、どうもありがとうございます!

今週3日間あったサックスの伴奏も昨日で一段落。リサイタルにしたら正に「名曲アルバム(サックス編)」、と学生さんに言われました。もし自分が聴ける立場だったら嬉しいけれど、弾くのが何せ大変な曲ばかりなので正直きつかった(と終わって気付く)。でも聴くだけではきっと分からなかった何か満ち足りた気分も、演奏によってもたらされたと思います。本番後は、良くあるいつもの「クラクラする感じ」・・・多分終わってホッとしたんでしょう。でも嬉しい事も沢山ありました。普段と違う何かを舞台で出せた人もあり、練習よりも舞台の方がいい演奏ができた人もあり、意外な一面を見つけられた人もあり、そういう場に居合わせられるのは、伴奏者冥利に尽きます。

明日はヴァイオリンのおさらい会で、今日はその直前の合わせ。久し振りに弦に戻った感じがします。そして来週からは練習する曲が新しくなり、1〜2月の実技試験の伴奏の曲の譜読みを始めなくては。ソロも久々(妙に懐かしい)に練習を始めています。

時期的にもうクリスマス、でも今年はまだクリスマス・カードを1通も書けていない。こんな事は初めてです。ヨーロッパに出すには間違いなく間に合わないでしょう。もしこれを読んでいてくれたなら「ごめんなさい」。という訳で思い出したクリスマスの話を・・・。

もう何度か書いている出身中学校、そこはプロテスタントの学校でした。毎朝の授業前15分の礼拝は心落ち着けていろいろ考え、自分を振り返る貴重なひととき。そして待ちに待ったクリスマス!クリスマス礼拝は、年の瀬のこの時期に1年間を静かに思い起こし、そして人々の幸せを祈るそんな特別な時間でした。学外からお呼びした講師の先生のお話を聞き、賛美歌を歌い・・・中でも一番印象に残っているのはキャンドル・サービス。真っ暗な講堂の舞台の上にともされた一本の蝋燭、そこから次々と明かりが隣へと連なって増えてゆきます。講堂全体が数え切れないほどの蝋燭の光でいっぱいになった時の気持ちは、一体何と表現したらいいのか・・・それはあまりにも美しい神秘的な光景で、自然と厳かな心持ちにさせられるものでした。自分にとって身近な人の、そして世の中の人々の幸せを祈る日、それがクリスマス・・・。

あと半月もしない内に新年だなんて未だ思えない。今年は本当に辛いニュースの多い1年でした。災害に遭われた方々が1日も早く元通りの生活に戻れますように、心より祈っています・・・。



2004年12月16日(木)     「サンドウィッチ」

今週はちょっと半端じゃないスケジュール。その真っ只中にいるのに、何故か書きたくなる心境・・・。昨日は朝10時半に学校に着いてから殆ど休みらしい休みもなくレッスンが続き、それが終わって夕方からずっと合わせ。学校には22時まで居ました。今日も10時半までに行かなくてはならない・・・往復で3時間弱かかるので、いっその事学校の近くに泊まれたら楽なのに、と思う事しきり。

たまたま先日買った大きな「田舎パン」が残っていたので、お昼の為にサンドウィッチを作って持って行きました。中身は結構ありきたりだけど、ハムとチーズ。そして例のお任せで届く宅配野菜の中にサンチュがあったので、マヨネーズとともに挟みました(サンチュがあっても焼肉はご無沙汰)。かなりのビッグサイズでしたが、それをかじりながらふと思い出したのが、昔友人が作ってくれたサンドウィッチ・・・。

芸大のピアノ科では私達の学年は30人いましたが、卒業してすぐ位の頃は何と!その内18人がヨーロッパに留学していたのです(よりによってアメリカ組などもいなくて)。当時友達が日本に居なくてつまらないなぁと思い、ある時「小さなヨーロッパ一周旅行」を計画しました。地図上で友人が住んでいるところに点をつけて、その点を一筆書きでぐるーっと一周。今みたいな毎年5〜6月の恒例リサイタルを始める前の年だったかな。一番気持ちのいい季節、初夏でした。その時に回ったのはチューリヒ、カールスルーエ、ウィーン、ザルツブルグ、リューベック、ハンブルグ、パリ。どの街にも友人が居て、久し振りに会って沢山おしゃべりをし、美味しいものを食べ、又いろいろなところに連れ出してもらい、もちろん部屋にも泊めてもらって、留学生の生活はしっかり見せてもらいました。各都市間はユーロパスで列車移動しましたが、かなりの長距離乗るのに日本みたいな駅弁はなく、友人が心配してサンドウィッチとフルーツなどのお弁当を持たせてくれました。日本ではそういう経験は普通しないけれど、それは本当に嬉しくてありがたくて・・・その時の気持ちの温かさとサンドウィッチの味は、今もしっかり思い出せます。

話を戻して・・・今週7日間のうち本番があるのが計4日、そこで伴奏するのはトータル約20曲。今日はその2日目です。頭の中の状態は切り替えスイッチをいちいちオン・オフしている感じ。伴奏する相手の気持ちと演奏、自分の体と頭の状態、その日使う伴奏譜の管理、今日のスケジュールや部屋の段取り、本番の直前ぎりぎりまで入っている通常のレッスン、翌週のスケジュール決めの為のメール連絡・・・。こういう事には絶対「うっかり」がないように気をつけている代わり、提出しなくてはならない書類の締め切りを忘れていたりして。それはともかくと、いい演奏をしてもらえるようにこちらもかなり真剣になります。一番の楽しみは、演奏後の感想を聞く時・・・。



2004年12月13日(月)     「私服」

前回予告した「ちょっと変わった出来事」、今日はこれから。

大学では室内楽の授業(レッスン)も受け持っています。先日、大学院生のトリオ(ピアノ、ヴァイオリン、クラリネット)を聴いていたら、突然学校の職員の女性が「あの、先生は・・・?」と入って来られました。最初はどうやら先生としてみてもらえなかったらしい(貫禄ないんでしょうね)。一応私が「先生」だと認めてもらえたら、「本日は学内で授業風景の写真・ビデオ撮影があるので、協力して頂けませんか?」との事。そう言えば教員室の入り口に「本日撮影あり、ご協力お願いします」なんて貼ってあったっけ。即、逃げようかと思いました。それ位撮影は苦手。加えて、その日はジーンズで「ご出勤」だったので、さすがにまずいのでは?高校ではそんな時はご丁寧に、「撮影がありますので(適切な服装でいらして頂けますよう)よろしくお願い致します」と前もってお電話を頂いたりするのに・・・。しかしその職員の方の「別にそれは構いませんが」という一言もあり、すったもんだを繰り返した挙句おとなしくカメラに納まろうと、結局諦めました。この学生さん達、間違いなく撮られたかった(ように見えた)でしょうし。大学生ならまだしもさすがに院生ともなれば、何かとこっちが負けそうです。

・・・これでもTPOはおさえているつもり。人前で演奏する時や試験の審査をする時は、もちろん相応の格好をしています。伴奏者の立場ともなると、黒い衣装はよりどりみどり。普通の日に関しては、勤め始めて2年間は「我慢!」。でも今年からは、大丈夫だろうと思われる時はジーンズで行っている日もあります。学生時代はレッスンのある日だけ自分なりにきちんとした格好をするようにしていたので、友人には今日がレッスンとすぐ分かったようです。現在は、外出するのにピアノを弾かずに済む日なんてまずないので、当然マニキュアを塗った事もなければブーツも履いた事がない。・・・こんな事を書くと次のレッスンの時に学生さんがどんな格好をしてくるのかが楽しみ(?)ですが、普段はピアノを弾く事に支障がなければいいと思っているので、当然ジーンズでも全く問題なし。もちろんピアノを弾かない時であれば、それは全く個人の自由だと思っています。

話変わりますが、私の通っていた私学の中学は制服がありませんでした。確か私が入学する数年前に制服が廃止になり、それまで制服だったセーラー服は数ある服装の中の一つとして着用されていたのです。中高一貫教育の学校を中学3年間だけで出てきてしまったのは私一人でしたが、最後の思い出に一日だけ友人にセーラー服を借りて学校に行った事、良く覚えています。写真も撮った気がするけれど(こういうのは例外!)あれは一体どこにあるのだろう?ジーンズと言えば私には今も昔も必需品で、体によく馴染んでいます。小学生の頃から好きで、中学生の頃は制服の如く毎日のように履いていっていました。学校の規則も至極当たり前と思われる事、確か4つしかなかったのですが、だからこそ自分で考える機会を沢山与えられ、又考える習慣が身についたのだと思います。中学生時分から私服という自由が与えられ、選ぶ責任も自分自身にあるとなると、ある意味わずらわしい面もあり、逆に落ち着いた服装に納まるものです。だからこそ今、自然にそういう事を考えられるようになったのかも・・・。

撮影の類はともかく苦手。それは子供の時から変わらず、とにかく陰で目立たない方が好きな性格でした(別に悪い事をしていた訳ではないけれど)。例えばバレーボールではセッターやリベロなどのポジションの選手に、お芝居ではベテランの脇役の役者さんに目が向きます。小学校の学芸会などでは率先して裏方に回るような変な子でした。だから昔から伴奏や室内楽が好きというのも当然の成り行き。それでもたまにソロが無性に弾きたくなるのは、自分の中でバランスが取る必要があるから(もちろん他の理由もありますが)。

先の学内の撮影の話に戻りますが、「いつものレッスンだから普通に普通に・・・」と思っている内に、カメラが回っている事を忘れました。自分の中に入れた代わり、何をしゃべったかも実はあまり覚えていないけれど、やはり普段と違う雰囲気の中で一味違うレッスンになったような気がします。室内楽のレッスンは、「今日はどういう切り口から捉えようかな?」と考えるところから始まります。ソロよりはるかに多いポイント(視点)があればこそで、それがなかなか興味深い。個人技がいくら優れていても室内楽とは呼べないような音楽になってしまう事もあれば、逆に個人技はイマイチでも室内楽的に「まとまった音楽」になっている事もある。縦に音を合わせるより息(=呼吸)や「気」を合わせる事を考えた方が上手くいく場合もあるし、メンバーの人間関係が変われば音楽の横の流れも変わってしまう。まだまだありますが、音をお聴かせして説明できないのが残念です。しかしレッスン風景を公開するのは相当勇気がいるものです。その話は長くなるので又いずれ。

あの写真とビデオ映像は一体どこに使われるんだろう?かなり気になります。あの部分だけはお蔵入りにして欲しいと思うのは私だけ・・・?



2004年12月9日(木)     「プログラム」

先週は、通常の授業とレッスン以外はひたすら「合わせ」。手帳のレフィルは学生時代からずーっと、8〜24時の時間軸の横の目盛りが入っているものを使っていますが(昔はある会社の製品しかなかったけど、今は他社からも出ているのだろうか?)、それが毎日1時間刻みでフルに埋まっている状態でした。

今週はもう少しバラエティに富んでいる(?)けど少し気忙しい・・・考えておかなきゃならない事が多すぎるのです。傍目には几帳面で真面目に見えるらしいけど、元来はずぼらな私には結構なストレスかも。コンクールなどで弾く機会を控えている学生さんの肝試しの為にホールを予約しに行き、取れた日時を知らせて曲目と演奏時間を打診。昨日は学内での演奏会の為のゲネプロがホールであり、6人ぶっ続けで伴奏。終わって時計を見たらトータル1時間半(曲が皆長めなので)!サックスの曲はどれも気が抜けないので恐ろしく集中しましたが、危険な箇所も見つかったのであと1週間で固めなくては。一昨日は代講を頼まれて、器楽伴奏法の授業を一コマ受け持ちました。昨年まで受け持っていた歌曲伴奏法で授業の進め方は分かっていたので、そんなに緊張もせずに済みました。今回はヴァイオリンだったので楽しかった。管や歌よりはずっと勉強してある分野だから少しは自信を持って授業できるし、経験上言ってあげられる事も沢山ある。学生さんには、ソロだけでなく伴奏・室内楽はぜひとも上手になって欲しいと思っています。

何となく慌ただしく日々を過ごしている内に、ふと「そろそろ時期が来たか・・・」と思い立ちました。毎年1回続けている恒例のリサイタル。6月初めに開催、そこから逆算していつご案内を出すべきか、いつチラシなどの印刷の準備をすべきか、肝心要のプログラムはいつ決めるべきか・・・そのように段取りを考える訳です。よく尋ねられるのですが、皆さんの予想とは違ってプログラムは前々から準備してさらい込んでいる訳ではないのです。リサイタルが終わった頃、あるいはもうすぐリサイタルという頃に漠然と、「1年後は何を弾こうかな」と考えているものですが(目の前のリサイタルからの逃避だったりして)、チラシを印刷する頃には気が変わって必ず何曲か差し替えます。今年のリサイタルに至ってはいろいろ忙殺されて練習が間に合わなかった為、本来弾きたかったプログラムを丸ごと却下の「どんでん返し」!そしてそっくり別のプログラムに変えました・・・。

今回何を弾くつもりかって?内緒です。実は何となく考えてはあるのですが、プログラムの半分は全く初めての曲なので、冬休みにざっと弾いてみて6月までに間に合う目処が立つか、プログラムの長さやバランスはいいか考えてみる事にします。もしダメだったら・・・即、他の曲を考えなくては。チラシの原稿は1月半ばが締め切りです。

プログラムって本当に大切な要素だと私は考えます。その時点で準備が間に合う曲だけでまとめれば、それは自分の都合としては楽かもしれない。でも一晩80分(アンコール含めて大体90分)通しで聴いて下さるお客様の身になれば、何かのテーマに基づいていたりストーリー性があったり、又変化に富んでいたり全体のバランスが取れていたり・・・それが飽きず疲れずに聴いて頂く為に必要だと思うのです。事実、演奏する側もその方がずっと楽しい。そんな訳でいつも何を弾くかは考えに考え、(演奏はともかくとも)「我ながらプログラムはなかなか良いかも!」と言える線を目指しているのです。アンコールの選曲も又然り。

先週の話ですが、あるサックスの学生さんの学内のおさらい会の伴奏をしました。それが何とリサイタル形式。学生時代からそういう経験を積める事は、本当に羨ましいものです。トークも交えた約60分のプログラム。好きな作品を選んだそうですが、そんな中いろいろな時代、さまざまな国の作品を並べ、内一つは無伴奏。又前半はソプラノ、後半はアルトと楽器も替え、アンコールも余韻を残す絶妙な選曲だったと思います。一緒に演奏していた私には客観的な事は言えませんが、トークを聴き、又共演していて思ったのは、演奏に強く愛情がこもっていた事。自ら選曲したプログラムだからこそ?そういえば選曲の段階で相当考えて迷っていましたっけ。でも聴いて下さった方々はきっと心温まった事と思います。

昨日はもう一つ面白い出来事があったのですが、長くなるので(もし忘れていなければ)それは次回に・・・。



2004年12月6日(月)     「音の記憶」

昨日は暑い1日でした。全くこれで師走とは。地球が怒っているんじゃないかと心配です・・・。今日は予告通り、先々週の学校での室内楽試演会(=試験)を聴いて思った事から。もちろんここで講評しようとは思っていませんが。

審査中に「あれ?何だかこれって昔聴いた事がある気がする・・・」。しばらく聴き進めていく内に自然と指も動いている。そこで初めて、それが学生時代に弾いた曲だという事に気付きました。遠い昔に弾いたきりその後一度も耳にする事もなく、楽譜は借りていたのでその後見る事もなく、すっかり忘れていました。でも音を思い出すと同時に一緒に演奏した面々、その時の合わせやレッスンの風景、そこにまつわる出来事なども次々と思い出しました。摩訶不思議な感覚。

つい先日も似たような事がありました。今伴奏しているコンチェルト。初めてだと思ってお引き受けしたら、それも遠い昔に弾いた事がありました。通常伴奏や室内楽は楽譜を見て弾きます。ソロは暗譜して弾くので一度弾いたものはしっかり体に染み込んでいますが、伴奏は楽譜に頼っているせいか意識の中にあまり刻み込まれていません。最近思うのは、室内楽や伴奏は他のパートとセットで耳が覚えているらしいという事。その証拠に、ピアノのパートだけを暗譜で弾こうと思っても弾けなくて、相手が一緒だと割にすらすら思い出せたりする。ちなみに今回、昔弾いたその曲では逆の現象が起きていて、自分のパートの音は思い出せるのに、相手のパートの音が全然思い出せませんでした。いかに昔、相手の音を聴いていなかったかバレてしまう・・・。

打楽器混合のグループを聴いた時には、リズム感やテンポ感は努力などで身につけるものではなく、人に本来備わっているべき大事な感覚なんだなと痛切に感じました。リズムやテンポが正しく演奏されているかどうかという問題ではなく、その人が感じているかどうかが聴き手にダイレクトに伝わってしまう・・・と。古来の音楽は、そもそもは踊りと共に始まったという話を聞いたことがありますが、正にその通りだと思います。音楽が「生きる」か「死ぬ」かはリズムやテンポ次第。いい演奏を聴いていると自然とこちらも体が反応して動くし、演奏する側も同様、見た目からも音楽を体で感じている事が良く分かります。

そして楽器は最終的には表現手段であって、決して演奏そのものが目的にはならないという事。打楽器といえばリズミカルでダイナミックな曲のイメージが強かったのですが、静けさや優しさ、空間の拡がりなどを感じさせる表現を目の当たりにして、目からうろこが落ちました。私にとってはかなり未知の部分が多い世界でしたが、これで興味の対象も広がりました。ピアノも所詮は打楽器、参考に出来る点もいろいろありそう。

話変わって・・・昨日も又いろいろ作りました。料理って義務だと多分しんどくなるような気がします。仕事柄、お昼が毎日まともに食べられるかどうかという貧弱な食生活を続けていると、否が応でも出来る時には作って食べようと思えるものだと実感。本当に疲れていると食べ物を見ても食欲は湧かないので、食べられる事は幸せと素直に思えます。とは言え、相変わらず適当。ピアノ弾く時の方が余程考える事が多いので、思いつくまま(・・・でいいのかな?)。

最後の一鉢残しておいた生バジリコを使ったパスタが食べたいと思ったら、何と昨日の風速40mの大風ですっかりしなびてしまっていました(・・・ごめん)。そこでニンニクとベーコンとスナップエンドウ(茹でただけでも甘味があって美味しかったぁ)とシメジを、オリーブ油で炒めた具に予定変更。バジリコは刻んで絡めました。早くに使わなくてはと思っていた冷凍の鶏の砂肝は、薄切りにしてニンニクとローズマリーで炒める。レンコンと合わせるレシピは良くやるけれど昨日はなかったので、ふと思いつきで長芋を角切りにして一緒に炒めたら、歯ごたえの組み合わせも意外に面白い一品になりました。後はかつお節や胡麻で和えたゴボウのサラダにボイルしたソーセージ。わずかに残っていた新鮮なバジリコの葉っぱは、トマトとみじん切りの玉ねぎの上にトッピング。・・・以上全部おつまみだったりして。

珍しいところでハスカップ。これはお任せ野菜でなくて注文した物。北海道の特産で、以前お土産で買ってきて以来病みつきになったものです。味で似ているものと言えばカシス?色で言えばブルーベリー。その冷凍のハスカップでジャムを作りました。ヨーグルトに混ぜたらいい色だろうなと思いつつ、ちょこちょこ舐めている内に無くなっちゃいそうな予感。

そんなこんなで2時間位台所で遊んでいました。いつも時間に追われてぴりぴりしているので、気休め気休め・・・。



2004年12月3日(金)     「腹筋背筋」

もう師走。昨日帰りの電車内で爆睡していたら、「じゃあ今度は忘年会で!その次は年越し蕎麦かな?」という頭上からの声で目が覚めました。声が大きすぎるのも然ることながら、「え?もうそんな季節なの?」と思わずびっくり。全然実感がないのです。又、寒くなり空気が乾燥し始めたら家のピアノ、ご機嫌によく鳴るようになりました。それとともに私の指先のひび割れも始まり・・・これから辛い季節です。

予告した室内楽の試演会についての話は、都合により又次回に。こういう事を書く時は、さすがにゆっくり考える時間が必要なので・・・すみません。

じゃぁ今週は一体何をしていたかというと、もちろん仕事!時間的にも体力的にも頭脳的にも(?)今が一番キツイ。たまたま現在伴奏を引き受けているのは大部分がサックス。伴奏をされる方などは良く分かっていらっしゃいますが、とにかくサックスの曲の伴奏の難しさは半端じゃありません。サックスという楽器自体が新しいが故に、オリジナルの曲も皆新しい。つまりハーモニーは耳慣れた調性音楽ではなく新しい響きがするし、テンポが早くリズムが複雑でノリも必要な難しい曲が多く、合わせに意外と時間をとります。そんな訳で1度やってしまえば大分楽になるけれど、全く初めての曲は正直苦戦・・・。再来週、同時期に本番が重なっているという事は、練習し始めも合わせ始めも時期が一緒、仕上がっていく過程も大体一緒という事。来週になれば初めての曲も弾けて来るし、合わせの面でも仕上がって来るので多分楽になるでしょう(ささやかな期待)。

合わせがある時は殆ど続けて6〜7時間位弾き続けていますが(座りっぱなしでお尻が痛いのはともかく)、考えながら必死で弾いているので時間が経つのは存外早く感じるし、思いのほか疲れないものです。自分一人の練習でも集中できれば4時間位はいきますが、気ままに適当に休みは入れていますね(最近は細切れ状態)。同じ時間の長さでもレッスンをしている時は余程長く感じます。先生には向いていないのかなとも思ったり・・・何ででしょうね?

ピアノを長時間弾き続けるのに当然体力も必要ですが、私の思うには腹筋背筋!ピアノを弾くには、基本的に腰だけで支えなければならないのです。いつも右足はペダルを使っているので左足で支えられるけど、左足も別のペダルを踏まなくてはならない時があるので。又両腕は鍵盤によって支えられていて(つまりもし鍵盤が突然消えたら腕がだらんと下に落ちるような状態)常に肩からぶら下げており、時にはそれを振り回したりも(?)しなくてはならない。まともに考えたら相当重いもの。当然肩や首も凝ります。いい姿勢は何をするにも必要な条件だけど、筋肉量が多く手も大きい男性ピアニストは羨ましいと思う事多々あり・・・。

で思い出しました。新たにリンクに2件追加しましたが、一つはロンドン在住のピアノ・デュオの相手、田山くんのサイト。彼の事はその内じっくり書く羽目になるでしょう。普段は全く音沙汰無しで何をしているのかも分からない位だけど、作為的に合わせようとしなくてもあそこまで音楽がぴたりと合う人は初めてでした。サイトを久し振りに覗いたら近々来日してコンサートをするらしい。日本でのコンサートは少ないしスケールの大きい演奏が魅力なので、ぜひ聴いて頂きたいです。よろしかったらお出掛け下さい。

室内楽レパートリーも「ピアノ」のページの下層に入れました。もう少し追加もありますが、既にもうリンクしてしまって直す時間がないので、とりあえずそのまま載せます(後日追加の予定)。

今ちょうど一輪の冬薔薇が咲いています。品種名「ブラック・ティー」。名前の通り紅茶色に近い渋い赤茶色、季節によっても微妙に色合いが違います。気のせいか香りも紅茶に似ているような・・・。春の新芽の吹く頃は、その若葉からもかすかに同じ香りがしてきます。買ってきて鉢に植えた時から数年は病弱でなかなか花をつけてくれなかったのですが、今年は頑張ってよく花をつけてくれました。この季節、寒風に吹かれながら大輪を咲かせているのも、風情があってなかなかいいものです・・・。




 過去のひとりごと1へ
 ホームへ


ピアニスト石田多紀乃 オフィシャル・サイト
http://takinoishida.com
メールアドレス mail@takinoishida.com
本サイトの内容の無断転載・複製は固くお断り致します。
Copyright (c) 2004-2020 Takino Ishida
All Rights reserved.