ひとりごと(2004年10月分)

2004年10月29日(金)     「トークは苦手」

固い話が続いたので今日は少し柔らかく行ってみます。

昨日の夕暮れは本当に美しかったです。西の空が藍から茜までのグラデーションに染まりました。そして夜中に見た冷たい光を放つ満月も。この美しさも、そして台風や地震の凄まじさも同じ大自然の成せる仕業なのかと思うと複雑・・・。大変な思いをされている被災地の方々には本当に頑張って頂きたいと、心から応援しています。

イラストレーターをしている友人の個展に行ってきました。彼女は中学の同級生だったので、考えてみれば長〜い年月が流れています。個展のタイトルは「穏やかな時間」。毎回思うのですが、どの作品も見ている人の気持ちを和ませてくれるような優しい雰囲気に満たされていて、そして色使いも素敵。硝子張りの画廊で二人お茶をしながら話していると、外を通りがかる人が足をふと止めて覗き込み、そして吸い寄せられるように入ってくる。そんな何かが彼女の作品には備わっていると感じました。

わずかな時間、おしゃべりしながら気付いたのは「最近仕事に追われていて全く心の余裕がなかった事」。毎日音楽から一時も離れない事でさえ自覚していなくて、今日は何だか新鮮な空気を吸ったようでした。気持ちの切り替えは昔より早く出来るようになったけど、いつも譜読みや練習など何かしらに追われている。でも感性が枯れてしまったら、そして自分の演奏に慌ただしさが持ち込まれるようになったら終わりだなぁ・・・と。知らぬ間に疲れがかなり溜まっていたけれど、彼女から元気を分けてもらいました。

室内楽・伴奏モードから自分モードに気持ちも切り替わりました。自分の為だけに練習できるというのもたまにはいいものです。ピアノを弾く事には変わりはなくとも、やっている事は大きく違います。室内楽や伴奏は譜面を見て弾けるし、相手との関係の中で音楽も変化する。ソロだと暗譜だし、練習も本番も全て自分次第(それだけの違いではないけれど)。室内楽や伴奏の時は滅多にアガる事はありません。緊張感をもちろん持って弾いているけれど、相手に対して責任が大きすぎるが故に逆にそれをしまい込んでいるのかもしれません。ソロはやっぱり緊張します。ましてや演奏以外にトークという心配事が増えれば・・・。

明後日何を弾くかは数日前に最終決定しました。何を話すかは、今も頭を悩ませています・・・。



2004年10月27日(水)     「本番はナマモノ・その2」

さて、前回の続きです。ベートーヴェンのコンサートの話。

室内楽は場所決めがとても重要。ピアノをどこに置くか、そして他の楽器はどこで演奏するか、それこそ5cm位置がずれても向きがちょっと変わってもお互いの聴こえ方が違い、そして客席での聴こえ方も違ってくるので、かなりこだわってベスト・ポジションを探します。この日の調律師さんは「響きの実験工房」さながらに、ヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタ、ピアノ・トリオと3パターンそれぞれで、時間いっぱい試して下さいました。会場のルーテル市ヶ谷センターは教会の礼拝堂ですが、どう配置するか沢山の可能性があります。ゲネプロは、一人でピアノを触っていた時間を含めて約3時間半、敏感に響きを探し続けていたら耳が麻痺して良く分からなくなってきました。最終的には好みの問題かもしれない。譜めくりを頼んだ学生さんは客席からチェックしてくれていましたが、「演奏しない第三者が決めちゃうみたいで・・・いいんですか?」と言っていました。その気持ちは私も良く分かります。

しかしこのホールでの二人または三人で合わせた時のバランスは、舞台で感じたものと客席で聴こえるものは全く逆だったそう。ピアノが強いと思って弾いていたら客席では意外に引っ込んで聴こえていたり・・・聴いてくれる人がもし誰もいなかったら自分の耳を頼るしかありません。いつもはホールの隅まで行ってはね返ってきた響きで何となく読めるものですが、そんな簡単に分かるものではないと自分を戒めました。そこが又面白いところでもある訳で。

ピアノだけで響きを確かめる場合、私個人の勝手なイメージですが、「音の焦点が合う」ところを耳で探すようにしています。ピアノの内部から音が発せられてホールの隅っこに届くまで、その距離の途中のどこかで音の焦点が合ったクリアな音が出る(ように思える)のです。無造作に弾いてしまえば、どの距離でも焦点が合わない中途半端な音が出てしまうし、遠くで焦点が合えば弱くてもよく通る音になる。そのクリアな音を基準にして、いろいろな音量や音色、あるいは幾つかの音を重ねるバランスなどを、無意識の内に調整しているような気がします。

あ、もちろんピアノの元となる綺麗な音は、まずは調律師さんあっての事。ピアノ1台1台にも個性はあるけれど、調律師さんによって作り出される響きも皆さんそれぞれ全く違うのです。「秘策なんてない」そうですが・・・。いつも本当にお世話になります!

ちなみに私の場合、右耳は遠くの音を聞く時、左耳は近くの音を聞く時、というようにいつの間にか使い分けていますね。舞台上でピアノの前に座れば共演者も客席も右なので。例えば電話などは左が断然聞き易い。ピアニストの方々は皆さん同じなのかどうか知りたいところです。

さて、本番はどうだったかと言うと、気持ちいいバランスの中で弾けたような気がします。お客さんが入られたところでまた音響は変わってくるし、耳が回復して聴こえ方も変わったかもしれない。ただ自分で聴けないので本当のところは分からないのが残念です。それとゲネプロでいろいろな位置を試したり大地震があったりして、通常だったらかなり精神的に疲れてしまうような状況なのに、何故か頭が冴え渡って集中力が最後まで続いたのでした。摩訶不思議な精神状態でしたが、演奏がどうだったかは自分では何とも・・・ただ今まで一度も弾いた事がないような「初めての演奏」になったとは思います。曲に導かれていったような感じ。うまく言えないのですが、それがベートーヴェンの作品の魔力でしょうか・・・。



2004年10月25日(月)     「本番はナマモノ・その1」


ベートーヴェンのコンサートが終わりました。いらして下さった皆さんへ、どうもありがとうございました。

それにしても台風といい地震といい、一体今年の秋はどうなっているのだか・・・。先週の台風ではあんなに沢山の方々が亡くなり被害も大きく、その事には新聞を読みながら心を痛めていたのですが、すぐに今度は大地震!一昨日のコンサートではゲネプロの最中にグラッと来て、その揺れの大きさに思わず弾くのを止めてしまいました。その日譜めくりしてくれた学生さんは長岡出身。たまたま連絡があって震源地が新潟だと分かったようです。その後終演までご実家と連絡が全く取れず、居ても立ってもいられないような不安の中、それでも確実に譜めくりをしてくれて本当にありがたく思っています。その後ご無事である事が分かりホッとしましたが、あちこちで大きな被害が出たのですね・・・。亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

先週は出来事が盛り沢山で、そしていろいろ考えさせられました。とても全部は書ききれないので追々書いてゆく事にします。考えさせられた事は「本番はナマモノ、何があるか分からない」、そして「響き」について。あまりにもこれでは漠然とし過ぎて何が何だか分からないか・・・。「本番は何があるか分からない」とは分かりきっていた事ですが、でも「いい意味で」今回ほどそれを強く実感した事もなかった気がします。

練習と本番は全くの別物。もちろん実のある練習をしてもいないのに本番がうまく行く事は絶対ありえないけれど、いろいろなシチュエーションを想定して万全の練習を積み重ねたとしても本番がうまく行くとは限らない。「じゃぁいい演奏とは何?」と尋ねられても説明するのが難しいし、人それぞれきっと定義は違うと思います。それはさておき、最近私が思うのは「いい演奏は心(感性)と頭(理性)と体のバランスが取れている時に出来る」という事。楽譜から何を読み取りそこから何を感じ取り、それを感情に溺れずに楽器を通した表現にどう置き換え、そして絶妙な呼吸と共に体の余分な力を排除し、いい集中状態を保って演奏できるか・・・。どれも密接に関連していて、一つでも欠けてしまうと全てが崩れてしまうのです。


そして「響き」。まずホール固有の響きがあり、そしてピアノを弾く者にとっては楽器もその時に初めて出会うもの。これほど扱いにくいものもなければ、これほど工夫のし甲斐のあるものもないと、常々思います。例えば楽譜上のf(フォルテ)。これは「音を強く」という意味ですが、それをどれ位の音量にすべきかは小さい部屋で弾く時と大きなホールで弾く時は当然変わります。音色だってホールや楽器によって変わり、和音のバランスの取り方でどれ位の強さに聞こえるかも変わり、それぞれに対して体をどうコントロールするか・・・単純に考えてもこれだけ違いは出るのです。それ以外にもその日の状況や気分で変わってくる要素は山ほどあるので、表現とはその時にならないと決められないし、そして二度と同じ事はできないのです。だからこそ「本番はナマモノ」と言える訳で。しかし何だか上手く説明できなくてごめんなさい。

書き始めてからちょっと後悔しています。このテーマ、言いたい事を筋道立てて結論まで持って行くには、あまりにも話の範囲が広過ぎ複雑過ぎてなかなかまとまらず・・・。一昨日のベートーヴェンのコンサートについても書きたい事はあるのですが、長くなってしまうので又次回に・・・。




2004年10月20日(水)     「ベートーヴェン」

肝心要の事を書き忘れていたので、続けて更新です。

もうすぐなのですが、23日(土)はベートーヴェンばかりを室内楽のコンサートで演奏します。プログラムは、各ジャンルの最終作品ばかり、つまりヴァイオリン・ソナタは10曲ある内の第10番、同様にチェロ・ソナタ第5番、ピアノ・トリオ第7番「大公」。ヴァイオリン・ソナタ第10番第1楽章のシンプルな美しさや大公トリオ第3楽章の神々しいまでの美しさには、すっかり虜になりました。作曲されたのはまだ晩年とは言えない時期ですが、ある時は心の奥底までずっしりと響き、又ある時は心洗われるようで・・・演奏できるだけでも素直に嬉しいです。

ベートーヴェンの作品は室内楽も含めて随分勉強しました。ただ、「勉強するだけならできるけど真髄に近づくにはまだまだ」という思いが強くて、ソロのリサイタルでは少ししか演奏していません。そう考えるようになったのは学生時代を過ぎてから。久し振りにベートーヴェンを弾いてみて思う事は、たった一つの音に深い意味があり、どれだけ多くの事を語っているか・・・。もちろんその素晴らしさはそう簡単には言い尽くせませんが、さすがに弾きたい気持ちの方が強くなってきたところです。そろそろ解禁・・・?

23日はお時間がありましたらぜひお出かけ下さい。

それにしてもこの台風ラッシュ、何とかして。どこも大きな被害を受けなければいいけれど。ちなみに9日のこの三島公演は、台風が上空を通過する中で演奏してきました・・・。



2004年10月19日(火)     「お天気」

ちょっと寒くなってきたものの、昨日一昨日と気持ちのいいお天気でした。又今日から崩れるそうでちょっと憂鬱。爽やかな秋晴れにもそう恵まれないまま11月に入ってしまうのでしょうか・・・?不思議なものでお天気一つでかなり気分も変わります。どんなにきついスケジュールでもいいお天気だったら頑張れるし、ひどい雨降りだとオフの日でもかなりブルーになる。綺麗な夕焼けが見られると本当に幸せな気分になります。

道を歩いているとどこからかともなくキンモクセイの香りが漂ってきます。先日の台風でもう落ちちゃったと思っていただけに嬉しくて・・・キンモクセイって一度花が咲いた後、二番花のようにもう一度蕾が出てきて咲くみたい(ちゃんと調べた訳ではないので分からないけど)。大好きな香りなので元気づけられています。

このサイトの開設初日にはなかったアクセスカウンタを、昨日設置しました。1日で一気に増えていてびっくり!思いがけない方からメールを頂いたのもとても嬉しいことです。どうもありがとう!

今週は「よりによって」弾く機会が多いのです。学内の演奏会の伴奏が幾つか、私のクラスの試演会・・・これは聴くだけのはずだったのに何故か伴奏(副科ピアノの学生の専攻の楽器)を全部引き受ける事となり、後はオール・ベートーヴェンの演奏会・・・。

私たちが普通「合わせ」と呼んでいるもの、つまり個人練習ではなく一緒に合わせながら練習する事なのですが、全部相手も違えば曲も違って大変。どこをどうしたらもっといい演奏に近づく事が出来るのかをいつも考えながら弾いているので、本番が近づくと神経が恐ろしく研ぎ澄まされて来ます。ピアノのソロだと全て自分のペースで、そして自分の責任の下に練習の予定を組む事ができるけれど、他の楽器の人はわずか数回の合わせで実際に鳴る響きや本来の音楽の形を想定し、それで本番を迎える事になるのです。「毎日一人で練習しているからこそ、最初の合わせではどんな音が聴こえてくるのか、今日をずっと楽しみに待っていた。」以前にこう言われてハッとした事がありました。かなり責任の重さは感じるけれど、音楽の可能性も一人より更に広がるのは嬉しいものです。

そのあたりの詳しい話は又別の機会に・・・。



2004年10月15日(金)     「やっと・・・」


今日ホームページを「やっと」公開する事ができました。作り始めたのは9月入った頃ですが、9月半ばからは忙しくなってしまってパソコンを開けられない日も度々あり、今は遠い昔の記憶を呼び戻しているような、そんな感じです。

プロフィールのページにも書きましたが、ここでは音楽について考えている事や日々の出来事等を書き綴っていけたらと思っています。文を書く事には割合慣れていますが、ただ自分の事を話す(書く)のはとても苦手・・・私の周りの人々は皆知っていますが。でも何とか頑張ってみます。

そもそも私がパソコンを使い始めたのは3年弱前。海外の友人とマメに連絡を取る為でした。自他と共に認めるアナログ人間で、何でもそういう機械(?)の導入は遅い方。例えばケータイやMD、DAT、随分前ではFAX、CDなども相当世の中に普及してから買いました。それはともかくと、何でも使い始めれば確かに便利。字を書くと腕が痛くなるのでキーボード叩く方がはるかに早く楽だし(ピアノ弾くのと似たようなもの)、電車の中でメールを打てるようになってからは時間を有効利用しています。

それでも私たちの仕事は、楽器からいかに美しい音を「生」で引き出すか、そして一回限りのライヴでどう想いを伝えるか。決して早さや便利さでははかれない価値観の中に生きている訳で、だからこそこの感性はこのまま持ち続けようと思うのです。

仕事柄大学生に接する機会はとても多いのですが、最近気になるのは何でもすぐ結果を出そうと急ぐ学生が多い事。便利になった時代に生まれた彼等彼女等は、単なる世代間の違いだけではない価値観の違いがいくらかあるような気がします。音楽の世界では、毎日の練習を何年も何十年も積み重ねてやっと長年探し求めていた音が出せたり、音楽で何かを伝えられたりするようになるのに。それだけの時間をかけなければ出来ない事だからこそ、一生続けていけるような素晴らしい価値がある。・・・って逆も言える、それだけの価値があるからこそ充分な時間をかけなければならないと。

今はめったに過去を思い出す事もありませんが、ふと学生時代受けていたレッスンを思い出しました。先生の弾いて下さるお手本と私の演奏は、響きも違えば音楽の流れも違う。自分のピアノの拙さに愕然とし、何が違うのかありとあらゆる事を試す内に偶然ヒントが見つかり・・・そんな時の嬉しさはやはり忘れられないものです。

初回から長くなってしまいました・・・。



 過去のひとりごと1へ
 ホームへ

ピアニスト石田多紀乃 オフィシャル・サイト
http://takinoishida.com
メールアドレス mail@takinoishida.com
本サイトの内容の無断転載・複製は固くお断り致します。
Copyright (c) 2004-2020 Takino Ishida
All Rights reserved.